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どちらですか。またそれは何故ですか。

A 回答 (30件中1~10件)

>輪廻の度に自分で自分の人生を決めてうまれ変ってきていると言う事です。


そんな事ないでしょ。
輪廻転生なんて。それは、人間が作った希望でしょ。
来世でも、又会おうねとかの。

>自分で自分の人生を決めて生まれ変わる
そんな根拠も無い事を言うから、宗教に騙される人が
いるんですよ。

宗教とは学問である。
倫理・道徳や自分自身を見つめる為の。

神とは偶像である。
菅原道真みたいに、学問の出切る様に
なりたいと願い、敬うものである。。

>本人が決めてきた事を神様が変えてしまう様なよけいな事はしません。
当たり前です。
しいていうなら、「神様が変えてしまう様な余計な事はしません」
              ↓
出来ません。なぜなら神はいないから。が
正解でしょ。そういう解釈は、占いと同じで
怖い事です。神様が変える事なんて。

>人がした行為は良い事にしろ悪い事にしろ必ず返ってきます。すぐにではないでしょうが、何年か経っても返ってきます。(本人がたとえ死んでからでも返ります)
本人が死んでからも返ります。・・・?。
どう意味なのでしょうか?。
残った人に、怨念が降りかかるとの事なのでしょうか?。
ありえません。そんな事いうから、幽霊だのどうだのと
話が出てくるんですよ。

おいらは宗教も神も好きですよ。
信じてはいないけど。ただ、何も
疑問を持たずにただ信じるのは
恐ろしい事なんですよ。

輪廻転生だってそう。話としては面白い事
だけど、実際には??でしょ。
そういう観点から、見ると宗教や神様は
面白いんです。おいらが、なぜ好きなのは
そういう観点から見るから。

しいて言えば、自分自身が苦しんでる時に
道しるべ(解けない問題が解けた時など)
が発見した時に、「あぁ~神はいるんだ」
と思うのがベスト。
その程度でいいんです。

信じる信じないは個人の自由だけど
それを人に押し付けるのは良くない事。
どっちを信じるからといって、その人が
損になる事はありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

私もときどき人に誘われて宗教の集まりに
行くのは、輪廻とかそういう話が面白いので
というのがあります。映画や小説のように
楽しんでいる分には、自分とは関係なく
見ていられるかなと思います。

お礼日時:2006/01/10 14:52

No.18です。

もう一度
神様が助けてくれる者と考えている方が多いようですが、例えば、学問の神様に拝んだからと言って合格させてもらえるかと言えば、それは無理ですよね。

拝んでも勉強してなければ、受からないし、勉強をしてもそれが、自分の運命ではなくて他に道があれば、そこには進ませてもらえません。

学問だけでなく何事でも、百日毎日でも拝んで意識する事で、努力をするから報われるんでしょう。

がんばったのに落ちてしまった、そこで腐ってしまわないで、さらにそこからまたその人に架せられた修行をするのです。それを乗り越えなくてなならない様に自分で人生設計を生前に選んできているのです。
話が複雑になってしまいますが、輪廻の度に自分で自分の人生を決めてうまれ変ってきていると言う事です。

だから神様はただ困っているからと言って助けてはくれないのです。本人の努力を当たり前の様に見守っています。

すがっても利益のみのすがりは意味がありません。
本人が決めてきた事を神様が変えてしまう様なよけいな事はしません。

ようすあるに常日頃から自分本位にならないように、努力する事を神を信じる事に夜って自分で反省するための存在でしょうか。

ただがんばらなくて、自分に楽に楽に生きている人
悪い事をする人には罰を与えます。
人がした行為は良い事にしろ悪い事にしろ必ず返ってきます。すぐにではないでしょうが、何年か経っても返ってきます。(本人がたとえ死んでからでも返ります)

ちなみに座敷童子も神様の造った者です。
必要の無い家からは神様が移動を命じます。

神社は寺にいらっしゃる神様などはまだ本当の神様のお手伝いをされている方々なので、霊能力があれば見ることができます。

この話は霊能力を信じるか信じないかにも関わってくるので、簡単には答えられないかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

輪廻転生というのは、私も聞いたことが
あります。人間は500年周期くらいで
人間界に生まれ変わってきていて
その間は動物をやっているという話でした。
でもそんなことは嘘か本当かは誰もわかりませんが。

お礼日時:2006/01/10 14:45

万能の神は信じません。


でもまぁ変わった神を本気で信じてます。

理由は、座敷童子にあったから
…一応守り神。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

座敷童子ですか。それはまた珍しい体験を
お持ちですね。

お礼日時:2006/01/10 08:42

そうですね。


おいらも信じません。
ただ、宗教は好きです。
でも、新興宗教とかには入ってませんよ(笑)

だって、今まで神に祈って叶った事が一つもありませんモン。

そういう意味で、只祈るだけだけのキリスト教はあんまり好きではありません。

なので、おいらは密教とかが好きです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

密教って何か神秘的そうですね。

お礼日時:2006/01/09 19:44

私はどれも信じません。


実体がないものだからです。
つまり裏付けがないし出来ない。
いまと違って解らなかった事が多い時代に、そのよりどころとして作り出されたものと考えます。

まあ万人を納得させるための存在だと考えれば良いかも知れません。自然現象のように生物の力ではどうにも出来ないものに対して、これは神のせいだと言えば納得する方が多いですからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

何でも神のおぼしめしだといえばすっきりという
ところかもしれません。

お礼日時:2006/01/09 12:09

絶対信じません。


もう何かにすがりつく時代は終わった方がいいんじゃないですかね。
神なんて信じていてもしょうがないじゃないですか

17歳高校生より
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

確かに世の中は
何かにすがりついて裏切られたということを
くりかえしているような気がします。

お礼日時:2006/01/09 12:08

宗教を信じるというか、一つの宗教の考え方があっているのかどうか分かりませんので、一つの宗教を信じることが出来ません。



それから、神の存在ですが、これも分かりませんね。いるというひともいれば、いないというひともいる。神をみたことがあるというひとも、いれば、いないひともいる。とにかく、現在の科学が地球上におきている全てのことについて、証明できるかとういと、出来ませんよね。だから、神様がいるのかどうかは分かりません。信じる、信じないというより、「分からない」というのが私の答えです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

神がいるいないというのは永遠のテーマでしょうね。

お礼日時:2006/01/09 08:42

本当に人々を救える存在であれば、何とでも手を組みます。

信じるかどうかではなく、実態で判断します。
具体的には、特定の宗教をやっている人を見て、自分もその人のようになりたいと思うか、協力したいと思うなら、喜んで手を組みます。

基本的に、私自身、神仏や宗教に何かをしてもらおうとは思いません。有益と判断すれば手を組みますし、無益ないしは有害と判断すれば、無視します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

宗教の勧誘をやっている人はいかにも
強引で「なぜそこまで?」と疑問を持ちますが
その前に自分の行いを振り返れば
いいのにと思います。

お礼日時:2006/01/09 08:41

NO.21さんに付け足すと、信じないと言うのも危険です。


信じないと言うのは、つまり現実しか見ないと言うことです。見えるものしか見ない人間の行き着く先は現実に心を売った機械人形です。あるいは「現実の信仰者」とも言えるかもしれません。
例えば日本の政治家はいい例でしょう。理念が無く現実の対症法的政策と自分の腹の肥やしにばかり目が行って、日本は沈没寸前です。欧米はここまで馬鹿なことはしません。他の国に迷惑掛けてでもきちんと自国だけは守ります。それは欧米には理念があるからです。『こいつらだけは守る』「自分の国は誇りだ」『神は見守ってくださる』と言う考え方があるからです。だからいくら悲劇を繰り返してきたとしても彼らは立ち上がり、少なくとも自分たちはきちんと神の恩恵を受けたのです。
未開人の方々の太陽の信仰なども、自分たちの生に誇りを持たせ、無益な争いを避け、運命を受け入れる覚悟を与えるものとして機能しました。
つまり生きていくのに信仰は必要なものなのです。
金におぼれるような「現実信仰者」は自分が何を望むのかもわからずにただ金を集め、阿呆なくだらないことにそれを使い、呆けたようにこの世界を生きるでしょう。
ですから現実的な見解から考えても、何かを信じ「なければいけない」のです。
つまりわれわれは、何かを信じなければいけないが、それは現存する宗教などに頼った信仰ではいけない、と言うことになります。
では一体神を信じると言うのは、どういった行為を経て成されるべきものなのか、については、これもNO.21さんがすでに記述なさっていることなので、私はこれにて失礼させていただきます。

この回答への補足

今日たまたま読んだものの中に
マザーテレサが神の啓示を聞き貧しい人を
助けるようになったということが書かれていました。

serve the poorest people
around the world...

日本もどん底まで貧しくなると誰が神の声を聞く人が
出るかもしれません。

補足日時:2006/01/09 12:10
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

理念ということでは日本にはそういったものが
確立されていないので、政治にしろあっちにふらふらこっちにふらふらしている現状ですが、かといって
宗教団体がどれを見ても胡散臭いものが多いという
ことにも問題があると思いますね。
欧米にはキリスト教という文化が長い歴史の中で
根付いてきているので、一人ひとりの心の中に
ピュアなものが代々受け継がれてきているのでは
と思います。

お礼日時:2006/01/09 08:38

神も仏も信じます。



宗教は信じません。

神を信じる事、仏を信じる事は、自分を信じる事につながるからです。

そもそも、教義・経典と言うものは、人間としての倫理・道徳を説いているもので有り、当然のことと思っています。
それを、勝手に解釈して、宗派が違うと言って争う。
神や仏を愚弄するものであり、自分を否定するものと解釈しています。

神を敬い尊ぶと言う事は、先人を敬い尊ぶ事であるのみならず、自分をそれに近づけようとする心の発露と思います。

鰯の頭も信心から。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

倫理・道徳という意味では必要ですよね。

お礼日時:2006/01/09 08:33

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