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1985年(昭和60年)8月12日の夕方に発生した日航機123便墜落事故で、機長、副操縦士、機関士の3人が死に物狂いをかけてまで操縦をしていてもなぜあの状態で死に物狂いをかけてまで墜落事故を防げなかったのでしょうか。何が原因で起きたのでしょうか。

A 回答 (6件)

”死に物狂いをかけてまで操縦をしていて”


事故機は、コントロールする尾翼と制御動力がちぎれて
失っているので、コントロールが出来ない状態です。

尾翼がちぎれたのは、過去の尻餅事故による修理ミス。
これはボーイング社も認めて修理と点検マニュアルを改定。

当時も今もいろんな陰謀やテロや米軍によるとか言われ、
そのような小説も書かれました。
最近は米軍から自衛隊説に置き換えた作品も。
既に事実は公表されたいるのに、それを日米の・・・。

>墜落事故を防げなかったのでしょうか。
これは、過去トラが無かったから、それを予見して対策は無理。
飛行機の尻尾がちぎれる想定にして、安全な飛行機を造ることも
また、その事態に対する飛行訓練も出来ない。
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垂直尾翼がふっとんだから。

ああなったら腕のいいパイロットでも今回の入鹿池に墜落したT-4と同じようになります。
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操縦できない飛行機ではどうしようもありません。

水平尾翼と垂直尾翼が機能しなくなったのですから。機能しなくなった原因は圧力隔壁が金属疲労で破断して、油圧システムを破損したからだと記憶しています。整備不良だったように記憶しています。
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死に物狂いをかけてまで、ってちょっと新しい言い回しですね。


 航空機の操縦は主に3つの舵とエンジンの出力で行われます。昔はその舵を人力で動かしていた時もありましたが、現代の航空機では舵それぞれが大きさ数メートル、重さ百kg単位になることもありますので、さすがに人力で動かせるわけもありません。基本は油圧を使うものが多いです。日航123便の事故では尾翼の破壊の影響でその油圧が失われたわけです。あれだけ大きな航空機の姿勢や方向をコントロールする3つの舵が全て人力になってしまったわけですから、墜落は不可避だったのでしょう。
 尾翼破壊に至った原因は事故調の報告書で前の事故の修理の不手際とされています。なんだかわけのわからない人が自衛隊が―、米軍ガーって本を出しましたけど、航空技術のコの字もわかってない人の本でした。あれはひどかった。あんなトンデモ本がベストセラーになるって日本人の科学音痴ってその頃からあったんだと思います。事故原因を詳しく知りたいのでしたら「(Cap)…: 日本航空JA 8119墜落事故」って本が面白いですよ。
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本が出ています。



操縦不能だったと聞いています。
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原因はともかく、生還できなかったのは「尾翼がふっとんだこと」「尾翼が吹っ飛び配管が傷ついて、その他の方向舵も全部使えなくなったこと」です。



なので、パイロットはエンジン制御だけで飛行機を飛ばし続けて、なんとか空港まで戻ろうとしていました。

しかし、1985年当時はGPSがありません。だからレーダーから消えると自分達も管制官も飛行機がどこに居るか分からなくなります。

尾翼が吹っ飛び、圧力隔壁が無くなったことで乗客の生存を確保するために高度10000ft(約3000m)まで降下します。これでレーダーから消えたのです。また、この高度だと日本の3000m級の山と衝突します。


パイロットは何とか操縦していましたが、旋回するのは難しく、気流に流されて山岳地帯に入ってしまい、高度維持もできずに墜落に至ったわけです。
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