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私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

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A 回答 (7件)

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。



 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、仏様の教えを地道に聴聞していこうと思います。

参考になりました。

お礼日時:2013/11/28 12:18

「信教の自由」でしょうね。

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この回答へのお礼

はい。自由です。

お礼日時:2013/11/30 18:19

>私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。


○お釈迦様の二面性のことですね。お釈迦様は生涯を通じて「上求菩提・下化衆生」を説かれました。
「上求菩提」とは限りなく仏に向かって智慧を得るということ。「下化衆生」とは無数の衆生の魂を救っていくということ。この二面性をあらわしたのが、大日如来と阿弥陀如来ですね。お釈迦様が衆生を救う姿が阿弥陀如来のお姿、般若経のように弟子の舎利弗に霊界や魂の神秘を教える姿が大日如来ということですね。これは他の回答にもあるように盧舎那仏とも呼びます。
お釈迦様の意図は、救済仏の側面から信仰・仏道に入っても良いし、魂の神秘を知る仏の側面から仏道に入っても良いということですね。仏道に入ったものは「上求菩提・下化衆生」のように勉学と救済の両面を実践するようにということですね。
霊界のお釈迦様の本体は巨大な光の玉ですから、客観的表現としては「無量寿光」が正しい表現ですね。名前は「無量寿光」の光を教育仏としてとらえたのが大日如来、救済仏としてとらえたのが阿弥陀如来ということで、統合的な名前が釈迦大如来ですね。
役割の違いで名前を変えているということです。これは手という本体の一部の指を親指とか小指などと呼ぶようなものですね。機能の違いだけのことです。だから仏教の宗派がどうであれどちらの如来が出てきてもよいのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

大無量寿経のことでしょうか?
祖母に聞いてみます。

私は兄を亡くして、仏法に興味がわきました。
それまでご説教は馬の耳に念仏でしたが、祖母が信仰心が強く、地獄に落ちたと嘆いていて悲しみました。

極楽浄土も半信半疑ですが、兄が辛い苦しい思いをしていないか心配です。

また何かありましたら基礎からですが教えていただきたいと思います。

回答していただいた方に感謝いたします。ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/30 18:17

奈良の大仏をご存知でしょう。


あの仏さまが大日如来です。
大日如来の本当の名前は、マハー・ヴァイローチャナ(mahA-vairocana)です。
奈良の大仏、廬舎那仏(るしゃなぶつ)の名前は、ヴァイロチャナ(vairocana)。
大日如来と廬舎那仏の差は、尊称として「偉大な」という意味をあらわす「マハー」という字がついているかどうかの差です。
真言の人の中には、「大日如来の方が、《大》が付いているから、廬舎那仏よりも偉いんだ」とか言ったりする人もいたりしますけれども、同じ仏さまです。
マハー・ヴァイローチャナは、偉大なる毘廬舎那(びるしゃな)という意味なので。

それで、「ヴァイローチャナ」ですが、「ヴァイ」は「本当に」とか「遠くまで」くらいの意味で、「ローチャナ」は「光を放つ者」、「光り輝く者」くらいの意味です。
そして、
阿弥陀さんは、《無量光仏》ともいうので、光つながりということで、どこか、《大日如来》と似ているでしょう。事実、日本では、阿弥陀さんと大日さんを同一と考える思想が生まれたりもしました。

あまり《仏身論》に踏み込みたくないのですが、この質問に答えるためには、これを避けるわけにはいかないので、簡単に《仏身論》について説明します。
一応、仏様の身体には、三つあるといわれています。
究極の仏身と呼ばれる《法身(ほっしん)》、願行の報いとして仏となり得られる身体《報身(ほうじん)》、お釈迦様のような物質的な肉体を持った《応身(おうじん)》ですね。《応身》は《色身(しきしん)》ともいわれます。
阿弥陀さんは仏となる前、法蔵菩薩で、弥陀の四十八願を立て、修行をした《報い》として仏さんになったわけなので、《報身》となります。
対して、大日如来は、究極の仏の身体(?)である《法身》の仏さまとなります。

こう書くと、法身仏である大日如来の方が、報身仏である阿弥陀仏よりも、仏さまの位、尊格が上というような感じを持たれるかもしれませんが、そういうものでもないんですよ。
タトエていうと、
大日如来は《りんご》で抽象、阿弥陀如来はりんごの一つの種類である《ふじ》で具象。
りんごの《ふじ》も《りんご》でしょう。
また、抽象は具象を離れて存在しません。
阿弥陀さんと大日さんは、まったく同じではないけれど、違うものでもない。
大日如来と阿弥陀如来の関係は、こんな感じです。

報身にも二つの姿・形があるのですが、煩瑣で面倒なだけなので、この点については触れません。

そして、
真言宗では、阿弥陀如来は、法身仏である大日如来のハタラキの一つと考えます。仏さんの智慧のハタラキと言った方が適切なのかもしれませんが。阿弥陀如来は、五智如来の一つとして、とても重要な仏さまです。
真言宗のお葬式の際には、
真言宗のお坊さんは、阿弥陀さまの真言・阿弥陀如来根本陀羅尼(だらに)、略称、十甘露呪(じゅうかんろしゅ)を唱え、故人の菩提を弔います。



☆☆☆☆☆☆
☆ 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。
◇ゾロアスターの研究者は、そのようなことを言いますね~(笑い)。
「大乗仏教は、ゾロアスター教の影響を受けて成立したんだ~。ゾロアスター教の方が偉いんだ~、すごいんだ~」と言いたいんでしょう(笑い)。

むしろ、大日如来(vai-rocana)との近親性でいうのならば、バラモン教などで阿修羅の王とされる《ヴィローチャナ》(vi-rocana)をあげた方がいいですかね。
名前、そっくりでしょう。ローマ字表記ですと、「v」と「i」の間に「a」が入っているか、いないかの差だけです。

─────────
ヴィローチャナ(Virocana)は、インド神話や仏教説話で古くから、アスラ(阿修羅)族の王、あるいは単に太陽神とされる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3% …
─────────

阿修羅(アスラ神族)というと、悪魔や悪神のように思われるかもしれませんが、
神格としては、むしろ、阿修羅の方が、帝釈天に代表されるデーヴァ神族よりも上なんですよ。
でも、アスラ神族は、バラモンによって買収されない(お供え物で願いを叶えてくれない)神様なので、時代が降るにつれて、その地位が下落してしまった。
ヴェーダの最古層で最高神にあたる《ヴァルナ》神は、アスラ神族です。
のちにその地位をバラモンの神さま、梵天(バラフマン・ブラフマー)に乗っ取られちゃいましたけれど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1% …

《ヴィローチャナ》の意味は、《光》、《太陽》で、これを神格化したもの。日本でいうと、天照大神にあたりますかね~。とっても古い神さまです。
ゾロアスター教のアフラ・マズダーよりもその起源はずっとずっと古い神さまです。
ヴァルナ神も、アフラー・マズダーと関係がありません。
ヴァルナ神と関係があるのは、古代ペルシア神話のミトラ神の方です。


でも、昔は、
「《ヴィローチャナ》が大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)の祖先だ」
いう研究者もいましたけれども、
最近は、そんなことを言いませんわね~。
はっきり言って、他人の空似です。
サンスクリット語の名詞の作り方、造語法に基づくものです。


☆☆☆☆☆☆
それで~、
大日如来というのは、『大日経』というお経に出てくる中国語に訳した名前。
そして、
「『大日経』は、宇宙の原理、構造を説いたお経」と一般にされています。
こうした宇宙観が、《胎蔵界(たいぞうかい)》と呼ばれます。
《胎蔵》はお母さんが赤ちゃんを育む母胎の意味です。
お母さんは優しいから、胎蔵界の大日如来は、《慈悲》を象徴します。

対して、
《金剛界》は、『金剛頂経』と呼ばれるお経に基づく宇宙観。
心の世界と言った方がいいのかも知れませんね~。
そして、《金剛界》の大日如来は、仏さんの《智慧》を象徴しているとされています。
胎蔵界の大日如来は、お母さんですから、
金剛界の大日如来は、お父さんになります。
胎蔵界と金剛界に大日如来が別々に存在するのではなく、
この違いは、ものの見方、観点の相違に過ぎません。
金剛界と胎蔵界は、二つでワンセットです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってすみません。

仏像のことはちょっと解りませんが、仏法に最近興味を持ち始めました。

解りやすい回答でしたので今後も読み返してみたいと思います。

お礼日時:2013/11/30 17:54

すべてを遍く照らして、限りない慈悲の光を注いでくださる仏様です。



読んで字のごとし・・でしょう。
理の解説は山ほどあると思いますが・・。




付け足しの話ですが・・
私の菩提寺は浄土宗です。
施餓鬼会に参列して思ったことがあります。
僧侶の人達が、阿弥陀様に向かって唱えるのは
南無阿弥陀仏やら、お経やら、仏様を讃える言葉やら・・です。
しかし
こちらを向いて、檀信徒に語りかける言葉は真言です。
私は、始めは何で真言なんだろうと不思議に思いました。
でも、だんだんその意味が分かってきたように思います。
仏様から衆生への言葉だっていう事なんですね。
だから真言を用いるのでしょう。

何も真言じゃなくたっていい・・と思うんですが
やはり意味があると思います。
仏様から声をかけられているんだよ・・という
仏様から優しい心をかけられているんだよ・・という
自覚を促す意味があるんだと思います。

宗派によって本尊は違いますが
仏様から慈悲心をいただいている、という事にまったく変わりはないのだと思います。
阿弥陀様も大日如来も、その慈悲心においてはまったく変わりがない
縁によって信じる仏様を決めればいいだけのように思います。
法然、親鸞は他力を説きましたけれども
どの仏様を信じても、その慈悲心に身を委ねることができればいいのではないのか・・
といった感じがします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほどです。参考になりました。

お礼日時:2013/11/28 12:11

「大日如来様」「阿弥陀如来」これらはすべて仏典上の登場人物です。

従ってこれらを本尊とし拝む事は漫画の登場人物を拝んでいるのと同じで、この世に出現されたものではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/28 12:02

宗教にはご本尊が有ります、大日如来をご本尊としているのは真言宗(空海が伝えた仏教)です。

空海は仏様の世界を分かりやすく説くべく十界曼荼羅を立体曼荼羅として京都の東寺講堂に表現しました。浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏様も仏様なのですがその中心は大日如来となっています。浄土真宗は古来の仏教だけでは貧しい人々は救われないと親鸞が説いた新しい仏教なのです。特徴的なのは亡くなった人は仏様にはならず、浄土で阿弥陀様に救われて生きているのです、従って戒名もお墓も位牌も無いのです。どうしてもお墓の欲しい方は、南無阿弥陀仏と彫った記念碑を建立しているようです。浄土真宗が良いとか悪いとかは言えませんが、念仏によって他人を巻き込んでいくやり方は日蓮宗(創価学会)と似ています。いずれにしても浄土真宗とか日蓮宗は新興宗教と思っています、失礼な表現と思われるならお許しください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

全然失礼ではないです、勉強になりました。

お礼日時:2013/11/28 12:00

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Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
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唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
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この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

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悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q大日如来様のご真言の意味を教えて下さい

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宿題かな? 上だけ説明します。

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Qお寺で住職に注意されたのですが

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お茶を飲みながら庭の紅葉を十分に堪能して帰ろうとした時、どういう流れかは忘れましたが真言の話を同行者とすることになりました。
(おそらく住職の話に出たか、寺の掛け軸にあったか)
で、軽い気持ちで「昔、猿飛佐助のアニメがあって、主人公のサスケが『オン キリキリバサラ ウンハッタ』と唱えて色々な術を使っていたよ」
という話をしました。
また「孔雀王という漫画で『アビラ ウンケン ソワカ』なんても言ってたな」とも。

すると遠くでそれを聞いていたご住職がとんできて
「そういう言葉をみだりに発してはいけない」
という話を15分ほどされました。

そのお寺は紅葉のライトアップなどをしていて、観光地のお金儲けという様相が強かったので、そういう寺の住職が説教するとはよほど重大なあやまちを犯したのかと怖くなってしまいました。

それらの言葉はどんな意味があるのでしょうか。

Aベストアンサー

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民の不幸を」なんて間違えてしまったら、その通りになってしまう という感じ?



表は観光地化していても、仕事上みんなの幸せを願う呪文を毎日お仕事として唱えてはいるんじゃないかと。



日本人は映画を観て「サノ〇ビッチとか」「アス〇ール」「ファ〇クユー」とかみだりに言いますが、それをもしアメリカ人に言ったら、ただじゃすまされない事態になってしまいます。
そういった禁句を、日本人がみだりに唱えているのを見て、アメリカ人は複雑な気持ちなんじゃないかと。
知らないからみだりに言えるわけで、時があっていたら、床に叩きのめされてしまうでしょう。

これが言葉の力の恐ろしいところ。


良い呪文であっても、厳かな言葉をみだりに使うってのは、価値を認めていないってことになり、、、、
例えば古代バビロニアあたりでは、神の名をみだりに唱えてはならなかったので、エルとかエールって神を代名詞で呼んでいたんですね。
意味は「我が主」。

ユダヤ人もそれにならって、エルと表記していたのですが、大贖罪をするときは大祭司は神を呼び出すために、神の真名を唱えていたらしいです。
7年に一度後継者に神の本当の名前を教えていたのだそうです。

一般人や他の聖職者にどうして教えなかったのかというと、その言葉をみだりに使われないためと、敵に名前を知られると、神が呪術で呪われてしまうから。



日本も昔<諱>というものがあったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

<これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。>

遠山の金さんは、遠山金四郎景元が本名で、景元が諱。つまり景元が本人の本質を表した文字なので、親とか上司しか知らなかったってわけです。
敵に知られると、呪術で支配されてしまうと信じられていた。


ってことで、この文化の人たちが信じていることを部外者の人がみだりに使うって、よくないんじゃないかと。
例えば、日本人は子供をみて「かわいいなぁ」と左手でなでたりしても問題ないですが、インドでそれやったら、親は烈火のごとく起こる。
文化の違いで、あっちではとんでもないことになるわけです。

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民...続きを読む

Q聖観音菩薩にはどんなご利益がありますか?

1年前小観音菩薩像を購入しました

ネットでどんなご利益があるのか調べましたが色々解釈が違いすぎて良くわかりませんでした

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詳しい方教えて下さい

Aベストアンサー

こんばんは

仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あります。
ともかく仏格は垂迹が多く、宗派も多岐にわたり、また由緒や縁起に応じて変幻自在なところがありますね
正直言って「お寺によって、仏様のご利益は違う」くらいに様々です
(観音様も「千手観音」・「馬頭観音」・「慈母観音」、はては「マリア観音」なんて観音様までいらっしゃいます)
そういった現世利益的な意味合いでいえば観音様は「あらゆる衆生を救い、あらゆる願いをかなえる、」オールラウンドプレイヤーと言ってもいいかもしれません
なにしろ、マリア様に変身して隠れキリシタンまでお救いになった方です。

こんばんは

仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あ...続きを読む

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来

如来というのは仏のことですよね。
仏教を開いたのはお釈迦様(ゴータマシッダルタ)と聞いていますが、
その人物が釈迦如来ですか?
釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来は別人ですよね。
しかし同じ境地に達した人なのでしょうか?
時代的に言うと3人の前後関係はどうなっているのでしょう?
お釈迦様が仏教を開いたのに、3人は同格なのでしょうか?
お釈迦様は仏教で最高位ではないのですか?

これらのことについて全くわからず、少し調べてみたのですが難しくてよくわかりません。
わかりやすく教えていただけたらうれしいです。

Aベストアンサー

ANo.1です。

>ということは、観音様や~菩薩というのも実在した人物というわけではないのでしょうか?

そうですね。実在した「菩薩」は、修行時代のお釈迦さまだけで、観音菩薩も地蔵菩薩も、実在の人物ではありません。
「行基菩薩」など、実在の高僧が“生き神様”みたいな意味で、「~菩薩」と呼ばれたりすることはありますが、お寺などで「○○菩薩」としてお像が祀られているような菩薩、経典に書かれているような菩薩は、皆フィクションです。

観音菩薩を初め菩薩方は、薬師如来や阿弥陀如来よりも、さらに我々衆生に近い存在として描かれています。
お悟りを開かれた最高の存在である仏さまよりは、まだ修行中の身である菩薩さまの方が、衆生に近い存在、親しみやすい存在ということです。
社長に直接お願いするよりは、営業の社員にお願いした方が、取引がスムーズにいく……こんな譬えをすると、また宗教家の方からは怒られるかもしれませんが、そういったイメージだと思います。

Q阿弥陀如来や大日如来の概念

仏教の開祖は釈迦ですが、阿弥陀如来の概念は釈迦が作り上げたものなのでしょうか?
それとも、それ以前からあった概念を利用したものなのでしょうか?
そうでないとすれば、どの分派がその概念を生み出したのでしょうか?
(さまざまなヒンドゥー教の神々が、後々取り込まれているようですが、そのひとつなのでしょうか?)
同じように、大日如来についても、その生まれがよくわかりません。

足利学校と鑁阿寺に旅行に行き、唐突に仏教に興味を持ちました。
にわか勉強ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 釈迦の言った言葉をそのまま残した書物はありません。

 仏典は、釈迦入滅後に、弟子たちが聞き覚えていたことをもとにできていますので、すべて「如是我聞」・・・ 私はかくのごとく聞いた、で始まります。

 したがって、阿弥陀如来にしろ、大日如来にしろ、弟子たちが記録した経典の話や他宗教をもとに、後世作り上げられた存在だと言ってよいでしょう。

 例えばAという宗教の信者を「平和裏に」改宗させるには、Aの主神よりも仏教のほうに強い神様がいるのだ、Aの主神はかくかくしかじかの経緯を経て、仏に負けたのだと説明(折伏)するのが、一番手っ取り早いからです。

 平和的宗教は、そういう過程でいろんな宗教の影響を受け、いろんな宗教の神を取り込んでしまう宿命にあります。

 (唯一神を信じる宗教の場合は過激で、そんな手間のかかる説得はせず、圧倒的な信念・武力を背景に、改宗か!納税か!戦争(死)か!と問うてオシマイです。他宗教は全面否定の対象ですので、ある意味純粋です・・・ それでも実際はサンタクロースなど土着宗教の影響を受けますが)

 大日如来は、帝釈天と戦うあの阿修羅と同系統の宗教(大本はゾロアスター教だったと記憶)から入ってきた仏様(阿修羅族の神)だそうです。

 宇宙万物の根源的存在として密教に入り、大いに尊崇されました。

 大日如来は、全宇宙(曼荼羅)の中心に存在しているだけで、阿弥陀如来などのように、なにかしてくれる存在ではないはずです。

 しかし言い方を変えれば、全ての菩薩や如来は大日如来から発生しているので、大日如来は諸仏の王であり、大日如来像だけは王冠を被って作られ(描かれ)ます。

 その大日如来に祈れば全ての仏・菩薩に祈ったことになるの・・・ カモしれません。
 

 釈迦の言った言葉をそのまま残した書物はありません。

 仏典は、釈迦入滅後に、弟子たちが聞き覚えていたことをもとにできていますので、すべて「如是我聞」・・・ 私はかくのごとく聞いた、で始まります。

 したがって、阿弥陀如来にしろ、大日如来にしろ、弟子たちが記録した経典の話や他宗教をもとに、後世作り上げられた存在だと言ってよいでしょう。

 例えばAという宗教の信者を「平和裏に」改宗させるには、Aの主神よりも仏教のほうに強い神様がいるのだ、Aの主神はかくかくしかじかの経緯を経て...続きを読む


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