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彼が自衛隊に乗り込んで演説をして、そのあと割腹して自殺をした、
ということは知っているのですが、(学校でちょっと習った)
彼は、何故そういう行動にでたのでしょうか。
なぜ、自殺しなければならなかったのか。割腹することにどんな意味がかくされているのか。とかその理由が知りたいです。
右翼・左翼者だったのでしょうか。

そして、その行動を当時の人はどう捉えていたのか。
(例えばあきれていた、とか、尊敬した、とか。)

三島の割腹で世間にどんな影響をあたえたのか、

など、ふと気になって、三島について学校の先生に聞いたら、思いっきりひいて変人扱いされてしまいました・・。(で、聞きそびれてしまって。)
知っていたら、教えて欲しいです。

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A 回答 (2件)

え?うちのガッコの先生は


「三島の自殺?そりゃ豊饒の海を書き終えて、
これ以上の作品はもうつくれないって思って、
最後にドカーンと一発やりたかったんだ」
と喜んで教えてくれました。

猪瀬直樹の三島評伝「ペルソナ」に分かりやすく書いてあります。
下のURLはアマゾンの「ペルソナ」のレビューなんかが掲載されてます。
この本をベースにした特番がNHK教育で4回にわたって放映され、
正直、本より面白かったですよ。
ビデオ棚を探せば出てくるかもしれないなあ。

世間に与えた影響はショックのみ。
何を考えてるのか分からんっていう感じ
これって映画監督の鈴木清順がおのれの美学を映画作品に表現してるのと通じるところあるかも。
三島はおのれの美学を文学で表現するには飽き足らず、肉体で表現したかった。
もしかしたら俳優として表現してるうち、目覚めてしまったかもしれない。
清順監督にカルト的ファンが多いように、三島の切腹行為にもカルト的ファンはたくさんいるね。三島のハラキリをマネッコする会もあるよ(苦笑)。
でも正直言って、清順監督作品も三島の切腹行為も、普通の人には理解しがたいとこある。

タイトルは忘れましたが、五社英雄監督の時代映画で、三島由紀夫が侍役でハラキリやるの。宣伝ポスターの三島の目が怖かった。演技はだめだめでしたが、スチールを五社監督からもらって、京都駅で新幹線に乗り込んだあと、監督がすぐ外でバイバイしてるのに三島はまったく気づかず、憑かれたようにスチールをじっと見つめてたと監督が後年のインタビューで言ってた。
この映画の完成からまもなく、市ヶ谷事件が起こった。

切腹するまえにどっかの座談会で、
「僕は切腹するから、今、腹の肉をそぎおとしているんだ」と
マジ顔で語ってたらしい。

いろんな三島評論あるけど、「ペルソナ」が一番分かりやすく書いてる。
フォー・ビギナーズシリーズは、あまりお勧めできない。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167431 …
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この回答へのお礼

お礼がおそくなってごめんなさい!
回答、ありがとうございました

先生はよろこんでおしえてくれたんですか?
わたしが聞いた先生はアンチ三島だったみたいで、
三島に興味があるといったとたんに、危ないものを見るような目でみつめていました・・(笑)

確かに、彼が追求した美への執念は、好き嫌いが二つに分かれるかもしれませんね。

お礼日時:2001/12/27 02:26

 


  あまり三島については、詳しくないのですが、わたしの知っているというか、考えられることを述べます。
 
  >彼は、何故そういう行動にでたのでしょうか。
 
  三島由紀夫という人は、非常にナルシシズムの強い人でした。また、自己の性的同一性に不安感を抱いていました。非常に明晰な思考力があり、優れた感性の持ち主でしたが、論理的に思考すると言う点では、問題がありました。あるいは、もしかすれば、三島は敢えて、論理的に考えることを避けたのかも知れませんが、やはり、美的感性判断が優先していたのでしょう。
 
  三島は女性が優越する家庭で育ち、男らしさにコンプレックス(複合感情)を抱いていました。また自己の肉体が貧弱で、男らしくないとも感じていました。彼は優等生で秀才で、上級職公務員になりますが、学習院時代から小説を書くことを得意とし、東大に進学してからも、やはり小説を書いていました。彼の小説は、一種の人工の美の小説で、彼のコンプレックスの補償の一面があります。
 
  三島は、自己の美的志向と、自己の男性性の確認のため、「男性の美学」というものに憧れ、「おとこ」たる者、生まれ来てなすべきことは、最善には何かという問いで、それは国家のために自己の命を犠牲にすることだと考えました。国家あるいは、祖国、日本の伝統に殉じることこそ、男の本懐だと考えました。そのようにして国に殉じることで、自己の「男性性」がまっとうされると考えました。
 
  男性の優位性を法的にも承認したのは、明治天皇制国体でした。また、伝統の武士のエートスは、男性の「いさおし」を讃美するものとして、三島は、武士の理想の姿を自己に重ねようとしました。こうして、彼は、古い武士のいさおしの理想を語ると共に、国に殉じることこそ、男子の本懐で、その場合の「国、祖国」とは、彼の美意識からして、大衆が跋扈する近代・現代社会ではなく、身分制があり、優れた者が人々を指導する貴族制社会、モデルとすれば、明治の天皇制国体だと考えました。また「日本の古来よりの伝統」は、天皇制にあるとも考えました。
 
  これが、三島が「右翼思想家」と見做される理由ですが、三島は、理論的右翼というより、美的右翼ともいうべきで、西欧の美術や文学でも、男のいさおしを称え、生死の美学を語るものは、これを評価しました。例えば、古典ギリシアなどです。
 
  三島はまた、「老醜」というものを嫌いました。若い絶頂の美のなかで、国に殉じて死んで行くのが望ましく、美しく、べんべんとして年を取り、老醜の姿、人生を晒したくないとも願っていました。「神々に愛された者は若く死ぬ」ということは、三島には、理想でもあったのです。
 
  三島は非常に几帳面で、例えば、割腹自殺の前にも、依頼された原稿の最終原稿を、時間通りに仕上げ、これを、編集者に渡しています。
 
  三島は、自分の人生を自分で、美的に演出したかったのです。思想的に見れば、また価値があるかも知れませんが、三島自身にとって、右翼とか天皇制は、自分の美学を支えるための要素で、いさぎよく、美しい「死の機会と意味を与えてくれる」装置であったと言えます。三島は自分の手で、自分の意志で、自己の人生を美的に完成したかったのです。また、その死が、日本の伝統のなかで、意味を持つようにしたかったのでしょう。こういう訳で、色々複雑な動機があり、しかし、やはり、自己の死を自分で選び、夭折し、美的な人生を実現したかったというのが基本的な動機だと思います。
 
  >そして、その行動を当時の人はどう捉えていたのか。
 
  次の質問の答えと重なりますが、三島の思想や著書をよく冷静に読んでいた人や、世間一般の人は、驚くと共に、自己の美学に陶酔して、ぎりぎりの決断で死んだのだと捉えたでしょう。非常識あるいはアナクロニズムで驚いた人、理解できないと感じた人もいましたし、外国では、日本人はいまでも「ハラキリ」するのか、と驚いたとも言われています。
 
  他方、右翼の運動者たちには、三島の(美学的)国粋主義や憂国の考えに共鳴して、高く評価した人もいましたし、三島は時代が必要とする行為を、命を投げ出して、身をもって示した英雄だという捉え方もあったでしょうし、三島の自決を、うまく利用しようとする、右翼や国粋主義者もいたでしょう。
 
   >三島の割腹で世間にどんな影響をあたえたのか
 
  以上に述べた通りで、世間は驚いたのですが、三島の思想が大衆に浸透することはありえませんでした。三島は、自己の美学に殉じたので、アナクロニズムなところのある、一つの国粋の理想に殉じようとする者の見本とも取られましたが、広く共感を社会には得ることができず、大きな影響とはならなかったでしょう。(右翼思想の象徴としての役割は果たしましたが、いまは、その影響も小さくなったことでしょう)。
 
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この回答へのお礼

くわしく答えていただいて、ほんとうにありがとうございます!
すごくうれしいです

そうですか・・こんな理由があったのですね。
本を見ても、「三島はホモだった」とか、「天皇制の復活を叫んで・・」
とか理由がでてたのですが、なぜ切腹しなければならなかったのか、
というのがわからなかったんです。

”自分の人生を美的に完成したかった”
いかにも三島らしい死に方ですね。

お礼日時:2001/12/16 23:55

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