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この漢詩を知って居る方はいらっしゃいませんか?

春日眺望

一行斜鴈 雲端滅
二月余花 野外飛

これについて、

春日の眺望 源順

一行の斜鴈 雲端に滅え
二月の余花 野外に飛ぶ

という書き下しを見付けたのですが、
これは元々源順が書いたのでしょうか?
それとも誰かの詩を彼が書き下したのでしょうか?

この詩について、詳しく知りたいのですが、出典や訳などを教えて下さい。
また『源順』は稀代の天才と言われているそうですが、
私はあまり知りませんでした。三十六歌仙に数えられる以外に、
何か有名な著書などがあるのでしょうか。
どうぞ教えて下さい。よろしくおねがいします。

A 回答 (1件)

人物に興味ありましたので、調べてみました。



和漢朗詠集 巻下 の「眺望」でまとめられているうちの一編です。
もちろん源順みずからの漢詩です。

帰雁の一行が斜めに編隊を組んで雲のかなたへ飛んで行って見えなくなった。
陰暦二月の梅の花びらも野へ飛んでいる。
といったくらいの意味でしょうか。

源順(みなもとのしたごう)(911年生、983年没)は平安中期を代表する、和漢の才にずばぬけた人物だったようです。
なにせ二十歳代半ばで「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)という漢和辞典、漢語と和名を対照させた、詩文を作る場合に欠くことのできない参照辞書を撰するほどの人でした。
また梨壺の五人の中の一人、というよりその中心人物で、古今集の次の勅撰集である後撰集の編纂と、万葉集の読解をすすめました。

その代表的な詩文、たとえば有名な「無尾牛歌」などは「本朝文粋」(もんずい)「扶桑集」などに収められているそうですが、遊戯性の強い作品も多く、その技巧は驚くべきもので、このためか”まじめな”後世から軽視された疑いがあります。
また、「落窪物語」「宇津保物語」の作者に擬せられている事はあるいはご存知の通りです。

どんな技巧であったか、その一例を記すと、三十一首の和歌が並べてあって、それは不遇をかこつある人物への慰めからはじまって、一首一首心のこもった歌なのですが、さてそのそれぞれの最初の一文字を並べて繋げて読んでみると別の和歌が浮き出てくるという仕組み(それで三十一首並べてある。一文字づつとって三十一音で一首になる)。さらに最後の文字をそれぞれ並べて繋げるとまた別の一首が現れるという仕組み。
技巧が勝ちすぎて誠意が減じられるような結果を生んだのでしょうか。
実生活でも文学史的にも不遇でした。

王朝和歌の大事なレトリックに掛詞があって、これは今で言う「だじゃれ」みたいなもの。
新古今集で精緻を極めた本歌取りなどは、今で言うパロディやパスティーシュでしょう。

これから思うと、源順の多才さがなぜ受け入れられなかったか不思議なところです。
けれども、だからこそ再評価の大きな可能性を秘めているのではないかと、私見ですが思ったりしています。
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この回答へのお礼

すごいです! こんなに詳しく教えて頂いて、本当にありがとうございます。
漢文の内容も勿論ですが、人物に関しても勉強になり、更に興味が湧きました。

倭名類聚抄も名前しか知らなくて、辞書を作ったということと別個に記憶していましたので、まさになるほど! という感じです。

遊び心が有ったのがいけなかったのでしょうか。これほどの人物が、何故紀貫之などように語られず「知る人ぞ知る優れた歌人」でしかないのか、わかったような気がします。
でもやはり可哀想ですね。もっと正統な評価を受けるべき人だと、私も思います。

本来なら自分で調べるべきところ、楽をしてしまってすみません。調べて頂いて、深く感謝しております。

お礼日時:2005/06/26 22:27

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