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全く何のことだかわかりません。仏教の勉強もしたこともなく恥ずかしいのですが、難しく説明されても理解できないので中学生くらいのレベルでにわかるように説明して下さるか、たとえ話でけっこうですので教えて下さい。一応私は大人ですが、知能は普通以下ですのでよろしくお願いします。

A 回答 (6件)

#4>何故一切皆苦なのか?


なるほど、そうですよね。
世の中には、嬉しいこともあるのになぜ皆苦(全てが苦しみ)であると観る(捉える)のかということですね。
私は、別に仏教の大家というわけでもなんでもない一般人でありますので、
以下は、個人的見解だということを踏まえて読んで下さい。
そういう風に物事を非常にセンシティブ(sensitive)に捉えるのは、釈迦(ゴータマ)がそういう人だったからですね。
例えば、
今、誰かに非常に愛されて幸せだとします。
その誰かはいずれ死んでしまって、私はその人から愛されることがなくなってしまいます。多分、とてつもない苦しみになるでしょう。
それは、逆に言えば、そのように非常に愛されていたことがそうした苦しみの原因(元)になっているのです。(それならば、最初から誰からも愛されずに生きるべきだったと言っているのではないのです、勘違いされませんように。)
美味しいモノを食べた。
美しい景色を観た。
一家団欒で非常に楽しい時を過ごした。
それらは、いずれなんらかの形で失われるもので、次も得られるとは限らないものです。
それ(そういう物事に執着すること)が、「苦」を引き起こします。
まあ、そういう感じでしょうか。

>生まれて来ること自体が苦であるというのは死に向かうということなのでしょうか?
まあ、「生まれてくること」というより、「生きること」が「苦」なのでしょうね。「死」も「苦」ですよね。

>何でも「苦」と考えると人生つまらなくなってしまうと思ってしまうのです
そうですね。その通りだと思います。
そもそも、そうした「苦」からの脱出を説くのが仏教ですから、
「苦」の無い人には必要ないものです。
でも、ちょっとだけ言わせて貰えば、
『何でも「苦」』だと考える人生という意味合いだと思いますが
「苦」とはなんだろう?どのようにして起こるのだろう?どのようにすればそれから逃れられるのか?とか考えた時に、そうした眼で世の中を観察してみた時に、世の中の物事の一切は、苦だと観じる(そういう眼を持つ)ということと、あれも「苦」だこれも「苦」だ、あれをやってもこれをやっても「苦」だと思って人生を過ごすのとは違うと思います。
つまり、「一切皆苦」という場合には、結論として世の中の一切は苦であると断じることと、そういう眼(意識)を持つということであって、「世の中は苦しみで満ちているあ~イヤだ」と思うというのとは違うと思います。

>ブッタは脇の下からうまれたなんてありえません。
そうですね。子宮外妊娠とかは昔もあり得たでしょうけどね。
昔の人の考えとして、「聖人」は普通の人とは違うという考え方がありました。そのために、後世の人がそのような伝説を捏造したのだと思われます。

つたない説明ですが、疑問があればまたどうぞ。
私以外の識者がもっと良い答えを答えてくれるかもしれませんし、そうした回答者にとっても、「ここがわからん」という限定された問いの方が答えやすいかもしれません。

この回答への補足

おはようございます。今回の回答は今までに一番わかりやすかったです。私の質問が漠然としていて何がわかってないのかを明確に示さなかったことを反省しています。「一切皆苦」についてまだまだ十分に理解しがたく思っています。いろいろな視点から今度この課題を私なりに考えていきたいと思います。

>美味しいモノを食べた。
美しい景色を観た。
一家団欒で非常に楽しい時を過ごした。
それらは、いずれなんらかの形で失われるもので、次も得られるとは限らないものです。
それ(そういう物事に執着すること)が、「苦」を引き起こします。
まあ、そういう感じでしょうか

この説明は実にわかりやすかったです。
理解力に欠けている私につきあってくれたことに感謝しています。本当にありがとうございました。

補足日時:2005/08/08 07:55
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この回答へのお礼

BLUEPIXYさんまた早々のお返事ありがとうございます。今回のかみくだいた回答とてもわかりやすく思わずこれなんだ!っと思いました。話ははずれますが私は早寝早起きで今日はもう休みます。改めて明日御礼を書き込みいたします。というのは今日お酒を飲んでいるので酔って書き込みをしたくないからです。ちなみにビール少々とウーロン杯を少々いただきました。(今日は特別暑かったので・・・言い訳です)

お礼日時:2005/08/07 21:27

何故「一切皆苦」なのか?


四苦
生まれる苦しみ
老いる苦しみ
病む苦しみ
死ぬ苦しみ
八苦
愛する人と別れる苦しみ
嫌いなものと合う苦しみ
求めても得られない苦しみ
五感煩悩が燃え盛る苦しみ
四苦のなかに何故生まれる苦しみがあるのか?
釈迦仏教のポイントですね。
親は子が生まれると喜びますね。でも本人は苦しみの中にいるということですから、これを理解するには、
例えば、少年がひとり異国に旅をするときの少年の心情が役に立ちますね。異国で待ち受けている親類や両親は、待ちのぞんでいるのですが、本人は旅の最中不安でしょうがないという心ですね。
この異国がこの世ということですね。別の世界からこの世を見れば四苦八苦の世界という視点ですね。では何故、そのような世の中に好き好んで生まれてきたのかということが次の考察のステップですね。
がんばってくださいね。

この回答への補足

おはようございます。今日も暑くなりそうですね。NO6の回答は本当にわかりやすくて助かりました。ただやはり「生苦」というものに対し十分に理解できたかというとまだまだのようです。奥深い意味があってそれを私が理解してゆくことが今後の課題で少しずつあせらずじっくりと考えてゆきたいと思います。最後にポイントの件ですが、お二人ともいろいろと親身になって答えて頂きどちらがポイントいくつということはできかねる状況なのです。今回は申し訳ありませんが、いち早く回答を下さったNO1のBLUEPIXYさんに20ポイントを入れさせて頂きましたが、あくまでもどちらがポイントが上と甲乙つけがたいということをご了承下さい。本当に本当にありがとうございました。

補足日時:2005/08/08 07:41
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この回答へのお礼

またまたありがとうございました。本当に頭が下がるおもいです。No.5の方に御礼の返事同様今日は少々お酒が入っていてまともに書き込みできないと思い(酔ってあーだのこーだの言いたくはないのです。)回答の御礼だけにさせて頂きます。明日まともな状態で書き込みします。

お礼日時:2005/08/07 21:40

#1>私の頭では難しく意味が理解できないようです


つたない説明で申し訳ないです。
例えば、どういう処が難しいですか?
私の理解ではこういうことだろうと思うが、そうではないのか?
とか
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この回答へのお礼

世の中こんなに親切な人がいるってありがたいことです。私が理解に苦しんでいるのは以下のことです。

《一切皆苦(いっさいかいく)とは、仏教における四法印の一つである。

初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」としばしば説かれている。これを「一切皆苦」と言い、『瑜伽師地論 』には「一切諸行皆悉是苦」と言われているところから言われる》
 
というHPの説明でも何故一切皆苦なのか生まれて来ること自体が苦であるというのは死に向かうということなのでしょうか?現代人はそのようには考えませんよね。これが解らなければ仏教を学んでも何もわからないと友人に言われました。
何でも「苦」と考えると人生つまらなくなってしまうと思ってしまうのです。その「苦」という根本的な意味が理解できていません。狭い汚い産道から産まれてくることも「苦」だといいます。ブッタは脇の下からうまれたなんてありえません。人間は産道か現代では帝王切開で産まれてきます。作り話というかあほらしいと考えてしまうのです。そういう自分が悲しくもあります。もしかしてこれも「苦」なのでしょうか?
本当にいろいろと親切に答えて下さり、また、どこが解らないのかを聞いて下さり、感謝しています。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 17:13

お礼ありがとう。

参考の追伸まで
釈迦仏教には、釈迦仏教を表す旗印があるのです。
それが基本的な三法印(三つの旗印)あるいは、1個追加して四法印(四つの旗印)というのですね。
基本的な3本の旗印がたつと釈迦仏教ここにありということなんです。[七仏通誡偈]でも過去7仏というように仏は何度も再誕してますので、仏が再誕したときに必ずつかう旗印ということなんですね。
1つ目の旗印が、諸行無常
2つ目の旗印が、諸法無我
3つ目の旗印が、涅槃寂静
4つ目の旗印、一切皆苦は再誕の仏のその時代の仕事の概要ですね、
意味は、簡単にいうと、
諸行無常:もろもろの行いはいつもいっしょではない。例えば、生まれた子供は成長し年をとり老いて死ぬ。これは変えようがないことなのだ、ということですね。
諸法無我:すべてのもの(法=もの)はそれ自身では存在できない。(法にはいろいろな意味があるのです。)例えば、毎日食べているお米も遠い村で誰かが作っているから食べられるということですね。目には見えないがたくさんの人のおかげで生きているという意味です。
涅槃寂静:涅槃というのは火を消すという意味です。
心の火、つまりきりない欲望や、怒り、嫉妬などを消していけば安らかな心になるということですね。
2500年前の釈迦仏教は、上の旗印に、「一切皆苦」を加えて4法印としたのですね。
この意味は、ゴータマ王子が、死んでいく人々をみて賢者に何故、死というものがあるのかと問うたのですが誰も答えられなかったのですね。死や病気離婚、いろいろな苦しみがあるのは何故かということを見出すためにゴータマが出家して、仏陀=釈迦族の尊者=釈尊になりその理由を見出したという理由で、4番目についているのですね。
そういった旗印です。それから似た言葉に三宝というのがあります。これは、仏の宝、仏の教えの宝、仏の弟子の宝という意味で仏・法・僧の三宝ですね。仏教では、この三宝に帰依するのが仏教徒としての基本ですね。三宝に帰依して仏教を学ぶといろんな教えが良くわかるようになるということですね。
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この回答へのお礼

昨日に続き朝から参考になるお返事ありがとうございました。たとえ話で説明して頂くととてもわかりやすくとっつきやすいというか自分でも調べて勉強しようとする意欲がでます。もっと知っていかなければまだまだ私の頭では理解しがたいようで明日図書館が休みなので火曜日に行って小学生や中学生が読む仏教の本を借りてきます。ちょっとうさんくさい作り話もあるようですね。それを私なりの解釈で読んでいきたいと思います。ブッタは文章で何も残していなくて何百年後に書かれていることですから人それぞれの解釈の仕方があると思いますが、またどうしても解らないときは教えてgooで質問させて頂きます。補足のお返事本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 17:24

[七仏通誡偈]ですか。

中国の昔、ちょうか禅師という坊さんがいました。この坊さんは四六時中木に登り、木の上で禅定している変わった坊さんでした。その木の下を若き白楽天が通りました。白楽天は、木の上の坊さんに気がついて、尋ねたのですね。「坊さん、木の上で悟れるのか?どうしたら悟れるのや?」とね。ちょうか禅師がのたまった言葉が、#1の回答にあるように『諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教』なんですね。まあ、「良きことを実行して、悪いことを遠ざけ、反省せよというのが過去7仏の教え」といったことですね。白楽天はそれに答えて「そんなことは子供でもわかるわい」といったのですね。また、ちょうか禅師はそれに答えて「子供でもわかることがよわい60にもなっても出来ないのだ」といいました。白楽天は、なるほどと感心して立ち去った。という話です。つまり、この話の真意は、「悟りというのは簡単なものの中にある。しかし継続が難しいのだ。」ということなんですね。それから「偈=げ」というのは今風で言えば「詩」ですね。
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この回答へのお礼

非常にわかりやすい説明に理解力のない私でもよくわかりました。人間悪いことはしないで良いことをしなさいという意味を詩にしてお経に唱えていることが今でも受け継がれて世界中に広まっているのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 06:58

四法印


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%B3%95% …
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
一切皆苦
の4つ仏教上の教えを端的に示したもの
ウィキペディアの上のリンクから
三法印&一切皆苦
三法印~一切皆苦の外の語句の解説にリンクがある。
私なりに解説すると、
諸行無常:万物は流転変化するということ
諸法無我:あらゆるモノは、他のものによって成り立ち、それ自体で成り立つような主体といえるようなものは無いということ
涅槃寂静:心のざわめきが静まって静かな境地(悟り)が存在すること
一切皆苦:物事はみな苦しみであるということ
ですかね

七仏通誡偈
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/soroku/7butu.htm
釈迦以前の7人の仏(仏陀:悟った人)が
同じように
『諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教』
と言うことを言った、ということですね。
悪いことを為さず、良いことを行い、自らの心を浄める、これが諸々の仏が教える処であるというような意味ですね。

禅宗では、師匠がなく独りで悟るということを嫌います。
そのため、釈迦も独りで悟ったのでなく、面々と連なるそれ以前の仏(仏陀)の教えで悟ったのだというような意味で、釈迦以前の7仏というのが考えられました。
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この回答へのお礼

そうそうの回答ありがとうございました。一生懸命説明をして下さっているのはわかりますが、私の頭では難しく意味が理解できないようです。質問してすぐに回答が来たという喜びは大きいです。感謝!感謝!

お礼日時:2005/08/07 07:02

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