アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

生物を構成する個々の小さい部品が突然変異と自然淘汰の積み重ねで進化できるのは、わかるような気がしますが、多数の部品が統合されて、全体がシステムとして働いているようなものは、進化論ではどのような説明が可能なのでしょうか?

たとえば、「目でモノを見る働き」などが、進化の結果として実現されるためには、眼球のレンズ、レンズを動かす筋肉、網膜、視神経、視覚像を処理するための脳細胞、涙腺、瞼の条件反射などなど、ものすごく多くの部分が全体として調和されて進化して初めて可能だと思います。

しかし、これらのシステムを構成する個々の部品は、それぞれ、別の遺伝子が管理しているでのではないのでしょうか?もし、そうだとすると、レンズができても、レンズの筋肉ができなかったり、たまたま、両方できても、網膜ができなかったり、あるいは、視神経ができなかったりすると思います。

これらの個別部品が、「同時期に一気」に全体が調和するように進化する理由がよくわかりません。また、「同時期に一気」にではなく、「別々の時期に、少ずつ」だとすると、まだ、レンズの筋肉ができていなかったときのレンズは、どうやって体内に固定していたのかとか、そもそも、「見る」という「有益な機能」に至る前の「ただのレンズ」などは、「自然淘汰」の過程で、存続し続ける必然性がないのではないかと思うのです。

ということで、進化論では、個別部品を統合したシステムとしての進化をどのように説明可能なのかを教えてください。

A 回答 (27件中11~20件)

> そう考えると、例えば、えら呼吸していた動物が、肺呼吸する動物に進化する過程では、


> えらの近くに、突然変異で肺房の細胞がたまたま一個できたとすると、それに向かって、
> えらと繋がっていた血管が近づいて行き、うまく酸素と炭酸ガスのやり取りをするので、
> うまくいくということになります。
>
> しかし、この場合は、筋肉と違って、えらと肺というような、構造的に異なるものが相手なので、
> そんなに都合よく、酸素と炭酸ガスの交換ができるものだろうかという疑問が沸いてしまいます。
> 都市ガスがなくなったので、代わりに、水素ボンベを繋いだら、うまく、料理ができたという
> ような話に思えてしまうのですが。

肺になった元の臓器は魚の浮袋です。魚はこれを使って水中での浮力を調整していました。浮き袋は当然空気を取り込みます。一部の魚は水に溶けている酸素が少ない時、浮き袋の酸素も利用します。さらに一部の魚は水が干上がっても浮き袋で呼吸し生き残ることができました。現在でもハイギョはこうしています。このように自然な流れで肺の進化が行われたわけです。進化というものは計画性がありませんから、こういうような道筋が偶然そろわない限り新しい構造なんか作ることができません。

こういうことが分かっていれば、創造論とかインテリジェントデザインとか出てくる余地はありません。


> それと、もう一つ、もっと根本的な疑問は、えらの近くに、都合よく、肺房の細胞が一個できる
> 可能性よりも、全く別のものができる可能性の方がはるかに高いのではないかということです。
> すなわち、皮膚の一部とか、爪の一部とか、単なる肉腫とか、要するに積極的に有益ではないが、
> しかし、積極的に有害でもないようなものが出来る可能性の方が圧倒的に高いと思うのです。
> その場合、積極的に有害でない以上やはり、血管が近づいていって、生体系システムに取り込む
> はずではないかと思うのです。しかし、現実の生物には、そのような、不要の部品の存在があま
> りにも少ない気がします。これは、何故なのでしょうか?

なにか構造ができて役に立たないなら、ほとんどの場合、中立ではなく有害です。あなたの体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしくないですか? そこをケガして出血するかもしれませんし、少なくともその構造を作るためのコストがかかります。そういうものを作る遺伝子は当然消えていきます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>現在でもハイギョはこうしています。このように自然な流れで肺の進化が行われたわけです。

なるほどね。確かに説得力がありますね。

この考えに基づくと、ハイギョのような浮き袋利用の原初肺と哺乳類のような複雑高度な肺までの進化の過程は、非常に小さい突然変異の積み重ねで、決して大きな飛躍はなしで、連続的に行われてきたと考えていいですか?

また、もし、そうだとすると、浮き袋原初肺から哺乳類高度肺に至る、中間段階の途上肺を持った無数の動物種が存在したことになると思いますが、それらの動物種の化石は、そんなに数も多くないので、たまたま、発見されていない(やがて、発見される可能性がある)という認識でよいでしょうか?

>なにか構造ができて役に立たないなら、ほとんどの場合、中立ではなく有害です。あなたの体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしくないですか?

いずれにしても、「中立でなく有害」であれば、それが「自然淘汰」で消滅していくのは理にかなっています。そこで、問題は、以下の2つです。

問題1:体に役に立たない何かがついていたら、それは、中立でなく、有害なのか?
問題2:体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしと感じるものなのか? そして、うっとうしいと感じたら、有害なのか?

盲腸、へそ、男のおっぱい、腋毛など考えると、答えは、NOのような気がします。

ただ、これらの例は、過去の進化途上において、何らかの有益性があったものの痕跡として残っているという説明が成り立つと思います。でも、だからと言って、「進化の過去の途上において、何らの有益性もなっかたもの」は、全て、積極的に有害であったり、積極的に「うっとうしく感じる」という理由もないのではないかと思います。もちろん、生存に有害でない場合に限っての話ですが。その点がやはり疑問として残ります。

補足日時:2006/06/16 16:35
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#4&#9&#14です。



>>あるところに筋肉ができれば、それに付随して神経や血管も形成されるというような働きも持っています。

>大変、興味のわくご指摘ですが、これは、何らかの事実の裏づけがあるのでしょうか?

例えば、ガンが大きくなるときは、血液が必要になるため、

血管を新生させることが知られていますが、上記の事実を示す直接的な証拠とはなりませんね。
というわけで、具体的にこの現象を示す証拠に基づいていないので、断言はすこし勇み足でした。というわけで、以下の説明も、断言はしていますが、生物の体を形成する仕組みに基づくと、このように考えられるという推量です。
(「血管 発生 因子」というようなキーワードで検索すると、上記の推量が単純なあてずっぽではないことは理解していただけると思います。)

>もし、あるとすると、生物の進化は「全くのランダムな変異」に基づいて起動されるのではなく、「一定の範囲で関連部分も、予め有効性を配慮して共同的に変異する」ということになりますが、その理由やメカニズムについて、何かご存知でしたら、教えてください。

いいえ。そのようなことにはなりません。
新しいところにできた筋肉に血管ができるためには、新たな変異は必要ありません。

繰り返しになりますが、遺伝子は、体を作るための仕組みを記述しているのであって、完成図を記述しているのではないのです。

すなわち、筋肉は、血液を必要とする組織なので、血管を作らせる働き(おそらく、血管新生因子のような物質を出す)を持っており、新しいところに筋肉が形成されれば、半ば自動的に血管も作られるということになるわけです。つまり、染色体には、「どこそこにどれだけの血管をつくりなさい」と書かれているわけではなくて、「このような場に置かれた細胞は、血管になりなさい」というような命令が書かれているわけです。(実際には、血管といっても、様々な役割をする細胞の集合体ですので、そう簡単な話ではありませんが。)

ここで言いたいエッセンスは、「場が役割を規定する」(場を形成するのも細胞ですから、相互に影響しあう中で、組織・器官・個体を形成していく)というのが、多細胞生物の体の成り立ちの基本だということです。
そのように考えると、一つだけの変異でも、その影響が周囲に波及するということが理解しやすいでしょう。

特に発生に限った勉強をしたわけではなく、様々な情報や論文などから理解したつもりになっているだけなので、これまでに書いたことにも、間違いも含まれているかもしれませんし、これと言った本を紹介することも難しいです。

とだけ言うのも不親切なので、ちょっとamazonで調べてみました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000069 …
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062574 …

と言った辺りが良さそうですね。特に、一番上のものは、発生と進化を結びつけて説明している本ですので、今回の疑問について考える助けとしてはもってこいかもしれません。

今回、ご質問に答える中で、発生についての興味が湧いてきました。私も、暇を見つけて、発生について勉強してみようと思います。

この回答への補足

ていねいなご回答ありがとうございます。

>ここで言いたいエッセンスは、「場が役割を規定する」(場を形成するのも細胞ですから、相互に影響しあう中で、組織・器官・個体を形成していく)というのが、多細胞生物の体の成り立ちの基本だということです。

これは、よくわかりました。だからこそ、受精卵は、互いの細胞の関係によって、あるものは、心臓になったり、あるものは、肝臓になったりという風に分化するんですね。

ところで、これに対する私の疑問は、「とは言え、魔法の玉手箱ではないのだから、何でも生み出せるというわけではないでしょう」ということです。例えば、魚の細胞は、どんな環境に置かれても、肺の細胞を生み出すことはできないと思います。すなわち、ある種に属する細胞は、どんな環境に置かれても、結局、もともと、その種に備わっている機能しか実現できないのではないかということです。

そう考えると、えら呼吸をしていた動物種が、肺呼吸をする動物種に進化する過程で、困難にぶつかるのではないか思うのです。具体的には、それまで、えらが生えていた部分に、突然変異で、局所的に小さい肺の細胞ができたと仮定します。もしかすると、うまい具合に、えらに繋がっていた神経や血管が、新しくできた肺の細胞に接続を試みるかも知れません。でも、その血管を通して、酸素や炭酸ガスをやり取りするメカニズムは、えらと肺では、大違いなのではないかと思うのです。すなわち、血管の細胞の壁の構造や、血管の中を走る血液の成分(ヘモグロビンのタイプとか)も、肺細胞に合わせて大きく変わる必要があるのではないでしょうか? 従来、えら用に使われていた血管や神経のままでは、いくら接続できても、うまく機能できないのではないかと思うのです。

この疑問に対して、以下の2つの答えが考えられるかもしれません。

答1> えらのときに使っていた血管と神経でも十分働くような、新種の肺細胞が突然変異で出てくるまで、何億年でも待つ。
答2> 肺細胞が突然変異でできるだけでなく、血管や神経も肺細胞に適合するような突然変異も同時に起こるまで、何億年でも待つ。ただし、この場合は、まだ、主要な役割を持っているであろう「えら呼吸」がうまくできなくなってしまう可能性があります。

いずれの答えであっても、結局、肺細胞、血管、神経などの関連要素が同時に同一目的に適合するような機能を備えるまで、待たねばならないので、その発生可能性が低いことにおいては、あまり変わらない気がします。

>とだけ言うのも不親切なので、ちょっとamazonで調べてみました。

発生の本、ご紹介いただきありがとうございました。
いづれも、大変興味深い本で、今度是非読んでみたいと思います。

今、興味を持っているのは、個の発生プロセスがわかれば、種の発生プロセスを考える上でも大いに参考になるのではないかということです。何しろ、受精卵は、単細胞生物で、それが、1年未満で、高度な多細胞生物まで進化するわけですから、そのメカニズムは、進化のプロセスにもきっと利用されているのでは、ないかと推測します。

たびたび、貴重なご意見。情報ありがとうございました。

補足日時:2006/06/15 23:02
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> >あるところに筋肉ができれば、それに付随して神経や血管も形成されるというような働きも持っています。


>
> 大変、興味のわくご指摘ですが、これは、何らかの事実の裏づけがあるのでしょうか?
> もし、あるとすると、生物の進化は「全くのランダムな変異」に基づいて起動されるのではなく、
> 「一定の範囲で関連部分も、予め有効性を配慮して共同的に変異する」ということになりますが、
> その理由やメカニズムについて、何かご存知でしたら、教えてください。

これは「変異」ではありません。

神経に関してはよく知りませんが、血管に関しては自分の体と認識した部分には自然に血管が形成されるメカニズムがあります。このメカニズムは自分の体と認識すれば、困ったことに悪性腫瘍に対しても働いてしまいます。悪性腫瘍は後天的なものですから、これが「変異」などではなく、もともと体にそういうシステムが備わっていることは明らかです。

同じように骨格筋ができれば、それにつながる神経が勝手に形成されるメカニズムがあるのかもしれませんが、残念ながら、進化の歴史からも初めて生まれた骨格筋を作るという実験が簡単にできるとも思えません。

筋肉ができてそれを動かす神経ができても、脳がそれを使うことができないとそのままでは機能しませんが、これは脳の不思議な可塑性と進化によって使えるようになると思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

もし、私の勘違いでなければ、おっしゃっていることは理解できたつもりです。
例えば、真珠貝に、砂粒を入れると、その周りに粘液を出して、最終的に真珠ができるのと同じような生体系の働きですね。だから、それまでの世代には存在しなかった新しい筋肉ができても、それを放置せず、ちゃんと血管や神経が近づいてきて、生体系システムに取り込んでしまうということですね。

そう考えると、例えば、えら呼吸していた動物が、肺呼吸する動物に進化する過程では、えらの近くに、突然変異で肺房の細胞がたまたま一個できたとすると、それに向かって、えらと繋がっていた血管が近づいて行き、うまく酸素と炭酸ガスのやり取りをするので、うまくいくということになります。

しかし、この場合は、筋肉と違って、えらと肺というような、構造的に異なるものが相手なので、そんなに都合よく、酸素と炭酸ガスの交換ができるものだろうかという疑問が沸いてしまいます。都市ガスがなくなったので、代わりに、水素ボンベを繋いだら、うまく、料理ができたというような話に思えてしまうのですが。

それと、もう一つ、もっと根本的な疑問は、えらの近くに、都合よく、肺房の細胞が一個できる可能性よりも、全く別のものができる可能性の方がはるかに高いのではないかということです。すなわち、皮膚の一部とか、爪の一部とか、単なる肉腫とか、要するに積極的に有益ではないが、しかし、積極的に有害でもないようなものが出来る可能性の方が圧倒的に高いと思うのです。その場合、積極的に有害でない以上やはり、血管が近づいていって、生体系システムに取り込むはずではないかと思うのです。しかし、現実の生物には、そのような、不要の部品の存在があまりにも少ない気がします。これは、何故なのでしょうか?

補足日時:2006/06/15 22:21
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#4&#9です。



視神経と脳の問題は、もともと何かの感覚器であったものが変異したと考えれば説明がつきます。

>問題は、この後、どのような発展段階を経て、人間の「目の働き」のような総合的機能を実現できる生物に進化できるかです。やはり、進化のどこかの段階で「レンズ」ができる必要があると思います。でも、もし、上述の原初動物の皮膚細胞の中に突然レンズができても、それ自身は、単なる異物であり、何の役にも立たないと思います。

原始レンズが視神経の上にできれば、有用でしょうから、その個体は有利ですね。無用の長物ではありあません。

>そうだとすると、同様の考えで、その他の関連部分である、神経、情報処理、結果を筋肉に伝える機能、なども、同時に少しずつ、合わせて、進化していったとお考えですか?

同時であったり、順次であったりしたでしょう。

>もし、このような考え方に立っているとすると、「進化」は連続的であって、飛躍はないということになると思いますが、そのような理解でよろしいでしょうか?

連続的なものが多い中には、飛躍的なものも無いわけではないでしょう。

例えば、今まで無かった機能が新たに加わるのは、飛躍的と言ってもいいと思います。しかし、飛躍的に見えるものも、ほとんどが、実は小さな変異によるものだったりします。
例えば、レンズをコントロールする筋肉を作るのは非常に難しいように思えますが、実は、発生段階をコントロールする遺伝子の一つに変異が入れば、もともと筋肉ができるはずの無かったところに筋肉ができたりします。また、そこに偶然に、それをコントロールする神経ができるなんて都合が良すぎるように思えますが、発生過程というのはよく出来ていて、あるところに筋肉ができれば、それに付随して神経や血管も形成されるというような働きも持っています。
つまり、なにから何まで細かく遺伝子に書かれているわけではないというのが、見た目で大きな進化が起こりうる要因の一つなのです。遺伝子に書かれているのは、組立ルールであって、完成図ではないのです。

したがって、A部品を作りなさいという命令が今までと違う場所で出されるようになれば、付随するB,C,D,E部品もそこに作られるようになるわけです。

A部品(触覚)が今までと違う機能A'(視覚)を持つようになれば、B(触覚を処理する機能)がB'(視覚を処理する機能)をほぼ自動的に担ったり、C(皮下組織)がC'(レンズ)の機能を持ったり、D(皮下の筋肉)がD'(レンズを制御する筋肉)になったりするのは、単なる偶然の場合もありますが、場が役割を規定するということもあるのです(C→C'は変異が必須な変化ですが)。

ということで、今回新しく加えた点の要点をまとめると、

場が役割を規定する

という仕組みを考えると、場に変化が起これば、かならずしも大きな変異がなくても、その場に付随する部分に大きな変化が生ずることがあるということです。その後、さらに最適な役割を果たすためには、ランダムに起こる変異と選択の積み重ねによる、やや連続的な変化も必要になりますが。

このように、ある器官が進化していく過程は、

・要となる部分の変化
・もともと付随していた部分の自動的な役割変更
・上記部分の新役割への適応をもたらす変異の蓄積
・他の部分で使われていた部品が発現/都合が良いor不都合が無ければ定着
・上記部分の新役割への適応をもたらす変異の蓄積

で、大部分の説明はつくと思います。

一度、発生についての比較的新しい読み物を読まれてみるといいと思います。進化についての考え方の参考にもなりますから。

この回答への補足

たびたび、ご回答ありがとうございます。

>あるところに筋肉ができれば、それに付随して神経や血管も形成されるというような働きも持っています。

大変、興味のわくご指摘ですが、これは、何らかの事実の裏づけがあるのでしょうか?
もし、あるとすると、生物の進化は「全くのランダムな変異」に基づいて起動されるのではなく、「一定の範囲で関連部分も、予め有効性を配慮して共同的に変異する」ということになりますが、その理由やメカニズムについて、何かご存知でしたら、教えてください。

>一度、発生についての比較的新しい読み物を読まれてみるといいと思います。進化についての考え方の参考にもなりますから。

「発生」については、読んだことがないですが、例えば、ドーキンスの「盲目の時計職人」などを読むと、「科学読み物」としては、大変おもしろく、なるほどなるほどと関心してしまうことが多いのですが、よく考えてみると、論理のすり替えが多くて、直接疑問の答えになりませんでした。「系統発生」の話なども出て来ますが、「発生」が中心テーマの本ではないので、もし、「発生」のテーマで、わかりやすい本をご存知でしたら、是非、教えてください。

補足日時:2006/06/15 10:23
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#7です。

視覚を例に取った質問者様の疑問に割り込む形でちょっとずれた鯨の話を持ち込んでしまったので、自分なりに補足します。これがまたややこしくしないことを祈ります。

おおかたの方々のご回答は、視覚機能の進化については進化論の観点からは特に疑問無く説明できるというものです。要約するに(これもまた「違う」というご叱責を受けそうですが)、徐々にまともなものになっていく。同時に一気に全体が調和するように進化してきたわけではない。ということですよね。
実は私もこれについては疑問は無いのです。
むしろ眼に関してはこれこそが、合目的にあたかもグランドデザインがあるがごときにできあがったものではなく、進化の過程でそれまでの進化結果につぎはぎと上乗せ小変更を繰り返して(決してゼロクリアしてやりなおすことなく)であることを如実に示している。進化とはそういうものであることを、合目的的なものではないことを、眼の構造は示している、というのが私の認識です。何年か前に日経サイエンスで、最初から設計すればこんな非合理な人体の解剖にはならない、という記事(特集だったような)があり、眼球もその一例でした。何年何月号か今となっては分かりませんので、かわりにいまちょっと検索して見つけた眼球進化関連URLを一つ記しておきます。この中の「網膜」の部分を見てください。
http://nobukazu-web.hp.infoseek.co.jp/page/essay …

進化論というものは、生存に有利もしくはニュートラルあるいは非常に不利でない形質は、保存されつつ漸進的に試行錯誤的に具合のよいシステムに仕上がっていくということなんです(専門家のかた、違っていればご指摘ください)。このへんについて質問者様は疑問を持たれたわけです。疑問を持つことこそがより深い理解につながりますから、教科書に書いてあることを鵜呑みにするよりずっと上です。
と共感したので、鯨の話を持ち出してエールを送るつもりだったのですが。。。

(以下#10様および質問者様へ)
鯨の話はちょっと余計でした。鯨の話は、生存に有意に不利な形質と思われるようなものが生存に不利でないようになっていくまでどうやって存続できるのかということなんです。バリアがとても大きくて漸進的な進化では乗り越えられそうにない場合について、進化論はどう説明しているかという話でした。実はそれほど大きなバリアではなかったということなのか、中間形態(#10様は中間形態があったということ自体を否定しておられるようにも見えますが)に適したニッチェが有って辛くも存続できたということなのか。
しかし、ちょっと異質な話題を持ち出して、話題の本筋を乱してしまったかと思います。本スレッドからは以後カットしていただいたほうがよいかと思われます。
「完成版」につきましては、生存に不利な状態を脱し、種を維持できる程度に適応した状態という意味で用いた言葉でした。「現在の鯨が“完成版”というような誤解をしている」人は希少だと思いますが、そのような誤解を呼ぶとは想像外でした。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>進化の過程でそれまでの進化結果につぎはぎと上乗せ小変更を繰り返して(決してゼロクリアしてやりなおすことなく)であることを如実に示している。

ゼロクリアでないことは、確かですが、「上乗せ小変更を繰り返し」で、「モノが見える」機能が実現されるかどうか、そこが、まだ、よくわかりません。別の言い方をすると、「上乗せ小変更を繰り返し」で、「モノが見える」機能が実現されるとすれば、そのために必要な関連機能が身体各部で育つまで、非常に長い時間を待たなければならないと思います。

それだけなら、何億年でも待てばいいので、別に問題ないのですが、問題は、その長い時間の間に、無用な、しかし、生存に積極的に不利でないような機能が次々と生まれているはずだということです。それらの機能は、淘汰されずに、その生物の体の中に次々と追加的に埋め込まれていなけれならないはずです。すなわち、100円ショップのような何でも屋的な身体を持った動物になるはずです。でも、実際の生物を見ると、そのような100円ショップ的な身体を持った生物は見当たらない気がします。その辺りが、いまだ、疑問です。

補足日時:2006/06/14 10:12
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#11です。

読み返すと、ちょっと書きかたが極端でしたので細くさせていただきます。

もちろん、中立な変異なら残ります。中立な変異を利用して、別のところに有益な変異ができるtことはあるでしょう。ただ、中立な変異は偶然おこるだけで、手の込んだあたかも何者かが設計したかのような構造はできないと思います。そういう手の込んだ構造は有利な変異の積み重ねがないとできないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/14 09:57

> 私の疑問は、「多数の複雑な機能の総合的働きで初めて機能するような生物の働き」ができる場合のプロセスについてです。


> このような場合、その「総合的働き」が実現されるまでは、その働きを構成する個々の部分要素は、個別には、少なくと、
> 生存に積極的有利とは限らず、むしろ、生存には関係ないか、あるいは、生存に不利な場合もあると思います。
> そなわち、将来は生存有利に繋がるような要素部品、しかし、現在は生存有利とは限らない要素部品が、何故、都合よく、
> 長期間かけて、準備され、保存されるのかが、どうもよくわかりません。

答えは、「そのようなことは進化では決して起こらない」です。進化のプロセスを正しく理解していればそのようなことが起こるはずが無いことは明らかです。
眼の進化で説明しましたように、一見何者かが準備して用意周到に出来たように見えても、実際には個々の有利なプロセスの連続で説明できます。
一見長期的な展望があって起こったような進化が、どのようにして個々のすこしづつ有利な進化の連続として示されるかは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」「盲目の時計職人」などに個々の例の説明があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/14 09:56

横から失礼します。



> そなわち、将来は生存有利に繋がるような要素部品、しかし、現在は生存有利とは限
> らない要素部品が、何故、都合よく、長期間かけて、準備され、保存されるのかが、
> どうもよくわかりません。

ある変異が次の世代に伝えられるかどうかは、変異を起こした個体の総合的な適応度に依存します。少なくとも親は子を残す程度には適応していた筈で、その子は親と同程度の適応度は持っているはずです。従ってある変異の結果多少適応度が下がったとしても、その個体の総合的な適応度が子を残す程度にあれば、その変異は次世代に伝えられます。ましてや、変異が適応度に対してニュートラルなら、むしろ変異が保存される方が自然です。

また、現在のシステムを構成する部品が「都合よく」準備されたわけではありません。もともと別の用途に使われていた機能が流用されたかもしれませんし、システムを構成する部品が単純な構造から始まり、互いに既にある部品をうまく利用した変異が残るという正のフィードバックを繰り返して、複雑なシステムが出来上がってきたとも考えられます。

これらのことはR.ドーキンス著「ブラインド・ウォッチメーカー(盲目の時計職人)」に丁寧に説明されています(参考URL)。ドーキンスの考えを100%支持するわけではありませんが、この本は進化の総合説に基づく良書だと思います。一度読んでみてはいかがでしょう。

それと、誤解されがちなのが、現存の生物の形態が“完成版”という考えです。その時々の生息環境で子を残せる程度に適応している生物が残っているのであって、現存の鯨もたまたま現在の環境で子を残せる程度の適応度を持っているだけです。従って今の鯨の姿になる前の段階を“中途半端”というなら、今の鯨も“中途半端”ということになります。鯨はその時々で適応してきた生物(形態)を経て今の鯨の姿になったのであり、今の鯨の胴体にいきなり鰭が生えたのではありません。今の鯨に鰭でも足でもないものがくっついたものが地上にいたわけでも、水中に飛び込んだわけでもありません。現在の鯨が“完成版”というような誤解をしていると、その様なナンセンスな考えが涌いてくるのかもしれません。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152085576/50 …

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>ましてや、変異が適応度に対してニュートラルなら、むしろ変異が保存される方が自然です。
変異が保存されるための条件として、「生存に積極的に有利でなくても、積極的に不利でなければ、保存される」と考えてよろしいですか?

これに関して、私の疑問は以下の通りです。説明が、ちょっとややこしくて済みません。

まず、「目が見える」ためには、眼球の機能だけではダメだということがあります。これは、一例なので、もう少し、一般化すると、ある機能F(例えば、「目が見える」機能)が実現されるためには、身体の各部(A、B、C、、、、)に、Fに対応した一定の機能が実現されている必要があります。話しを単純化するため、身体の各部A、B、C、、、部分の機能を実現する遺伝子として、a、b、c、、、が対応していると仮定します。このとき、aがa1の遺伝子コードを持てば、身体部分Aに機能A1が実現され、aがa2の遺伝子コードを持てば、身体部分Aに、機能A2が実現される関係とします。

ここで、仮定として、機能をF(例えば、「目が見える」機能)が実現されるために、身体部分A、B、C、、で、それぞれ、機能A52、B39、C12、が実現される必要があるとします。すなわち、遺伝子としては、a52、b39、c12、、が実現される必要あるとします。

ところで、遺伝子の変化は、「ランダム」に起こると考えられます。遺伝子aが、a52になるかならないかは、ランダムな偶然の結果ですから、当然、a12になったり、a39になったりして、なかなか、a52にはならないと思います。でも、長い時間をかければ、いつかは、a52になると考えることはできます。

そこで、遺伝子aが、a52になるまでの、長い長い時間の中で、生じたa12やa39など(a52以外の変異)に対応した、身体部分の機能A12やA39などは、どうなるのでしょうか? 上述の解釈では、「生存に積極的に有利でなくても、積極的に不利でなければ、保存される」はずですから、恐らく、多くの機能は、そのまま保存されるのではないでしょうか?

もし、そうだとすると、必要な身体機能である、A52、B39、C12、、、が実現されるまでの年億年という長い間、その生物には、何の役にも立たない肉体機能(A52、B39、C12、、以外の機能)が山ほど保存されていなければならないはずです。実際、そのようことが起こっているのでしょうか?

補足日時:2006/06/14 09:55
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#4です。



「多数の複雑な機能の総合的働きで初めて機能するような生物の働き」

って、具体的にはどのようなことですか?

目の例は、当てはまりませんね。#8さんもおっしゃっているように、「多数の複雑な機能の総合的働きで初めて機能する」わけではなく、それぞれの構成要素は、それぞれに(原始的な、もしくは別用途の)働きを持っていた、もしくは、もともと働いている器官を助ける働きを持ったわけですから。「ただのレンズ」などというのがあったわけではなく、光を受ける器官の上にレンズの働きをする組織ができたから有利なものとして受け継がれやすかったわけですし、もともと発明されていた筋肉という組織が、無意味なところに出来たのではなく、レンズを制御するという機能を発揮できるところに出来たから有利だったのでしょうし。もしくは、レンズは、もともと筋肉を持った組織として、別機能を発揮していた組織のなれのはてかも知れませんし。

もちろん、何の意味もない器官がたまたま受け継がれて、それが新しい機能を持つということもあるでしょう。この場合も、全く無意味な器官ができていたということよりは、別の機能を持つ器官として発達したものが、環境の変化や、もっと便利な別の器官が出来たことにより不用になり、当初の機能を退化していく過程で別機能を獲得したということも多いでしょう。

ある器官に新しい要素部品が突然出来た場合を考えてみましょう。この場合も、要素部品は、その器官では突然出来たように見えるかもしれませんが、実はそのもとととなる部品の設計図は、体の別の器官用として生まれ・高度化していたものであることが多いでしょう。例えば目の筋肉で考えれば、目のためにわざわざ一から筋肉を進化させるのでは割が合いませんが、体を動かすために使っていた筋肉を転用しただけということです。

すなわち、一見新しい器官に見えても、それを形成する多くの要素部品は、その器官で初めて機能を発揮したのではなく、別用途で使われていた部品の流用だということです。もともと、多細胞生物はほとんどの器官で同じ大元の設計図を持っているわけで、他の器官用の部品が偶然間違って使われるというのはそれほど不思議な現象でもないわけです。
現に、間違ったところに間違った組織ができてしまうと言うような遺伝病ってありますよね。

まとまりのない、繰り返しの説明になりましたが、少しは言いたいことが伝わると有難いのですが…。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>「多数の複雑な機能の総合的働きで初めて機能するような生物の働き」って、具体的にはどのようなことですか?

例えば、「目が見える」という機能が可能であるためには、眼球は当然のことながら、それ以外の様々な機能も同時に実現される必要があるということです。具体的には、目は、レンズがなければ機能しないということは当然ですが、単にレンズがあればよいわけではなく、視神経もなければ意味がないです。また、視神経があっただけでもダメで、視神経から伝わった情報が脳に伝達して画像として意味を持った情報として処理する機能も必要です。さらに、それだけでも不十分で、眼球に何か異物が飛び込んできたら、とっさに瞼をふさぐ働きも同時に実現される必要があるし、涙を出す働きも必要です。このように「モノを見る」という一見単純な働きが可能になるためには、ものすごく多くの(上述の例は、その極一部に過ぎません)機能が、肉体上の色々な部分(眼球、神経、脳、筋肉、瞼等)で、同時に用意されている必要があります。

そこで、私の疑問は、これらの肉体諸部分の多数の機能の実現に関連した遺伝子が、何故、一斉に、「目が見えるために必要な」突然変異を起こすのかということです。もし、突然変異が、ランダムに起こるのなら、そんな都合の良いことばかり立て続けに起こるはずがないではないかという疑問です。

>それぞれの構成要素は、それぞれに(原始的な、もしくは別用途の)働きを持っていた、もしくは、もともと働いている器官を助ける働きを持ったわけですから。

例えば、ある原始的動物を想定します。その原始的動物は、レンズを利用せずに、皮膚細胞の一部で光を感じて、環境に対応する動物がいたとします。この初歩的段階でも、光を検知する細胞と、その細胞に繋がった何らかの神経細胞と、さらに、その神経細胞から来る情報を処理する簡単な情報処理機能(脳というほど高度ではなくても)を持ち、また、その結果に応じて、何らかの遠心系神経を通して、運動能力を機動することもできるとします。

問題は、この後、どのような発展段階を経て、人間の「目の働き」のような総合的機能を実現できる生物に進化できるかです。やはり、進化のどこかの段階で「レンズ」ができる必要があると思います。でも、もし、上述の原初動物の皮膚細胞の中に突然レンズができても、それ自身は、単なる異物であり、何の役にも立たないと思います。

そのような疑問に対し、回答者の方は、恐らく、以下のようにお考えなのだと思います。

すなわち、突然、今の人間の目のレンズのようなものができたわけではなく、最初の段階では、皮膚細胞に非常に近い、でも、光を集めるのに、より効率的な「原始的レンズ」が、まず、できたとお考えなのではないかと思います。そのような理解でよろしいですか? そうだとすると、同様の考えで、その他の関連部分である、神経、情報処理、結果を筋肉に伝える機能、なども、同時に少しずつ、合わせて、進化していったとお考えですか?

もし、このような考え方に立っているとすると、「進化」は連続的であって、飛躍はないということになると思いますが、そのような理解でよろしいでしょうか?

 ちなみに、ここで、「連続」と言うのは、進化の過程には、大きな構造変化はなく、部分部分の微小な変化の積み重ねによって進化したという意味です。一方、「飛躍」というのは、進化の過程の要所、要所で、部分の微小な変化では不可能な、「構造的変化」が伴ったという考え方です。

補足日時:2006/06/14 09:21
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眼を例にとって説明しますと、眼の部品が突然そろって完成版の眼ができるはずはありません。



連続した、少しづつ有利な微小な変異の連続で眼はできました。現生の生物を見ると、眼の完成にいたるいろんな段階の生物がいます。それらをつなぎ合わせて、眼ができるシナリオを推測すると、

1.まず、皮膚に光を検知する細胞と神経系ができた。これは細かい情報は得られませんが、生命の源は太陽の光ですから、植物性でも動物性でも餌を食べる動物は光を検知できた方が生き残りに有利です。

2.光を検知できる細胞群は細胞が集まっている真中が少しへこんだ形になったほうが光の方向が検知しやすいので、そういう形を作る遺伝子は生き残りに有利に働きます。

3.2の形はよりへこみが大きく光の入射口は小さい方が光の方向をより特定しやすくなります。極端になると眼は針穴写真機のようになり、暗いが像を結ぶことができるようになります。こうなると餌や自分を食べる敵も識別できます。この段階の眼はオウム貝にあります。

4.3ができればのその上の皮膚が肥厚してレンズのようになるような変異が起これば、入射口が大きくても象を作れますから、少ない光でも情報を得られます。こういう変異は当然生き残りに有利に働きます。

眼を動かす筋肉は3、4の段階になれば、その存在が有利に働くでしょうから、この段階からできたと思います。

変異そのものは完全にランダムな現象です。しかし、どのような変異が子孫を残しやすいかは、ある程度までは必然の部分もあります。その証拠に、全く発生系列の異なる軟体動物と脊椎動物で同じような眼のシステムができあがりました。こういうことを収斂といいます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

以下の2つのことをおっしゃっているのだと思います。

(1)変異そのものは完全にランダム。
(2)変異が生存に有利な場合、その変異が継承される。

私の疑問は、「多数の複雑な機能の総合的働きで初めて機能するような生物の働き」ができる場合のプロセスについてです。このような場合、その「総合的働き」が実現されるまでは、その働きを構成する個々の部分要素は、個別には、少なくと、生存に積極的有利とは限らず、むしろ、生存には関係ないか、あるいは、生存に不利な場合もあると思います。

そなわち、将来は生存有利に繋がるような要素部品、しかし、現在は生存有利とは限らない要素部品が、何故、都合よく、長期間かけて、準備され、保存されるのかが、どうもよくわかりません。

補足日時:2006/06/13 08:40
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