いままでの自分の考え方が変わった本 (02-01-17)
の御質問に興味があって見てみました。難しそうですね。
私は、読みやすい本を質問させて戴きます。
小・中・高校の教科書に載っていた思い出深い作品を教えて下さい。
学校や塾の国語の試験・テストに載っていた作品でも構いません。

私は、少年の日の思い出、蝿、車掌の本分、が、思い出深いです。
少年の頃の気持ちを思い出したい、今日此の頃です。

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A 回答 (2件)

こんにちは。

国語は好きでも文学少女にはなれなかったgazeruと申します。
それでは、学生時代を懐かしみつつ・・・。

中島敦の「山月記」
流れるような文だなあって思いながら、家で音読したりしてました。
そのあと、中島敦の他の作品も読みたくなって、文庫本を探して購入しました。
思えば、教科書に載っていた作品の作者の本を、わざわざ探してまで購入したのは、あとにも先にも、中島敦だけかもしれません。


太宰治の「畜犬伝」
わたし、子どもの時に犬に噛まれて以来、小型犬ですら、3m以内には近づけません。
確か、この話は、授業ではやらなかった箇所なんですが、目次を見て気になって、他の単元をやっている最中、こっそりと、主人公の気持ちにややシンクロしつつ読んだ覚えがあります。
太宰作品の中では知名度低いのかもしれませんが、わたしにとっては、太宰といったら、これです。
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この回答へのお礼

御答え有難う御座います。誰も答えてくれないかと思いました~。よかった~。山月記、面白そうですね。読んでみます。畜犬伝は聞いたことありません。これも面白そうですね。山月記は、必ず読んでみますね。有難う御座います!!

お礼日時:2002/01/19 18:09

高校時代の教科書に載っていた作品ですが、辺見 庸先生の「もの食う人びと」の中の「地上ゼロセンチ・・・」が思い出深いです。

ちょっと題名を忘れてしまったのですが、第一章目だったと思います。文庫化されてます。旅行記なのですが、中々すさまじい内容です。他にはやっぱり夏目漱石先生の「こころ」とか。「山月記」は私も教科書で読みました。漢文が難しくてテストで苦労した覚えがあります。でも作品自体は好きです。
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この回答へのお礼

こころ は良いですね~。草枕も好きです。井伏鱒二の山椒魚。森鴎外の高瀬舟も良かったですよね。もの食う人びと は題名は聞いたことがあります。読んでみます。084さん、御答え有難う御座います。

お礼日時:2002/01/21 12:23

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Q夏目漱石を読むなら・・・

夏目漱石を読んで文章能力を上げたいのですが、
文章表現が上がりそうな夏目漱石の小説は何でしょうか?

Aベストアンサー

物語構成としては「それから」「坊ちゃん」
修辞学的には「草枕」「それから」
文章練習には「文鳥」

まったくの個人意見です。

Q新聞に載っていた作品の著者・タイトルを教えてください

最近(今月中です)朝日新聞に記事が掲載された作品なのですが、何となく心に残って、読みたいと思った時には古紙回収に出してしまっていて・・・。著者・タイトルがわかる方、教えてください。
幼い娘さんを亡くしてしまった著者の実体験をつづったもので、最後は「自分の子供」が「人類の子供」(←このあたり、あいまいです。自分だけのものではなくなる、ということが書いてあったと思います)であるという考えにたどりつくというストーリーでした。著者は文学の世界では著名な方のようでした。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「朝日新聞社の書評サイト」があります。お探しのものがあるかどうかは不明ですが・・・

 http://book.asahi.com/

 『幼い娘さんを亡くしてしまった著者』に該当しそうなのは「書評 一覧」にある「永遠の子ども [著]フィリップ・フォレスト」(掲載 2005年03月20日)でしょうか。

 http://book.asahi.com/review/TKY200503220181.html

参考URL:http://book.asahi.com/, http://book.asahi.com/review/TKY200503220181.html

Q夏目漱石の千円札

千円札が夏目漱石から野口英世に代わりましたが、
何年経っても夏目漱石の千円札は使えるのですか??

Aベストアンサー

もし10年経っても存在してたらつかえます
PS日曜日にここ最近お目にかからない2千円札を、見ました

Q横光利一の「蝿」

横光利一の作品「蝿」の中で「種蓮華を叩く音」という表現が出てきます。
それは野草のレンゲなのでしょうか?レンゲは叩くものなのでしょうか?
そして音がするものなのでしょうか。手がかりがなくて困っています。
もしかするとレンゲの種は叩いて落とすものなのかもしれませんが・・・。
教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

(補足)

す‐の‐み【蓮の実】
ハスに結ぶ実。未熟のものは軟らかで甘味があり、生食に適する。また、乾燥して菓子の材料にする。



はす【×蓮】ワ
《「はちす」の音変化》スイレン科の水生の多年草。根茎は節が多く、晩秋に末端部が肥厚し、蓮根(れんこん)といい、食用。葉は円形で長い柄をもち水上に出る。夏、水上に花茎を伸ばし、紅・淡紅・白色などの大きな花を開く。花のあと、花托(かたく)が肥大して逆円錐状になり、ハチの巣のような穴の中に種子ができ、食用。インドの原産で、古く中国から渡来し、池・沼などに栽培される。蓮華(れんげ)。

Q★夏目漱石 草枕について★

★夏目漱石 草枕について★

最近夏目漱石の著書を読むことにはまっていて
その中のひとつ、「草枕」について
疑問がわきました。
人の世が住みにくいことをうたっていますが
なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。
例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。
分かりやすい解説・意見お願いいたします。

Aベストアンサー

漱石の一愛読者です。

>なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。
>例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。

小説中に小説家が登場したり、主人公が小説家(芸術家)だったりする小説が一般化したのは、もう少し後の時代になってからでして、「草枕」などはその先駆と評し得るかもしれませんね。
明治期では谷崎潤一郎の「刺青」の刺青師、大正期になると芥川龍之介の「地獄変」の絵師、「戯作三昧」の馬琴などが比較的有名な例かと思います。
昭和になると、中島敦、太宰治、三島由紀夫等がわりと好んで小説家(詩人、芸術家等)を登場させたがったと言えるかもしれません。

こうして並べてみると、いずれも素直な?ひねくれ者ばかりというのが面白いですよね。
思うに、より古い小説家たちほど、もっぱら「何を書くのか?」に興味・関心を示したがったとすれば、より新しい小説家たちほど、本当に大切なのは《何を》ではなく、「《なぜ》書くのか?」という、実に厄介な、しかしより根本的な難問と向き合わざるを得なくなったのではないでしょうか。
こうした事情については、西洋でも同じでして、フロベール以降20世紀初頭にかけ、小説家を主人公にした小説が多く輩出されるようになりました。

以上を踏まえた上で「主人公を”画家”に設定した」理由について考えてみますと、美が「人情」と「非人情」との中間にしか存し得ない以上、漱石としては、あくまでも那美さんとの間に常に適切な距離を挟み、ひたすら那美さんを眺めることに徹する視点(観察主体)を設定する必要があったはずです。

その際、対象との関係という点では、特に美人の那美さんが相手となると、「人情」(色恋)に溺れがちな「作家」よりも、職業上「非人情」に徹しやすい「画工」の方が対象をより沈着冷静に観察、凝視させやすいと考えたのではないでしょうか。

漱石の一愛読者です。

>なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。
>例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。

小説中に小説家が登場したり、主人公が小説家(芸術家)だったりする小説が一般化したのは、もう少し後の時代になってからでして、「草枕」などはその先駆と評し得るかもしれませんね。
明治期では谷崎潤一郎の「刺青」の刺青師、大正期になると芥川龍之介の「地獄変」の絵師、「戯作三昧」の馬琴などが比較的有名な例かと思います。
昭和になると、中島敦、太宰治、...続きを読む

Q芥川龍之介の作品の素になっている作品

芥川龍之介がどのようにして古典文学からモチーフを得て芥川文学を作り上げていったのかを調べたいのですが、参考文献やモチーフになっている作品を教えて下さい。

Aベストアンサー

 
芥川龍之介は、作品モチーフとして、「今昔物語」を援用しました。しかし、意外に知られていないのは、その文体や、短編小説構成の技術が、フランス文学の影響を受けているということです。

とりわけ、アナトール・フランスというフランスの作家の影響を彼は受けており、自分でも、フランスの作品を、参考URLにあるように翻訳しています。

対照表がないので、はっきりとは言えないのですが、アナトール・フランスの作品が書かれると、それに少し遅れて、類似したスタイルの芥川の作品が書かれているという指摘があります。芥川の「侏儒の言葉」は、アナトール・フランスのエッセイ集「エピクロスの苑」と類似しており、アナトール・フランスのエッセイ集をベースにして書いたものだとされます。

芥川が、フランスの当時最新の文学に通じていて、その動向を意識していたのは、確か、「ある阿呆の一生」のなかにも、それを示唆する言葉が出てきます。

芥川の文体は独特であり、合理的で、日本語として少し奇妙なところがあるのですが、これは多分、フランス文学の影響です。「河童」なども、アナトール・フランスの作品のどれかに、または複数の作品に、そのスタイルの元があります。

参考2は、Google で、「芥川龍之介 河童 アナトール ローデンバック」で検索すると出てきます。htmlヴァージョンがありますから、この最初の部分を見ると、フランス文学が、芥川の作品にどれだけ影響を与えたかの説明が短いですがあります。(参考2は、横に長くなるのを防ぐため、途中で切っています。つなぐと完全なURLになります)。

>参考1:図書カード
>http://www.aozora.gr.jp/cards/anatolefrance/BALT.html

>参考2:[PDF]文学の水脈‐‐‐‐‐‐‐ローデンバックと ...
>http://www.google.co.jp/search?q=cache:qPBSgXFzkVUC:www.copymart.gr.jp/publish/user
/pdf/026.pdf+%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B%E3%80%80%E6%B2%B3%E7%
AB%A5%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%95%E3
%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja

>参考3:Google 検索エンジン
>http://www.google.com/
 

参考URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/anatolefrance/BALT.html,http://www.google.com/

 
芥川龍之介は、作品モチーフとして、「今昔物語」を援用しました。しかし、意外に知られていないのは、その文体や、短編小説構成の技術が、フランス文学の影響を受けているということです。

とりわけ、アナトール・フランスというフランスの作家の影響を彼は受けており、自分でも、フランスの作品を、参考URLにあるように翻訳しています。

対照表がないので、はっきりとは言えないのですが、アナトール・フランスの作品が書かれると、それに少し遅れて、類似したスタイルの芥川の作品が書かれている...続きを読む

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q作品に個性がない。似たような作品に

文章力を高めるため、また趣味で小説を書こうと思います。

ですがいざ書いていると、自分が昔見た(読んだ)ことのある作品の印象に残った部分と似たようなものしかできず悩んでいます。
なんとか何作か書けたので友人に読んでもらうと「個性がない」と言われました。

個性に関しては、書いて書いて自分の世界を見つけていくしかないかな、と思っています。
ですが、書くたびに上記で書いたように自分の好きな作家の作品や印象に残った部分と似たようなものができてしまいます。
どうすればいいでしょうか。
アドバイスお願いします。

Aベストアンサー

「個性がない」と言われたとのことですが、どういう点を指しているのでしょうか。

・登場人物が類型的
・作品のアイデアやストーリーがありきたり
・文体が他の作家のそれに似通っている

といったようなことが考えられるかもしれませんし、ほかにもさまざまな要素があるのかもしれません。
自作についての問題点を分析的に捉えることによって、改善していくことが出来るのではないでしょうか。

Q漱石全集と夏目漱石全集

「漱石全集」が岩波から、「夏目漱石全集」がちくまから出版されていますが、どう違うのでしょうか?
文庫本で小説は全部楽しく拝読いたしました。
興味が出てきて、漱石日記、私の個人主義を(これも文庫本)読んでいます。
今は、夏目漱石の価値観や思想観などちょっとしたことでも、もっともっと知りたい気持ちでいっぱいです。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの(第1巻が1993年)か、ひとつ前のもの(第1巻が1984年)がいいと思います。

 それからですね、
 集英社『漱石文学全集』の別巻『漱石研究年表』は、漱石の行動を、一日単位で年表にしたすごい本です。
 また、
 ほるぷ『初版本漱石文学館』は、初版本を、装丁まで忠実に復元したものです。
 また、漱石の小説は、ほとんど朝日新聞に掲載されたんですが、当時の新聞を、挿絵ごと、そのまま写真版で復元したものもあります。ゆまに書房『漱石新聞小説復刻全集』です。

 漱石のひととなりを知るには、『書簡』がお勧めです。漱石は書簡の名手で、素晴らしい手紙を数多く残しています。岩波文庫の、抜粋の『漱石書簡集』から入ってみてもいいかもしれません。

 漱石の全集は、たくさん出ていて、その歴史は、日本の全集の歴史を象徴してるといわれているんです。これを書くのに、青英舎『漱石全集物語』を参考にしましたが、そんな本が出るほどなんです。

 復刻版は、かなり大きな図書館でないとないかもしれません。最初は、岩波版『漱石全集』か、岩波文庫の漱石作品がいいと思います。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの...続きを読む

Qある文学作品の作品名を探しています。

以前ここで同じ質問をさせていただいたのですが、その時は判明しませんでしたので、もう一度同じ質問をさせていただきます。

ある文学作品の作品名を探しています。

多分、作者は森鴎外だと思うのですが、はっきりしません。
文章は口語文でした。

読んだのは関西大学の入試問題を解いていた時でした、
ストーリーとしては、
「主人公が富士山(これもあやふや)に登り、山頂に登りきれず7~8合目の山小屋から日の出を見る」
というシーンがありました。

そこの日の出を見る場面の文章が非常に心に残っており、どうしてももう一度読みたいです。

どなたかご存知の方は宜しくお願いします。
また、確証は無くとも上記のようなシーンのある近代日本文学小説をご存知でしたらお知らせ下さい。

Aベストアンサー

日の出の描写が有名な文学作品ということなら(条件はかなり違いますが)
志賀直哉の『暗夜行路』かも。

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/1781/yamanavi/daisen/index.html

の中程に、その部分の文章があります。


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