No.4
- 回答日時:
西洋に合わせるまでの季節。
立春がおおむね正月なので、大寒がすぎて暖かくなろうとする一~三(今の2~4)月を春としていました。
現代の、セーターを着ている季節です。あわせの着物でした。
ゴールデンウィーク過ぎ、農事暦八十八夜(♪夏も近づく…)で霜が降りなくなります。このころから秋風が立つ立秋(8月10日ごろ)までを夏。四~六(5~7)。
一番暑い七(8)月から重ね着をする立冬(11月10日)ごろまでは秋七~九(8~10)。
冬越しの十~十二(11~1)が冬。
となっていたので、今の季節分けとは意味が違うように感じます。昔の方がもっと生活に密着していたのでしょう。
日本の生活の基本は農事暦にあったといえます。立春を起点とした太陽暦です。
ここまでは、24節気で太陽暦の話です。
公式行事の暦は中国に合わせていました。中国が天子が替わる都度改暦したりするので、付いて行ってない時代もあります。太陰太陽暦でした。つまり1年は12~13ヶ月でたいてい立春頃に元日が来る。
明治6年西洋のグレゴリオ暦に合わせました。これは太陽暦ですが起点が冬至より1週間ばかり遅れているのと、1ヶ月を30日・31日の交互にしてないなど合理的とはいえません。
また、月の公転は約29.5日ですので15日が満月というわけにはいきません。
新月が1日、満月が15日の陰暦(月齢)は人との待ち合わせなど便利なこともあってアジアなど広く今も使われています。
こうした地域では旧正月を祝います。新月の日なので太陽暦では時として1ヶ月のずれがあります。
十五夜は旧暦8月15日ですので今も9月15日ではありません。日本で現在唯一生き残っている陰暦行事です。
>十五夜は旧暦8月15日ですので今も9月15日ではありません。日本で現在唯一生き残っている陰暦行事です。
cotikuさんお返事どうもありがとうございます。なるほど、旧暦の8月15日に十五夜はあると決まっているのですね。それを、今の暦にあわせると、年によってズレが生じて来るというわけですか。誤解していました。やはり、暦に関しても中国の影響を多少なりとも受けていたんですね。どうもありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
陽暦(太陽)と陰暦(月)のカレンダーのことで、陰暦(月)は「古典」ではありません。
中国や韓国など、現在も利用している国はあります。正月、お盆、誕生日など陰暦でするため、毎年違います。なので人の誕生日を覚えるのはホントに大変です・・。
横浜などチャイナ・タウンでは旧暦の正月にお祝いしているのが見られますよね。(ニュースでもやってます)
あくまでも「約」1ヶ月であって、年によっては2ヶ月ずれる時も。
以下URLでは対照表が載ってます。
参考URL:http://www1.kaiho.mlit.go.jp/cue/KOHO/reki/kyuu9 …
keroppiさんはじめまして、お返事どうもありがとうございます。「陰暦」って昔の暦ではなかったんですね。太陰暦を現在も利用している国があるとは知りませんでした。中国や韓国で陰暦を使用しているんですね。そういえば、テレビで見た記憶があります。だいぶまえですが。ご紹介していただいたページに言ってきたのですが、だいぶ変動しているんですね。あんなに違ってくるものなのかと驚きました。どうもありがとうございました。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
明治の始めまでの日本の伝統的な暦は太陰太陽暦といわれるものでした。
ひと月の期間は天体の月の運行に同調した朔望月(新月から次の新月ませの時間)を採用し、太陽の運行に合わなくなったら閏月を挿入して、一年間の帳尻を合わせるというものでした。具体的には、中国から伝わった二十四節季に朔望月(約29.5日)を当てはめていきます。太陽黄系上の経路を24等分したポイントに「節」と「中」を交互に配置し、このうち「中」期を含む月を正月から12月までをあてますが、1朔望月は「中」期の間隔より短いのでこのルールが当てはまらない月が生じることになります。この月を閏月としたとされます。原則的には立春年初で、春分・秋分・夏至・冬至はそれぞれ固定した2・8・5・11月で迎えるようにしたといいます。
二十四節季自体が中国から輸入したものであったため、我が国の風土に微妙に合わず独自の「雑節」を設けたりしたらしいですが、現在私たちが親しんでいるグレゴリオ暦とは全く違った、複雑なシステムに基づいた暦であるため、単純に旧暦の何月何日を、新暦の何月何日にずらせばよいとは言えないのが実際だと思います。
ただ、伝統的な太陰暦のルールに従った日にちの数え方をする場合、基本的に日付と月の運行は同調していたはずです。明治6年にこの旧暦は廃止され新暦に改められますが、二十四節季は雨水、啓蟄、小暑、大寒などでいまだに私たちの暮らしの中の季節感に密着しています。明治6年の改暦の際のおもしろいエピソードが下記URLにありますので紹介しておきます。真偽のほどは分かりませんが。
http://sunak2.cs.shinshu-u.ac.jp/~nakano/misc/cu …
他にもうまく説明したサイトが多いと思いますが、全般的に分かるものの一つをあげておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/
また、各暦法間の換算ができる"when"というオンラインソフトもあります。
http://www.vector.co.jp/soft/win95/personal/se07 …
参考:佐藤幸治「文化としての暦」創言社
poor_Quarkさんはじめまして、お返事どうもありがとうございます。暦についてほとんどいままで知らなかったなのですが、poor_Quarkさんのご説明していただいたおかげで、奥深い暦の世界に興味を持ちました。ご紹介していただいたページに早速足を運ばせていただいて見てきました。とても興味深かったです。どうもありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
確か明治3年だったと思いますが(ここはうろ覚え)12月を3日ほどで終わらせて、
直ちに翌年の1月とすることで、陰暦から太陽暦への移行が行われました。ですから、
その時点で、両者の違いは約1ヶ月(もちろん、正確には少し違います)になっていた
わけです。その後も、大きなずれがなければ、その差異はほぼそのまま継続していると
考えられます。ただし、陰暦の方が月の動きに基づいていて、各月の1日が必ず新月に
なるのに対し、太陽暦での各月1日の月齢は一定しませんよね。その意味で、両者の
差異は大きくなったり小さくなったり変動します。(陰暦の方には、閏月などという
ものもあります。)
ちなみに、「十五夜のお月さん」こと「中秋の名月」は、陰暦の8月15日で一定
しています。太陽歴では、概ね9月になりますが、9月15日が満月とは限りません
から、「現代では9/15」というのは間違いです。
ranxさんこんにちは、お返事どうもありがとうございます。なるほど、明治期に移行措置が執られて現在の形になったのでね。すいません、間違えていました。「中秋の名月」は9月の中旬あたりにだいたい来るんですね。ご指摘ありがとうございました。
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