プロが教えるわが家の防犯対策術!

 不遇な境遇の家庭、例えば、貧しい家庭といっても、
1 「自分もがんばらないといけない」と、しっかりした子供に成長する。
2 親の目が届かず、不肖の子供になる。
という正反対の場合があります。(該当する方がいらっしゃれば申し訳ありません。これは質問内容を具体的に理解していただくための一例です。他意はありません。)
 いろいろな親子を見ても、必ずしも親がすばらしいかどうかは関係ないようにも思えます。このように、この違いはどこにあると思いますか。

A 回答 (13件中1~10件)

前者は「自分の人生は自分で切り開く」という自覚がある。


後者は「自分の人生は周囲の人や環境に決められている」と思っている。
…のではないかなと思います。

どんな不遇なことがあっても結局は自分の人生は自分で動かすしかありません。
他の人(親を含む)がどんなに素晴らしいアドバイスをしても、それを実行するかどうかを決めるのは本人なのですから。
与えられたものに不満を言うだけで、周囲に助けてもらうのを待っているようでは「甘えている」と思われても仕方がないと思います。

努力も怠惰も全て自分に帰ってくるのではないでしょうか??
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この回答へのお礼

様々なご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/07 11:32

私も、最近この件について真剣に頭を抱えています。


と、いうのも、私と弟で成人後の境遇が全く変わったからです。
私たちは兄弟ですから、もちろん同じ家庭で育ちました。
そして、父親のDVによって家庭が崩壊し、私が高校3年の時に父親は出ていきました。

私はその後、大学に進学し、普通の生活を送りました。
弟は停学を繰り返しつつも何とか留年せずに卒業しましたが、その後は就職せずフリーターになりました。

私は大学卒業後、最初の職場に失敗して退職してから数年、フリーター、臨時職員生活が続きました。保育士資格を独学で取ったあとも、臨時採用職員で何とかしのいでいました(収入は上がりましたが)。しかしそれも3年経たないうちに臨時契約を切られ解雇、昨年今の職場に入り、正職員にはなったものの収入は激減しました。

弟は、たがが外れたように遊びまくりました。借金して買った中古車を乗り回し事故して廃車したり、100万くらい借金して豪遊したり、そのうちバイトで遊び代をまかなえなくなり母親に無心するようになりました。ただでさえ母子家庭でそんな余裕ないのに、母も、私の言うことなど聞かず、弟になけなしのお金を与えました。
そして4年前、県外に出稼ぎに行くと言ったまま音信不通になり、未だ連絡は取れていません。私と他の兄弟の予想は「ホームレス」になってるのではないかと考えています。

私がしっかりしてるかわかりませんけど、人並みの生活が送れているという点で1に入るのかな?
弟はどう考えても2、です。
どうしてこんな風に人生分かれてしまったかについては、こう推測しています。
(1)私と弟で成績を比較された(ちなみに他にも兄弟がいて、それほど出来も良くなかったのですが、年が近いのでよく比較されたのではないかと)
(2)暴力を受けた度合いが私と弟で違った
私も殴られたりはしましたが、大けがするほど殴られたり刺されたりはしませんでした(ちなみに下の弟ふたりはほとんど暴力は受けなかった)。
(3)精神力の強さ
私は小さい頃から親を見限って頼りませんでしたし、反抗ばかりしていました。弟はその逆で、甘えたかったみたいです。その気持ちの強弱が成人後に大きく影響したのではないかと考えます。
(4)あとは、他の回答者さんが言われるとおり「出会い」による成長・勉強の影響は計らずしも大きいものがあると思います。
私は親から生命と身体以外は何も与えられなかったに等しいですが、そんな未熟な私を育ててくれたのは、周囲の人たちだと思います。
はじめは、攻撃的な親を見習って自己防衛の反論ばっかり並べ立てていましたが、それに気づいて改善できるようになると、以前に比べてだいぶマシになったような気がします。

あとは「こんな風にだけはなるまい」という一念ですね。その一念が常人よりも遙かに強かったということです。
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65才の男性です。

 

人生は出会いで決まります。人生は運八分の実力二分。 全ては運次第です。 運に恵まれた人は良い出会いに恵まれています。 逆に運のない人は、良い出会いがありません。 

人生負け組だなと思う人の多くは『自分は力がなかったから』と不遇を自分のせいにしています。 ただ運がまだなかっただけの事。 これから運に恵まれる事だって可能だのに、ひがんでしまっています。 これでは運のほうで去っていくのです。 人生は運が八分に実力が二分です。
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こんにちは。



自分の両親は、他人からの評価がひどく低く
私自身、よく「何でグレなかったの?」と言われます(笑)

自分の体験として思うことは

私と関わってくれた全ての人たち
(反面教師になってくれた両親含む)
私に親切にしてくれる大人・先生
一緒にいてくれた友人
守るべき者であり、心許せる存在だった妹

私は、本当に周りの人達に恵まれました。
私自身には何の能力も良い所もないのですが
こんな私に関わってくれる人が良い人ばかりでした。

運といってしまえば、それまでなのかもしれませんが
親が全ての責任ではなく
人生の過程で出会う人というのは、すごく大事な気がします。
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どこにある、と言うよりは、全てにある、と思います。


一見、同じような不遇な状況であっても、内実はそれぞれ少しずつ異なります。また、本人の能力、資質、性格などによって同じ環境であっても違いは出てくるでしょう。当然、社会情勢であるとか、はたまた成長した周囲の環境もあるでしょう。
「原因は○○である」と言うのではなくて、ありとあらゆるもの、全てが互いに影響しあってその人の将来が出来て行くのだと思います。
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自分は愛されている、信頼されているという実感があるかないか、



で違ってくるのではないかなと思います。

社会的には「ダメな親」でも、子どもに愛情を注いでいる家庭には希望があるのではないでしょうか。
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同じ家庭で育った双子の兄弟でも同じ人生は歩まず個人差が出るわけで、それは家庭外環境とその人の天性のモノの差だと思います。


不遇な環境で育った人の将来に差があるのもそういうことなのかな?と思います。
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ここのサイトの心理学とか哲学のカテゴリーで



「親が干渉したから人生だいなしになった!」
と怒っている人と

「親が干渉してくれなかったから人生失敗した!」
と嘆いている人がいました。

言ってることは正反対のようですが私には、この二人、同じ人種に思えました。
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本人の能力、持って生まれた力



しかないと思うし、そういう回答がないのが不思議
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ある不遇系な境遇の家庭を追跡調査した研究では



2の傾向が強いそうです
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