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陸軍大学校では同期なのに、陸士では期が異なるのはどういう理由なのでしょうか。

たとえば陸大19期(荒木貞夫の期)には陸士6期から10期まで混在しています。

陸士卒業後、すぐに陸大に入るも者もいたし、数年後に入る者もいたということなのでしょうか。

試験に不合格になったためとも考えたのですが、「恩賜の軍刀組」に(ストレート合格?の)陸士10期の学生はわずかにひとりです。

どんなことでも結構です。そのあたりの事情について教えてください。

A 回答 (2件)

陸軍大学校は士官学校からそのまま進学するものではなく一度隊付勤務を経てから受験しましたので、優秀で早く採用される場合もあり、あるいは年齢制限ぎりぎりで採用されるものもありで、陸士の期の違う卒業生が陸大では同期になるということは珍しくはありません。


なお、いちど隊付勤務を経ないと受験資格がありませんでしたので、陸士卒業後すぐに陸大にははいれませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。「隊付勤務」というのは、要するに「現場経験」みたいなものでしょうか。陸士を出て隊付になるときは、だいたい少尉と考えていいのでしょうか。

お礼日時:2005/09/14 12:20

「試験に不合格になったためとも」



概ねそういうことです。

陸軍士官学校と言う名称の中の「士官」とは「尉官=初級将校」と言う意味です。明治初期に、尉官のことを士官と読んでいた名残です。よって、陸士を卒業しただけでは尉官になる資格を得たに過ぎず、退役間際に中佐になるのが精一杯でした。例えば、オリンピックの馬術競技で有名なバロン西=西竹一中佐は、華族の出身ですが、陸大を経ていませんので、陸大出の同期生に出世で大差をつけられています。その辺は、陸軍はたいへん「公平」でした(皇族は別)。陸士の成績は、陸大に入れなければ、その後の昇進とはほとんど関係ありません。

陸士を卒業した初級士官の中から、大佐以上に昇進させるべき者を選別するのが陸大と言う位置づけでした。よって、陸大の試験は難しく、有名な軍人で何回も落ちた人がいます。確か、後年に陸軍大臣まで出世した板垣征四郎は、何回も試験に落ち、年齢制限ギリギリで入校したはずです。

また、陸大を受験するには、No1の方の指摘どおり隊付勤務が必要でしたが、将校団長(通常は連隊長)の推薦が必須でした。この段階で連隊長の裁量がありますので、連隊長に嫌われれば「優秀」でも陸大受験ができませんでした。そうした事情で埋もれてしまった秀才も存在したと思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。陸大受験には陸士卒業が絶対条件だったのですか。

お礼日時:2005/09/14 12:23

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