
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
明治政府になるまでは、仏教と神道をいっしょに祀る、
神仏習合・神仏混淆はあたりまえで、普通の習慣でした。
大きな神社には、神宮寺が付属していましたし、
お寺には、鎮守様が祀られていました。
ところが、明治政府になり、天皇の宗教=神道を国教としようとし、
神社から仏教色を払拭する、廃仏毀釈がおこなわれました。
そのおかげで、たくさんの貴重な仏教文化財を失う結果にもなったのです。
しかし、地域によっては、激しい運動になった所もありますし、
反対に、古い文化を何とか残そうとした人たちもいました。
建物を神社建築に偽装したり、うその申告をして取り壊しを免れた
神社内の仏教建築は各地に残っています。
多分、その鐘突き堂も、そのような建物ではないかと推測できます。
先人が苦労をして(時には命をかけて)残した遺物であれば、
大切に守っていかねばなりませんね。

No.5
- 回答日時:
アフガンで、仏像が、破壊されましたね。
あれと同じようなことが、明治に時代に
おきていたのです。
よかったですね。鐘楼が残っていて
フェロノサに感謝してください。日本のお寺を、救った人です。
お寺を、文化財にして、外国に売られるの食い止めたのです。
つまり、文化財保護法 国宝ともいいます。
京都は、今はすばらしいが、明治になったとき
すべて、荒れ寺になったのです。
生活のために、仏像 建物が売りに出されたのです。
天皇が、神様なので神社だけが、崇拝されたのです。
神仏分離になったのです。
No.3
- 回答日時:
神仏混合のお寺には鐘突き堂があり、神社の境内に仏像を安置して、神仏混合時代の形式を残しているところも有ります。
神仏混合については、参考urlをご覧ください。
参考URL:http://www.mirai.ne.jp/~makotom/report1.htm
No.2
- 回答日時:
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