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……という、質問タイトルのような心の動きと体の反応は、
個人差はあれどめずらしい事では無いと思います。

そこでふと疑問を持ちました。この一連の現象は、
いったい何がおおもとの原因で、何故気分が悪くなり
何のために、体がそういう反応をしてしまうのか?
…ということです。

学習によるものかとも考えました。
グロいもの(凄惨な事故現場とか)を見たら…→
すごく気分を悪くするものなのだ、そしたら…→
もどすものなのだ。   (見苦しい描写ばかりですみません)

なぜなら、霊長類や他の動物、それに赤ん坊はきっと
そういう反応はしないからです。

ですが、この現象は「悲しいときには涙が出てしまう」と
似ていて、学習したものを元に、理性的にそういう反応を
自ら選んでいるのとは違う気がします。突発的・本能的、というか。
(ちなみに「悲しいときの涙」には体内のストレス物質
が含まれていて、その物質を体外に排出する作用がある
と聞いたことがあります。その点で「悲しい→涙」の反応に
関しては、ちょっとですが合点がいっています。)

それとも想像力のなせる技なんでしょうか?
もし自分自身の身にこんな事が起こったら…!!?
ブルブル…!! と、いうふうに。

長文申し訳ありません。どうかよろしくお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。


#2です。回答をお読み頂きありがとうございます。
今回は「誤字・脱字」に気を付けますので、前回はゴメンなさい(汗)。

>ちなみに条件反射とは「最初は無関係だった刺激と生理的変化を結びつけてしまう事」で、間違いないですよね?

はい、間違いないと思います。

>すると、「条件反射」は、「「条件付け」というプロセスを経て、後天的(4歳以上)に刷り込むことも可能なもの」で、
>「偏桃体の価値判断」は、「生後3歳頃までに学習した価値基準をもとにくだすもの」
と整理してみましたがどうなんでしょうか?

はい、たいへん申し訳ありません。質問者さんが引っ掛かっておられる問題は、全て私の説明不足に原因があることが判明致しました。

仰る通り、生後4歳でも5歳でも、20歳でも、「情動記憶としての判断基準の獲得」、並びに「判断基準の変更」は十分に可能です。
生後3歳というのはヒトでは「人格形成期」に当たり、性格や好み、物の感じ方などの「基礎」が形作られる時期で、その後の生活に幅広く影響を及ぼします。ですが、回答したあとで気にはなっていたのですが、私のあの説明では、質問者さんにこのような誤解を招いても全く致し方ありませんね。あれだけ長々と書いておきながら、どうして説明不足などが発生するのかとのご指摘もあろうかと存じますが、何はともあれ、お詫びして訂正させて頂きます、ゴメンなさい。
ですから、誰もが生後3歳までにグロテスクな体験をしなければならないという話ではない、ということで、取り敢えずこの件は宜しいでしょうか。

ちょっと付け加えておきますと、体験そのものは年齢を問いませんが、幼児体験には以下のような特徴があります。

1. 記憶が曖昧である。
2. 体験当時、幼かったために理性的・論理的な解釈が付けられないまま掏り込まれてしまう。

このようなことが、その後の克服や判断基準の持ち替えを困難にします。分別が付くならば過剰な反応は抑えられますし、記憶に残っていればそれによって修正も可能です。ですが、子供の頃にそう思い込んでしまい、尚且つ原因を忘れてしまっているのでは手の打ちようがありませんよね。このため、精神カウンセラーは過去の体験を探り出そうとするのだそうです。

>2.では例えば、家畜の生死がとても身近にある環境(モンゴルの遊牧民族とか?)で生まれ育った子供は成人したのち、動物のホヤホヤの臓物を見ても(現在記憶に無くても3歳頃までに家畜を解体する場面を幾度となく目にしているはずだから)嫌悪感を感じたり気分が悪くなったりはしないんでしょうか?

そうですね。
家畜の解体が嫌悪刺激であるのは間違いなく条件反射です。もしこれが無条件反射であったとするならば、我々の祖先は狩猟民族としての道を歩むことはできなかったはずですよね。
従いまして、家畜の解体がグロテスクであるというのは、我々日本人の文化的価値観か、あるいは質問者さんの個人的価値観のどちらかということになります。というよりは、周りくどい言い方は止めて、それは「現在の日本人の文化的価値観」で間違いないのではないでしょうか。
モンゴルの社会が実際にどのようなものであるのかは私には分かりませんが、家畜の解体を見て美味しそうだと思うのがモンゴルの文化的価値観であるとするならば、まず、気持ちが悪くなってしまうということはないと思います。さもなくば、そのモンゴル人は生まれた国の社会習慣から行動選択のための判断基準を学習することができなかったか、何らかの理由で異なった個人的価値観を獲得してしまったということになります。もし仮に、そのような体験をしてしまったというのであれば、それは不運以外の何物でもなく、へたをすれば精神疾患として克服を迫られることにもなりかねません。とはいえ、そこまでゆかずとも、生まれた社会の文化的価値観に贖って成長するというのは、それは極めて困難なことだと思います。
家畜というものが身近な国であるからこそ、そのような文化的価値観が培われることになるのではないでしょうか。もし、モンゴルのひとたちが我々日本人と同じような価値観を持っているとするならば、恐らく、大人たちは子供たちをそのような刺激から隔離し、遠ざけようとするはずです。それが正に、現在の日本の社会ですよね。これによって、現在の日本人の文化的価値観が強固に確立されているのではないかと思います。

モンゴルといっても広いですから、近代化されたところもあれば、昔ながらの生活もあるのでしょうね。
モンゴルやチベットの遊牧民のひとたちは、家畜の糞を燃料に使うそうです。ホヤホヤのうちは触るかどうか、ちょっと分かりませんが、乾燥したものを集めて来てご飯を炊きます。ウンコ炊飯ですが、モンゴルの草原では薪というものが手に入らないからですね。我々のように、ウンコは汚いなどと言ったら、お父ちゃんにぶん殴られるかも知れません。
モンゴル、チベット、ウンコご飯、行ってみたいですね!

一応、モンゴル出身の朝昇竜に聞いてみました。
「家畜の解体、ごっつあんです!」
聞く相手を間違えたようです。

この回答への補足

自分なりの暫定的な答えVer.2:
 生まれてから今までの環境の中で偏桃体が学習した情報を元に
 偏桃体様が「No」の判断を下したが最後(大脳がいくら疑問を持っても、
 吐きたくないと思っても)自律神経系の働きによる嘔吐に至ってしまう。
 
 …今のところこんな感じです。

>周りくどい言い方は止めて、それは「現在の日本人の文化的価値観」で間違いないのではないでしょうか

…ということは、グロテスクなモノを嫌悪するという判断は、明確なトラウマ(嫌悪する原因となった記憶)を持つ人を除けば、日本という国で生まれ育つうちに知らず知らずのうちに積み重なった経験に基づくものなのですね。

補足日時:2006/02/22 02:01
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この回答へのお礼

ご親切に2度目の回答ありがとうございます。

「家畜の乾燥ウンコを燃料に炊いたご飯」→「ウンコご飯」
あんまりな略です(笑)ご飯が不憫です。

朝昇竜関もわざわざありがとうございました(笑)

お礼日時:2006/02/22 01:40

こんんちは。


このような反応は「反射」に属し、ご提示頂いた「視覚刺激」によるものは、生後学習によって後天的に獲得された「条件反射」と考えて良いと思います。

「嘔吐」というのは、もともと「嘔吐中枢」を介した「無条件反射」で、本能的・生得的に定められたものです。反射とは、与えられた刺激に対し、中継中枢を介して行なわれる無意識な生体反応です。この場合、反応を起こすのは胃や食道といった内臓器官ですから、主に自律神経系への出力によって発生するのだと思います。
「嘔吐反射」は、主に内臓感覚によって引き起こされる反射ですので、視覚や触覚などによる反射と異なり、その原因が複雑で、特定が困難です。原因刺激としては、異物・毒物の混入、消化器官・体調の不良、触覚(咽仏やボディ・ブロウ)、平均感覚の混乱(ジェット・コースターなど)が考えられます。これらは無条件反射の原因ですが、ここにに視覚刺激は入っていませんね。
このような刺激によってまず吐き気が起こり、嘔吐するのですが、吐き気そのものが嘔吐の刺激になることもあるようですし、精神的な要因もたくさんあります。そして、こような精神的な要因や、質問者さんの仰る「視覚刺激」による反応といったものは、そのほとんどが生後学習によって獲得された「条件反射」になります。

まず、生後学習による条件反射なのですから、パブロフの犬の実験と同じ方法で獲得できるはずです。ベルを鳴らしてから咽にスプーンを突っ込む、これを刳り返せば、やがてベルの音をを聞いただけで吐き気をもよおすようになります(実験はお勧めできません)。
これは、視覚刺激でも全く同じことが言えます。ですけど、我々は一度もそんな訓練をした憶えはありませんよね。ところが、自分では憶えていないだけで、実はちゃんと学習しているんですね。

視覚刺激による嘔吐反射は、「偏桃体」を中継中枢に介し、自律神経系を司る「視床下部」から内臓器官に指令が下っているものと考えられます。偏桃体から嘔吐中枢に直接の出力経路があるかどうかはちょっと分かりませんが、視床下部とは恐らく繋がっているのではないかと思います(ちょっと調べが付きません、ゴメンなさい)。何れにしても、内臓器官が反応すれば嘔吐は起こるはずですね。

偏桃体が視覚情報を「嫌悪刺激」として判断する基準は、生後の体験・学習によって獲得された「情動記憶」と呼ばれるものです。偏桃体には身体内外の全ての感覚情報が入力されており、それに対する価値判断な成されることにより「情動」が発生します。
「情動記憶」は、その価値判断を下すための基準であり、「好き・嫌い」「YES・NO」といったたいへん単純なものです。何故好きなのか、どうして嫌いなのかといった具体的なことは大脳皮質の方に記憶されています。これがどういうことかと言いますと、大脳皮質でそれを思い出さなくとも、偏桃体は無意識のうちに判断を下してしまうということです。更には、大脳皮質で過去の体験を忘れてしまっても、偏桃体に情動記憶が残っている限り、反応は勝手に起きてしまうということですね。

「食べ物の好き嫌い」「異性の好み」といった個人差のあるものは、ほとんどが生後の学習によって獲得されたものです。このようなものが「個人的価値観」であるのに対し、
「ご飯をこぼしてはいけない」
「裸で外を歩くものではない」
「排泄物は不潔だ」
といったものは、生まれた社会の慣習に従う「文化的価値観」ですね。
まあ、排泄物が非衛生的だというのは事実かも知れませんが、吐き気をもよおす上手い例が見当たりませんので、ご勘弁を。

さて、自分は何故このようなタイプの異性が好みなんだろう。
どうして、裸だと恥ずかしいんだろう。
これらが生後の体験によって獲得された価値観であることは間違いないのですが、果たして、それをきちんと憶えているひとはいるでしょうか。このようなものは生後3歳頃までの「人格形成期」の体験に大きく影響を受けると考えられています。大脳皮質の方では、ほとんどのひとが忘れてしまっているのではないでしょうか。

視覚刺激によって嘔吐反射を引き起こす情動記憶とは、このような深層的なものです。もちろん、最近の体験でも反応は起きますが、肝心なのは、それが大脳皮質の関与しない「無意識反応」であるということです。
自律神経の働きによる無意識な反応なのですから、それを自分の意思でコントロールすることはできません。ですから、「想像力によって嘔吐を起こすことはできるか」と言いますれば、基本的にはできないわけですね。
もちろん、グロテスクな想像を巡らせたために気持ちが悪くなることは幾らでもあります。ですが、その場合でも、偏桃体が判断を下していないのであれば視床下部が動きませんから、一切の自律反応は起こりません。ですから、大脳皮質から幾らグロテスクな信号が送られて来ようとも、偏桃体がそれに賛成しなければ反応は起こらないということになります。逆に、大脳皮質がどんなにそれを否定したとしても、偏桃体が嫌だと思えば反応は起こってしまうということですね。
あと、それが口に入ったときのことなどをリアルに想像したりすれば、偏桃体はかなり高い確率で反応するのではないかと思うのですが、実験はちょっと止めておきましょう。

ただ、これは想像力と言えるかどうかは分かりませんが、大脳皮質での記憶があやふやになってきますと、そこに余計なものが付け加わってしまうということがあります。
理由も分からずに、無意識に反応しているわけですが、反応が起こればその結果を意識することはできます。このとき我々は、自分は今どうして気持ちが悪くなったのだろうなどと考えるわけですが、大元の記憶があやふやになっていますので、ここで余計な想像力を働かせますと、いりもしない尾鰭がくっ付いてしまいます。また、見間違いや勘違いでも反応は起こりますよね。そして、このようなことが刳り返されますと、終いには本来の体験とは関係ないものにまで反応してしまうことになりかねません。
これが病的な症状として表れるのが、パニック症、うつ病、トラウマといったものです。全て偏桃体の判断に基づく過剰な身体反応であり、大脳皮質の記憶が失われてしまっているか、それが忌まわしい体験として強く抑制されているのが主な原因と考えられています。

パブロフの犬の条件反射が脳のどの部分に獲得されたのかは、私はちょと分かりませんが、偏桃体は元々学習機能を持った中枢ですから、その学習効果は高く、生後環境の変化に柔軟に対応するため、守備範囲はたいへん広くなっています。最も効果的なのは、やはり反復学習ですが、印象の強い刺激である場合は、一度の体験でも学習してしまうことは幾らでもあります。見ただけで気持ちが悪いといった体験は、このようにして獲得されるのだと思います。

以上、このようなものは生後学習によって獲得された条件反射であることを述べました。ですが、我々動物には本能的に身を守るため、生後の学習だけではなく、遺伝子に定められた「生得的な嫌悪刺激」というものもたくさんあるはずです。
まず、「強過ぎる五感」は、そのほとんどが「無条件刺激」ですね。ただ、これに就いては私では詳しくは述べられませんし、それを無条件反射と特定するのはたいへん難しいことだと思います。例えば、涙を流すというのは生得的な反応ですが、何に対して涙を流すかは生後に学んだものがたくさん加わっていますよね。
取り敢えず、何に対して気持ちが悪いと思うのか、個人差のあるもの、社会習慣に従うものなどは、そのほとんどが条件反射、学習行動であると思って間違いないと思います。

この回答への補足

あらためて自分の疑問:
 この一連の現象は、いったい何がおおもとの原因で、
 何故気分が悪くなり
 何のために、体がそういう反応をしてしまうのか?

自分なりの暫定的な答え:
 生後3歳頃までに脳内の偏桃体に記憶された情報をもとに、
 偏桃体が「嫌悪」の判断をして気分が悪くなり、
 そしてその判断を下したことにより自律神経系の働きによる
 嘔吐に至ってしまう。
 
 …今のところこんな感じです。

※自律神経とは本人の意思とは無関係に、主に心臓や胃腸、内分泌系器官を支配しており、体温・食欲・汗腺など諸器官の調整をしている。
↑忘れっぽい自分のために説明(笑)

 ですが新たな疑問が二つ。

1.
今度は「条件反射」と「偏桃体の価値判断」の違いがわからなくなってきました。
どちらも無意識的に起こる反応で、学習によって得られるものなのはわかるんですけれど…
    
ちなみに条件反射とは
「最初は無関係だった刺激と生理的変化を結びつけてしまう事」
…で、間違いないですよね?

すると、「条件反射」は、
「「条件付け」というプロセスを経て、
 後天的(4歳以上)に刷り込むことも可能なもの」で、

 「偏桃体の価値判断」は、
「生後3歳頃までに学習した価値基準をもとにくだすもの」
…と整理してみましたがどうなんでしょうか?

>パブロフの犬の条件反射が脳のどの部分に獲得されたのかは、私はちょっと分かりませんが…

これに関しては「どの部分」というよりは反復学習で脳内のネットワークに短絡回路ができ上がったんじゃないでしょうか。(脳内の電気信号が回り道をしなくなったというか)




>さて、自分は何故このようなタイプの異性が好みなんだろう。
どうして、裸だと恥ずかしいんだろう。
これらが生後の体験によって獲得された価値観であることは間違いないのですが、果たして、それをきちんと憶えているひとはいるでしょうか。このようなものは生後3歳頃までの「人格形成期」の体験に大きく影響を受けると考えられています。大脳皮質の方では、ほとんどのひとが忘れてしまっているのではないでしょうか。

2.
では例えば、家畜の生死がとても身近にある環境(モンゴルの遊牧民族とか?)で生まれ育った子供は成人したのち、動物のホヤホヤの臓物を見ても(現在記憶に無くても3歳頃までに家畜を解体する場面を幾度となく目にしているはずだから)嫌悪感を感じたり気分が悪くなったりはしないんでしょうか?
むしろ「これからご馳走だ!」とか、無意識的に思ったりするんでしょうか?
自分でも何故だかわからないけど、
思わずよだれが出てしまったりするんでしょうか?


生理学的な視点からも合わせて回答して下さる、モンゴル生まれモンゴル育ち(3歳頃までで可)の日本語に堪能で、親切な専門家の方も参加してくださると助かります。 (すごい縛りですが(笑))

補足日時:2006/02/14 23:15
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>視覚刺激でも全く同じことが言えます。ですけど、我々は一度もそんな訓練をした憶えはありませんよね。ところが、自分では憶えていないだけで、実はちゃんと学習しているんですね。
>偏桃体が ~中略~ 生後3歳頃までの「人格形成期」の体験に大きく影響を受けると考えられています。
>最も効果的なのは、やはり反復学習ですが、印象の強い刺激である場合は、一度の体験でも学習してしまうことは幾らでもあります。見ただけで気持ちが悪いといった体験は、このようにして獲得されるのだと思います。

…ということは、多くの人が生後3歳頃までに(覚えていないだけで)最低1回はスプラッタなもので嫌な経験をしてるのかな?…と、思いましたが、

それはきっとグロいTVや本や現場を目にした、親や身近にいた人間が嫌悪感をあらわしたり、吐き気をもよおしているのを目の当たりにしたり、自らTVでそんな場面を見ることによって3歳頃までに、(間接的に)偏桃体が「学習」をしたんでしょうね。きっと。


>「ご飯をこぼしてはいけない」「裸で外を歩くものではない」「排泄物は不潔だ」といったものは、生まれた社会の慣習に従う「文化的価値観」ですね。
まあ、排泄物が非衛生的だというのは事実かも知れませんが、吐き気をもよおす上手い例が見当たりませんので、ご勘弁を。

そうですね。上手い例というか、文化的価値観に関することで吐き気をもよおすほどの嫌悪感を感じることはないですね。自分も見つかりません。

お礼日時:2006/02/14 22:01

独学的私見によるもので「学術的根拠」はありませんが思うところを少々。



salabulaさんおっしゃるように「想像力のなせる技」と言っていいように思います。
「>凄惨な事故現場」は死を連想(想像)させます。
死に対する認識を持っていればこの連想は可能でしょうが、あくまで連想ですから「人→動物→鳥類→魚類→爬虫類→虫など」と生物学的系統から離れるにつれて希薄になっていくのでしょう。
また、死とは生命の終焉のことですから、自らの生命の終焉を瞬時に連想することも、そう難しいことではないでしょう。

この連想によって自らの死を想像する程度が強すぎると、脳は実際に死に直面した時と同様の指令を各神経に発するのではないでしょうか。
(悲しくなくても本当に悲しいと思えば、涙が出るような指令を脳が発するように)
死に直面した時に脳が発する指令とはどのようなものでしょうか。
あくまで推測ですが、恐らく通常作業を停止してでも生命を守るためにあらゆる神経を動員しようとするのではないかと思います。
その停止された通常作業の中に胃や腸における食物の咀嚼や栄養の吸収も含まれるのではないでしょうか。
結果として、今そんなことをしている暇はない、ということで胃や食道のけいれんによって食物が摂取口まで戻される、という仕組みになっているような気がします。

気分が悪くなるのは、そのような非常事態に対処するため脳の特定の箇所に一気に血流が集中し、平衡感覚が正常に機能しなくなったり、貧血気味になるからではないでしょうか。

以上素人の全くの当て推量です。
生理学的な視点からも合わせて回答して下さる親切な専門家の方が参加してくださると良いですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど!
非常事態と認識→通常作業の停止→結果としてリバース ですか!
そこには考えが及びませんでした。

>生理学的な視点からも合わせて回答して下さる親切な専門家の方が
参加してくださると良いですね。

はい。期待しながら待ちたいと思います。でも今、質問タイトルがちょっと
直球すぎたかな?と思ってしまってます(笑)
わかりやすさを強調したかったんですが。
この質問タイトルだけで回答者さん達から敬遠されちゃってたりして…

お礼日時:2006/02/12 00:41

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