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1877年 明治10年 の1月11日に
政府は教部省と東京警視庁を廃止したと何かで読んだのですが、その間治安は誰が守っていたのですか?

それから警視庁と警視局の違いが分かる方どなたか教えてください。

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A 回答 (4件)

>明治10年代の時代小説の中に出てくる『警視庁警部』と言うのは誤りで


>本当は『東京警視本署・警部補』と言う事になるのでしょうか?
小説ですから警視庁のほうがわかりやすいとおもったのか、ずっと警視庁だったと思っているのかわかりません。
なお、この時代警察官の階級は警視、警部、巡査だけで警部には1等から10等までありましたが、警部補というのは存在しません。
また明治10年には、地方の警察は府県警察部になっておらず、府県警保課でした。警察部になるのは警視庁が再設置されて以降です。北海道についてはまだ開拓使の管轄で他の府県とは制度が異なっていたと思います。

>そして現場で働くのが東京警視本署の警官たちで、その報告書などを纏めるのが
>警視局(内務省警保局)と言う事でしょうか?
実際の捜査、逮捕といった警察の仕事をするのが警察本署(のちに再設置される警視庁)で、内務省警保局は東京及び地方警察の幹部の人事や予算配分、あるいは警察組織の管理などの管理事務をしていたということです。警察制度の報告書なら警保局でしょうが捜査活動の報告書であれば警察本署や府県警保課の仕事です。
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この回答へのお礼

本当に分かりやすく説明いただきありがとうございます。

お礼日時:2005/10/24 19:41

新撰組の斉藤がいたらしいですよ大河で言うとオダギリジョーです

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やや分かりにくい文草ですが、ご参考までに



http://www.tabiken.com/history/doc/F/F233L200.HTM
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警察の歴史は明治5年に司法省に警保寮をおいて全国の警察を統括し、かつ東京府の警察を統括することになりました。


この警保寮が内務省ができたときに内務省に移されてさらに東京警視庁が設置されました。
そののち警保寮は警保局となりましたが、明治10年内務省が警察力のすべてを掌握すべきだという方針から東京警視庁が廃止されて内務省警視局がすべてを統括するようになり、東京の一般警察業務は東京警視本署が設置されて実務を担当しました。
東京警視庁廃止後の東京の警察実務は東京警視本署がおこなっていました。
明治14年には警視庁が再設置されて帝都東京の警察業務はまた警視庁が担当するようになりました。
この警視庁は国家の直轄機関であり、他の道府県の警察とはことなりました。
警視庁と警視局(内務省警保局)の違いですが、内務省警保局は捜査や執行権をもつ警察官はおらず、あくまでも事務管理だけをおこなう機関で、そういう捜査や逮捕などの執行権は警視庁あるいは道府県警察部がおこなう建前になっていました。
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この回答へのお礼

親切な返答ありがとうございました。

確認ですが(読解力が無くてすみません)
明治10年代の時代小説の中に出てくる『警視庁警部』と言うのは誤りで
本当は『東京警視本署・警部補』と言う事になるのでしょうか?

そして現場で働くのが東京警視本署の警官たちで、その報告書などを纏めるのが
警視局(内務省警保局)と言う事でしょうか?
更には、東京以外の都道府県の警察の呼び名が『道府県警察部』と言う事で
あっているのでしょうか?
もしお時間があるようでしたらお答え下さると嬉しいです。

お礼日時:2005/10/13 17:02

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Q昭和初期の警察官の地位は?

昭和初期に交番の巡査(お巡りさん)だった人の世間的な地位、経済的な裕福さ等は
どんな感じだったのでしょうか?

小学校の行事とかあると
肩に房の付いた制服を着てサーベル?をして
来賓席に来ていた事もあると聞きました。

交番?を転々としていたとも。

そんな方の世間的な地位や家族の生活程度等
お分かりになる方教えてください。

Aベストアンサー

昭和初期ということになるといささか難しいです。
何分にも軍部が突出して戦争遂行を優先していた言わば日本の歴史上も類を見ない時代でした。
治安維持即ち警察権の行使に当たっても軍部の横やりが横行していた時代ですから、一般論は難しいです。
通常の警察官の活動領域が浸食されていた時代です。
軍部主導の思想犯に対する独善的警察権が行使されていた時代です。
特別高等警察(通称、特高)などという組織と本来は軍隊内のみを対象としていた憲兵なども平気で民間人に対して警察権を行使していた時代です。

明治末から大正時代にかけての平常の状態であればこんなサイトがあります

戦前の暮らし 職業編|文學への不實なる誘い - アメーバブログ
ameblo.jp/recherche-du-temps-perdu/entry-11133135916.html
抜粋
注)推定年収です。
絶対額よりも相対的に数値を比較して下さい

総理大臣                           9600円                     
警視、判事、税務局長                   1500円
警部                               500円
巡査部長                            250円
町長、村長                           200円
巡査                               150円

陸海軍々人
大将                              6000円
中尉                               600円
少尉                               440円
准尉                               400円
曹長                               300円
軍曹                               200円
伍長                               150円

教員
大学総長                           4000円
高等学校長、専門学校長                 3000円
大学・高校・専門学校教授、中学・高等女学      1500円 
中学教諭、高等小学                      500円
尋常小学校長                          400円
小学校訓導                            200円

・民間企業、一般職、芸能など

三井家理事                         29400円
住友家理事、鴻池家理事、三菱財閥           9793円
興業銀行頭取、三井物産重役              、3500円
上等俳優、上等力      3500円
弁護士、医師                        1700円
ホテル料理長、新聞記者、上等音楽家、一等芸妓    600円
西洋料理人、ペンキ屋、脚本家、薬剤師、産婆      350円
料理人、大工、左官、植木屋、床屋、看          200円
牛乳配達、新聞配達、小作人                120円
風呂屋の三助、饅頭屋出前持                 20円

相対的には経済的には余り恵まれた職業ではありませんでした。

軍部が突出してくる前にはこんな事件もありました。

ゴーストップ事件 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ゴーストップ事件

警察官のプライドが非常に高かったことがご理解いただけるかと思います。

学校行事などの来賓としては、公務員がよく呼ばれ地方の名士とされていました。
村長、郵便局長、駅長 駐在さん 消防署長etc
村長と並ぶ名士は校長でした。

大阪や東京などの都市部では伝統的に警察官は敬して遠ざける、という形で扱われていました。
現在と殆ど変りません。
必要最小限のお付き合いということです。

「社会的地位」という表現は非常に難しいです。
少なくてもエリートとしては扱われませんでした。
これは、軍人も一緒です。
昭和初期の軍人は文字通り武力で恫喝していただけで、一般市民はエリート扱いはしませんでした。
旧制大学生や旧制高校生の方が頭脳的に優秀なグループと看做されていました。

公的な行事では公務員として民間サラリーマンよりは上位に扱われました。

明治初期の警察官制度が発足した時期の要員は没落下級士族が大半でした。
地方出身者が多いこともあり大阪や東京では言葉問題もあり、一般社会とはやや距離を置いた存在でした。

警察官というのは地元民との癒着を防止する意味で移動させます。
(滞在期間の長短はあります)
厳格な階級社会ですので、昇格と職場の移動は基本的にはセットとなっています。
この制度的習慣は戦前も戦後も変わりません。

昭和初期ということになるといささか難しいです。
何分にも軍部が突出して戦争遂行を優先していた言わば日本の歴史上も類を見ない時代でした。
治安維持即ち警察権の行使に当たっても軍部の横やりが横行していた時代ですから、一般論は難しいです。
通常の警察官の活動領域が浸食されていた時代です。
軍部主導の思想犯に対する独善的警察権が行使されていた時代です。
特別高等警察(通称、特高)などという組織と本来は軍隊内のみを対象としていた憲兵なども平気で民間人に対して警察権を行使していた時代です。...続きを読む

Q明治大正の警官はなぜピストルでなくサーベルなのか

警官の武装手段として、短銃でなくサーベルだったわけですが、なぜなのでしょうか?そのほうが理にかなっているの他のでしょうか?

Aベストアンサー

 明治大正時代の警官でも、非常時での拳銃携帯が確認されています。

 サーベルである理由は、諸外国の警官がサーベル武装であったことから倣ったと考えられます。
 
 当時の帯刀事情では、警官に限らず、公務職は帯刀が許されていた(士族の精神的保護の意味での帯刀許可だったんでしょう)ようですから、現実には、帯刀の威圧効果は、望めません。
 
 海外に比較して、農村部まで大小(刀)の普及している日本では、帯刀は大きな効果はないとも言えます。

 逆に公務職者の風紀・綱紀の側面での帯刀の意味があったかもしれません。

 拳銃は、警官の護衛手段ではなく、威嚇・示威の目的で使われるものですが、当時の警官の質が高くなかった事情も含めて、拳銃携帯を許すことは難しかったと考えられます。
 簡単に言えば、当時の綱紀があまりにも低品質だったために、拳銃が市販化される恐れがあったなどの危険性を勘案したのでしょう。
 
 特に長州出身の野蛮人警官の野蛮な行為は多々あったようですから、警官の信用性を確保する・治安維持の目的で、警官を信じることも不可能だった背景もあるでしょう。

 同時に、拳銃の質が低く暴発の危険性を考えると、高給取りの警官に貸与させることに不安もあったでしょうし、警官自身の士族的精神性からも拳銃を嫌ったなどの背景もあるでしょう。

 明治大正時代の警官でも、非常時での拳銃携帯が確認されています。

 サーベルである理由は、諸外国の警官がサーベル武装であったことから倣ったと考えられます。
 
 当時の帯刀事情では、警官に限らず、公務職は帯刀が許されていた(士族の精神的保護の意味での帯刀許可だったんでしょう)ようですから、現実には、帯刀の威圧効果は、望めません。
 
 海外に比較して、農村部まで大小(刀)の普及している日本では、帯刀は大きな効果はないとも言えます。

 逆に公務職者の風紀・綱紀の側面での...続きを読む


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