古代ローマ人の識字率とはどのような水準にあったかが知りたいです。お願いします。

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A 回答 (2件)

明確な回答になってなくて申し訳ないのですが、ヒントとしては支配階級の人口を調べるとある程度推測できた筈です。


現在そのようなデータを調べる術が思いつかないのですが、インテリの比率が判ればある程度判ると思います。

*小説「クオ・ヴァディス」のどこかに凡その数字があった気がするのです、、、3万人とか、30万人とか?

http://www.jipdec.or.jp/chosa/hakusho2001/soron- …
 コミュニケーション感覚の変化
ローマ時代になると征服した国々の書物がローマに集まり,書物を読む層はやや広がりをみせるが,
基本的には聖職者や貴族に限られていた。すなわち,彼らが,ローマにおける知識の保有者だったのである。
また,ギリシア文明の影響で,教養に満ちた書物を読むことが支配階級に広まった。
エリート貴族達は,邸内に書庫を設け蔵書を増やした。さらにこの時代にはギリシア語に代わり[ラテン語]の書物が作られ始める。
そして何より大きな進展は,紀元1世紀頃にそれまでのパピルスを原材料とする巻子本から,羊皮紙などを用いた冊子本に
書物の形状が変化したことである。冊子本は巻子本に比べて製作時間が短縮でき,かつ表裏に文字を記すことができるため,
原材料も少なくて済み,安価に書物が製作できるようになったのである。
その結果,ローマ時代に書物を読む人は相当増えたと思われる。

しかし,ここで注意したいのは,「読む」という行為が現代のわれわれが認識している「読む」行為と同じではなく,
声を出して,そして書物の内容によっては身ぶり手ぶりを加えて文字を読んだということである。
読書は,健康に役立つ運動の一種であるとも記されているほどである。
ローマ時代には,書物に記される内容も歴史や哲学,宗教的な内容だけではなく,詩や劇作など広がりを見せている。
ただ,この後順調に読書の習慣は普及していくのかというとそうでもない。
3~5世紀頃,社会全体でみると識字率が低下したといわれている。
その明確な原因はいまだ解明されていないが,一説には識字率の増加を上回って人口が増加したためではないかともいわれている。
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この回答へのお礼

ありがとうございますm(__)m
細かに丁寧にそしてEivisさんの考えも書いてくれてて、わかりやすかったです
とても参考になりました。ありがとうございます。こんなにたくさんかいてくれるとはおもってなくって感激でございます。

お礼日時:2002/01/21 01:08

古代ローマ社会においては文字の読み書きが出来る人間など1~2%程度でしかなかったと考えるのが妥当でしょう。



という文が下記のHPののっていました。
自分の意見ではないので悪いですが、よければ参考にしてください。

http://antaios.hoops.ne.jp/history.htm
「第三回講座:反ユダヤ主義の起源と理由」の言語のところにのっています。

参考URL:http://antaios.hoops.ne.jp/history.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考URLをみてみたら他に気になって探していた古代ローマ宗教ことに関連するものもあって、さらに、たすかっちゃいました。おかげで、明日・・今日か・・・レポートが提出できそうです。笑・・・・・(せっぱつまりすぎだし・・・)

お礼日時:2002/01/21 02:47

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阿部寛が古代ローマ人を演じている映画「テルマエ・ロマエ」が、
イタリア全土で公開されるそうですが、
阿部寛は、イタリア人から見て、古代ローマ人として認められるのでしょうか。

Aベストアンサー

顔、濃いですしね。
少なくとも多くのイタリア人がイメージする日本人の顔より
かなり濃くて、思ったより違和感は少ないかも。

また、現代のイタリア人も「古代ローマ人」を直に見た事はないので、
私たちが江戸時代の時代劇を見る時に敢えて指摘しない
「その時代そんな顔じゃないでしょ」の類はスルーなのでは。

コメディという事で、イタリア人には受け入れられ易かったのかも。
外国映画で日本のシリアスな過去を間違って捉えてあると微妙ですが、
忍者モノとかで完全なコメディに徹してたら楽しそう。

まぁ、イタリア映画界と一般市民が大らかなのかも知れません。

Q古代ローマで

有名な娼婦だった、という『ルクレティア(ルクツィア?)』よいう女性について詳しい方居ませんか?もしくは彼女の資料・史料がありましたら、教えてください。お願い致します。

Aベストアンサー

 
  古代ローマでルクレティアというと、歴史に名高い貞淑な妻のルクレティアです。娼婦のルクレティアというのは、聞いたことがないのですが、ルクレティアという名自体は、かなり一般的な名とも言えますから、そういう名の有名な娼婦がいたかも知れません。
 
  西欧の絵画で、貞女ルクレティアが、強姦されそうになって、みずから短剣を胸に向け、相手を牽制している絵がよくありますが、このモチーフの絵は、或る程度ポルノグラフィックな目的もあって描かれたもので、そこから、ルクレティアを娼婦と混同されているのではないでしょうか?
 
  ローマで有名な娼婦というと、ティベリウス帝の愛妾であったフローラで、彼女は死後、神に祭られ、彼女を記念してフローラーリア祭(別名ウェヌス祭)が始まり、「ヴィナス祭の宵歌」という有名な歌が残っています。あと、皇妃メッサリーナとか、ネロの愛妾ポッペアなども有名ですが、ルクレティアというと、共和制ローマ創始の伝説の貞女のはずです。
 

参考URL:http://cwaweb.bai.ne.jp/~dsssm/spqr01.htm

 
  古代ローマでルクレティアというと、歴史に名高い貞淑な妻のルクレティアです。娼婦のルクレティアというのは、聞いたことがないのですが、ルクレティアという名自体は、かなり一般的な名とも言えますから、そういう名の有名な娼婦がいたかも知れません。
 
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Qコインのデザイン。古代ローマと中国との違い。

古代ローマのコインには皇帝の肖像が刻まれていますが、同時代の中国の貨幣は、金額と発行年だけだと思います。
これが文化の違いだと何かの本で読みました。
古代ローマでは、皇帝の肖像を彫り込む必然性があったのでしょうか。
中国では、コインに皇帝の姿を出すなんてことは畏れ多いことだったのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

古代ローマの皇帝=エンペラーと中国皇帝はその成り立ちがまったく違います。

古代ローマのエンペラーは共和制時代の非常指揮権・護民官特権・祭司長特権を一人の人間に与える、という民主主義的な制度を活用(援用)した制度であり、エンペラーが実質世襲になった後も市民投票などの民主的な制度は一応機能していました。ですので「誰がいま統治者か」とうのはとても重要で、世襲といえども一応市民の了承を得る手続きが為されており、現代のアメリカ大統領のように、市民の代表としての統治者の意味合いが強かったのです。
また、共和制時代もコインが作られており、そのコインは神々(この時代のローマは多神教)が彫られていたのですが、ユリウス・カエサルの登場する時代になると、スッラやポンペイウスなど実質的に権力を掌握した個人のコインが登場し、その後エンペラーのコインにつながっていきます。ローマ帝国(その頃はエンペラーが監督する帝国)のコインは近隣諸国でも流通していましたので、今誰が統治者か、ということを知らせる意味もありました。そして帝国内で起こったすべてはエンペラーの責任に帰せられたのです。

それに対して中国皇帝は、冊封体制で近隣諸国の王よりも一段高い地位にいるといっても、制度上は王族であり、世襲で交代するものでした。また皇帝の下にある政府・役人も貴族と科挙で登用された役人が切りもりした、巨大な官僚組織が国の運営実態でした。そのため、責任は役人のところで処理され、世襲の皇帝には及ばなかったのです。
このため、古代ローマと違い「個人」が出てくることが無かったといえます。

また東洋には、忌み名の風習があるように、個人が特定されると、呪術で呪うことが出来る、という考え方もありましたので、皇帝の顔を描くのはむしろタブーだったのではないでしょうか。

ローマは民主的な制度の積み重ね(と飛躍)で個人に責を帰す制度をつくり、中国は個人の責に帰さないように官僚制度を作り上げたのが一番の違いだと思います。

古代ローマの皇帝=エンペラーと中国皇帝はその成り立ちがまったく違います。

古代ローマのエンペラーは共和制時代の非常指揮権・護民官特権・祭司長特権を一人の人間に与える、という民主主義的な制度を活用(援用)した制度であり、エンペラーが実質世襲になった後も市民投票などの民主的な制度は一応機能していました。ですので「誰がいま統治者か」とうのはとても重要で、世襲といえども一応市民の了承を得る手続きが為されており、現代のアメリカ大統領のように、市民の代表としての統治者の意味合いが強...続きを読む

Q古代ローマ・アピキウスのレシピについて

先日、古代ローマのアピキウスという美食家が残したレシピ集の翻訳本を買い、読みました。
「ガルム」や「シルフィウム」といった、レシピの中でも頻出するけれど、現在ではもう廃れてしまった調味料に関しては注釈が載っていたのですが、同様に頻出する材料に「脳」という材料があります(何の動物の脳か、注釈はありませんでした)。
古代ローマではどういった動物の脳をよく食べていたのでしょうか?
気になるので、ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

脳を食べるというと日本では奇妙な感じがしますが、例のプリオン病問題の前はイタリア料理やフランス料理の店で羊の脳のソテーは普通に出されていました。今のレストランでは見た目も似ているタラの白子を代用にしているみたいですが。

1980年代の米国で出版された家庭向けの料理書(専門書ではなく地下鉄駅の売店で6ドルいくらかで売られているペーパーバック)にもブタやヒツジ、子牛の脳の調理法が書かれています。

アピキウスのレシピのラテン語原文では「脳」がcerebrumではなくてcerebellumとなっています。現代の医学ラテン語ではcerebellumは「小脳」なのですが、アピキウスでは「小さな脳」「小ぶりの大脳」です。多くのレシピで複数形のcerebellaとなっていますから一皿の料理に数頭分の脳が必要となる大きさのものです。この点からも羊、豚、子牛などが考えられます。

またプリニウスの「博物誌」には小児に歯が生える際の痛みには羊の脳が効くと記録されています。こうした記述からも家畜の脳はごく普通に食材として入手できたと考えるのが自然です。

もっとも、プリニウスにはフクロウの子の脳の薬効についても書かれていますが… 確かに珍しい鳥の脳への信仰の様なものは古代ローマにはありました。

でも珍しい生き物の脳なら原典にも注釈にもそれなりの記述がされているはずです。翻訳本に注釈が無いのは「現代」はともかく、翻訳者が参考にした注釈書が書かれた時代の西欧での常識とそれほどかけ離れていないと解釈できます。今の日本で料理の本に「レバー」とあれば牛か豚の肝臓なのと同じことです。

脳を食べるというと日本では奇妙な感じがしますが、例のプリオン病問題の前はイタリア料理やフランス料理の店で羊の脳のソテーは普通に出されていました。今のレストランでは見た目も似ているタラの白子を代用にしているみたいですが。

1980年代の米国で出版された家庭向けの料理書(専門書ではなく地下鉄駅の売店で6ドルいくらかで売られているペーパーバック)にもブタやヒツジ、子牛の脳の調理法が書かれています。

アピキウスのレシピのラテン語原文では「脳」がcerebrumではなくてcerebellumとなって...続きを読む

Q古代ギリシャ時代の宗教と古代ローマ時代の時代の相違点を教えてください 大学レポートで6枚書きなさいと

古代ギリシャ時代の宗教と古代ローマ時代の時代の相違点を教えてください
大学レポートで6枚書きなさいとのこと、如何書いてけば良いでか?

Aベストアンサー

「古代ローマ時代の時代」の定義によっては、ギリシャ神話に代表される多神教とキリスト教受容での一神教との違いを示せば簡単に収まる話です。
6枚(約1万字)程度ならギリシャ神話でのアテネを中心とする代表的な神々とそれを祀る神殿などを列挙し多神教であった結論付け、古代ローマ時代についてはキリスト教受容されるまでの歴史を概略し、4世紀後半のテオドシウス帝の頃には古代ローマは多神教から一神教になったとすればいいじゃありませんか。古代ローマの多神教についてはギリシャ神話からの模倣などとの解説がありますが不解明な部分があるでしょうから深入りをしない方がレポートでは簡単です。
短論文ならギリシャ神話とローマ神話との比較及びその代表的神殿遺跡の建立時期やピークまでは触る必要があるのではないでしょうか。

Q古代ローマの凱旋について

海外で留学で、高校の古代史(Ancient history)の授業で先日、ローマの凱旋(triumphs)について習ったのですが、語学力のせいもあってか先生の話や本だけではわからない所がありました。
ローマの、凱旋、特にコンスタンティヌスのものについて、いくつか質問があるので詳しい方解答お願いします。

『1』 凱旋はいつ行なわれるのか。
というのも、例えばコンスタンティヌスの場合だと312年にミルヴィオ橋でマクセンティウスに打ち勝ち凱旋し、315年にコロッセウム近くにあるコンスタンティヌスの凱旋門が作られたとなっていますが、ミルヴィオ橋は遠くないためすぐローマ市内に凱旋(帰国という意味で)できたのでは・・・
凱旋のスタートポイントは凱旋門だと聞いたのですが、この場合はどうなんでしょうか。凱旋式が起こなわれた年を調べようとしたのですが調べ不足なのかわかり
ませんでした。凱旋式は315年以後に行なわれたのでしょうか、それともスタートポイントが違うのでしょうか。
『2』 凱旋のルート
上にも書いたのですが、凱旋のルートが良くわかりません。
ルートは凱旋門→フォロ・ロマーノ→ユピテル神殿と聞いたのですが、どの道を通っていったのでしょうか? コンスタンティヌスの凱旋門をスタートポイントにするなら直線でフォロ・ロマーノへ向かうとティトゥスの凱旋門にあたると思うのですが、直線ではなく他の道だったのでしょうか?それとも2つ凱旋門をくぐったのでしょうか?
『3』 コンスタンティヌスはユピテル神殿に行ったのか。
コンスタンティヌスは凱旋は行なったが神殿には行かなかったとネットの記事に載っていたんですが、どうなんでしょうか? 他の皇帝と同じように行という記事もあったのですが、どちらなんでしょうか・・・

海外で留学で、高校の古代史(Ancient history)の授業で先日、ローマの凱旋(triumphs)について習ったのですが、語学力のせいもあってか先生の話や本だけではわからない所がありました。
ローマの、凱旋、特にコンスタンティヌスのものについて、いくつか質問があるので詳しい方解答お願いします。

『1』 凱旋はいつ行なわれるのか。
というのも、例えばコンスタンティヌスの場合だと312年にミルヴィオ橋でマクセンティウスに打ち勝ち凱旋し、315年にコロッセウム近くにあるコンスタンティヌスの凱旋門が...続きを読む

Aベストアンサー

ローマ時代の凱旋の行事と凱旋門とは時間的にも異なり凱旋は戦いに勝利しローマに帰還した時に行われる儀式です。
凱旋門はそれを記念する為に建設されるので、かなり後日になります。

もし凱旋門がスタートポイントとするなら凱旋門の建設竣工まで待って行うことになります。
その場合は凱旋門竣工式ということになるでしょう。
今日残っている凱旋門はいずれも芸術的に優れた彫刻や構造で短時日に建造出来たとは考え難いものばかりです。 

凱旋式がフォロ・ロマーノを目指して進む儀式であったと思われますがその経路までは解りません。

Q古代ローマ100万人都市の食料調達手段は?

人類史上古代ローマ以後、100万人規模の都市が発生したのは
近代になってからだと聞きました。
その課題として、自ら食料を製作しない都市市民の食料調達
手段に問題があったという話ですが、
では古代ローマはどうやって100万人もの食を
作り、そして腐敗する前に運搬していたのでしょうか?

仮説や補足情報、
どんな書き込みでも結構ですので
気軽にご回答下さい。

Aベストアンサー

古代ローマの時代食料は当時の穀倉地帯であるエジプトや北アフリカ、から船舶(ガレー船や帆船)によつて輸送されました。
北アフリカは現在の砂漠化以前は豊かな穀倉でこの地方の内陸の岩絵に船や漁猟の様子が残されている位です。
小麦は亜麻袋にいれ葡萄酒などの液体は壷に入れて輸送しました。
当時の沈没船の発掘ではこのような壷が多数積載されています。

従って海上交通の安全確保、手段は国家の重要事項でこの為度々戦争さえ起こっています。
小麦はパンとして供給され腐敗の心配はよほど古いものを除きありません。
地中海は海上交通に長けたフェニキア人が主に生活していました。
彼らの建国したカルタゴはローマに征服された時、3日以上炎上が続いたといわれる程栄えた都会でした。

Q古代文字の発音、古代音楽の音について

古代の文字というと、ヒエログリフや突厥文字などがありますが
ウィキをみるとたいていラテン文字による転写が書かれています。
そこで思ったんですが、すでに滅んだ文字なのになぜ「発音」がわかるのでしょうか?
古代の音楽。
たとえば今様などが楽譜に残されていても、文献に書かれていてもそれを再現することは不可能に近いと思います。
そういう「音」がわかる学問があるのでしょうか?

Aベストアンサー

No.2です。すみません、間違った表現があったようなので訂正です。
“ウィキペディアはリンク禁止”と書いてしまいましたが、勘違いのようでした。
以前は私もバンバン、リンクを貼っていたのですが、最近続けて何処かで駄目だと書かれた記述を見かけたので…。

でも、気になってもういちどウィキペディアのサイトで確かめたら、問題ないようです。そそっかしくて済みません。
ご存じかとは思いましたが、そのままにしておくのも心残りだったので再投稿しました。

なので、今回は古代音楽や楽器について、リンク先を紹介させていただきます。

【古代の音楽】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

こちらでは、中国河南省で発掘された当時演奏可能であった紀元前6000年頃のタンチョウの骨からつくられ世界最古の笛や、またシリアのウガリットから出土した約3400年前の粘土板から世界最古の歌の記録が見つかり、音階が研究されたり、同じく前1800年頃の粘土板からも楽譜と見られるものが発見されており、再現を試みられたことなどが記述されています(試聴先のリンクもあります)。


また、以下のような記述もありました。(原文のまま)

古代ギリシア時代の完全な形の音楽が残存している。「セイキロスの墓碑銘」は最古の完全な楽曲のひとつであり、クレタ島の作曲家メソメデス(2世紀)による3つの完全な形の賛歌が残っている。 他には断片的であるが古代ギリシアの音楽が伝えられており、それらは悲劇、エウリピデスの演劇オレステースのためのコロス(コーラス)、ソフォクレスのアイアコスから器楽曲などである。

――以上のことから、古代の楽器そのものの音を再現したり、メロディーを再現する学問は存在すると言うことだと思います。


>そういう「音」がわかる学問があるのでしょうか?

音楽考古学というのではないでしょうか。本も出版されています。
http://www.amazon.co.jp/%E5%9F%8B%E3%82%82%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%A5%BD%E5%99%A8%E2%80%95%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E7%AC%A0%E5%8E%9F-%E6%BD%94/dp/4393930169

No.2です。すみません、間違った表現があったようなので訂正です。
“ウィキペディアはリンク禁止”と書いてしまいましたが、勘違いのようでした。
以前は私もバンバン、リンクを貼っていたのですが、最近続けて何処かで駄目だと書かれた記述を見かけたので…。

でも、気になってもういちどウィキペディアのサイトで確かめたら、問題ないようです。そそっかしくて済みません。
ご存じかとは思いましたが、そのままにしておくのも心残りだったので再投稿しました。

なので、今回は古代音楽や楽器について、リ...続きを読む

Q古代ローマのコインは、これから価値は上がると思いま

古代ローマのコインは、これから価値は上がると思いますか?

Aベストアンサー

海外のオークションではローマコインは山ほど売りに出されており、結構安価です
(程度が良いモノやいわくつきのモノは若干高くなるでしょうけれど)。

ヤフオクなどで検索してみるとお分かりのとおり日本の古銭である寛永通宝なども、
一般の人が思っているほど高額にはならないようです。

Q【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお

【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお金を貰えないと言うのは誤りで塩を売ればお金に換金できた」

ここで不思議なのは「塩」が通貨だったこと。

塩って海水を撒いて、天日干しで乾けばアホでも塩は取れたわけですよね?

ということは、塩の作り方さえ知っていれば、アホなエジプト人を雇って重労働させて、ほら、塩が給料だ。と言えば喜んで働いた。

なぜエジプト人はバカで塩は誰でも作れたのに過酷なピラミッド建設にお父ちゃんが出稼ぎに出て汗水垂らして働いて疲れて塩を舐めたら給料が飛ぶような働けど働けど楽にはならないことをしたのでしょう。

ピラミッド建設に参加せずに、近くの海で海水を木で樽を作って汲んで蒔けば、自分は国王になれたのに。

なぜ当時のエジプト人は塩の作り方を知らなかったのでしょう?

国王はタダで手に入る塩で金を採掘させたり、重い石を持たせたりして黄金とピラミッドを手に入れた。

どんだけ当時のエジプト人はバカだったんだろう。

塩作りなんかエジプトの国王が密かに自分で作ってたわけじゃなかろうに、奴隷に海水を汲ませて撒かせていたはずなので奴隷は塩の作り方を盗めたはず。

奴隷村に戻って、今日、俺、塩作ったんだぜ!!

俺、塩の作り方知ってるんだぜ!!

と言えば、奴隷村を出て、自分たちで塩田を作れば、お金を作れたってことですよね。

不思議でならないエジプトの謎だわ。

【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお金を貰えないと言うのは誤りで塩を売ればお金に換金できた」

ここで不思議なのは「塩」が通貨だったこと。

塩って海水を撒いて、天日干しで乾けばアホでも塩は取れたわけですよね?

ということは、塩の作り方さえ知っていれば、アホなエジプト人を雇って重労働させて、ほら、塩が給料だ。と言えば喜んで働いた。

なぜエジプト人はバカで塩は誰でも作れたのに過酷なピラミッド建設にお父ちゃんが出稼ぎ...続きを読む

Aベストアンサー

「サラリーマン」の「サラリー」と食べる「サラダ」が同源なのはご存知?

そして, そんなに簡単に「塩」ってできるものなの?


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