いちばん失敗した人決定戦

こんにちは。
今、歴史を勉強しているのです疑問点があるので質問させてください。
教皇と皇帝の違いがわかりません。できるだけ簡単に教えてください。お願いします。

A 回答 (7件)

教皇は宗教的なリーダーで、皇帝は軍事的なリーダーです。


非常に大まかに例えてしまうと、日本における天皇(宗教的)と将軍(軍事的)のようなものです。(もちろんこの例えには反論がある方もいるでしょうが)
ですから、この教皇と皇帝のどちらが大きな権力を持っているかは、時代によって異なります。
十字軍の派遣が失敗する以前は教皇のほうが権力を持っていました。ですがその後没落し、皇帝のほうが権力を持つようになりました。

なお、皇帝が教皇の権力の前に屈してしまった事件を「カノッサの屈辱事件」、そしてそれからだいぶ後のことですが、教皇が皇帝の前に屈してしまった事件を「アナーニ事件」といいます。
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大変失礼なのですが、No.3さんの書き込みについてです。



>欧州ではシーザーの皇帝就任以降のローマ帝国最高位が皇帝で

カエサル(シーザー)は終身ディクタトル(独裁官)が最高位です。形骸化してはいましたが、まだ共和政期の政治家です。

教皇と皇帝の関係について、次のように考えると良いです。イメージとしてですが、西ヨーロッパ世界全体を楕円に例えると、その2つの焦点が教皇と皇帝です。そして教皇は聖界、皇帝は俗界を支配しました。

その2つの権力はお互いに補完しあいながら、普遍的権威(権力)として、各国(各地域)の支配者(王、諸侯など)のさらに上位にたって、影響力を及ぼしました。その時代が中世です。

しかし、14世紀以降教皇の権威が徐々に低下し、16世紀にはいって、宗教改革が始まりローマ教会は分裂します。一方皇帝(=神聖ローマ皇帝、実質的にはドイツ王)は、もはやドイツ一国をも統一する力は無かったので、両者の普遍的権威は有名無実となっていきました。ヨーロッパ各地には、普遍的権威に影響されない主権国家が並立する時代となっていきます。この時代が近代です。

教皇と皇帝について少しイメージが掴めたら良いのですが。
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ヨヘロッパに関してのみという事で回答します。



本来皇帝は、地上を神に代わり統治する最高権威で、教皇は、単にキリスト教の指導者の一人にすぎませんでした。
ローマ帝国末期には、ローマ、コクスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレキサンドリアの5大教会があり、教皇は、その内のローマの最高権威でしかありませんでした。
しかし、西ローマ帝国内には、ローマしか無かった為、ニシローマ帝国のキリスト教の最高権威でもありました。

フン族が、ローマに侵攻した時、当時の西ローマ皇帝が、逃げ出してしまい、教皇レオ1世がこれに対処したため、西ローマ帝国での教皇の権威が皇帝をしのぐようになります。
西ローマ帝国滅亡後、西ローマ帝国皇帝の地位を、東ローマ帝国の皇帝が兼ねますが、離れた領土、東西での教義の違いから、東西教会が分裂します。

軍事的保護者を必要とする教皇は、フランク王国のカールを皇帝に任じ、保護者とします。
ここに、教皇が皇帝を選出するという慣例が出来上がります。
しかし、教皇が皇帝を自由に任命するのではなく、有力者を形式的に任命するため、皇帝と教皇の利害が対立する事が多くなります。
特に聖職者の任命権、教会の所領の所有権などで。

皇帝は、純軍事的、政治的に行動します。
教皇は、宗教的行動と共に、所領を有するため、諸侯としての行動も起こします。
諸侯を統制したい皇帝。
統制を受けたくない諸侯としての教皇の対立も生じます。

こういった事が、皇帝と教皇の関係を難しくしています。
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ローマ・カトリック教会の最高位にいるのがローマ教皇。

ローマ法王とも言いますね。
皇帝は、ここでは西欧世界で最も政治的権力を持っていた人。ただし実質的に皇帝は名ばかりで、ドイツ(神聖ローマ帝国)すら、まとめることが出来ませんでした。まあ本当に皇帝と呼べたのは、カール大帝くらいでしょう。

おそらく中世西欧世界(カノッサ事件)の当たりを勉強していて疑問に思ったのでしょうね。
中世西欧世界は、封建社会です。封建社会だから地方分権が進み、各国ともバラバラの状態で、皇帝権・王権とも脆弱でした。
そのような中で西欧世界は、異民族の侵入に悩まされました。この異民族に対して、西欧世界の人々は結束しなければなりません。結束するための精神的支柱が、実はキリスト教でした。
そんなこともあって中世西欧世界では、宗教界のNo.1であるはずの教皇が、政治的にも皇帝をしのぐことになったのです。
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分かりやすさなら#2さんが言う



>日本における天皇(聖界の頂点)と将軍(世俗の頂点)のようなものです。(もちろんこの例えには反論がある方もいるでしょうが。)

が一番良いのかもしれません。補足すると、将軍が天皇によって任命されたように、皇帝(中世以後、西欧)も教皇によって任命されました。(途中からは形式化していきました。)

そのため、中世末期にはイタリア戦争と呼ばれる神聖ローマ皇帝とフランス王家の争いが頻繁に起こったのです。イタリア(教皇のいる場所)を押えれば、教皇を保護するという大義名分ができますから。

平安末期や江戸末期においてどっちが天皇を保護(支配)かで、官軍と賊軍になったのに似てますね。

また他の方が皇帝は王の中の王と説明されていますが
、日本で言うなら江戸時代の将軍は大名の中の大名といった感じです。

簡単に言うと、ロシアでは皇帝が教皇(ロシア正教会)も兼ねました。ビザンツ帝国も一応ロシアと同じです。と言うことでその地域は皇帝=教皇です。(厳密には色々あるんですけど、高校世界史レベルならこのように覚えてください)

中世から近世前半は少なくともこの考え方で良いでしょう。教科書から「教皇」と言う文字が消える時代になるとまた話は別ですが・・・
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教皇は一般的には宗教での最高位のことを指し、通常キリスト旧教の最高位に対して使われます。


ローマンカトリックの最高位が典型的で、過去には強大な権力を持って皇帝以上の威勢を示した歴史的事実もあります。
ギリシャ正教などの最高位の他、日本の仏派の最高位にも使われる場合があります。

皇帝は王の上の覇者の位として中国でよく使われた言葉で、秦帝国以降の中国の統一政権の主は皇帝と称しています。
欧州ではシーザーの皇帝就任以降のローマ帝国最高位が皇帝で、その後神聖ローマ帝国やナポレオンなど欧州で数カ国を統合した覇者に対して使用されています。
その他インカ帝国など、本来その地区でどの様に呼ばれていたかはともかく、広い範囲を支配していたと欧米歴史家が判断した場合、王でなく皇帝が使われる様です。
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教皇とはローマ・カトリックの長で法王とも言います。



皇帝は地域によって様々な位置づけになりますが、西欧で皇帝といえば、
神聖ローマ帝国の皇帝と言うことになると思います。
諸国の国王より格上の称号であり、理念的には”王の王”といった存在です。
(実際にはほとんど実権のない名目的地位になってしまいましたが)

教皇は宗教界(聖界)の頂点で、皇帝は世俗の世界の頂点と言うことになると思います。
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