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No.14ベストアンサー
- 回答日時:
あってると思います。
ただ、通常使用する限りにおいては、前意識のようなものもひっくるめて、『無意識にやっているね』と言うような言い方もしますので、あまりしっかりとした定義はわからないし、私も知りません。
回答者様が無意識と言う概念を把握できているかと言うことに関してはその二つの段階が存在していると言うのは間違いなく正しいです。確かに今存在する手法を以ってしても解決できない心の中の考えはたくさん存在します。
とにかく人間の心は意識、前意識、無意識の三つの区分ができるし、
それは気づいているもの、言われれば気づくもの、気づかせようがないものの三つであると言うことは確かです。
ありがとうございます。
客観的な意見を伺えて、頭の中をうまく整理できそうです。
やはり、時代も古いことですから、言葉も曖昧に使っているのかもしれませんね。
しかし、その『基本的な分類』は、現代の大脳生理学にも通じるところがあり、かなり的を射ているように思いました。
賢人は偉大ですね。
No.13
- 回答日時:
#12です。
補足をありがとうございます。お手数をおかけしました。基本的には「意識」は「あるか無いか」のどちらかだと思います。
「境界」があったとしても、その境界に「あるか無いか」のどちらかなので。
つまり「意識」と「無意識」よりない、というのが私の基本的な考えです。
ただ、無意識の中で「意識に変わる」ものもある。
その段階で、無意識ではなく「意識になる」わけです。
そしてそのように変化したものを「前意識」と呼ぶのではないかと思います。
ですから、初めから「前意識」というものがあるわけではなくて、「無意識から意識に変わったもの」に対して「そうか、あれは前意識だったんだ」と「後から」認識できるにすぎないのだと思います。
つまり「前意識」というものの「実体」は無い、というのが私の意見です。
結論として「潜在意識」は、「全くの無意識」であるおっしゃるところの「識下意志」に留まる場合もあるでしょうし、後に「意識」されて「前意識であった」と認識されるものも含まれる、ということになろうかと思います。
>「前意識」というものの「実体」は無い、というのが私の意見です。
非常に興味深いご指摘だと思います。
しかし、今の私にはそれを検証する術がありません。
ただ、ある書物には、記憶を「前意識」に含めるという記述があるのですが、記憶の情報と、いま現在の「聴覚」「視覚」などの『リアルタイム刺激』を、同一上で扱ってよいのか?と思っています。
No.12
- 回答日時:
#10です。
補足をありがとうございます。申し訳ありませんが、
>フロイトは、「識下意志」のようなものを含めて「潜在『意識』」として、「前意識」「無意識」に属すると考えてもよいでしょうか?
という『ご質問自体の意味』がよく把握できませんでした。
もう少し噛み砕いて説明していただくと助かります。
但し、フロイトの正確な解釈は私には無理ですから、「こう思う」ぐらいしかお答えできないと思います。
この回答への補足
フロイトや研究者は、未知なるモノを究明しようと取り組んだわけですよね?
意識して、一旦無意識下へと追いやったモノほか、今まで気がつかなかった(「無意識」だったもの)が、気づくことが可能なもの(今後、「意識」へと上ることが可能なモノ)、つまり「前意識」あるいは「前意識」と「無意識」のへ境界上のモノを「潜在意識」と呼んでいるように思います。
そのようなものではなく、「識下意志」とは、全くの無意識の領域で、『認識することのできない』「エス・イド」の活動と考えます。(統合失調と関連)
「潜在意識」は、「無意識」に属するのでしょうか?
「前意識」もありうると思うのですが。
No.11
- 回答日時:
どうも。
2,3理解至らない部分がありましたので、もう少し説明していただきたく思います。>「自分の知らない自分」という状態は、既に自分を「意識」・認識した状態ですが、その前段階は、「前意識」なのでしょうか、「無意識」なのでしょうか?
とありましたが、自分の知らない自分はなぜ自分を意識したものだと分類したのかよくわかりません。知らないといっているのですから、無意識や前意識の類に入るはずなのですが。多分何らかの意味を持っていったものだとは思うのですが、ではどういう意味なのかが、色々考えたのですが質問の意図をきちんと汲めませんでした。
一応想うところを書き連ねておきます。
知らない自分のうち、気づきやすいものを前意識、気づけないものや気づきにくいものを無意識と呼んでいます。
したがって『知らない自分』には二つあって、気づけるものと気づけないものがあるよ、ということです。
知らない自分があるんだということに気づいていることは、無意識や前意識ではありません。それはそういう自分がいると意識していることです。そしてその前段階は自分の中のさまざまな心の中の体験が関係します。正当な反論に脈絡のない言いがかりを付けてしまった、などの実体験がその『知らない自分が存在する』ことの補足になっています。この記憶が前意識や無意識に当たるでしょう。しかし蓋然的に重要なのは、そのたびたびの状況における自分の心の中が理解できているかどうかです。
そしてこの事柄が無意識レベルである、この事柄が意識レベルである、と言うわけ方はあまりお勧めしません。自分の中で肯定側についているか否定側についているかのほうが大事なことですから。事物に無意識や意識と言う名札を付けるのではなくて、『今回のケースでは』『この概念が(あるいはその時思っていた考えが)』無意識である、というように、その時の状況で変わるということと、その時の概念が肯定されていたか否定されていたか、その時の概念が意識されていたかされていなかったか(自分でしていたと言う自覚があったかどうか)ということを見極めて、概念に、その時限りの名札を付けるのです。
意図した回答でなければ…またご質問ください。自分の認識内でお答えします。
この回答への補足
「自分の知らない自分」という状態
仰るとおり、おおきく、2種類あると思います。
・1つは、『癖』のように、意識上には上っていないが、「どうして?」と質問すると、「かゆいから…」と的確な答えが返ってくる場合。
・2つ目は、本人も他人も気がつかないものです。
一つ目は、視覚や感覚などからの刺激が『前意識』となっていると考え、他人の指摘により、「意識」されることです。
二つ目は『無意識』で、特別な事情が無ければ他人にも自分でも意識化されない意志(意識?)のことです。このことについては、誰も確認することができないので、研究対象から外れ、大きな枠組みの意味での「無意識」という『器』に押し込めらる事象なわけです。
ですから、主に、1つ目が対象にされ、そのような意味で、「前意識」「潜在意識」として知っている状態と解釈しています。
このような『フロイト心理学』の認識は、誤りでしょうか?
No.10
- 回答日時:
kanpyouさんおっしゃるところの「識下意志」を「無意識」とし、いわゆる「潜在意識」を「前意識」と解釈すると丸く治まりそうな気がします。
「無意識」という言葉は何かのきっかけで意識されるものまで含めているわけ(だと思う・・・)ですから、「識下意志」の方がしっくりくる言葉かもしれませんね。
独創的で面白い言葉だと思います。
この回答への補足
ありがとうございます。
フロイトは、「識下意志」のようなものを含めて「潜在『意識』」として、「前意識」「無意識」に属すると考えてもよいでしょうか?
No.9
- 回答日時:
記憶が「意識」「前意識」「無意識」全てに関わることは可能だと思います。
赤ん坊の時の記憶は(多分)「無意識」の記憶として刻まれているので(稀に意識できる記憶としてお持ちの方もいらっしゃいますが)、我々がそれを意識することはあまりありません。
しかし、その無意識の記憶が我々の感情を制御している可能性は大いにありそうです。
確かに「意識できないもの」ではありますが、概念としても存在しているでしょうし、ある部分で我々は明らかにその支配下にあります。
何かのきっかけでこれが意識化された時、【結果として】それを「前意識」と呼ぶのではないか、と素人ながら思ったりしましたが・・・。
正確な定義付けに関しては、よくわからないというのが正直なところです。
この回答への補足
ありがとうございます。
意識されない【無意識】という、「識下意志(潜在意識のようなもの)」が存在するようには思っています。それを、「無意識」と呼んでもよいのでしょうか?
また、「無意識」に含まれるのでしょうか?
補足欄で「識下意志」と書きましたが、それは私の『造語』であり、専門用語ではありません。
またそれは、「潜在意識」とは区別したく、それより深い心に中のことで、特別な事情がない限り、他人からも、自分でも発見できないものと考えてください。
(「潜在意識」は、他人が指摘することにより、意識することができるもこととします。)
No.8
- 回答日時:
どっちも正しいと思います。
エス・イド・記憶は意識を作るための材料になっています。そして意識は前意識や無意識によって支えられています。
ただ、その意識の場所に位置する概念は状況によって変わり得ます。
もともと無意識として存在していたものが、下克上をして意識の座に上り詰めることもあるのです。ですから、意識無意識は座としての(あるいは器としての)概念であり、エスやイドや記憶からその座を争奪する『考え』は発生するのです。
この言葉は器としての機能も果たし、また自分の知らない自分がいる場所が存在すると言う意味でも使うことができるのだと思います。
質問者様の1.と2.が相反しなければならない理由がよくわからないのですが、とりあえず私はどちらも言っていることが間違っているとは思えません。
この回答への補足
最後になりましたが、お付き合いください。
>自分の知らない自分がいる場所が存在すると言う意味でも使うことができるのだと思います。
「自分の知らない自分」という状態は、既に自分を「意識」・認識した状態ですが、その前段階は、「前意識」なのでしょうか、「無意識」なのでしょうか?
具体例が示せないのですが、他人が指摘することにより、気が付く事象(癖など)は、「無意識」に分類されるのでしょうか?
回答ありがとうございます。
学問によくある、「ダブル・ミーニング」のような位置づけになるのですね。
>質問者様の1.と2.が相反しなければならない理由がよくわからないのですが
言葉の『定義づけ』として、確認を取りたかったのです。
状況に応じて、その言葉の意味するところが違うということのようですね。
>どっちも正しいと思います。
独りよがりの考えではないかと思っていたのですが、客観的に見ていただけて、安心しました。
No.7
- 回答日時:
心理学に興味はありますが、全くの素人です。
専門的な根拠に基づいているわけではありませんのでご了承下さい。
>外部的には、「意識がない」という状態なのでしょうか?
:そう思います。
考え事をしていて、熱い鍋を素手で掴んでしまったりするなどが例になるかもしれません。
「見る」という行為がこの状態で行なわれた場合、自分では絶対に見てなかったという物を他人に言われて思い出したりするのは、「前意識」という状態でその物を見ていたことになるのでしょう。
どうしても思い出せない「深層の心理」にしか認知されなかった物もあるでしょう。
何かのきっかけで甦る視覚かもしれませんが、その深層への「沈み具合」が深いと「無意識」というのだと解釈しています。
では、何を以ってその境界とするのかということについての知識はありません。
心理学的な基準のようなものがあるのかどうかもわかりません。
この回答への補足
無意識、前意識の区別が、解りません。
記憶していることは、「前意識」に含まれるのでしょうか?それとも、「無意識」の領域なのでしょうか?あるいは、「無意識」とは「深遠な虚無」のことで、概念としては存せず、「無意識」という言葉だけがあり、「記憶」という別の器があるのでしょうか?
No.6
- 回答日時:
またしても回答します。
まず、kanpyouさんの質問に即して話をするなら、意識無意識と言うのは概念だ、と言うことになります。大脳新皮質の特別な場所が無意識に割り当てられているわけではありません。いろんな自分(考え)が頭の中に存在していて、それが否定側に回ると無意識組となり、肯定側に回ると意識組となるということです。
確かにこれは記憶と言う考えに当てはめると、ある意味記憶なりエピソード記憶なりが反応したのだ、と言う考え方もできます。
しかし、記憶と言う枠組みにはめるのは、止めたほうがいいと思います。記憶と言うものだけでは無意識や意識をきちんと区別できません。
例えば
ある男が相手の適切な反論に対してどうしても承服できず、挙句に『誰にナンボつかまされたんだ。』などと根拠のない憶測を考え始める
と言うケースを考えた時に、
ある普段使わない意味記憶から反論を拒み、
そしてある意味記憶から持論を正当だと思っている
と言うだけでは、ここに差異を見出すことはできません。
意識に持論が存在するがゆえ、
無意識の別論の可能性が抑圧される
と言うことで初めて記憶に色付けが可能になるわけです。
つまり質問者様へのご回答は、意識無意識と言うのは、さまざまに自分の心の中に存在している考えを色分けするために必要な概念である、と言うことになると思います。
またこのとき意識と言うのは無意識との二項対立として主に使われていると考えたほうがいいでしょう。新しい意識の側面を重視して考えていると言ったほうがいいと思います。
この回答への補足
私の中には、2つの解釈があります。
1.「無意識」は、「意識」に対する学問上の概念としてのフィールド、(便宜上の器)。
2.「無意識」は「深遠なる虚無」であり、そのような学問上の『器』は存せず、「エス・イド」のような所から湧き出したもの、記憶などは「前意識」に反映され、「意識」へと上る。
どちらが、正しい解釈でしょうか?また、どちらも間違いでしょうか?
No.5
- 回答日時:
#3です。
補足ありがとうございます。>「意識」とは『対外的なことに対する』注意意識の集中という意味でしょうか?
:言葉自体を素直に解釈すれば、「意識」と「無意識」の違いは「意識していることに気がついているかどうか」ということだけのように思います。
その意味では「対外的・対内的」に拘わらず「意識する」と表現していいのではないでしょうか。
心理学的に別の解釈があるかどうか私にはわかりません。
この回答への補足
度々の適切な回答、感謝いたします。
考え事をしているときは、目前の視界については、「無意識」あるいは「前意識」の状況で、「意識」は記憶(こころ)の方へ向けられていると考えてよろしいでしょうか?
そして、外部的には、「意識がない」という状態なのでしょうか?
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