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パリの街をパンを求めて行進したオカミサンの団体がきっかけで勃発したというフランス革命。もしこの革命が起こらなければいったい世界はどうなっていたと思いますか?
私は、マリーアントワネットの子孫が即位し、母親の影響で贅沢をしまくる歴代王のせいで今頃フランスという国は国力の弱体化を余儀なくされ列強にいとも簡単に征服され、フランス共和国は今頃影も形もなくなっているのではと思います。
パロっぽいの奇想天外のもの何でもOありの回答でお願いします。

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A 回答 (5件)

宝塚歌劇団は無かったかもしれない。



かつて宝塚は観客の減少で存亡の危機を迎えました。
そこで上演した「ベルサイユのばら」が大ヒット。以後ベルばらは宝塚の代名詞ともいえる演目となり、宝塚は危機を脱し現在に至ります。
「ベルサイユのばら」は池田理代子の漫画が原作ですが、フランス革命をテーマにした作品ですね。
したがって、フランス革命が起こらなければ池田さんは「ベルサイユのばら」を書かなかっただろうし、宝塚歌劇団も上演しなかったでしょう。
今の芸能界で活躍している多くの宝塚出身女優陣もいなかったかもしれません。

何でもあり方面の回答でした。

この回答への補足

そうなると池田理代子さんも印税が入らなかったでしょうね。

補足日時:2006/04/12 11:28
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

すごい面白いです。こういう回答好きです。
黒木瞳さんなんかも宝塚出身だから今頃平凡な主婦やってたりして。

お礼日時:2006/04/08 00:15

すみません、またまた回答してしまいます。


No.2です(~_~;)

私も、ギロチンの話は聞いた事がありました。
ルイ14世を含め、この頃の皇帝達は非常に気性が激しく、短気かつ情熱的だったと聞きますよね。
この話を聞いて、実際にフランスに行った時はゾクゾクしました。美術館や宮殿を見ても、「誇り高き民族」ということはヒシヒシと感じますしね。

数々の美術品や、今のフランスの品格や人格(?)さえもなかったのでは・・・と想像してしまいます。

度々失礼致しました(~_~;)

って、回答じゃない気がしてきました・・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

私も最近フランスに行って、現地の人と知り合いになっていろいろ話しましたが確かに気性が激しく短気でプライドが高いという感じがしました。
そしてあの宮殿や多くの巨大な建造物にもその誇り高き民族性をひしひしと感じていたところです。
日本人はまだまだ謙虚です。

お礼日時:2006/04/09 09:23

もしフランス革命が発生しなければ、徴兵制による国民軍の成立がありませんので、軍事史上大きな影響が(変化しないという点で)あるでしょう。

その後のナポレオン戦役が発生しなければ、プロイセンに於けるシャルンホルスト等の軍制改革も起こらないでしょうから、フランスのみならずその後のヨーロッパ史全体が全く違う物になるのではないでしょうか。結果的には軍事バランスの劇的変化が無いので、それほど国境線の変化は無いかもしれません。
社会は停滞するが、戦争で人はあまり死なずに済む。といった所でしょうかね。飽くまでいいかげんな観測ですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

フランスのみならずヨーロッパ全体果てはアジア、アメリカまで影響はあるでしょうね。

お礼日時:2006/04/07 22:30

私も質問者様に同感です・・・。


学校で、フランス語を習得しています。
この頃のフランスや、ルイ14世の話などは
私も興味深いです。

フランス革命によって、フランス料理が生まれたという一説もあるようです。
なので、あれが起こらなかったらやはりフランス文化、文明もそんなに発達しなかったでしょうし、
なによりフランスと言う国自体、発展しなかったと思います。フランス料理が生まれたいきさつを延々と語ってしまいそうなので、このくらいでおしまいにしておきます・・・。

でも、興味深いお話でした(^^)

この回答への補足

ちなみにギロチンが発明された頃、ギロチン型のイヤリングやギロチンごっこをするための人形などが町中で大流行になったそうです。医者が発明したギロチンに錠前作りの好きなルイ16世が自ら改良を加え、その実験台に自分がなってしまったという皮肉なお話もあるようですね。

補足日時:2006/04/07 20:03
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

同じ革命でも中国では最後の皇帝がギロチンにかかるということはなかったので、フランス人ってやはり誇り高き血気盛んな狩猟民族なんだなと思います。

お礼日時:2006/04/07 20:00

ノストラダムスの預言の忠告を受け入れて、国外脱出を図って


いなければ、国王と王妃の命まではとられなかったでしょう。

さて、前置きはこのくらいで。

王制が続くということだから、第二次世界大戦のヒトラー総統が
出てくるのは、ノストラダムスの預言に名前が書かれているからと
言ったとか・言わなかったとか。

で、フランスはあえなく征服されるでしょうね。

しかし、征服されるのではなく、同盟を結ぶと言う事も、
ここで、フランス国民がどちらに回るかです。

その時のフランス国王が国民に慕われているかどうかですから。
ドイツの軍隊を跳ね返す事も考えられます。

ドイツとフランス国王とがお互いに利用し合って、
ヨーロッパを統一していくかも知れません。

ヨーロッパ統一の戦争ならば、アメリカは助け舟を
出さなかったかも知れません。

なので、日本が真珠湾攻撃をしなければアメリカが戦争に参加
する事もないでしょう。

原爆が何処で炸裂する事になるのでしょうね。

この先は・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ノストラダムスも吃驚の世の中になっているかも。

お礼日時:2006/04/07 13:57

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Q19世紀フランス

この時代、フランスの歴史上ではどんなことがあったのでしょうか?うまく調べられませんでした。色々おしえてください!!

Aベストアンサー

19世紀に時代が変わる直前の18世紀末、フランスでは革命があり、それまで王としてフランスを統治していたルイ16世、王妃のマリー・アントワネットが処刑されるという大事件がありました。この頃、ヨーロッパ各国の王家はそれぞれ縁戚関係にあり、互いに戦争をすることはあっても、王族同士は互いを国家の統治者として認め合っていました。その王族(しかもルイ16世はブルボン家、マリー・アントワネットはハプスブルグ家という、ヨーロッパの中でも名家中の名家の出身でした)が市民によって断頭台に送られたというニュースにより、各国の王侯貴族は激怒し、新しく出来たばかりの共和制フランスに敵対します。しかも、その時フランス国内は革命直後からの混乱が収まっておらず、国内は共和派左派、共和派右派、王党派残党などに分裂して、テロの嵐が吹き荒れている状態でした。

そして時代は19世紀を迎えます。19世紀フランス最初の事件は、ナポレオンの台頭です。ヨーロッパ中の国家と戦争を繰り広げた革命後の共和制フランスは、優秀な軍人が立身出世するのに最適な舞台でした。ナポレオンはイタリア、オーストリア相手の戦争で名を上げ、1799年、クーデターでフランスの頭領となり、1804年には皇帝に即位します。ここにフランスの第一共和制は崩壊し、フランス第一帝政が始まります。

最初こそナポレオンの対外戦争は順調に展開し、イギリスとロシア、スエーデンを除くほぼ全ヨーロッパを支配下に収めますが、その後ロシア遠征に失敗、フランス第一帝政は急速に瓦解します。一度退位させられたナポレオンは、その後パリに戻って皇帝復位を宣言しますが、再度の敗戦により囚われの身となり、大西洋の孤島に流刑となりヒ素により毒殺されます。

その後のフランスは、ルイ16世の弟であるルイ18世、およびシャルル10世による王政に戻りますが、そのシャルル10世は1830年の7月革命により王位を追われます。その後に王位についたルイ・フィリップも1848年の2月革命で王位を追われ、フランス第二共和制が成立し、その第二共和制の大統領に選ばれたルイ・ナポレオン(ナポレオン・ボナパルトの甥)がクーデターにより第二共和制に幕を引きナポレオン3世として皇帝に就任します(1852年、第二帝政)。

この頃には、フランスでもイギリスに遅れること数十年、産業革命により市民(ブルジョワジー)が急速に力を付け始めました。この市民達は復古主義貴族による王政復古や、下層労働者による急進的な共和制のどちらにも賛成せず、中庸なナポレオン3世による帝政を支持したため、ナポレオン3世による第二帝政は比較的長続きし、対外戦争にも順調に勝利を収めたフランスは、ヨーロッパの中で確固たる地位を築こうとしていました。

それが一転したのが普仏戦争です。1870年、プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの策略により、プロイセンと開戦させられたナポレオン3世は、プロイセンの罠にはまり、セダンで大敗し捕虜となります。一国の皇帝が捕虜になるという最悪の事態に驚愕したフランス国民は、ナポレオン3世を皇帝位から追放、第三共和制を樹立します。第三共和制フランスはプロイセンに降伏しますが、その際、混乱のパリで労働者が放棄し、史上初めての労働者による政府「パリ・コミューン」が成立します(ただし直ちに瓦解)。

普仏戦争後、フランスは共和国として存命を許されますが、その代償として、新生のドイツ帝国(旧プロイセン王国、バイエルン王国などが連合国家である帝国を樹立したもの)に対し、その国境沿いの地域にあるアルザス・ロレーヌ地方を割譲することとなります。また、ドイツ帝国の鉄血宰相ビスマルクによるヨーロッパ外交により孤立化を余儀なくされたフランス共和国は一度は弱体化しますが、普仏戦争による傷も癒える頃、度重なるパリ万博など産業の振興により再び強国への道を歩み始め、20世紀最初の大事件である第一次世界大戦に突入することとなります。

19世紀に時代が変わる直前の18世紀末、フランスでは革命があり、それまで王としてフランスを統治していたルイ16世、王妃のマリー・アントワネットが処刑されるという大事件がありました。この頃、ヨーロッパ各国の王家はそれぞれ縁戚関係にあり、互いに戦争をすることはあっても、王族同士は互いを国家の統治者として認め合っていました。その王族(しかもルイ16世はブルボン家、マリー・アントワネットはハプスブルグ家という、ヨーロッパの中でも名家中の名家の出身でした)が市民によって断頭台に送られたとい...続きを読む

Qフランス革命の意義を教えてください。

フランス革命の意義を教えてください。

フランス革命は、社会的平等と政治的自由を実現し、近代市民社会を
樹立した、あるいは主権在民を確立した、等が歴史的に言われていると
思いますが、合ってますか?違っていたり、更に詳しい歴史的意義を
ご存知の方がいらっしゃれば教えていただけないでしょうか。

宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

いいんじゃないですか?
それで良いからコメントが付かないのかも・・・・。

追加情報としては、この時代の「市民」って、「市民権を持つ白人男性」なんですよね。
市民権を持ってなかったり女性だったり白人でなかったりするとここには含まれません。今日の観点でいくと、全ての人に平等になったわけではない。
(フランスで女性に参政権が与えられたのは意外と遅く、第二次大戦後だそうです。日本と同じ)

でも当時としては画期的。

Qチャールズがカミラさんにこれほど惚れたのは何故?

イギリス王室の世紀の結婚式を拝見してました。
もし、ダイアナさんが生きてらしたら何処の席で息子さんの結婚式を
ご覧になってたんでしょうか?
いつも疑問に思ってたのは何故美しいダイアナさんよりあの下品なカミラ
さんと長い間不倫を続け、愛を注いだのでしょうか?
男女間のミステリーを感じます。
不誠実な夫に耐えかねた妻の最後はあまりにも悲劇的、それなのに
カミラはちゃっかりとイギリス王室の一員となってしまった。
カミラの前の夫が彼女は凄い床上手だと発言したのを記事で読んだ
事があります。
"君のタンポンになりたい”という信じられない言葉を盗聴されてしまった
チャールズ。
そこまでカミラを愛し続けたのは何故?相性?同じ趣味?価値観?
真面目に答えて欲しいです。

Aベストアンサー

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠れする方みたいですが、伝統を破るほどの革新的な王子ではないそうです。

ダイアナは正直、自分の言いたい事を言う、好きな時に好きなことを楽しみといった自由人で強く、暖かい人情のある方だったそうです。
しかし一般的な母性はあるとしても極端に甘えさせてくれるなどの懐の深さはなかったようです。

チャールズの母であるエリザベスは王女だった為にチャールズに対して母として接する機会があまりなく愛情不足だったと思われます。
チャールズは気難しく理屈っぽい。正直さ、率直な振る舞いが特徴です。
伝統や格式を担う公人としては適役と思われます。

そして問題なのが、公人としてダイアナを妃にした事としかしダイアナは公人としてでは無く私人として愛して欲しかった事です。
ダイアナは彼を変えられると幻想を抱いてたのかもしれません。
ダイアナは言いたい事を言う性格ですので、キレて文句を言う日々が続いたのかもしれません。
しかし、チャールズはグッと考え込んで大事な事だけ発言するタイプです。
ですから元々の性格は真逆だったと思われます。
その為チャールズはダイアナに寄りつかなくなったのかもしれません。

もちろんダイアナは理屈を理解しようと努力をした事は伺えるのですが・・・理解は出来ても許容する事が出来なかったと思われます。

そしてカミラの場合は難しい理屈などは置いておきたい人のようです。
カミラにとって重要な事は自分を求め愛してくれる人がいること。
ドロドロとした三角関係にあってもチャールズの事を理解しそして許容する事が出来る方のようです。

気難しい彼に対してデリケートな部分を刺激したりしない、とても尊重してくれる方だと言われてます。
そして最大の彼女の魅力は強い母性愛です。
愛する男性を子の様に慈しみ、命を捧げて生涯を守るほどの古典的な母たる姿勢を崩さなかった事と周りから何を言われても誇り高く、強い女性であった為にチャールズにとっては不可欠な女性だったのだと思います。

長くなりましたが、カミラとダイアナでは性格が真逆であることは一番の原因だったのではないでしょうか?
ただ、誰が悪いとかでは無いと思います。

私も最初は否定派でしたが、現在はお二人の関係を暖かく見守って差し上げたい様な心情です。

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠...続きを読む


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