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親の離婚や再婚での苦労した方話を聞かせてください。または自分が子連れで再婚した方のお話も
きかせて。

A 回答 (5件)

 両親が正式に離婚したのは、私が21歳の頃。

私が間に入って、離婚を進めました。

 お爺ちゃん(母方の)の実家に家族で住んでいたのですが、給料を一銭も家に入れない父にキレたお爺ちゃんが、父を追い出しました。それが私が3歳の時。

 という事で、記憶がないです。一緒に生活した。写真とか見ても、”誰このオッサン?”って感じで。

 母に彼氏が出来たので、これまで母子家庭で一人っ子の私を大学まで出してくれた母が、今度は自分の人生を生きる番だと思い、父の元へ行き、離婚届を突きつけました。
 
 うろたえる父。でも私は畳み掛けました。”いきなり急にと言うけど、貴女には15年以上もの時間があったでしょう?沢山考える時間があったはずだけれど?”

 そして離婚は成立し、私は家裁で母方の苗字い変えました。(大学にもサークルにもゼミにも苗字の変更届けを出して、とっても変な感じでした。)

 苦労した事・・・。記憶に無い相手だし、気がついたらこの環境だったので、人の人生と比べた事も無いし、あまり不足を感じた事は無かったのですが、小学校の先生に言われた一言だけは、今でも忘れられません。

 ある日宿題を忘れて(私はものぐさだったので、よく宿題等を忘れたりしていました)”片親だからって言われたくないだろう?”という説教を受けました。

 さすがに泣きました。”私が悪いのに、何故関係ない事を言うんだ?”と。 まあ、その先生は私が個人的に嫌いだったので、その後も数々の暴言を吐いていましたけど。子供相手に、本当に大人気ない暴力教師でしたから。

 ちなみに、うちのおかんは、その後(離婚してからすぐ)相手の方がくも膜下出欠で倒れて、離婚調停をしていた奥さんに見捨てられ、その子供は病室へ赴き見舞い品をくすねるという事をしていたそうで、我が家へ引き取り、只今10年目を迎えます。
 
 おかん曰く、”私の子育ての事等で、ずっと相談して力になってくれたり励ましてくれたりして来てくれた人なので、ここで私がこの人を支えなければ!”と思ったんだそうです。(おかんと彼氏は職場の同僚でした。)

 我がおかんながら、尊敬できる誇らしい言葉でした。
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両親は私が二十歳の時に離婚しました。


妹が高校を卒業するのを待っていたという感じですね。経済的な理由から母はずっと耐えていたようです。
わたしの場合は、父親が女癖が悪く暴力を振るう人だったので早く離婚して欲しかったんです。でも経済的な理由以外に、やはりそんな男にでも情というのはあるもののようで、結局なかなか離婚に踏み出さない母に「離婚しなくてもいいけど、あたしはもう耐えられないから家を出たい」と言いました。そこで離婚に踏み出せたようです。
離婚するときには苦労はなかったんですが、やはり離婚するまでの長い期間は本当に辛かったです。最近ニュースで親を殺害してしまった子供達が報道されてますが、わたしもわからないわけではないですね。
なので学生の頃は本当に暗くて引きこもりぎみ状態でした。
生きていてなんになるのか、どうして生まれてきたのか。そんなことばかり考えていました。でも引きこもっている時期、音楽や映画にふれることによって生きることの大切さや、まだ死にたくないとう気持ちが芽生えなんとか頑張ってこられました。
勉強だけが大切なものではないんだということもわかりましたし。
離婚後も色々大変でした。これからは経済的に大変だけど精神的にはずっとラクだからと思っていたので、母がノイローゼになってアルコール依存症になってしまった時は、自分の肩に圧し掛かるものの大きさに押しつぶされそうになりました。母のこともあったし、仕事もうまくいかないし、いつも情緒不安定でよく会社のトイレで泣いていたこともありました。
現在は母も再婚しまして、良き旦那であり良き父親に恵まれて幸せな家庭を築いています。
義父の子供達は私よりずっと年上でそれぞれ家庭をもっているようです。
実際会ったことはありません。
再婚当初は、前妻が今の父親の職場に文句を言いに来たり子供達がお金を要求してきたりしたようで(独立しているのに)こっちにも嫌な気持ちにさせられることはありましたが、それも今は解決してます。
再婚の大変さも子供の立場ながら感じました。
母も実父も複雑な家庭で育ってきた分、大人になりきれてないところが結構あります。私が大人になってわかったことは、大人だって子供なんだ。ということでしょうか。子供の頃の私の目に映っていた強い母が今はとても弱い人のように映ります。精神的に弱い分、まだまだ苦労させられることはあると思いますが、昔の辛かったことを思えば乗り越えられます。
そういう意味では経験してきたことは私の生きる強さに繋がっているんだと思います。トラウマを治して、いつかは私自身の幸せな家庭を作れたらいいなと思っています。
長々と書いてしまってすみません、なにかの参考になればいいなと思います。
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私の父がまだ籍は入れてませんが子連れの方とお付き合いしています。

お互い仲良くやっているようで今は別々に暮らしていますが、定年後に一緒に住むようです。

お互い連れ子ですが年齢が近い事もあって打ち解ける事にそれほど時間はかかりませんでしたが、一番困ったのは相手の(父が今付き合っている女性)の親戚に挨拶に行った時でしたね。

私が高校生位の時だったのでやっぱり人見知りしたし、いきなりたくさんの知らない人達が親戚みたいな感じで増えたのでいまだに馴染めません。

父はその人たちともうまくやっているようだし、私も20代後半なので分別はついているのですがやっぱり複雑ですね。
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小学校3年の時に親が離婚しました(もう25年前です)。

私は3人兄弟の長男、後妹2人いますが、母にはあまり好かれてなく、その後私は父、祖母と生活、母は妹2人を連れて出て行きました。
辛かったことといえば、小学校の運動会ですか?祖母が弁当を作ってくれてましたが、他の人は母とかと一緒に楽しそうにしてる姿みながらはきつかったですね。でもあまり悲しいとは思わなかったですね。若いころは若いころで学校生活も友達との遊びも部活動も普通に楽しんでましたから。

実家は自営をしてたので祖母は仕事しながら家族の料理を作ったり、家事もしてました。今は亡くなりましたが、今では非常に感謝してますね。もう少し親孝行(特に祖母には)すべきだったと反省もしてますが。
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幼い頃、両親が離婚して、父親と祖父と祖母と一緒に暮らしていました。


嫌だったことは授業参観と学校にお弁当を持っていく事でした。
授業参観は、祖母が来てくれたのですが、周りは若くて綺麗なお母さんだったのが嫌でした。羨ましかったです。
行事でお弁当を持っていく時、周りのみんなのお弁当は彩り綺麗で羨ましかった。私は祖母の作ってくれたお弁当を持って行ったら、男子から何そのお弁当って心無い事を言われた事もありました。
今は離婚って当たり前になってきていますが、当時は片親だったのが学年で1、2人しかいなくて何でうちはお父さんしかいないのかなって思っていました。
今では父親、祖父祖母に大変感謝していますが、学生の頃は嫌で嫌で仕方なかったです。
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