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 お世話になります。
 『妙法蓮華経』の解説を読んでいて思ったのですが、「薬王菩薩本事品」にある。
「我滅度後 後五百歳中 広宣流布於閻浮提 無令断絶」
てところの「後五百歳中」の所にカッコして「末法の事」と書いてあったんですね。けれども、お釈迦様滅後五百年は『大集経』を基にした日本における三時思想では「正法」の時代ってことになってますよね??
 これって、何を基にしたどういう解釈なんですか??愚問であるのかもしれませんが、教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

No.3です。



>つまり、末法から法滅までということですよね??
>末法は「教えが徐々に滅して行く時代」で法滅を向かえるんでしょうか??
>末法は「教えは滅っしていくことなく残っている時代」で、法滅を迎えると法が徐々になくなっていくのでしょうか??

・末法と法滅ということを、混同されてはいないでしょうか?
ご存知のように、末法は正法、像法、末法の三時を言います。ここで末法はいつ頃から始まるかといえば、平安末期あたりだとされています。
末法は、そこから永遠と続いていきます。
法滅とは、釈迦仏法の効力が薄れる事です。それは、末法に入る事で生を受け誕生する衆生の生命の機根が変わってしまうからです。そこで、上行菩薩を導師とした地涌の菩薩が出現し、末法の衆生の為に成仏の法を顕すとされています。
 日蓮大聖人は、法華経をはじめ諸経に照らし合わせて、その時代(鎌倉時代の初め:末法の始まり)の世相、自身の御立場を照らし合わされ、上行菩薩の再誕である確信を深めらます。

>しかし『大集経』は方便経であり、捨てるべきもののはずですよね??「方便経に書いてあるから、真実経の文章はこう解釈するんだ。」というのにはなんとなく矛盾を感じますが、どうなんでしょうかね??

・『捨てる』ということですが、この場合は、ゴミ箱に捨てるように全く用いないという事ではなくて、あくまでも『法華経』を主とし、諸経を従として用いる事を言います。
 実際に日蓮大聖人も立正安国論にあるように、大集経や仁王経、薬師経、今光明経より文を引かれ解釈されています。方便の教えであるからといって、全てが譬えであるとか、嘘であるとかではなくて、あくまでも仏の説いたものであり、法華経を主体とした時に、法華経を助ける解説書のようなものです。
 戒められているのは、主である『法華経』を従として、従である『権経』を主とすることに、大きな宗教的過ちがある事を言われています。

この回答への補足

 再びの回答痛み入ります。
>>末法と法滅ということを、混同されてはいないでしょうか?
 私は『大集経』月蔵文のなかにある末法を含めた三時思想は仏法が滅ぶまでを三つに分けていると考えております。そして、南岳慧思禅師
の『立請願文』等々の三時思想解釈を元に慈恩大師の『大乗法苑義林章』六にあるように、末法が終わると法滅がおとづれると考えます。
 経典類としては原始経典に分類される『雑阿含経』第二十二によると、「如来の正法の滅せんと欲するとき、相似の像法が世間に出おわりて、正法すなわち滅す」とあって、法滅や末法そのものを説くものではありませんが、仏教初期の段階で法滅や末法の源流を見ることができます。
 これを踏まえたうえで、

>>ここで末法はいつ頃から始まるかといえば、平安末期あたりだとされています。末法は、そこから永遠と続いていきます。
 というのは、日本では末法元年は1052年ということですね。

>>法滅とは、釈迦仏法の効力が薄れる事です。
 確かに、五五百年説が説かれている部分だけをみれはそうなるでしょう。なぜならば、末法をあらわす「闘諍堅固」の時代について『大集経』分布閻浮提品には「次の五百年はわが法において、闘諍言訟し、白法隠没し損滅して堅固なり。」と説かれており、この「白法隠没」は通仏教的には「三宝滅」「経道滅盡」と同様に法滅と同義語として扱われます。その「闘諍堅固」には「わが法中において、また鬚髪を剃除し、身に袈裟を著くといえども、禁戒毀破し、行い如法ならざるをば仮に比丘と名づく」と説かれているように、偽のお坊さんがいるってことは仏教の「ぶ」の字も残っていないわけではないようですから「法滅とは、釈迦仏法の効力が薄れる事です。」という解釈もできるように思います。

 しかし、三時思想においては法滅は「釈迦仏法の効果が薄れていること」ではなく、「大乗法苑義林章」などを見ると「釈迦仏法が滅んだ」状態を指していると考えます、根拠としては『善見律毘婆沙』第十八の「万歳の後は経書文字滅盡す」という部分が上げられるわけです。そうなると、三時思想をベースにおく場合「法滅とは、釈迦仏法の効力が薄れる事です。」というのはちょっと無理があるように思います。
 ですから、五五百年説だけを考えればそうでもないのでしょうが、三時思想をベースにおく場合「法滅」は法が滅しきった時代ということになります。仏教の「ぶ」の字も残っていない時代ですね。つまり、法滅を迎えるには「末法」の時代に法がなくなり始めないとつじつまが合わないことになります。このような意図から最初の疑問がわくわけです。

>>そこで、上行菩薩を導師とした地涌の菩薩が出現し、末法の衆生の為に成仏の法を顕すとされています。日蓮大聖人は、法華経をはじめ諸経に照らし合わせて、その時代(鎌倉時代の初め:末法の始まり)の世相、自身の御立場を照らし合わされ、上行菩薩の再誕である確信を深めらます。
 というのは、日蓮聖人の書物や解説書等々で了解しております。

>>『捨てる』ということですが、この場合は、ゴミ箱に捨てるように全く用いないという事ではなくて、あくまでも『法華経』を主とし、諸経を従として用いる事を言います。
 なるほど。そのような解釈はわかりやすいですね。
>>立正安国論にあるように、大集経や仁王経、薬師経、今光明経より文を引かれ解釈されています。方便の教えであるからといって、全てが譬えであるとか、嘘であるとかではなくて、あくまでも仏の説いたものであり、法華経を主体とした時に、法華経を助ける解説書のようなものです。戒められているのは、主である『法華経』を従として、従である『権経』を主とすることに、大きな宗教的過ちがある事を言われています。
 確かに日蓮聖人の思想の根本になる所をわかりやすく教えていただきありがとうございます。
 ただ、それを踏まえても「後五百歳中」という部分には疑問が残ります。ここでは、『大集経』五五百年説を解説書とし『妙法蓮華経』の「後五百歳中」を「闘諍堅固」の時代に当てたとして、なぜ「広宣流布於閻浮提 無令断絶」の時間を末法万年の間ということになるのかということです。『妙法蓮華経』を主体に考えたとき「広宣流布於閻浮提」の時間は「五百年」とされているのに、なぜその五百年を「末法一万年」という説を採用するのか??

 うーん。なぞは深まるばかりです。ながなが、書き連ねまして申し訳ない。お付き合いいただき、ありがとうございました。私自身もう少し日蓮聖人の著作をあたり勉強してみます。

補足日時:2008/05/07 16:39
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この回答へのお礼

 文字数の関係で、お礼を補足のところに入れざるを得なくなってしまいました。ご無礼お許しください。
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/07 16:43

設問の回答としては、No.2の方の回答で良いと思います。



>二千五百年後だと法滅なわけですから。

・ですから、そこで地涌の菩薩が出現され、末法万年の為に『南無妙法蓮華経』(本門の本尊)を現されるのです。この『南無妙法蓮華経』の法により、末法の凡夫は成道するのです。

>日蓮聖人はどのように解釈しておられるかご存知でしたら教えてください。

・日蓮大聖人御書全集の中の『顕仏未来記』に明らかだと思います。本抄には「法華経の第七」とあり、貴方の設問である「我滅度後 後五百歳中 広宣流布於閻浮提 無令断絶」の文字で始まっています。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございました。
>>ですから、そこで地涌の菩薩が出現され、末法万年の為に『南無妙法蓮華経』(本門の本尊)を現されるのです。この『南無妙法蓮華経』の法により、末法の凡夫は成道するのです。
 つまり、末法から法滅までということですよね??
 ここで少しわからないのですが、末法は「教えが徐々に滅して行く時代」で法滅を向かえるんでしょうか??それとも、末法は「教えは滅っしていくことなく残っている時代」で、法滅を迎えると法が徐々になくなっていくのでしょうか??

>>日蓮大聖人御書全集の中の『顕仏未来記』に明らかだと思います。本抄には「法華経の第七」とあり、貴方の設問である「我滅度後 後五百歳中 広宣流布於閻浮提 無令断絶」の文字で始まっています。
 前文読んでみました。確かにそのように解釈されていたことが読み取れました。
 ただわからないのは、確かに『大集経』の五五百年説をベースに『妙法蓮華経』の「我滅度後 後五百歳中 広宣流布於閻浮提 無令断絶」を読み取れば、そのような解釈ができます。
 しかし『大集経』は方便経であり、捨てるべきもののはずですよね??「方便経に書いてあるから、真実経の文章はこう解釈するんだ。」というのにはなんとなく矛盾を感じますが、どうなんでしょうかね??

 思ったことをいろいろ書き並べては見ましたが、わからないことだらけです。
 この「我滅度後 後五百歳中 広宣流布於閻浮提 無令断絶」については、わかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/06 09:40

『法華経』に関しては全くの門外漢なのですが。


「我滅度後 後五百歳中」
と「後」が二つ重なってますよね。
ですから、「仏滅後五百年」ではなく、「仏滅後、後五百年」つまり、『大集経』でいうところの“五種の五百年”の中の“第五の五百年”=“二千五百年後”ということではないでしょうか。
であれば、一般的な“末法”の時代であると言えると思うのですが。

『大集経』では、この時代は比丘が戒律を修めることなく闘争を専らとして邪見を増長させる時代(闘争堅固)とされています。この意味でも“末法”に当たると言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
>>ですから、「仏滅後五百年」ではなく、「仏滅後、後五百年」つまり、『大集経』でいうところの“五種の五百年”の中の“第五の五百年”=“二千五百年後”ということではないでしょうか。
 なるほど。「釈迦滅後の後の五百年」じゃなくて「釈迦滅後で最後の五百年」と解釈すればいいわけですね。ただ、『大集経』の五五百年説の時間でいえば言えば、二千年後から二千五百年までってことですよね。二千五百年後だと法滅なわけですから。
>>であれば、一般的な“末法”の時代であると言えると思うのですが。
 たしかに、最後の闘争堅固の時代は末法の世相を表すとされていますから、そういうことかもしれません。

 あともしご存知でしたら、その辺の所日蓮聖人はどのように解釈しておられるかご存知でしたら教えてください。

 回答ありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/05/02 09:31

多分、創価学会系の解説書だと思いますが、


> 何を基にしたどういう解釈なんですか?
正直に言って、あんまりこの解釈は原典に忠実ではありません。まぁ、大体がこの法華経にしても成立は釈迦死後500年以上後のことで、上座部仏教と大乗仏教が分かれる時期に成立した仏典(だからといってその価値は全くたじろぎませんが)ですから、こういう文言になっているかも知れませんが。


一応、三時思想によれば、正法500年(1000年の場合あり)、象法1000年(1500年の場合あり)、そして現在は末法の時代になります。

とはいえ、八百万の神が単に沢山の神を意味するだけということがあり、500も1000も非常に長い年月を意味しているだけという解釈が、多分、一番正しいものと思いますよ。
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この回答へのお礼

 早速の回答ありがとうございます。
>>多分、創価学会系の解説書だと思いますが
創価さんの解説書も読ませていただきました。

>>正直に言って、あんまりこの解釈は原典に忠実ではありません。
この解釈というのは、質問の中の一文の解説ということですか??それとも、日蓮聖人が説く所の末法にとかれるべき経典は「法華経」であるという解釈ですか??

>>、大体がこの法華経にしても成立は釈迦死後500年以上後のことで、上座部仏教と大乗仏教が分かれる時期に成立した仏典(だからといってその価値は全くたじろぎませんが)ですから、こういう文言になっているかも知れませんが。
 私もそれは存じております。あくまで今回の質問は、原始経典・大乗経典の問題はちょっと横において、日蓮聖人の教学ということに重点を置いた質問ということです。

>>一応、三時思想によれば、正法500年(1000年の場合あり)、象法1000年(1500年の場合あり)、そして現在は末法の時代になります。
>>とはいえ、八百万の神が単に沢山の神を意味するだけということがあり、500も1000も非常に長い年月を意味しているだけという解釈が、多分、一番正しいものと思いますよ。
 確かにそうですね。とはいえ、末法は一万年というそれ以上に長い時間が設定されていますから、正法も像法も短い期間ということもいえますよね。

 言葉足らずの質問にお付き合いいただきありがとうございました。

お礼日時:2008/05/01 11:14

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