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お寺に南大門ってありますけど、他の方角の門はないのでしょうか? 
南に限って門を作る理由があるのですか?

A 回答 (2件)

君子南面といいまして、これは仏教と一緒に中国から入ってきた考え方ですが、王様は北を背にして南を向いているものだとされています。

だから南が正面にあるわけです。平城京や平安京もその影響でできています。寺院を建てるときにもその影響がありまして、仏様は南を向いておられます。南が正面になりますので、南大門ということになります。

時代が移りますと山際や山の中にお寺が建てられたり、浄土思想で西向きに拝むようなお寺がでてきますので、南大門は少なくなってゆきます。京都の知恩院は大きな門が西にありますし、東西本願寺は東向きにあります。

では東大門がないかというと奈良の法隆寺にはあります。ちなみに国宝建築物です。南大門ほど大きくはありませんが。
東大寺にはかつて西大門があったそうです。大きな額が残っています。東大寺は平城京の東端の山際に立てられたお寺なので、西の大門も大いに利用されたようです。
でも北大門は聞いたことありません。北に門がないというわけではないのですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
流行の考えた方に伴って、門の流行があったんですね。
おもしろいです。
北大門はあるのかなぁ~

お礼日時:2006/03/12 16:29

昔、回りを城壁で囲まれその中に城と城下町をつくったときなども、南側に大きな門をつくる形のようですね。



古くは聖徳太子の時代に大陸から入ったといわれる風水の影響で、北側に核となる山や居城を置き、東西は小高い山脈や丘陵で防備を固め、南側には生活廃水が海に出て行くための川の出口として、広く間口を広げるような形が理想とされていました。
太古はそのような形状の自然な地形の土地を探したりしていましたが、時代が上がると人間の手で城壁をつくり、街を人工的に風水に添った城市をつくったりした名残りだと思います。
聖徳太子の時代の蘇我氏は大陸仏教を日本で推進するために、大陸から職人などを呼んで大きな寺を建てていましたが、そのときから風水に添った造りをしていたりまわりを城壁で囲んだりしていたのかもしれません。

現在でも敷地が大きい寺院では、周囲を囲む長い壁をもつケースがあり、東西にも北にも門はあったりしますが、大っぴらに開け放すほど大きい門ではないことがほとんどで、南側の門が主として開放されているケースが多いようです。


寺町に由来した土地の名前として南大門というのがありますが、東大門など他の方角の門の名称が残る土地もあります。
韓国もそうですね。


私が不思議なのは、全方角(例えば東大門・西大門・南大門・北大門)の名称がすべてその土地に揃っている例が少ないことです。
大きな視野でみても、例えば中国の北京・南京に対して日本の東京がありますが、西京というのがないことです。
西安(昔の長安)が西京にあたるのですが、そうは呼ばなかったようです。

これは西欧でも似たような現象が見受けられ、
East borough (イースト・ボロー boroughとは区画や自治体のことで、東区とかそんな感じ )
North borough (ノース・ボロー)
South borough (サウス・ボロー)
はあるのに、

West borough (ウエスト・ボロー)がないケースなどが見受けられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
風水の影響ですか・・・ おもしろいです。
他の国との比較もとても興味深いですね。

お礼日時:2006/03/06 09:42

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