アンネの日記という本を読みました。
ホロコーストの嵐の中を懸命に生きようとしたアンネが、唯一自由でいられたのがこの日記という場所でした。
私は、どんなときもポジティブで自分の生き方を貫くアンネが大好きです。
皆さんはアンネについてどう思い、考えていらっしゃるのでしょうか?
教えていただけたら幸いです。

女性 / 男性

1.アンネの日記を何で知りましたか?  
  a.教科書  b.雑誌  c.映画  d.図書館(図書室)  e.絵本   f.その他(                         )

2.アンネの日記を読むことになったきっかけは何ですか?
  a.先生の薦め  b.親(家族)の薦め  c.書店で見つけた  d.学
校の宿題(教科書) 

3.何回くらい読みましたか?    (  )回

4.おもしろかったですか?

5.どのようにおもしろかったですか?
  a.外国の女の子の考え方をしることができたから
  b.差別問題にきょうみがあったから
  c.自分も日記を書いているから
  d.ドイツや西洋史に興味があるから
  e.ユダヤ人・ユダヤ教に興味があるから
  f.その他(                     )

6.どうしておもしろくなかったのですか?
  a.外国に興味がないから
  b.全体の雰囲気が暗いから
  c.良く分からなかったから
  d.西洋史に興味が無いから
  e.自分にあまり関係が無かったから
  f.その他(                     )

7.どこの部分が一番印象に残っていますか?

8.アンネの日記が自分に与えた影響があれば、どんな影響を与えられたのかまた、その理由を教えてください。

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A 回答 (1件)

私は20歳の女性です。

「アンネの日記」は15歳(中学3年)の時に読みました。

1.アンネの日記は、本屋さんで見つけました。

2.ある本屋さんで見つけた時に、手にとってみて後ろのあらすじを読んでみたところ、とても興味をもち、その場でレジに直行です。

3.一回です。

4.とってもおもしろかったです!夢中になって2日で読みきってしまいました。

5.ユダヤ人の迫害に興味があったのと、自分でも日記を書いているからです。私は、悲しい話が大好きです。どうしてかというと、悲しい話には必ず感動があり、私の心を揺り動かすからです。じーんとくる静かではかない感動、そういう感動が好きなんです。

7.今でも覚えているのは、やっぱりアンネたちの隠れ家が見つかってしまい、アンネがものすごく不衛生な収容所に送られてしまい、そこで病気に感染して死んでしまうというところです。あんなにやさしい心をもったアンネが死んでしまうなんて・・。
 あとは、隠れ家でいっしょに暮らしていた人たちが、アンネの家族に対して不平等な扱いをし、食事の時など、自分たちばっかりいいものを食べたり、自たちのほうだけ多めに盛ったりするなどの、そういう場面が印象に残っています。

8.どんなに自分が苦しい状況に追い詰められた時に、「きっと、世の中には今の自分なんかよりももっともっと苦しい思いをしていて、その中を必死で生きようと頑張っている人がいるはず、だから自分はこんなとこでやろうとしていることをあきらめたりしてはいけないんだ」、と強く思えるようになり、物事に挫折しないようになりました。
そのおかげで私は一年浪人したものの、やっと音楽大学にいくことができ(何度も何度もあきらめかけたんですけど、自分を信じました)、今はとても幸せな生活を送っています。アンネの日記を読み、自分が少し強くなりました。

 以上です!
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Qアンネの日記を破り捨てる理由

図書館回りをして、アンネの日記を破り捨て、歴史を正そうとしている勇者がいるようですが、アンネの日記も、敗戦国側のドイツを悪者にするために、戦勝国によって捏造されたものなのでしょうか?

Aベストアンサー

勇者ではなく立派な犯罪者です。
自己の主義・主張があったとしても、そういう方法でしか主張できないのは愚かです。
従って捏造という考えも出てきません。

Qアンネの日記の真偽論争。今更ですが

教えてください。
僕はアンネの日記を勿論本物だと信じ、読み終えました。
それは人生や幸せについて非常に考えさせてくれるものでした。
また、この本がきっかけでヨーロッパ旅も敢行しました。
しかし未だに、アンネの日記は偽物だ!と決めつけている人がいるようです。
確かスイス連邦裁判所(みたいな感じの機関)で、本物と証明されたんですよね?
なのに何故未だに偽物だと決めつける人がいるのでしょうか?
また、本物である!ことの決め手になったのはどういう物的証拠だったんでしょうか?

Aベストアンサー

日本のWikiには
<オットー・フランク(アンネの父)の死後、原本はオランダ国立戦時
資料研究所に寄付され、そこで科学的調査が行われた。その結果、原本に
使われている紙・インク・糊は当時のオランダで入手可能なものであり、
原本自体はアンネ自身によって書かれたものであると最終報告された。
また1990年、ハンブルク地方裁判所は原本の筆跡がアンネ本人のもの
であると結論づけた。>
とまとめられています。

ドイツ語のWikiと比べると、かなり不正確です。以下はドイツWikiからの
経時的なまとめです。

1)1947年に日記が出版(オランダ語)され1950年にドイツ語へ翻訳
 (英訳は1952年)されると、暫くしてその信憑性を疑う人々が出た。
2)1950年代後半にヨーロッパ諸国で、その様な主張宣伝を行う事を戦争
  犠牲者に対する冒涜・侮辱として禁止する法律が制定された。
3)1959年、それにも拘わらず日記を偽物と宣伝する北ドイツ・リューベックの
  教師 Lothar Stielauに対しオットー・フランクが最初の訴訟を起こした。
  被告は偽物との主張を撤回し、裁判は停止に。
4)しかし、偽物との主張はナチ信奉者の間で引き継がれて来た。
5)1976年、Heinz Rothの「アンネの日記―偽物」のビラを使った街宣活動に
  対し、オットー・フランクがフランクフルト地方裁判所に提訴。
6)1978年、裁判所から日記に使われた紙とインクの調査依頼を受けたドイツ
  連邦刑事庁(BKA)の 結論
 a) 紙とインク共に1950年以前の物で、1941~1944年に使用されたもの。
b)「本文用紙に差込まれたメモ用紙に黒、緑、青ボールペンによる書込みあり。
  使われたボールペンは1951年以降に作られたもの。」と云う4行の附記あり。
7)1979年7月Heinz Rothの上告は却下され、有罪が確定。
8) BAKの附記は偽物説の拠り所と成り、ドイツの高級紙Der Spiegelでも
  取上げられる。
9)1980年にオットー・フランクが亡くなり、その原本を譲り受けたオランダの
  オランダ戦争記録文書研究所(NIOD)が国立司法科学研究所に原本の文書記録
  技術的官邸と筆跡鑑定を依頼した。その結果、アンネ自身の手による物と
  断定された。
  国立司法科学研究所はBAKにも協力を依頼し、BAKは本紙では無く、差込
  メモ用紙に26ヶ所のボールペンを使った同一人物*による書込みを見出し、
  その殆どがオリジナル文書の綴りミスや文法ミスを訂正したもので、1文字や
  1単語に限定されていると断定。*後日、初期の調査作業を手伝った婦人による
  ものと判明。
10)2006年、相変わらず続く偽物主張に対し、BAKは1980年の科学技術的
  調査は日記が本物である事に何等の疑義を挿むものでは無い事を改めて
  公に言明。ネオナチによるアンネの日記焼却事件に関連して。

要約すると、本物との根拠は
1)ドイツ連邦刑事庁(BAK)による1978年の紙とインクの鑑定と1980年の
  再鑑定、
2) 1980年のオランダ国立司法科学研究所による文書記録的鑑定と筆跡鑑定、
3) ボールペン書込みに対する婦人Dorothea Ockelmannの証言
   (偽物説の拠り所への反証として)、
の3点でしょうか。

偽物説の拠り所はボールペン書き込み以外は、少女らしくない、でき過ぎている等の
客観性に欠けるものばかりです。

日本のWikiには
<オットー・フランク(アンネの父)の死後、原本はオランダ国立戦時
資料研究所に寄付され、そこで科学的調査が行われた。その結果、原本に
使われている紙・インク・糊は当時のオランダで入手可能なものであり、
原本自体はアンネ自身によって書かれたものであると最終報告された。
また1990年、ハンブルク地方裁判所は原本の筆跡がアンネ本人のもの
であると結論づけた。>
とまとめられています。

ドイツ語のWikiと比べると、かなり不正確です。以下はドイツWikiからの
経時的なまとめです。
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Qアンネの日記って最後どうなるの?。

 アンネの日記って最後どうなるんでしょうか?。
 ユダヤ人のアンネがドイツ兵の捜査から隠れる日々をつづった日記だと思うんですが、最後まで隠れきれたんですか?。

Aベストアンサー

本として出版されているものはアンネの「日記」に誰かが手を加えたものでしょう。arekoreさんのいう矛盾が生じてしまうのはそのせいだと思います。

アンネは結局ナチスに囚われてしまいます。
そして収容所に行き、水を飲めずに死んでしまったと
聞いています。

嘘でも何でも、こんなことは繰り返してはいけない、
ということでしょうね…

QF.シラーの「美と芸術の理論」より

イギリスの思想家ではなく、ゲーテの友人の方のシラーだと思うのですが、草薙正夫訳の文章からの出題についてお聞きします。なお、これらの既知の情報は得点に直接は影響しないとされています。下は出題の後半1/3程度の部分ですので、ここだけから判断するのは困難かもしれませんが、空欄『A』にふさわしい文章、およびこの文章の中心的主張として適切なものを選ぶポイントについて教えて下さい。

河はその方向に関して岸から命令を受けることを欲しないで、自己自らに従おうとする。換言すれば、あらゆる個々のものは自己意志を持とうとします。しかしもしすべてのものが、ただ自己自らのことだけ計るなら、全体の調和は一体どこにあるのでしょうか。それは、すべてのものが自己の自由をあらわそうとするために、他者が加えようとすると同じ制限を、内部目的から、自らに課すことによって発生します。前景にある一本の樹は、背景にある美しい部分を蔽い隠すかもしれない。しかしそうしないことを樹に強いることは、その自由を侵すことになり、したがって技巧の拙劣なこと暴露することになるでしょう。このような場合、賢明な芸術家ならどうするでしょうか。かれは、『 A 』。こうしてその樹は、単に自己自らに従うことによって、芸術家の意志を遂行します。

Aに入る文章として適切なもの選べ。
1 背景にある美しい部分を切り捨ててでも、その代償としてその樹の枝を自己自らに見事な対象として生き生きと描き出す
2 背景にある美しい部分を、ずっと地味で目立たないものにすることで、前景の樹の枝を際立たせるような構成を考える
3 背景を蔽おうとする樹の枝を、その樹自身の重さによって下に垂れさせて、背景に対して自発的に場所を与えさせる

文章の中心的主張としてふさわしいものの選べ。
1 個々のものの自由で自立的な存在の仕方が全体の調和を生み出していることこそ、美と呼べるものであるということ
2 すべてのものは、他の影響を受けず自己の自由を表す限りにおいて、美わしいと感じられるのだということ
3 全体の美わしい調和を生み出すためには、個々のものを犠牲にしないわけにはいかないということ

一問目は3、二問目は1が正解とされます。前者(一問目)は画家の動作を排し、木の自己の自由を侵さない内容が正解となるらしく、それはその通りですが、「樹自身の重さによって下に垂れさせる」のは画家の動作あるいは解釈であるように思われ、1の方がふさわしい選択肢のように思うのですが、どうでしょうか。後者(2問目)はこの文章部分のみからは判断しかねるかと思いますが、2ではなく1を選ぶポイントがあれば教えて下さい。

イギリスの思想家ではなく、ゲーテの友人の方のシラーだと思うのですが、草薙正夫訳の文章からの出題についてお聞きします。なお、これらの既知の情報は得点に直接は影響しないとされています。下は出題の後半1/3程度の部分ですので、ここだけから判断するのは困難かもしれませんが、空欄『A』にふさわしい文章、およびこの文章の中心的主張として適切なものを選ぶポイントについて教えて下さい。

河はその方向に関して岸から命令を受けることを欲しないで、自己自らに従おうとする。換言すれば、あらゆる...続きを読む

Aベストアンサー

この文章の問いは、
全体の調和(=美)と個々のものの自己意思はいかに両立するか
で、

その答えは、
個々のものの自己意思は自らに自発的に制限を課することによって表現される、
その制限は他者が加えようとする制限と同一である、
ということで、

その例が、
絵画(=調和=美)における樹(=個々のもの)と、背景(=他者)の関係:
樹がそれ自身の重さによって下に垂れる=自発的に自らに制限を課する
背景が樹に対して場所を主張する=他者が個々のものに制限を加える
→両者の制限が一致することで優れた絵画(調和=美)が生まれる
ということです。

そこでご質問については、
・例において画家の動作や解釈は問題にされていません。画の中で調和=美はどのように成立するかが問題にされているのです。
・全体と個々の調和=美がどのように成されるかについて、この文章の主張は1です。

Qアンネの日記は偽物?

 アンネの日記というのは全くの嘘で、誰かが勝手に書いた話なのでしょうか?
 といいますのは、だいぶ前に、アンネフランクの隠れ家になった博物館を訪問したことがあります。この時、実際、私が現地で購入したパンフレットには、この件で随分長く裁判があったようだと書いてありました。私の知り合いも似たことをいってるのを聞いたことがあります。
 どなたか、「アンネの日記は偽物!?」に関して詳しく知っておられる方、教えて頂けますか? もちろん、「偽物説の反対論」でも結構です。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんなページもあります。

偽物ではなく確かに彼女が書いたのですよ。ただ、#1さんのご指摘の通り出版に際して父親が削除した部分がありますけどね(あまりにも赤裸々な記述があったそうで→少女らしくない、という理由でです。しかし、それがアンネ・フランクが書かなかったという理屈にはなりませんね。)

尚、アンネ・フランクの死因は#2さんのご指摘の通りらしいです、ただし収容所内での感染による、ようですが。

#2さんのサイトも拝見しました、があの葉書の出どころの方が疑わしい気がします。日記の実物はオランダ政府が保管してますから、その気になればアンネの指紋などの照合が可能です。もちろん、我々一般人がどうこうできるレベルではありませんがね。
しかし、面白いのは1951年以前にはボールペンは無かった、1945年に死んだアンネがボールペンを使ったハズはない、と書いてありましたが、トンボのホームページによると「 実用的な物としての開発は、1943年にハンガリーで考案されたのが始まりです。翌年1944年にはエバーシャープ社(米)が特許を買い、内容を改良したものを発売しました。(油性ボールペンの歴史より抜粋)」との事です(笑)

#2さんも書いてますが、ネットの意見は一面だけ見てスグ判断するのは危険ですね。大抵は自分に都合の悪い事は書かないものですから、検証が大事です。

参考URL:http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/ohkoshitetsuji02.html

こんなページもあります。

偽物ではなく確かに彼女が書いたのですよ。ただ、#1さんのご指摘の通り出版に際して父親が削除した部分がありますけどね(あまりにも赤裸々な記述があったそうで→少女らしくない、という理由でです。しかし、それがアンネ・フランクが書かなかったという理屈にはなりませんね。)

尚、アンネ・フランクの死因は#2さんのご指摘の通りらしいです、ただし収容所内での感染による、ようですが。

#2さんのサイトも拝見しました、があの葉書の出どころの方が疑わしい気がします...続きを読む

Qしら露の色は.....

藤原敏行さんの
「しら露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ」
を、他の皆さんがどう感じてるのか知りたいので、
この詩の感想を教えていただきたいです。

Aベストアンサー

朝早く起きて(日の出前)、日の上がるまでの夜露の色を観察してごらん。
きれいな朝日が昇る放射冷却の多そうな天気を選んでね。

Qアンネの日記ってなんでここまで恨まれてるんですか?

アンネの日記ってなんでここまで恨まれてるんですか?

犯人はドイツ人しか考えられないですよね。日本人が反ナチスってまあいないですし・・・

Aベストアンサー

日本人のせいにしたい、在日韓国人のしわざだとされています。

どうでもいいですが、ユダヤを敵にしたら、IMFが黙ってませんよ。
誰か教えてあげて下さい。

Qコリオレーナスのあの台詞、「Chaste as the icicle....」

シェイクスピアの「コリオレーナス」の
たしか5幕に「Chaste as the icicle....」
日本語では「清く貞潔なること、純潔の雪から…」
という台詞があったと思います。

たしか、コリオレーナスの台詞だったと思うのですが、
一体、どういうシチュエーションで、誰に向かって
言っていた台詞でしょうか。

急にこれだけを思い出したものの、手元に本がなく、
検索してもでてきません;;
いい台詞なだけに気になって仕方がありません。
どうか、ご存知の方、教えてくださいませ!!

Aベストアンサー

すでに回答が出ていますが多少補足を。

五幕第三場、母親のヴォラムニアが「おまえは私の勇士、このようにりっぱに育てあげたのは私だった。このご婦人は知っておいでだろうね?」と妻を示したのに対して言ったコリオレーナスのセリフです。

小田島雄志訳では「三たび執政官に選ばれたパプリコラの妹御、ローマの名月、純白の雪を霜の力で凍てつかせ、処女神ダイアナの神殿にかけた氷柱にも似た純潔なご婦人――ヴァレーリア!」となっています。

母親がコリオレーナスに翻意を促す場面ですね。

Qアンネの日記損壊事件、犯人像

1)ネットでネトウヨを装い日韓分断を企む中国勢力。日本をナチスドイツに見せるための犯行。日本人が韓国人を、ナチスがユダヤ人を扱ったように扱った、という印象を与えたい。

2)ユダヤ人による自作自演。アンネの日記の宣伝のため。

3)日本人の中の変人による犯行。

4)その他

など考えられますが、最もあり得そうな犯人像はどんなものですか?最新情報なども教えて下さい。

Aベストアンサー

近年の状況を見ると1が濃厚ですね。ディスカウントジャパンのために予算を組んでいる国ですから、やりかねません。
ごく低い確率で3も有り得ると思います

Q若山牧水の酒は静かに....の歌について

「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」という歌の白玉とは何の事か教えて下さい。

Aベストアンサー

こんばんは!

牧水は『白玉』を,他の歌でも使用していますが,
その場合でも『真珠』として解釈使用してはいません.

明治40年,実家がある日向の東郷村坪谷に帰省します.
ところが父:立蔵が出稼ぎで宮崎県南部の海岸部にある,
南那珂郡都井村に出稼ぎに行った父を尋ね行っているが.
そのときの旅で眼前に広がる海の歌を読み,
その作品の中の二首で『白玉』を使用していますが,
その際,明確に『水・海水・水滴』として使用しています.
それが下記の二首です.

白つゆか玉かとも見よわだの原
          青きうへゆき人恋ふる身を
(注)ご存知のように『わだの原』は『海』のことです.

大うねり風にさからい青うゆく
           そのいただきの白玉の波

同旅での,他の作品を三首…掲載しておきます.
これで海(水)に関する作品とも理解されるでしょう.

潮光る南の夏の海走り
        日を仰げども愁い消やらず

わが涙いま自由(まま)なれや雲は照り
            潮ひかれる帆柱のかげ

日向の国都井の岬の青潮に
          入りゆく端に独り海見る

これを詠んでいる牧水が,
『白玉』を『真珠』と解釈して詠んでいないことは明確でしょう.
つまり私の解釈はこの旅で
『海』=『海水』=『波』=『白』+『玉』=『白玉』と変化し
その後の作品:「白玉の歯にしみとほる」で,
『白玉』=『水滴』=『お酒』と
『究極のお酒の表現』に深化したものとする
わたしの解釈に通じる,
新しい証左とも言えるのではないでしょうか.

つまり!明治43年の作品の

白玉の歯にしみとほる秋の夜の
          酒はしずかに飲むべかりけり

と言う,『究極の酒の表現』へと深化したと解釈されます.
もちろんこれは私だけの解釈です.

わたしの知る限りではあるが,
大悟法利雄氏も含む,今までの牧水研究者の多くの方々は,
『真珠』の解釈が当然のように通用していることも事実です.

ところが皆さんと違って(と認識),わたしが詠む場合には,
「白玉の」で心の中で一度区切るのです.
それから「歯にしみとほる秋の夜の…」と詠むのも,
他の方々との視点の違いによるのが原因かもしれません.

それに先に発表された先の二首を知らなかったら,
『白玉』を『真珠』と解釈するのも当然であると思います.

ただし先日投稿した後に,「主張を裏付ける作品はないか」と,
むかし購入した大悟法利雄(著)の若山牧水の歌を紹介した
「旅と酒と歌」と言う表題の書物を読み直しました.
そこにわたしの主張を裏付ける,先に紹介した二首があったのです.

これで「自分の解釈に問題はない」との確信と自信がもてました.

ちなみに大悟法利雄氏は,明治31年大分県に生まれ.
大正6年ころから作歌.大正11年より牧水宅で寄寓,
牧水門下として多年牧水の助手を勤められ,
「創作」「詩歌時代」などを編集.
その没後牧水研究を続けてきた人物です.

参考になれば幸いです.

こんばんは!

牧水は『白玉』を,他の歌でも使用していますが,
その場合でも『真珠』として解釈使用してはいません.

明治40年,実家がある日向の東郷村坪谷に帰省します.
ところが父:立蔵が出稼ぎで宮崎県南部の海岸部にある,
南那珂郡都井村に出稼ぎに行った父を尋ね行っているが.
そのときの旅で眼前に広がる海の歌を読み,
その作品の中の二首で『白玉』を使用していますが,
その際,明確に『水・海水・水滴』として使用しています.
それが下記の二首です.

白つゆか玉かとも見よわだ...続きを読む


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