誕生日にもらった意外なもの

昨年父がな亡くなりましたが、故人の遺志で、献体をしており、未だ遺骨は自宅に戻っていません。戻ってきてもお墓は不要だということなのですし、母にしても沖縄に散骨してくれ、というもので、二人揃ってお墓はいらないといっています。なので、ふたり揃って沖縄にまいてあげたいのですが、全て散骨してしまうものなのでしょうか?
一部はどこかに保管しておくものでしょうか?その場合、墓は不要だという故人の遺志を尊重するのに、どのようなところがよいのでしょうか?
遺族のよりどころがなくなるのは寂しい気もするのですが、どのようなものなのでしょうか?
どなたか教えていただけますか?

A 回答 (4件)

保管するかどうかはご自由だと思いますが、部屋に人骨がひとつあるというのもなんですので、アクセサリーや焼き物にしてくれるサービスもありますから、そういうのを利用してみてはどうでしょうか。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
アクセサリーですか。
そのようなこともあるのですね。
父がいつも身近に居るようで心強いですね。
母にプレゼントしようかとも思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/30 15:37

No.3です。

蛇足とは思いますが、後でこの質問・回答を参照される方もいると思うので、少し追記します。

 「散骨」は従来、墓地以外の場所への遺骨の埋蔵を禁じた墓地、埋葬等に関する法律に違反し、また刑法にいう遺骨遺棄罪になるとして禁止されていました。しかし、1991年に厚生省が「墓埋法は遺灰を海や山に撒く葬法は想定しておらず法の対象外」という見解を示し、法務省も刑法190条について「散骨は葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪に該当しない」としました。
 ここでのポイントは「散骨」の定義が「遺灰を海や山に撒く葬法」とされているところで、かつ、「葬送のための祭祀として」「節度をもって行われ」ることという点にあります。
これをクリアするには、
(1)遺骨を粉砕するか特別に高度焼却して完全に「遺灰」状にすること。→骨としての形状が残っていてはいけない。
(2)撒いた上から土をかけたり、その他のもので覆ってはいけない。→覆いをかけると「埋蔵」と解釈され墓地埋葬法に抵触する。
(3)散骨される海域や地区の地権者、漁業権者、その他周辺住民の権利・財産・感情、公衆衛生を害するものであってはならない。
(4)葬送のための祭祀であること。
という4点が最低限守られていなければなりません。
 また、厚生省・法務省の見解も「散骨」を墓制として積極的に認定しているのではなく、特殊な「葬送」の一形態として半ば黙認しているに過ぎません。
 環境問題や風評被害の観点から散骨を禁止すべきだ、という声は大きくなってきていて、一例としては北海道長沼町では条例で散骨を禁じていますし、多くの自治体で議論されています。また、海外事情の例として、アメリカでは散骨場所を「沿岸3マイル以遠の海域のみ」と限定したり、航空機での散骨や住宅地への散骨を禁じている州があります。
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この回答へのお礼

たびたびご回答ありがとうございます。
よく考えて、供養いたします。

お礼日時:2005/12/02 09:25

曹洞宗の僧侶です。


葬送の問題は、故人の遺志だけで決められるものではありません。その他に遺族の先祖祭祀に対する意識の問題もありますし、公共の公序良俗とも関係しています。散骨には問題がありすぎて、お勧めできません。

散骨は墓地埋葬法で認められた墓制ではありません。法律の盲点を突いて遺骨を投棄する”裏技”です。公的には、公序良俗を侵さない範囲で「お目こぼし」されているに過ぎません。
マスコミや散骨業者のコマーシャルメッセージに踊らされて散骨ブームになっていますが、実態は野放図な遺骨投棄になりつつあります。現に自治体によっては条例で地域内の散骨を禁止するところも増えてきています。

沖縄に散骨されるという事ですが、海に撒くのであれば、その海域に漁業権を持つ漁師の方の迷惑になる可能性があります。海水浴場に近ければ、泳ぐ人がキモチワルイでしょうし、山に撒くのであれば近くに畑を作っていたり、家がある人はいい気持ちはしないでしょう。
また、お墓がないとして、何代か後の子孫が「自分のルーツ」を知りたいと思ったとき、ご先祖さまとお話ししたり相談したいと思った時、何をその縁にすれば良いでしょうか。

このように考えると、散骨はかなり身勝手な遺骨の処理法だという事が見えてくると思います。故人が自分の生き方を貫きたいという気持ちは理解するにしても、葬礼は遺族と子孫の為のものでもあり、社会的な行為でもあるという点を良く考えてみる必要があると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いろいろなことを考え、自分の死生観を確認する機会となりました。
散骨は、確かに周辺の方々を考えると心苦しい部分もあります。
一方で、お墓にこだわる必要もない、という気持ちもありますし、自然に帰すといのはいけないこととは思えません。
故人への気持ちはいつも心の中にあるのが本当だと思いますし、子孫へもこういうおじいちゃんがいたのよ。と伝えることがまた故人への供養だし、遺族の努めだともおもうのです。よりどころがないというのは、こちらの勝手な言い分で、自信のなさなのかなと思いました。
人は誰でもいつかは死にますし、死は生からの変化なだけであって、死に対して忌み嫌うというのは不自然なことだとも思います。死は怖いものではなく、形が変わるだけのことです。残された人々は悲しく思いますが、いつかは自分もたどり着く道です。ただ、これも誰もがそう思うわけではないので、社会的には配慮しなくてはいけないことですよね。
というように、いろいろかんがえるきっかけになりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/30 14:48

一部を散骨するか全部にするかは自由です。



>遺族のよりどころがなくなるのは寂しい気もするのですが
  納骨堂の業者やお寺でも設置している所があります。
   お墓は設けずお骨を安置しお参りもできますし、永代供養もお願いできます。

納骨堂と散骨(海)の参考に(一例です)
 http://www.create5.com/kuyou/anrakuji/anrakuji-1 …
 http://bateau352.com/?OVRAW=%E6%95%A3%E9%AA%A8&O …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
正直、全てを撒くのは気が引けていました。
分骨ということで、本山にお納めさせていただければとも考えています。
納骨堂というところもあるのですね。
もっと調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/30 15:36

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