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大学生です。よく分からないことがあるのですが、皆さんのご意見お願いします。

選挙投票はなぜするのでしょうか?

制度として、代議士に社会問題などを解決してくれ!と委託して、その代議士などを通じて世の中を変えていくということに、投票を行う意味があるとわたしは思っていました。

しかし、現実はどうなのだろう?と最近思います。本当に変えてくれるのか。所詮、選挙人は選ばれるために綺麗な文句を並べているだけではないのか。政治への不信と、人間らしい利害関係で動いているのだなとも思います。友人は、そんなの仕方ない、当然だといった調子でした。皆さんもわが友人と同じでしょうか?それが大人の理解ということでしょうか?

投票を行う意味はあると思います。選挙に参加しつづけることで、政治へ何かを言う権利もあると思います。ただ、どうしようもない社会に生かされているのだなと思います。

まとまりのない文と散乱した質問で申し訳ありません。質問の回答と、この文章をお読みになり、思ったことなども含め、世の中の仕組みを教えてください。

A 回答 (8件)

おはようございます。



なかなか考えさせられる疑問だと思いました。
そして若い若くない関係なく誰もが思う疑問でもあります。

私が話したいポイントとして
>制度として、代議士に社会問題などを解決してくれ!と委託して、その代議士などを通じて世の中を変えていくということに、投票を行う意味があるとわたしは思っていました。

基本はこの通りです。
殆どの投票に必ず行く、という人はこの気持ちを持っています。
選ぶ側の割合は組織票や基盤が主で、あとは世間の風潮で決める浮動票になります。

例えばある選挙で自分が選んだ人が当選し、政界に行きました。
その人がその後どのような活動をしているかを知っている人はどのくらいいるのか。
草の根でも自分達に利益のある政策を実現させている人なのか。
殆どの人は知らないのではないでしょうか。
大きな面で「どうしようもない社会」となっていても
自分の身近な所での利益は必ずあるはずです。

それと、私が思うに、選挙前のマスコミの影響も過分にあると感じます。
これも政界のしがらみが絡んでいます。
政策を語らず、ただの政治批判だけになっている。
それを知らない国民が報道に踊らされるのです。

あとは、選ぶべきではない人を選ぶ地方の「オラが村」の制度。

投票は決して無駄な事ではない。
ただ全ては私達の「選ぶ目」に掛かっているのです。
一人の人間として、偏見無く利害関係なく
「人間性が確かな」政治家を選ぶ事が大事です。

冒頭の選挙投票は何故するのか、の問いには
「自身の社会に対する目と人の人間性を見極めるため」と回答します。
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この回答へのお礼

冒頭の質問のその裏側が知りたかったのです。
選挙をしてみ意味がない、だから選挙しても意味がない。そう判断していました。それは浅はかな考えで、やはりこれから少しでも良い政治になるように、投票し続けることが必要だと思います。

しかし、国民としては、自分たちが望む社会となるために政治家に依頼しているのに、良い政治になるように投票するというのはいささか矛盾していなくもない。悲しいですね。信頼できる政治を行ってほしいから投票するというのは、政治のレベルが低いなぁと思いますが、それは今までのわたしたちの責任でもあるのかもしれないと思いました。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/18 18:23

>所詮、選挙人は選ばれるために綺麗な文句を並べているだけではないのか。



最近では選挙時にマニュフェスト(公約)を掲げときちんと守っていこうという動きがあります。マニュフェストを実際に読んでみると抽象的で不十分ではありますが、一歩前進はしたと思います。
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この回答へのお礼

わたしは人間不信なのかもしれません。
マニュフェスト守ってくれれば良いのですが、理想数値を掲げて良く見せようとしているのではと思ってしまいます。
その結果をみて、次の投票で示せば良いのですね。わたしたちはそれくらいしか出来ませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/18 12:30

『投票する』という行為は、社会を発展させる為の手段だと思います。


そして、投票する権利は先人たちが獲得したものだから無駄にして良いとは思えません。(昔は条件が厳しかったし、選挙制度の無い江戸時代の農民は死を覚悟し直訴したりと・・・。)

いろいろと問題はありますが、自分の1票が将来を変えるという意識が必要かと思います。
国民をなめきっている政治家にはそれなりの結果を選挙で示さないと気が済みませんよ。
現状に満足していない人は棄権してはいけないし、選挙は問題点を改善していくものと思えば、あきらめるという考えにはなりませんよね。
武器を持って戦い、血を流さなくても社会を変えられると思えば棄権なんてことはできないと思います。

実際に投票し、テレビで開票結果を見るのは意外と面白いことに気がつきました。結果は、いつもガッカリさせられますが(笑)
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この回答へのお礼

国民に出来ることは限られていますから、信頼できる人間を選ぶことをこれからも続けていくことが必要ですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/18 12:32

イギリスの政治家が実にうまいことを言っていました。


あなたも聞いたことがあるかも知れません。
曰く、「国民は自分たちの程度に見合った政治しか受けられない」

これを言葉を変えて日本の大臣が「この程度の国民にはこの程度の政治」と言ってしまって物議をかもしだしていましたね。
結局辞めさせられましたけど、正直者と言うか、粗忽物と言うか。

頭にくるけど実に名言だと思います。
要するにそう言うことなんです。
政治を悪くしているのは、ほかならぬ国民ということ。
その国民の意識と行動が変わらなければ、いつまでもこのままです。

そして一番手軽で、誰にでも出来て、それなりに効果があるのが投票、と言う事です。
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この回答へのお礼

その政治家の言う通りかもしれませんね。
政治家任せではなく、自分たちも大いに政治に関わっているという意識が必要なのかもしれませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/18 18:24

 私は思うのですが、「くだらない社会」や「すばらしい社会」があるのではなく、人間のくだらなさとか人間のすばらしさがあるだけで、「くだらなさ」の方ばかりを感じるのは自分自身が前向きに人生をとらえることができない何らかの状況にあるからではないでしょうか。



 民主主義とは単なる制度ではなく、人間が長い時間や多くの犠牲のもと到達した人間性の小さな小さな一部分であり、誰もがその言葉を唱えれば問題は何でも解決する口当たりの良いお題目のようなものではく、むしろ究極の自己管理を一人一人に要求する厳しい言葉なんだろうと思います。

 私も希望のない人生を生きているせいか、あまり投票には行かないので大きなことは言えませんが、大多数の投票行動が既得権に縛られていて、既得権に関係ない人間は投票所に近づかないという批判が当たっているなら、やはり悲観的にならざるを得ませんが。
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この回答へのお礼

民主主義とは、自分たちの責任となって降りかかる、本来なら厳しい制度である、という認識はあまりありませんでしたので、考えさせられました。

そういう認識を国民に広めることは必要かなと思いました。一方で、政界・永田町へ信頼できるようになればとも思います。今現在わたしは、郵政民営化についての議論が馬鹿馬鹿しくてなりません。。

しかし、それを除いて、何に対して自分が政治不信となっているのかも少し疑問に思えてきました。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/18 12:13

誤解されてるようなので



>政治をする側に回れば良いのでは?という意見が上がると思っていましたが、自分が変えられるほど世の中は甘くないのだと思います。これは言い訳にしか聞こえないのでしょう。。

別にイヤミとか、文句があれば自分でやれというニュアンスで言ってるんじゃないです。誤解せぬよう。具体的に今の政治に対する問題意識を持っているなら、参加する権利は充分にあるんじゃないか、って事です。もちろん今日明日の話ではないですし、周りに支持されなければ無理ですけどね。

もし僕が出れる状況であれば、そいでもう少し若ければチャレンジしたい分野ですよ、政治っていうのは。だからせめて選挙の時位はまじめに考えて投票してます。無駄かも知れませんが、少なくとも行かないよりは、真面目に考えないよりははるかにマシですもん。
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この回答へのお礼

すみません、ニュアンスを読み間違えてしまいました。気分を害させてしまったら、本当にすみません。

政治家になれということではなく、投票に参加しようということですね。了解いたしました。やはり行かないよりは、行ったほうが良いというレベルに、投票の価値はあるのかもしれませんね。

お礼日時:2005/06/17 23:27

選挙で投票する行為には十分な意味がありますよ。

確かに選挙で政治を制御することは可能です。ただ、民主主義と言うものには即効性がありません。効き目の出るのが遅い薬を服用し続けるようなものです。すぐに効かないからといって諦めるのは、民主主義を理解出来ていない証拠です。自分が選んだ代表が間違った政治を行ったなら、次の投票ではその人に票を入れなければ良いのです。有権者の多くがそのように振舞っておれば、政治家も緊張感を持つようになるでしょう。一番良くないのは、一度や二度政治家に裏切られた位で投票行為を止める事です。民主主義体制の有権者達が政治に過度の即効性を求める時、ヒトラーのような者が台頭するのです。停滞した民主主義でも独裁体制よりずっとましです。

二三十年かけて少し政治を良くしてやろうか、位の気持ちでいいんじゃないですか?
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この回答へのお礼

まだ民主主義を理解できていないのはわかっていました。政治に嫌悪感、政治だけでなく生きているこの社会、生きるということそのもの。(すいません)

おっしゃることはよく分かりました。駄目な政治家は次に票を入れるなということで、自然淘汰されていくということですよね。

でも、わたしはそれさえも疑ってしまいます。しかし、国民はそれを信じることしか出来ない。そして、そんなことを言うと、おまえが出馬しろといわれる。。

今本当に民主主義なのか、形式的な民主主義に見えはしないか、実質的な独裁体制ではないか(言い過ぎですね)などと考えてしまいます。勉強不足ゆえ。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/17 23:09

仰る意見すごくわかります。

解りますけど、政治がこんなになっちゃったのは選挙のせいではないので、これをもって「投票って無意味?」だなんて言わないで下さい。本末転倒って言えるかも知れません。

とはいえ、単なる選挙といっても必ずしも民意を反映させているのかという点で疑問符も付きます。組織票や保守基盤等と呼ばれている、考えない有権者の問題、あるいはマスコミ等による世論誘導に簡単に乗っかってしまう浮動票など。投票率の低さも槍玉にあがる事が多いですね。でも一番の問題はまさに質問者のおっしゃる事が全てではないでしょうか。つまり「投票に行ってもどんなメリットがあるんだろう」って疑問を感じる位、政治不信になってる世の中と言いましょうか。

仰る通り、選挙は一般市民が政治に直接参加する唯一の方法といってもいい位です。それでもそれが意味を成さない位社会がどうしようもなくなってると思うなら、政治をする側に回ればいいんじゃないでしょうか。そういう志を持った人を待ってる人も大勢いると思いますよ。
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この回答へのお礼

そうですね、選挙が無意味なわけではないですよね。主役の政治において、選挙をした意味があるのか?と考えた時、選挙を含めた政治全てがくだらないと考えるのは、論理の飛躍というものでしょうか?

政治をする側に回れば良いのでは?という意見が上がると思っていましたが、自分が変えられるほど世の中は甘くないのだと思います。これは言い訳にしか聞こえないのでしょう。。

政治の舞台、その裏に影の魔物が住んでいて、それに自然と政治家は操られている、そう表現しても良いほど、実際の政治の現場における多数派による専制が行われているのではないか!?と想像します。想像することしか出来ない、そういうシステム。世の中は美味く出来ていますね!

ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/17 23:02

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