No.5ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
。たぶん、あまりまとまりのある文章にはならないと思うのですが、少し記してみます。
仏教の戒律は、(とくに一般人に求められるものとしては)厳格な禁止事項という意味合いよりも、生の有り様を見つめるための省察事項という意味合いの方が強いと思います。(日本の仏教は、後にここらへんをいささか拡大解釈し過ぎた?と思われなくはないですが・・・)
その戒律の中でも、「不殺生戒」は、他の戒とはとくに異なる性質を持つと思います。
語弊を招くかもしれませんが、端的に言えば「守れないことを前提にした戒」ということでしょうか。
一切の殺生をせずに一生を過ごすことは、まぁ不可能でしょう。人の生がいかほどの死によってもたらされているかに思いを巡らせ、その罪悪を悔い、自身の行いを戒める、というのが、一般の人に求められる不殺生戒の本質のように感じています。(←あくまで個人的な見解)
仏教では、本来、ご質問文にあるような「究極の選択」的な矛盾を、矛盾そのままに一般の人に強いるようなことはなかったのではないかと思うのですが。
仏教は一般向け(?)には輪廻説を採用していましたから、生き物を殺した罪は巡り廻って自分に還ると説いていました。
生き物の命を大切にすることは、最終的には自分を生かすことにもつながるという図式になっていたのだと思います。
読みにくい文章ですみません。では。
No.11
- 回答日時:
至って哲学的でない回答ですが、日本の地形では酪農は無理です。
近世以前においては、家畜を大量に飼おうとすると放牧しかなく、山がちな
日本の地勢では無理です。
実際、日本では農業用の牛馬を飼うのが、せいいっぱいでした。
また、仏教の教えが広がった奈良時代では、貴族は普通に乳製品を食していました。
ちょっと文献に心当たりがないのですが、獣肉も食っていた可能性はあると
思います。
日本人が極端に肉を食べなくなったのは、江戸時代からです。
これは農民を生かさず殺さずという、江戸幕府の治世方針が関わっていると
私は考えています。
歴史を振り返ると、たしかに日本は飢饉が多いですが、中国大陸に比べれば
はるかに増しと思います。
向こうは仏教の影響力は限定的で、肉食OKであったにも関わらず、飢饉が
はじまると飢えた人が流民と化して、その時代の王朝を倒すほどの勢力となる
ことがしばしばあったのですから、その規模は日本人の想像をはるかにこえて
いるでしょう。
むしろ、江戸時代後期の二宮金次郎の活動などを見ると、思想的に仏教の影響
もかなり大きく(金次郎はどちらかというと儒学の徒ですが)、仏教の教えが
飢餓を拡大したという指摘は当たらないのではないかと思います。
No.8
- 回答日時:
戒と律とを混同されていますね。
まず仏教以前からインドではkarumaという考えがあります。っこのカルマは「業(ごう)」と漢訳されることばですが、“ある行為に対しての潜在的なる力”とでもいいましょうか。卑俗な例でいうと
「悪いことをして地獄に堕ちる」・「いいことをすると天に生まれ変わる」
という考え。これで多くの人が誤解しているのは、なにか超越者による裁きでこのような結果になると考えがちですが、そうではなく、あくまでも何らかの行為の結果でそのようになる(もっとも仏教自体がこのような、生まれ変わり死に変わりする輪廻という時間軸からの脱却<解脱>という教えですが)。
身近な例でいうと「たばこを吸うと肺ガンになる」といいますね。でもたばこを吸う人がすべてガンになりますか。なるひともいればならない人もいる。その結果は今現在では分かりませんよね。
で、インドでは殺生はなんらかの悪しき結果の原因になる可能性が高いと考えた。そこで、修行者は殺生を戒めるようになる。
そのような基本的考えを仏教も取り入れた。そこで、「戒」と「律」の違いですが、「戒」はあくまでも自発的に守る戒めです。破ったからといって罰せられるものではない。そのことによって受ける結果はあくまでも自らの問題です。
対して「律」というのは集団で守る決まりです。その戒を守ることで結束したグループで取り決められるものであってこちらは他律的です。破ればその集まりで決められたルールに沿って何らかの罰があります。
さて、もともと仏教では肉食を禁じるという考えはありませんでした。与えられた食事はすべてもらう。ただし積極的に肉を食べることは由とせず、一定の律にそった肉しか食べないとしました。それが煩雑になったため、肉類全般を初めから禁じるようにないました。ですので、現在でも東南アジアの仏教圏では肉食を禁止する考えはありません。
そもそも、不殺生戒も「殺すなかれ」との戒めを授けられることで、初めて人はあまたの生命を奪って生きているという、それまで意識したいなかった事実に気が付きます。つまり戒には今現在いる自分はいかなる存在であるかを気付かせる第一歩なのです。そこからさらなる修行へと進む、それが戒なのですね。
No.7
- 回答日時:
これは仏教に限らずインドの風習です、現在でも肉食は少ないお国柄です。
中国では御仏前に豚肉をお供えしたりします教えや戒は本質の部分以外は時代や地域により変化して当然です
酪農や放牧が日本の風土に合わなかったのが一番の原因でしょう
上の例では、豚をお供えしても、無用な殺生はすべきではない、という仏教の精神は中国にも確かに伝わっています
仏陀時代は出家者への布施はおもに食べ物(自分の食事の一部をお裾分けした)で、その中には肉もはいっていました、出された食べ物は当然食べていました。出家者が自分で殺生して食べたり、在家がわざわざ出家者用にと殺生した肉を食べるのは戒律違反です(仏教の戒はキリスト教やイスラム教の戒律とは違います。自主目標ともいえる性質のものでした、ただし、出家者は「自主目標達成できませんでした→しかたないですねぇ」では済みませんでした)
仏教はおもに米食文化圏に弘まりました。米作は面積あたりのカロリー生産の非常に高い農業です。それに対して放牧はどれだけ広大な牧場が必要でしょうか、エサを穀物でまかなうなら肉1kg生産に穀物5~20kg必要です。牧場経営は人口密度の低い地域、穀物生産が効率が悪い地域に向いていますが仏教の広がった南~東アジアでは米を作ったほうがはるかにいいです。宗教の戒律が原因ではなく人々が選択した結果小肉食の文化がつくられたのです
No.6
- 回答日時:
仏教やヒンズー教などのように、輪廻転生を考える宗教において、家畜といえども、殺す事は、殺人と同じにみなします。
そのため、輪廻転生を考える宗教において、いかに殺生を行わないかが重要事項となります。
そのため、インドなどでは、菜食主義者が数多くいます。
日本に伝来しました仏教は、輪廻転生の概念が薄まった大乗仏教でしたので、殺生の禁止が、動物だけと緩和されたものになっています。
キリスト教の中でも輪廻転生を信じたカタリ派は、異端として攻撃を受けた時も、完全者という出家した人達は、一切の戦闘に加わりませんでした。
カタリ派の拠点モンセギュールが陥落した後、改宗すれば命が助かるのに、戦闘が終わった後カタリ派の完全者となり、火あぶりにされた人が沢山いました。
輪廻転生の考え方では、現世が地獄であるとみなすため、死に関しての恐怖感が少ないのも特徴です。
死んでもすぐに現世に生まれ変わりますから。
生物を殺す事が少ないほど、徳を積み、輪廻の枠外に離脱(解脱)できるので、この事が目的で、殺生を禁じる事になります。
仏教の中でもラマ教は、転生は人間間で起こるとされますから、動物への殺生禁止概念は弱いと思われます。
No.3
- 回答日時:
あくまで私の個人的見解です。
ブッタは自分の息子にラフーラ(邪魔者)という名をつけました。
仏教では執着を煩悩といってそれを無くすることを目標にしています。
家族、中でも自分の子供に対する執着が一番強いものだと修行中のブッタは感じ取っていたのかもしれません。
家族を思う気持ちは尊いものです。
しかし強い思いは時に恨みや嫉妬に変わって行きます。
例えば子供を異民族に殺された親はその異民族を一生恨むでしょう。
そして差別したり虐殺したりすることに加担するかもしれない。
虐げられた異民族はまたその仕返しを・・・
と、果てしない禍根の渦に巻き込まれていきます。
また、自分の子供が飢えて死にかけている時 近くに充分な(しかしその家族が生きれる分だけの)食料を蓄えている家があったとしたらどうでしょう。
ブッタの時代この様なことは日常茶飯事だったのだと思います。
生きている限り続くこの苦しみや悲しみから逃れるために必死で考えたのが欲望や執着を一切持たず他の命を奪わない生き方なのです。
それをはっきりと自覚できて会得できることが「悟り」でありそこへ「至る道」が修行なのだと私は思っています。
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