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我が家は、父の代からの習慣から、法事などは日蓮宗でやっていて、朝晩の読経も日蓮宗のお経を唱えていますが、私が日蓮宗を信じている訳ではありません。
しかし、考えてみると、それも少しおかしなことと思い、出来れば心から日蓮宗を信じる者でありたいと思う次第です。

しかし、日蓮宗は他の仏教の宗派と何が違い、何が優れているのか等について、全くの素人です。

そこで、日蓮宗を信じておられる方に、お聞きしたのですが;
仏教には、浄土宗とか日蓮宗とか、いろいろありますが、その中から特に日蓮宗を選んで、日蓮宗に入信された理由をお聞かせいただけるとありがたく存じます。

よろしくお願い致します。

A 回答 (8件)

>ところで、日蓮宗は、仏教の他の宗派より優れた点はどこにあるのでしょうか、というか、日蓮宗でなくてはいけないという理由があるのでしょうか・・・、よくわかりません。


特に「これ」という物がないのであれば、どうしても日蓮宗でなければならない、ということにはならない様に思えるのです。

>キリスト教とかイスラム経とかでなく、お釈迦様の教えに従って仏教を信じて行こうと思うとき、宗派はどれでも良いよいうな気になります。
となると、別に、日蓮宗でなくとも、どの宗派でも良い。
逆に言うと、日蓮宗でも良いじゃないか、という事になりそうですが、・・・。
そんな状態なので、なんだか、あまり気が入らなくて、困っている、というところです。


●No.5の回答でも書きましたが、立教開宗の時に【四箇の格言】には触れましたが、その当時の鎌倉時代で広まっていた各宗派の間違い、誤りは日蓮大聖人御自身が破折しています。
その為、日蓮の教えに依る法門でしか成仏(仏に成る)する方法はない事を説かれています。

●日蓮宗、また日蓮正宗についてですが、、、

・日蓮宗においては、はっきり言って偽物です。No.4の回答に書いた通りです。
例えは違いますが、偽札は本物に近ければ近いほど、世に出た時の罪は大きくなります。それと同じで、偽物と知りながら、あるいは偽物と知らずに使い続ければ、それだけ罪を深くします。

・日蓮正宗についてですが、平成3年12月に日蓮正宗の法主である日顕は創価学会を突然破門しました。おかげで創価学会はその時以来、日蓮正宗との関係は切れています。
そもそも、昭和5年に日蓮正宗の信徒団体として『創価教育学会』が誕生して以来、荒寺であった富士大石寺を始め全国に寺院を寄進し、信徒会員を増やしてきたのも創価学会です。
時は第二次世界大戦の最中、日蓮正宗は軍部政府から神風を起こすために神札を受けるよう強要されますが、それは日蓮大聖人の教義に反するとして拒否したのは、創価教育学会初代会長の牧口会長です。そしてその後、牧口会長は不敬罪として警察に逮捕され獄中で無くなります。その後、刑務所を出所した戸田理事長は、創価学会を再建させて行くのです。
もう既にこの時に、国家権力に軟化していく宗門と日蓮大聖人の教義を遵守した創価学会では、血脈の流れは変わってしまったのです。
今、創価学会(SGI)は、世界192ヶ国地域に信徒を有し、同じ言葉で日々の祈りをし、活動を広げています。


●何も焦る必要はないと思います。
多少なりとも興味を持たれた機械ですから、少しずつ勉強されれば良いと思いますよ。
また何か疑問がありましたら、質問を書いてください。
私が分かる範囲で、お答えできればと思います。


※※実際の、日蓮大聖人の教義というものは、甚だ広く深いものがあり、なかなか理解しょうとしても時間がかかってしまうと思います。
それでも探求していく事で、必ずや質問者様の人生において、重要な機会を得る場合もあると思います。前向きに、頑張っていただく事を期待申し上げます。


南無妙法蓮華経 合掌
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この回答へのお礼

いろいろ教えて頂き、ありがとうございました。
よく勉強してみます。

お礼日時:2020/09/29 08:52

No.6です。



>一つ、質問ですが;
①では、「・・・釈尊は、この『法』である『南無妙法蓮華経』を明確に法華経では顕わしておりません。」とお書きになっておられますのに、
②では、「・・・釈尊は、・・・遠い過去世に・・・仏に成った(仏に成れた)原因は、・・・『南無妙法蓮華経』という『法』を授持したからであると説いている。」と書いておられます。

⇒ 「仏に成った(仏に成れた)原因は『南無妙法蓮華経』を授持したからである」ということは、具体的には、どのお経に書いてあるのでしょうか?
確認させて頂けたら幸いに思います。


●これは失礼しました。
誤解を与えるような書き方をしてしまい、申し訳ありません。

先ず、①で言うところの『法』については、法華経自体がその『法』の存在を肯定する、「仏に成る『法』というものがある」という事を、全体を通して述べているものです。
その中で、法華経方便品第二のほぼ最後の部分に「当知是妙法 諸仏之秘要」という経文があります。これは「当(まさ)に知るべし是の妙法は 諸仏の秘要なり」という訳になります。
前回の回答にも書きましたが、釈尊は『法華経(妙法蓮華経)』の説法を通じて、この『法』が『南無妙法蓮華経』であるとは明確に顕わしておりません。

※『法華経』、『妙法』、『妙法蓮華』等の記述は多々あります。

次に、②ですが「法華経の中で釈尊は、釈迦族の城を出て仏道修行をし仏になったと周りからは思われていましたが、そうではなくて自身は遠い過去世に既に成道していた事を明かします。」これが②での趣旨です。

後半の「そして、仏に成った(仏に成れた)原因は、上記でも書いたように『南無妙法蓮華経』という『法』を授持したからであると説いているのです。」の中での、上記でも書いたように『南無妙法蓮華経』は私の付け足しです。
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この回答へのお礼

よく分かりました。
度々、丁寧なご説明を戴き、まことにありがとうございました。
厚く御礼申し上げます。

ところで、日蓮宗は、仏教の他の宗派より優れた点はどこにあるのでしょうか、というか、日蓮宗でなくてはいけないという理由があるのでしょうか・・・、よくわかりません。
特に「これ」という物がないのであれば、どうしても日蓮宗でなければならない、ということにはならない様に思えるのです。

キリスト教とかイスラム経とかでなく、お釈迦様の教えに従って仏教を信じて行こうと思うとき、宗派はどれでも良いよいうな気になります。
となると、別に、日蓮宗でなくとも、どの宗派でも良い。
逆に言うと、日蓮宗でも良いじゃないか、という事になりそうですが、・・・。
そんな状態なので、なんだか、あまり気が入らなくて、困っている、というところです。
まだまだ、勉強が足りない、というところかも知れません。

度々の、ご丁寧なご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2020/09/26 15:24

No.5です。



>そもそも仏教を開いたお釈迦様であるべきではないのか?

①.釈尊が法華経の中で明らかにしている事の一つに、『法』というものがあります。
この『法』というものは、[衆生をして仏に導くための法]であり、『南無妙法蓮華経』の事です。釈尊は、この『法』である『南無妙法蓮華経』を明確に法華経では顕わしておりません。ただ、仏になる『法』があることは、経文中にも明らかになっています。

要するに、仏教を信奉するということは、人生において仏に成る事を日々行事る事なのです。


②.法華経の中で釈尊は、釈迦族の城を出て仏道修行をし仏になったと周りからは思われていましたが、そうではなくて自身は遠い過去世に既に成道していた事を明かします。そして、仏に成った(仏に成れた)原因は、上記でも書いたように『南無妙法蓮華経』という『法』を授持したからであると説いているのです。


③、釈尊は法華経の中でその『法』が『南無妙法蓮華経』であるという事は書き残しませんでした。当時の釈尊の弟子が、「私がその法を持って、広く世間に広めます。」というと、釈尊はそれを拒否し、【地涌の菩薩】といった過去世に釈尊が上道に至らしめた菩薩が地より涌き出でて、釈尊は【地涌の菩薩】にその法を授け、【地涌の菩薩】は末法の世の中に流布する事を誓います。


④.日蓮大聖人は、末法の世において『南無妙法蓮華経』を広めますが、そのとたんに様々な難が降りかかってきます。しかし経文には、正しい方を広める時には必ずや命を失う様な難が起きるという経文に照らして、自らが末法の御本仏である事を悟られます。


以上のような理由から、本尊は『南無妙法蓮華経』のお題目を立てるのです。
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この回答へのお礼

なるほど。
貴重な、詳しいご解説、ありがとうございます。

>釈尊が法華経の中で明らかにしている事の一つに、『法』というものがあります。

⇒ 確かに、お釈迦様は、お亡くなりになる前に、弟子たちに向かって、これからは、お釈迦様とかその他の偉い人を頼りにするのではなく、「自分自身と「法」を頼りにして生きて行くように」と仰ったと記憶していますので、お釈迦様をご本尊にすることは、おそらく反対されたかも知れませんね。

一つ、質問ですが;
①では、「・・・釈尊は、この『法』である『南無妙法蓮華経』を明確に法華経では顕わしておりません。」とお書きになっておられますのに、
②では、「・・・釈尊は、・・・遠い過去世に・・・仏に成った(仏に成れた)原因は、・・・『南無妙法蓮華経』という『法』を授持したからであると説いている。」と書いておられます。

⇒ 「仏に成った(仏に成れた)原因は『南無妙法蓮華経』を授持したからである」ということは、具体的には、どのお経に書いてあるのでしょうか?
確認させて頂けたら幸いに思います。

お礼日時:2020/09/25 09:49

No.4です。



>具体的には、例えば、日蓮のどういう教えを、どのように曲げたのか・・・?

【文中参照】
⑤ 身延離山の動機

2. 波木井実長の謗法
身延離山の根本原因は日向が認めて波木井実長が数々の謗法を行ったことによる。


①釈迦如来を造立供養して本尊と為し奉るべし是一。

●(解説)日蓮大聖人の仏法は、法華経の題目である『南無妙法蓮華経』を本尊としています。
日蓮大聖人が、建長5年4月28日に千葉県の清澄寺において、それまでの鶴岡八幡宮、比叡山延暦寺をはじめとする研鑽、修行から戻られて、その成果となる自身の宗派を開くために、その時代(鎌倉時代)におおよそ世間に広まっている宗派を破折するところから始まります。これを【四箇の格言】と言います。
そしてご自身が研鑽、修行の末極めた『南無妙法蓮華経』の題目を本尊と定めます。
この時から、文永8年9月12日に起きた【竜の口の法難】を機に紙に『南無妙法蓮華経』のお題目を認めた曼荼羅が本尊として、目に見える形で世の中に現れます。
竜の口の法難後の【佐渡流罪】から文永11年4月に赦免になり鎌倉へと戻りますが、
同年5月に山梨県身延の地に赴き、草庵を築きそこに暮らします。
弘安2年9月に、信徒が幕府に捕えられ処刑される【熱原の法難】が起き、この法難を機に弘安2年10月に顕わされた大御本尊をもって『本尊』と定めます。

◆波木井実長は、この本尊を無視し釈迦如来の像を建立し、本尊としたのです。


②聖人御在生九箇年の間・停止せらるる神社参詣其の年に之を始む二所・三島に参詣を致せり是二。

●基本的に日蓮大聖人の仏法は、先にも書きましたが弘安2年10月の大御本尊を『本尊』として奉ります。それを勝手な解釈で神社を参詣したのです。

◆質問者様ご存知の様に、神社は『神』を祭り本尊とするのですから、これは間違いです。


③一門の勧進と号して南部の郷内のフクシ(福士)の塔を供養奉加・之有り是三。

●身延の敷地に福士の塔を建立し、供養を行いました。

◆これも上記の釈迦如来像と同様に、本来『本尊』とするべきではないものです。


④一門仏事の助成と号して九品念仏の道場一宇之を造立し荘厳せり、甲斐国其の処なり是四。

●念仏の道場を建立した。

◆念仏とは、称名念仏といって『南無阿弥陀仏』の名号を唱える事です。これは浄土宗の開祖:法然(源空)が始め鎌倉時代の世に広まったものですが、日蓮大聖人と同様に比叡山延暦寺で修業し、源信の『往生要集』に感銘を受け研鑽したものの、本来の『往生要集』の趣旨を勘違いして、『阿弥陀仏』を本尊として立てました。


已上四箇条の謗法を教訓するに日向之を許すと云々。此の義に依って去る其の年月・彼の波木井入道の子孫と永く以て師弟の義絶し畢んぬ」と実長が犯した四箇の謗法が明かされている。


※※概略こんなところです。


日向も波木井実長も、日蓮大聖人御在世の時は、そうした過ちや浮ついた気持ちも師匠である日蓮大聖人に戒められたり、流石に師匠にははむかう事も出来ず大人しくしていたのでしょうけれど、師匠が亡くなられた後、日興上人を馬鹿にして好き勝手に物事を解釈するようになってしまったのでしょう。
そのために、日蓮大聖人の教義も汚れ、身延の山はけがれた山となってしまったのです。

ここで不思議なのは、日蓮門下には6人も弟子がいたのに、日蓮大聖人の教義を理解し、正邪の判断が下せたのは、日興上人ただお一人しかいなかった事です。
日興上人は、日蓮大聖人の【竜の口の法難】から【佐渡流罪】までお伴をして、その深い教義を指導され体得していったのでしょう。



◎◎日蓮大聖人ゆかりの寺院は日本に数多くありますが、その殆どの名の知れた寺院は身延系の『日蓮宗』の寺です。

・池上本門寺、、、日蓮大聖人御入滅の跡地として知られ、現在でも大田区にある大きいお寺ですが、実際に日蓮大聖人が御入滅になられたのは、本門寺のすぐ近くにある別のお寺です。

・中山法華経寺、、、富木常人の邸宅跡に造られた寺。華経寺の名物である荒行は日蓮大聖人の時代には禁止されていた。そんな事をしても悟れないからです。

・清澄寺、、、幼少期より日蓮大聖人が仏道の修行を行った寺。上記にも書きましたが、【四箇の格言】と『南無妙法蓮華経』の説法はここで行われました。

・誕生寺、、、千葉県鴨川市にある寺。小湊にあり日蓮大聖人誕生の地。
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この回答へのお礼

詳しく教えて頂き、ありがとうございます。

ただ、私的には、以前から、日蓮宗のご本尊が「南無妙法蓮華経」と書いた文字(曼荼羅?)になっているのには、若干、違和感を感じていました。
ご本尊は、そもそも仏教を開いたお釈迦様であるべきではないのか?との疑問を持ったからです。

お礼日時:2020/09/24 19:16

>身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のことです。



【身延離山】
1. 六老僧
① 日昭 弁阿闍梨
② 日朗 大国阿闍梨
③ 日興 白蓮阿闍梨 
④ 日向 佐渡阿闍梨
⑤ 日頂 伊予阿闍梨
⑥ 日持 蓮華阿闍梨

2. 背景
身延に草庵を築いた日蓮、日蓮門下は、宗門として幕府より認めて貰っていない事もあり、その生活を数少ない信徒の布施で賄っていた。しかしながら、身延の草庵での暮らしも弟子が増えるに従って、信徒の布施だけでは賄いきれなくなっていた。その為、日蓮の身辺の世話をする弟子を残して、多くの弟子が鎌倉あるいは駿河への活動拠点を移し弘教・生活をしていかざる得なかった。

3. 身延離山
身延の地頭波木井実長と学頭日向による、宗祖日蓮大聖人の教えに背く数々の謗法によって、第二祖日興上人が身延山久遠寺を離山して正応二年(1289年)春に駿河の国(静岡県)富士郡上野郷に移られたこと。

① 日興上人の身延入山
弘安五年(1282年)十月、日蓮大聖人御入滅にあたつて一切の付嘱を受けた日興上人は本門弘通の大導師として一宗の総貫主に就かれ、身延山久遠寺の院主別当となられた。弘安五年十月二十一日、大聖人の御遺骨を奉じて池上を出発され、十月二十五日に身延山に帰山し、弘安六年一月に百か日忌を修された。しかし、百か日忌以降、五老僧は身延には登山せず、墓所輪番も行わず、自然に身延を捨てた形となった。したがって、日興上人とその弟子のみが身延山を守るようになった。

② 日興上人と波木井実長の関係
波木井実長(日円)は南部三郎光行の六男で波木井三郷の地頭だった。甲斐源氏の南部の一門で四十九院の関係によって日興上人から折伏を受け入信した。

③ 日興上人と五老僧の関係
大聖人から本弟子と定められた六老僧の中の五老僧は、次第に日興上人から離れ、墓輪番制も守らなかった。日興上人はその怠慢を責められて、警告を発せられている。美作房御返事には「何事よりも身延沢の御墓の荒れはて候いて、鹿かきせきの蹄に親り懸らせ給い候事、目も当てられぬ事に候・・・・・・師を捨つるべからずと申す法門を立てながら、忽ちに本師を捨て奉り候はん事、大方世間の俗難に術なく覚え候」と述べられている。また五老僧は、日興上人が立正安国論の反響や幕府への運動の状況を知りたがっていたにもかかわらず音沙汰もなく、全く没交渉になっていた。そのうえ、五老僧は世間に迎合して天台沙門と名乗るなど日蓮大聖人の教えに背いていった。

④ 民部日向の登山
弘安八年(1285年)ごろに民部日向が登山してきたため、日興上人も喜ばれて学頭職に迎えたが、鎌倉風の世間に迎合して軟化した教学を身につけていた日向は、波木井実長に四箇の謗法を許した。日興上人は再三、戒められたが聞き入れず、それが身延離山の大きな原因となった。

⑤ 身延離山の動機
1. 波木井実長(日円)の信心
波木井実長は鎌倉に在住していることが多かったため自然に鎌倉の軟風に染まり、立正安国論の厳戒についても、ゆるやかに考えるようになった。特に日向が学頭になると弱信の姿が現れ始めた。
2. 波木井実長の謗法
身延離山の根本原因は日向が認めて波木井実長が数々の謗法を行ったことによる。原殿御返事には「総じて此の事は三の子細にて候。一には安国論の正意を破り候いぬ。二には久遠実成の如来の木像最前に破れ候。三には謗法の施始めて施され候いぬ。」と述べられ、また同書に「この事共は入道殿の御失にては渡らせ給い候はず、偏に諂曲したる法師の過にて候えば」と指摘されている。また富士一跡門徒存知の事には「一、甲斐の国・波木井郷・身延山の麓に聖人の御廟あり而るに日興彼の御廟に通ぜざる子細は彼の御廟の地頭・南部六郎入道は日興最初発心の弟子なり、この因縁に依って聖人御在所・九箇年の間帰依し奉る滅後その年月義絶する条条の事。釈迦如来を造立供養して本尊と為し奉るべし是一。次に聖人御在生九箇年の間・停止せらるる神社参詣其の年に之を始む二所・三島に参詣を致せり是二。次に一門の勧進と号して南部の郷内のフクシ(福士)の塔を供養奉加・之有り是三。次に一門仏事の助成と号して九品念仏の道場一宇之を造立し荘厳せり、甲斐国其の処なり是四。已上四箇条の謗法を教訓するに日向之を許すと云々。此の義に依って去る其の年月・彼の波木井入道の子孫と永く以て師弟の義絶し畢んぬ」と実長が犯した四箇の謗法が明かされている。

⑥ 身延離山の決意
学頭日向は地頭・波木井実長に謗法を行わせたのみでなく、絵曼荼羅を書かせたり、一日一夜の説法をして布施を受けたり、大師講で学頭として読み上げる啓白文で国禱を行っている。そのためついに日興上人は謗法の地には住まずとの大聖人の御遺命を守って身延を捨て、清浄の勝地を選んで移る決意を固められた。

⑦ 身延離山の経過
正応二年(1289年)春に本門戒壇の大御本尊をはじめ大聖人の御遺骨、御本尊、御書等の重宝を奉持して身延を離山された日興上人は、駿河の国(静岡県)富士郡河合へ立ち寄った後、南条時光の懇請により上野郷の南条家に入られた。そして翌正応三年(1290年)十月に大石ヶ原に大坊を建立して移られた。

4. 身延相承書
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらめべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日                日蓮 在御判
                          血脈の次第 日蓮日興

5. 池上相承書
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日               武州池上
                          日蓮 在御判


●以上のような経緯で、『日蓮宗』と『日蓮正宗』に分かれました。
身延の教義は、日蓮大聖人の教義を継承しておらず、同じ日蓮といえど謗法の寺に
成ってしまっています。身延山久遠寺を始め、池上本門寺、中山法華経寺、清澄寺、誕生寺全ての寺が謗法の寺になってしまっています。

●●この際ですから、上記の点、ご自身でも検証していただきたいと思います。
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この回答へのお礼

博識に敬意を表します。

>3. 身延離山
・・・宗祖日蓮大聖人の教えに背く数々の謗法・・・

⇒ 具体的には、例えば、日蓮のどういう教えを、どのように曲げたのか・・・?

お礼日時:2020/09/24 10:17

一つ、質問者様に確認いたします。



日蓮からの教えは、大きく分けて『日蓮宗』と『日蓮正宗』に分けられる事を
ご存知でしょうか??
その上で、質問にあるように『日蓮宗』で宜しいのですよね??

・『日蓮宗』、、、身延山久遠寺を総本山とする宗派。

・『日蓮正宗』、、、富士宮市にある大石寺を総本山とする宗派。

※元々は、同じ日蓮の一派でありましたが、日蓮大聖人滅後に身延と大石寺とに分かれました。その時点で、日蓮大聖人を根幹とする教義は、全く違うものとなってしまいました。
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この回答へのお礼

私が知りたいのは、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のことです。
よろしくお願い致します。

お礼日時:2020/09/23 17:44

私は日蓮宗ではありませんが、日本では昔から日蓮宗系がかなり信じられてきました。

その理由は、人生や組織、国を動かす中で一番現実的なヒントや助言を昔から与えていたから。
そもそも釈尊の時代では口伝で広まり、釈尊滅後に経文として書き表されてきました。それはシルクロード内にも今でも証拠があり、それを守ってきている人たちの証言からも事実です。その中でも当時から法華経が一番愛されてきました。華厳や阿含、般若などがある理由は、法華経を教えるための仮の教え。昔々は常識や思いやり、倫理というものがなかった時代でしたので。中国に渡って天台大師が法華経を広めようとしましたが難解すぎるため、とりあえず南無阿弥陀仏を教え、日本では法華経は伝教に渡りました。その後、日蓮があらゆる経文を勉強した中で、これからの人々を救えるのは法華経だと広めていきましたが、釈尊時代の法華経では救えないと悟り、独自の法華経を開発しました。それを日蓮宗系は守ってきましたが、ある時から生臭坊主が現れてやってる事は、さも正しいように見えて中身がなかったり、理論ばかりで結果が出ない、自分たちのための宗教に成り下がってしまいました。私から見ても、今、日蓮の教えを現実的に行動し結果を出している創価学会を他の在家や日蓮宗系の寺が目の敵にしている構図があります。よく破門をされたのにと言う話を聞きますが、なぜ破門という形をとったのか、その前には何があったのかを知る人はかなり少ないようです。

本来、宗教というのは自分の人生や周りの人たちに良い影響を与えるもので、観念論ではありません。自分らしく生きられる柱にならないなら信じたくても信じられません。日蓮宗系も数で言えば多いですし、元が同じなので同じように聞こえますが、解釈が違ったり行動が違いますので、結果もかなり違います。今の時代、宗教間で争うようなものでもありません。

あなたが本当に信仰をしたいと言うのなら「心から日蓮宗を信じる者でありたい」と最初から決めつける前に、自分が自分の人生をかけて信じて良い対象かどうかをよくよく疑問視しながら、また自分の時間を使って現証(三証の一つ)が出るのかどうかを図りながら、また、他の宗教や在家の団体と比較しながら見ていった方が良いかと思います。
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この回答へのお礼

詳しいご解説、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2020/09/23 17:46

創価学会と骨肉の争いをしている事が最大の特徴かと存じます。


私はプロテスタントでございます。
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