
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
私も素人ですが、インドヨーロッパ語(以下印欧語)族の起源に関しては、真面目に本を読んだ事があるので回答させて頂きます。
印欧語族の起源に関して、とりあえず「一番有名な仮説」と言えるのは、南ロシア起源と考える「クルガン仮説」でしょう。参考URLの説明をご覧下さい。この仮説では「馬の家畜化が戦車の使用につながり、それが原印欧語の拡大の契機となった」と考えられています。
但し、参考URLを読んで頂ければわかるように、これは「定説」と言える程のものではまだありません。特に、「何をきっかけにして印欧語が広がっていったのか」については、この仮説の中では支持の少ない部分です。
「印欧語の拡散」に関する仮説で、代替の仮説として取り上げるにたるものとしては、「アナトリア起源」説があります。(これも参考URLで触れられています。)この仮説では「農業が少しずつ伝播する過程で、農業による人口増→農民が周囲を徐々に開墾していく→開墾地域の拡大に従って、原印欧語が話される地域も広がっていく」と考えられています。(尚、No.2の方が挙げている「ヒッタイトが鉄と馬で版図を拡大したのにつれて印欧語も広がった」という説は、私は知りませんが、それとこの『アナトリア起源』説は、場所は一致していますが、別のものと思われます。)
そもそも論からすれば、言語学からは、現在の印欧語の分布状況、各印欧語に共通する単語の種類から、原印欧語の起源の大雑把な場所や時代が推定できるだけです。例えば、「原印欧語には、鉄を意味する言葉は無かったようだから、原印欧語が話されていたのは、鉄器時代よりは前だろう」とか、「原印欧語には、羊とか牛を意味する言葉はあっても、穀物や野菜を味する言葉は無かったと思われるから、主に牧畜に頼っていたのだろう」とか、同様に原印欧語にあったと思われる植物や動物の名前から地域を推定する、等いった事です。このやり方は、借用語の可能性(現在、印欧語に共通する言葉であっても、元々原印欧語にあったのではなく、後になってひとつの言語でできた言葉が、他の言語に借用されただけかも知れない)を考えると、かなり限界があります。
言語学ではこの程度の大雑把な話しかできませんが、クルガン仮説は、原印欧語と、「クルガン」やそれに付随した遺物を結びつけ、南ロシアを起源にした原印欧語が「クルガン文化」とともに伝播していった、と推定しているわけです。
ただ、このように、特定の遺物・遺跡と、特定の『民族的な集団』を結びつける発想自体、最近(といってもここ20年ぐらいですが)は、以前ほどは支持を得られなくなっています。『人間の移動を伴わない文化の移動』の可能性を考慮していないからです。このような「人間集団の移動」と「物や文化の伝播」を分けて考えるのは、特にイギリスの考古学界で顕著で、それは、「ケルト人のブリテン島とへの大量移住」という従来の仮説が、いまや事実上否定されている事に象徴されています。(住居や埋葬方法などを見ると、ケルト人の大量移住はほとんど考えられない)
といったわけで、「クルガン仮説」は、今でももっとも有力な仮説とは言えますが、定説と言うほどのものではなく、更に肝心の「何をきっかけor原因にして伝播して言ったか」は、特に意見がわかれている部分です。
従って、ご質問に関しては、とりあえず「クルガン仮説」が一番有名(有力と言うのには少し躊躇します)ではあるが、原印欧語拡大の契機については、よくわからない、というのが実情だと思います。
参考URL:http://www.memomsg.com/dictionary/D1198/301.html
No.2
- 回答日時:
素人ですが大いに関心があります。
ずっと以前に読んだのですが、鈴木秀夫著『気候の変化が言葉をかえた 言語年代学によるアプローチ』は、地理学者の目からみたインド・ヨーロッパ諸語の成立について述べています。
著者が主張する根拠です。
自然地理学は数千年、数万年前におこった地球上の自然環境の変化をかなり明らかにしてきた。そのなかには激変といってもいいすぎでないような変化がある。そして、それは5千年から3千年前くらいにかけてのものが少なくない。人が分かれて移動するには、「引く」にしろ「押す」にしろ、原因があるに違いない。言語年代学が提出した年代と、自然地理学が提出した年代との間には、整合性があるのではないか。
この著書から私は次のように理解しています。
気候の変動によって民族移動が起こり、それが言葉の変化をもたらし、ひいては現在の世界の言語分布にいたっている。
インド・ヨーロッパ諸語は祖語が構築されており、印欧祖語と呼ばれる。印欧祖語の研究から、その言葉の話されてた時と所の推定が行われている。
印欧祖語の祖地は、黒海、カスピ海、アラル海の北部周辺ほか何箇所かが推定されている。いまから5千年前から3千年前にかけて祖地の夏の気温の低下量が摂氏2度ほどあったと推定できる。この気温低下が、生活にも農耕にも大きく影響して、祖地にいた民族はより暖かい南と西方面に移動した。いまみるインド・ヨーロッパ諸語の分布が祖地と推定されるところより南と西方面であることがこの推定を証明している。
>なぜ4千年程前に黒海周辺の狭い地域で暮らしていた当民族が、ここまで勢力を拡大できたのでしょうか。
ヒッタイト人のことでしょうか。
印欧祖語の祖地をヒッタイトの一部と主張する説では、ヒッタイト帝国が「鉄と馬」で版図を拡大したとき、インド・ヨーロッパ諸語が広まったとしています。
しかし、ヒッタイトの勢力範囲は、いまのトルコより少し広い程度です。
単一民族がそんなに広く進出したのではないと思います。
印欧祖語の祖地と推定されているのは、この著書では7箇所です。
5千年以上前のことは言語学では「仮説」が多いそうですから、その仮説をどなたか解説してくださるのを楽しみにしています。
http://www.kepco.co.jp/insight/content/column/co …
この回答へのお礼
お礼日時:2006/08/13 15:03
大変丁寧なご回答ありがとうございます。
いったん本投稿を閉じますが、個人的には大変面白いテーマだと思いますので、今後の当該領域に関する研究の進展を願います。
No.1
- 回答日時:
高校の歴史の先生レベルなら、
「鉄、車輪」
などというでしょうし、実際そう教わりました。
しかし、所詮、現在の「世界史」は
ヨーロッパの学者が作ったものです。
私は
「インド=ヨーロッパ語族」
という概念がはなはだ怪しい、と思います。
よって参考URLの方の説を支持します。
あ、学校の宿題ならそんな事書いちゃだめですよ。
参考URL:http://www.rui.jp/message/04/98/84_bf6a.html
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