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日本は暗記や詰め込みが多く、本質を教える教育をしない、と聞きます
また日本人は本質を見極める力が不足しているとも、聞きます

では本質を教える教育とは、具体的に、何でしょうか?
また大人になったときに本質を見極める能力を持てるようにする教育とは、具体的に何でしょうか?

例えば歴史ならば、正確な年号などはどうでもよく、むしろまずは大きな流れを捉え、それからその時々に起きた事象が、現在のわれわれにどういう影響を残しており、今後はどういった軌道を辿るのだろう、のような感じの教育でしょうか。

たしかにこのような教育は、歴史の本質を教えてくれるかもしれません。

ただ、だからといって、それが一般的な物事の本質を見極める能力を育むのでしょうか。

質問

「そもそも、本質を見極める能力というのは、具体的に、どのようにして学校で子供たちにつけさせることができるとお思いになりますか?」

A 回答 (10件)

教育関係の仕事をしているものです。



私は理工系なので理系の例になりますが、たとえば実験で何かを証明することは簡単ですが、本当にその意味を理解するのは大変です。たとえば車を使って加速度と距離の関係を計算するような実験をしても、ただ加速度の式を再現するだけで、「なぜ」そういった関係になるのか理解することはありません。

学校で教えるには、生徒が自然と「なぜ」か知りたがるような教え方をしなければいけないと思います。自分が知りたい!と思わなければ、先生から聞いたって何の意味もありません。暗記しても、すぐに忘れてしまうでしょう。

私がよくやるのは、わざわざ失敗する実験を生徒に与えます(でも生徒には失敗することは言わないで)。そして、失敗したときに生徒が「あれ?なんで?」と思うでしょう。そこがチャンスです。失敗した原因究明する工程で色々学べることがあります。また、目の前で起こった出来事を分析して理解する力をつけることができます。

この方法は教師側からのさりげない誘導が必要な上、そのような実験ができる問題が限られているので、全ての科目に利く方法ではありませんけどね。とにかく生徒が「なぜ?」と興味を持つことが大事だと思います。

この回答への補足

ありがとうございます
生徒のモチベーションを上げるための、失敗からの出発というのはよいアイデアですよね。さらにそこに、成功にいたるまでの道のりが複数あり、どれもが評価されるということでしたら、それはもうとてもよい方法だと思います

モチベーションが上がる→自分で考える→自分で考える姿勢が他のことへも向く→色々なことに対し自分で考えるようになり、それらをつなぎ合わせて系統化する能力が発達する→それこそが本質を見極める力

という仮説はいかがでしょう?

補足日時:2006/07/17 07:29
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小さい子のうちから多くの疑問を持つので、人はもともとは「疑問を持つ気持ち」はあると、私は考えています。



その気持ちを、「本質を追求する情熱」に変えていくことが教育にとって大事なことになると思いますが、一つの大きな前提は、「自由」であることかと思われます。

矛盾していようですが、自由であるからこそ、疑問や自分なりの発想・アイディアや自分なりの考え方が生まれるような気がします。

例えば、この回答も、学校の宿題のような強制されたものであれば、わたしは今より回答するモチベーションが減り、おざなりの回答しか出来ないと思います。回答するもしないも、自由だからこそ、ここまで書けます。

そして、自由の中で出てきた、疑問や発想・アイディア、考え方に対して応答する必要はあります。

疑問に対して、さらなる疑問で返すも良し、発想・アイディアを褒めるも良し、考え方に反論したり、違う観点を伝えることも良しだと思います。また、新しい情報を伝えることもいいと思います。また、友達どうしで考えを話しあわせることもありですね。

そういった応答の仕方には、法則や最善策などはなく、個々の状況に応じて切り替えていく必要があり、それが教育を行う者のスキルかと考えています。
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答礼ありがとうございます。

#6です。

確かにそう簡単に諦めるものではないのですが、ことは「本質」が関わることですので、、

私が、一番言いたかったのは

>「本質を見極める能力」と思ったその瞬間から、その人は「本質」から離れ始めてしまうのだと思います。
学校でも家庭でも、「本質を見極める能力」を得るための学習しかできないのだと思います。
ということです。

アンビバレントな関係性ですが、「本質を見極める目を育てる教育」そのものはできると思います。
しかし「本質を見極められた!」と生徒が思った瞬間に、その彼は本質から程遠いとこに行ってしまうのです。誰かが「ハイ貴方は本質を見極める能力を持ちました」と認定しても同じことです。やはりその瞬間に、本質から離れ始めてしまうでしょう。

つねにいつでも「無知の知」を自覚しながら学業を離れても、人生経験を積んでいくことしか、「本質」を見極める目を持ち続けることは出来ないのです。

ご質問者様は教育者でしょうから、教育者が成果として求める「本質を見極める能力」は身につかない(身についたと思った瞬間に離れてしまう)ということを言いたかったのです。
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こんにちは、hellohowareyouさん。


日本の教育は、あまり変わらないのではないでしょうか?
hellohowareyouさんが習ったことを、今も子どもたちが習っているとおもいます。
ただ、魅力的な教師が激減しているのではないでしょうか?
学生時代に教師を目指した人たちで、教師になったのは、数えるくらいです。
学校に多くを期待してはいけません。生命の安全と、病気にならない丈夫な
体と、自分で何かになりたいと思ったときに、何にでもなれる基礎を身に着けることでしょうか?
いじめもなく、無事に義務教育を終了されることをお祈りします。
hellohowareyouさんが教師なら、体を壊さずにお勤めにお励みください。
土曜日の夜、「もういちど受けたくなる授業?」と言うテレビ番組があります。ヒントがいっぱいありますね。
教えるとは、希望を語ること、(共に未来を語ること)
学ぶとは、誠実(まこと)を胸に刻むこと・・・ルイ=アラゴン

この回答への補足

>土曜日の夜、「もういちど受けたくなる授業?」

面白そうな番組ですね
テレビが本気になると本当に面白い番組を作りますから、さぞ魅力的な授業が紹介されているのでしょう
いまの日本教育は変化の過度期にありますから、大いに希望を持つべきときだと思いますよ

補足日時:2006/07/17 06:56
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藤澤伸介氏の『ごまかし勉強』という2巻組みの本をお勧めします。

上巻の副題が『学力低下を助長するシステム』、下巻の副題が『ほんものの学力を求めて』と言うものです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/478850796X/
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4788507978/

この回答への補足

面白そうな本ですね
機会を見つけて読んでみたいと思います
ありがとうございます

補足日時:2006/07/17 06:54
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本質を見極める能力を、学校で、身につけさせる。

ということは無理だと思います。

せめて出来るのは、「無知の知」を自覚させるくらいのことではないでしょうか。

#3さんや#5さんが、とてもよい事例を出されていると思いますが、世の中にはいろいろな事象がありますので、その事象・事象について独特の情報や経験なども必要でしょうから、それらの例で能力を身につけたとしても、すべての事象について「本質を見極める能力」を持つことにはならないと思います。

私は、メンテナンスの仕事をしていますが、質の高い仕事をするためには、「思い込み」を排除して、「知らないことがあるかもしれない」と常に自分の能力に対して疑問を持つことしか方法がありません。
技術や経験は、この「無知の知」を理解して初めて、役に立つのです。

ですから、「本質を見極める能力」と思ったその瞬間から、その人は「本質」から離れ始めてしまうのだと思います。
学校でも家庭でも、「本質を見極める能力」を得るための学習しかできないのだと思います。

この回答への補足

>本質を見極める能力を、学校で、身につけさせる。ということは無理だと思います。

そうでしょうか?はなからあきらめてしまうのはいかがなものかとおもいます

わたしが生徒のときも、先生のちょっとした雑談の中で「へー、世の中ってそんな風になってんだ」と感心した覚えもあります

すべてに達観する先生はムリとしても、その方面に詳しく本質を把握している先生が、その事象をかいつまんで教えてくれるだけで、結構本質を捉えるいい勉強になると思いますよ。

例えば新聞をとりあげて「この政治問題ではこれが槍玉に上がっているが、この問題の本質はなんだ」みたいにディスカッションをするのもいいと思います。

いずれにせよ先生がその問題の本質を把握していることが大前提ですが

でもこういうのって、いまの試験や成績には反映されないんでしょうね・・

本質を見極める能力 って子供の成績欄があったとして、それを正当に評価できる教師って何割くらいいるんでしょうね・・

補足日時:2006/07/17 06:58
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アメリカの大学で講師をやっていたことがあります。

当然学者同士の交流があるのですが、彼らの認識で一致していると思われることを幾つかご紹介します。

1)暗記という作業は非常に大切。

もちろん詰め込み暗記は忘れてしまいますので、ある意味で無駄のようにも思いますが、高等教育に於いては、暗記は必須だと思います。好きな分野なら勉強を続けているうちに自然と暗記するものですけどね。そもそも暗記項目が少ないと、脳みその中のエレメント同士のつながりが無くなってしまいます。そこで発展が妨げられてしまいます。つまり知識がバラバラになる恐れがあります。

2)基本が極めて重要。

小学校では基本、大学では高等教育、と思われがちですが、高等教育とは、基本の寄せ集めであって、原理が変わるわけではありません。ご自身が本当に基本を理解しているかどうかは、「小学生に物事をきちんと説明できるかどうか」で試すことが出来ます。

世界の立派な学者にしてもアーティストにしても、その人たちが話を始めたら、それはどんどん膨らんで行くのですね。そこには知識と経験、そして何よりも「基本」に対する深い理解があるからだと思います。それがもし無ければ、原理は見えてこないのではないかと思います。

わかったか、わからないか、モヤモヤしている状態の場合がありますが、そこを抜け出すにはやはり「基本」に戻るしか無いと思います。

ご質問に戻りますと、子ども達が何に対して興味を持つか?を考えた場合、「わかった!」という事ではないでしょうか?

具体的には、実際にアメリカの小学校で行われていることなのですが、「ある一つの物を説明する作業」が役に立つと思います。例えば「バナナを説明しなさい」という作業を与えるわけです。

だれでもバナナはバナナだ、と思うわけですが、では本当にバナナという物体を理解しているかどうかは別問題なのです。つまり「知っている」ということと「理解している」ということは違う、ということですね。

バナナの専門家ではありませんが、子ども達は次のように考えるでしょう。

バナナはなぜ黄色い?
緑色のバナナがどうして黄色くなる?
黄色いバナナはなぜ黒くなる?
バナナという言葉は何処の国の言葉か?
バナナはどこで獲れるか?なぜ?
どうしてゴリラはバナナが好きなのか?
おいしいバナナは甘い。どうして?
バナナの成分は?
寒い土地ではバナナは貴重品だが台湾ではバナナは貧乏人の食べ物と言われている。なぜ?
バナナの筋を食べたらオナラが出る。なぜ?
バナナの皮は滑る。なぜ?

まだまだ続くと思いますが、上の質問の一つ一つに、納得の行く説明を付けるのは、かなりの高等知識を要すると思います。言語学、栄養学、地理、気象学、歴史、流通、ビジネス、それらを説明するための語学、統計学、それに必要な数学の知識、等々。

こう考えると面白いですよね。くだらないと思われるような質問でも、その答えを追求する段階に於いて、子ども達の世界がどんどん広がって行くと思うのですね。それが興味にもつながって行くのではないでしょうか。

何か参考になれば幸いです。

この回答への補足

貴重なご体験談まことにありがとうございます。

たしかに欧米の授業では、こういったディスカッションが多いですよね

内容が正しいかどうかよりも、オリジナルの意見を考える力、表現する力、他の意見を聞き理解する力、そして1つの事象の裏にイメージをふくらませる力、色々なものがつちかわれますよね

先生はあまり口を出さず、オブザーバーのような地位をくずさない、生徒同士のディスカッションは本当に役に立つと思います。

もう少し日本の授業でも取り入れるべきだと思います。

ただ日本の現在の大人数クラスだと難しいものがありますよね。もう少し少人数制にならないと・・

それとたしかに基本は大事だというのは同意します。基本には反復や暗記が必要でしょう

ただいまの日本の教育では、暗記が基本をおおきくはみだして、はびこりすぎていることだと思います(例えば歴史の年号や人物名暗記は大事かもしれませんが、それが授業の90%というのはそれこそ本質からはずれています)

・・・さて、本質を見極める力 って、もっと具体的にバラすと、いったいなんなんでしょう

という疑問がご意見をご拝見しているとき浮かびました。

・自分1人で意見を考える力

・ひとつの事象を、他の複数の事象とつなげ、系統づける力

いかがでしょうか?

補足日時:2006/07/17 07:15
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#2です。


うまくいかない場合が多いのではないか、と。
イメージすると・・・要はやる気ってことですかね。簡単な問題しか作らない人もいそう。
考えに考え抜いて面白い問題を作らせることが意図であるのに。
私自身は楽しんでやりそうな方法なんですけど、どちらかと言うと一人で集中してやる内容だし、ある程度の理解や意欲がないとそこから先に発展しなさそうではありますね。
万人に与えられる方法ではない、と。
いや、そう言っちゃうと話が終わるんで少し考えてみると・・・
意図をまず理解してもらい意識して取り組みを促がす?
道すじを準備して自然と取り組めるようにする?
う~ん、まとまらない。

こういうのって複数のアプローチを準備しておいて、少数を相手に対話しながら進めるのが正しいやり方ですかね。と思った。
アプローチの増やし方は勉強して型を学ぶのがいいのかな。
勉強の方法は、最近は色んな講習会とかあるし実践型の講習で身に付ける、と。

この回答への補足

ありがとうございます

お伝えしたいところは十分わかります

生徒のものを学ぶという基本姿勢へのモチベーションつくり

それをいまの成績主義の偏差値教育の中で育てるのは、至難のわざですよね

生徒にとっては、多くの場合、2つは相反するものですから

それにいまの40人近いクラス人数では途方も無く困難であると思います

でもそれをやらないと日本の将来はあやういとおもいます

いっそ偏差値という概念を日本社会から排除するとよいと思います

もっともそうしても、有名大学から有名企業や研究所が人材をとっていく仕組みが変わらないと基本的にかわらないような気もしますが

大学では一発芸的な入学枠が増えてますよね。東大なんかもがんがんそういう枠を作って広げて、入学者の半分が一発芸入試ということになれば、日本の教育もずいぶんと変わるでしょうねえ

案外そういう風な変わり方をするかもしれませんね

補足日時:2006/07/17 07:20
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本質とは?物事の根本の性質ということでしょうか。


本質を教える教育とは、円周率でいうと3.1419…の計算方法から教えるということかな?円の面積だって3.14掛けるだけ教えたって応用できないだろうしね。
本質を見極める能力とは、3.14ってどこから出てきた数字だろう?とか考えて自ら答えを求めようとする、ナゼナゼを深く考えることのできる能力じゃないかと思います。

学校でその能力を付けさせるには・・・
よく聞くところでは、答えを初めに準備して、その問題を考えさせるっていう方法はどうでしょうか。
問題を考えるには本質を理解しないとできないし、どうっすかね。

この回答への補足

>本質を見極める能力とは、3.14ってどこから出てきた数字だろう?とか考えて自ら答えを求めようとする、ナゼナゼを深く考えることのできる能力じゃないかと思います。

これはすごく同意です。

ただ答えから問題を考えさすというだけでは、どんな教師でもできそうですが、うまくいかない場合が多いのではないかという気がしますが、いかがでしょう

補足日時:2006/07/15 07:53
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学問的見地から立った論理的解説を用いた学習方法。

最近の教師はコペルニクス的圧倒的知識が不足しているように思います。小手先だけの受験テクニックを圧倒的に凌駕するだけの「知への探求」が不足しているということです

この回答への補足

>学問的見地から立った論理的解説を用いた学習方法。

これは具体的になんですか?

補足日時:2006/07/15 07:52
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