●3~6ヶ月後というスーパーが入ったあとのラストシーンですが。
 第一印象は「不要」と言う感じでした。
 ベネディクト(アンディ)が 二人の巨漢を尾行につける気持ちは
 わかるのですが。この映画にそのエピソードをラストに付け加える
 必要性を感じないんです。なんか深い意味でも持たせたかったのでしょうか?
 みなさんのお感じを教えてください。
 とてもいい映画なだけにラストのそれが惜しくてなりません・・・。

A 回答 (2件)

意味というと私もはっきり答えられませんが、あのまま、テス(ロバーツ)も195億円も、まんまとベネディクトから手に入れてハッピーエンドでは、あまりにおとぎ話じみてしまうのではないかと思いました。


●もし、このような話が映画ではなく、小説であったとしたら・・・ラスベガスがからんでくるのですから、絶対にオーシャンは、あのままでは済まされず、ベネディクトに報復されているはずです。「ベネディクトの敵は、義理の兄貴まで殺された」、劇中のこうしたセリフは、その伏線だと思います。
●しかし、そこまで描きらなかったのは、ひとえにハリウッド映画であるからでは。プロデューサーが変えちゃったのでは? 一応、「女と金を盗む」というプロセスは、見事に成功させたい。しかし、リアリティもちょっぴり匂わせておきたい。で、中間をとって、ラストは、「もしかしたら悲惨なことが待ってるかもしれないけど、そこは想像にまかせます」とボカすことで逃げたのでは? また、オーシャンがどれほどデカいヤマに手を出したのか、火薬庫に手を突っ込むようなことをしてのけたのかを印象づけるためには、やっぱり最後に、ちょっぴり二人の巨漢をちらつかせるくらいは必要だったのかもしれません。
●盗みが無事終わり、ライナス、ラスティはじめとする11人がラスベガスの大きなカジノ(ホテル?)を眺めながら、次々と写し出されるところがありますよね。BGMは、記憶が正しければ、ドビュッシーの「沈める寺」。美しく叙情的で、儚い曲です。ドビュッシーが、海を見ていた時、まず寺の尖塔があらわれ、次には古い町がそこに沈んでいるのを幻視して作ったと言われる曲です。ベネディクトが君臨していた町を沈ませたのだから、そういう意味での選曲かなとも思いましたが、あまりにセンチメンタルな曲だとも思いました。しかし、最後にオーシャンが釈放された時、ベネディクトの手が迫っているのを見て、沈んだのはベネディクトだけではなく、オーシャン自身もなのかと思いました。ベネディクトの金も、それを盗んだ者もすべて儚い。そういう意味なのかなと思いました。どーでしょ。
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この回答へのお礼

ブラボー!

●気がつきませんでした。おっしゃる通りたぶん製作サイドと監督の
 意向のくいちがいから選択されたラストシーンだったんですね。
 そう考えると 納得できる感じがします。ritsu45さんサスガです。
 BGMは「亜麻色の髪の乙女」だと思って聴いてました。
 そうですか「沈める寺」でしたか。
●この映画のおしまいの方で そうか この映画はトーマスクラウンアフェアー
 だったんだーって 気付く瞬間 なかなかイイ感じの感動をあじわいました。
 ソダーバーグいい監督ですね。次回作も期待です・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/10 00:58

わたしもあのラストはいまいちわかりませんでした。


刑務所にブラピとジュリア・ロバーツが迎えに行くだけで良いのでは、と、
思うんですよねぇ~。
その意味をご存じの方がいたら、私も是非教えて欲しいです。
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この回答へのお礼

●ですよね だれかあの意味わかんないかなあ・・・。
 わくわく

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/10 00:06

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