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わたしは独占力が強いのだと思うんですが、人からまねされたりするのがすごく嫌なんです。自分の専門分野がとられたかんじがするんです。気にしなければいいのですが、ちょっとでも自分のものを真似しているようなことがあれば、「この人、どこまで自分のまねしてるんだ・・・。」と探りたくなります。

最近は、調べ学習で「大学の体験講座」のようなものを探して、自ら足を運んで行き、レポートをまとめていました。わたしは、自分で苦労して体験講座を探したのに、それを友達がまんまと真似しました。わたしにとって「大学の体験講座」は自分だけが見つけたもので、周りの人にはまねされたくなく、自分だけがやりたかったのです。

あと、「趣味」をまねされるのが嫌なんですが、「ねぇ、これ私の趣味なんだからまねしないでくんない?!」と言うと心が狭いと思われそうだし、言ったとしても「そんなの、別にあなただけのものじゃないじゃん。」と言われて、「確かに。」となってしまうんです。それに、自分は人の真似をしないのか?といわれると、たぶん知らずのうちに真似してる部分はあると思うんです。でも、どうしても譲れないものとか、自分はこんなに頑張ったのにというものに関しては、すごくその瞬間ストレスを感じます。
「まねされるってことは、良いなぁと思ってるからだよ!すごいことじゃん。」と言われるんですが、なんかしっくりこないんですよね。別に、すごいと思われようとやっているわけではないし、むしろ個人で地味にやってるのを楽しみたいときだってあるのに。最近、まねされるのが嫌で、人になるべく見られないように気をつかっています。常に疲れます。被害妄想だと思うんですが、気を抜くとすぐ真似されます。
気持ちを広く持てばいいんでしょうか・・・。「まねされたかも」と思ったときの、心の持ち方とかでもいいです。なにかアドバイスお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

#8です。

再度書き込みさせていただきます。

>どのようにすれば自分が「まねされていい。」と思えるのでしょうか。。

人の感情というのは、誰にも変えることはできないんですよ。
あなたが真似されることが「耐えられない」と感じるなら、それを感じなくするようにする方法はありません。
あなた自身も、自分に「真似されてもいいと思え」と命令することはできません。
感情というのは自然に沸きあがるもので、意志の力で操作できるものではないからです。

>自分のレポートより相手がいいものを作ってしまうのではないのか
>自分より講座の中で楽しい時間を過ごしているんじゃないか
>自分の趣味がとられた。まねされるんだったら、やめてしまおう

そうそう、そういう風に思うのは仕方ないのです。
私もずいぶん、そのような邪念に悩まされました。
これは結局、そのような感情に任せるしかないのだと思います。
あなたが努力して見つけたものを人に取られたり、真似されたりして、あなたは「独占できないならやめてしまおう」と放棄する。
それでいいと思います。
それを繰り返すことで、いつか自分がどれだけ多くのものを失い、損してきたかを悟る日が来ます。
そしてその悟りは、痛い目に遭ってみて始めて気づくもののようです。

>「自分の足元がしっかりと落ち着いたことが実感できた時」というのがおとずれない限り、わたしはいつまでもこうやって人の目を気にしていることになるんでしょうか。

自分の足元がしっかり落ち着いても、人の目を気にしなくなるということではないと思います。
ただ、人の目を気にするからやめてしまえるものと、やめられないものがあります。
今だってそうだと思いますよ、結局、人に振り回されて放棄できる程度のものは、もともとあなたにとってその程度のものなのです。そうやってあなたは物事を振り分けているだけなのです。

私もかつては人とバッティングしたというだけで手を引く・・腹の中は煮えくり返りながら・・・ということを繰り返してきました。
そして今でもそういう部分はあります。
でも昔よりはずいぶん、楽になりました。
なぜなら、本当に大切なものはやはり放棄しないからです。
自分にとって大切なものは、たとえ人とバッティングしようと、自分が一番になれなくとも、やり続けることに躊躇はしなくなったのです。
#8でも書きましたが、それが大人になるという事なのだと思います。
大人になるというのは、人にどう思われるかではなく、自分がどれだけ満足できるかが幸せのバロメーターとなることです。
人と競うことに限界を感じることが、大人になるという事なのです。
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この回答へのお礼

みなさん、回答ありがとうございました。
個別にお礼申し上げようと思ったのですが、たくさんの回答、アドバイスをしていただいたため、申し訳ありませんが一括のお礼とさせてください。

やはり・・・真似されるというのは気になってしまいます。やはり、まねは嫌だし、「別にまねされてもいいや。」なんて気もおきません。ただ、自分はやはり気にしすぎていたなぁというかんじがします。あのときは、精神的にもよくない状態だったので、よけいに敏感になっていたんだおと思います。
誰かにまねされても、自分が元祖なんだし、つっきってやろう!くらいの勢いでやろうと思います。
今回、色々な人の意見を聞けたことにありがたく思います。。アドバイスをしてくれたみなさん、本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/10/08 16:27

ほんとしつこくてすみません。



>「自分の足元がしっかりと落ち着いたことが実感できた時」

私はこんなことまで考えてドラムをやってません。
しっかりしてなくていつもフラフラしています。
人生なんてそんなものではないかと思っています。
永遠に安住の地などやってこないと思います。
甘くないと思いますよ。

しかし、
「方向性が"確定"したとき」
「自分なりにどこまで探求するかの目標設定ができたとき」 だけは
「いったんは地に足がついた気にはなれる」
と思います。

また、「家族が、恋人が認めてさえくれればそれでいい」
という考え方でもマイペースでできるようになると思います。
私の場合はそうです。
他人に評価などされなくても自分のレベルは自分でわかるし。
自分のレベルが自分で分からない(自分で自分を評価できない)段階の場合は
もっと仕事や勉強をそっちのけにするくらい趣味に没頭した方がよいかもしれません?
半分冗談ですが、半分はマジです。(^^)
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しつこくてすみませんが、


学生時代から趣味でドラムをはじめて仕事しながらでも
続けている人は少ないです。
いろんな理由があって皆ある意味「脱落」していきます。
ただ、辞める人に共通しているのは、「うわっつらだけ」という部分です。
探究心が無いのです。
深く掘り下げる作業が嫌いなんでしょうね。多分。

脱落しないコツはただ単に「辞めない」こと、「あきらめない」ことです。

とても簡単なことなんですが、その簡単なことが
「情熱を失う」とか、「時間が足りない」などで
簡単にあきらめてしまう人が意外と多いのです。

そういう方々には何をやっても「誇りも何も無い」「やりぬいた充実感も無い」
そういった人生が待っていることでしょう。
仕事でも遊びでも趣味でもなんでもいいので「やりぬく」ことができれば
良い人生が送れること間違い無しです。

また、趣味を続けると、それは人生の一部になるので、子供の情操教育や
部下の教育などにも使えます。

「あなたの1つの芸が他人の人生に影響し、他人の人生を変える」
ということも結構あります。

そういうことも趣味のレベルを高めていくことの魅力だと
思います。

私はドラムによって世界も広がり、大きく人生を変えられました。

m-mlo さんのご趣味もどのようなものかは、また、どこまでの
レベルなのかはわかりませんが、
ゴーイングマイウェイでとにかくやめないで続けることが良いと思います。

そうすれば短い期間にちょっと真似されたくらいでは
鼻くそほども感じなくなると思います。

しょせん他人の評価は他人の評価でしかありません。
参考意見にはなりますが、絶対ではありません。
したがって、趣味や仕事を真似されたからといって
「無」にはなりません。
悔しい思いももちろんするでしょうがそれと「努力が無になる」ことは関係ありません。

自分の人生は自分で評価すればいいのです。

もし、どうしても「努力が無になる」感じがぬぐえないの
でしたら、結婚した時に夫や子供などに認めてもらえば
救われると思います。
今なら「仲の良い友人」や「家族」でもよいかも。
それらの方が認めてくれれば外野がうるさくても気になりません。
在る意味「逃げ場」を用意します。
逃げばかりではいけませんが、常にストップせずに成長していくためには多少の逃げ場も必要ですもんね。(^^)
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趣味について私の思うことを少し…。



趣味については、「一生」やれる趣味を「一生」
「棺おけに入る直前まで」やればよいのでは?

一時的にまねされたからといって、気にすることは
ありません。

一時的なうわっつらだけ真似た趣味は「一生」続くことは
ありません。

逆に、もし、m-mloさんが今の趣味を「一生」、死ぬまで
続けられたらそれはすごい財産になりますし、
それだけ「時間を費やした」ことは最後には他人には
「絶対に真似のできないもの」となります。
そして「プロフェッショナル」の領域に入っていきます。

私はドラムを趣味としてやっていますが、死ぬまでに
「プロフェッショナル」の領域には、
「片足を突っ込むのも無理」ですが、
幸か不幸かプロの方と演奏したりするチャンスも無くは無いので
それらの方々と遊びで演奏したとしても
なんとかついていけるレベルにはなりたいと思います。

もちろん私よりも技量の上のアマチュアドラマーは
はいて捨てるほど居ます。

でも私は私なので、たとえ下手でも私がたたくドラムは私にしか
出せない味があるのです。
他の人では絶対に出せない。
私も他の人の味を真似できない。
音に心をこめるとはどういうことか?
それを常に追求するのです。
プロと比べればレベルは低すぎますが、それでも
追求していくのです。
それがオリジナリティに結びついていきます。
死ぬまでにその端っこだけでもつかめるのかどうなのか
わかりません。
でも絶対にドラムは辞めません。
マイペースでやっていきます。

「真の」趣味は「一生続ける」のものですから、他人に一時的に真似された
からといって「無」になるものでも、なんでもなくて、
「どれだけ誇りと素直さで技を磨けるか?」
ということに尽きると思います。

「マイペース」を忘れずに!
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No.7です。



>自分のを真似したくせに、自分のレポートより相手がいいものを作ってしまうのではないのかとか

これについては、むしろ、真似をしてくれる人がいる事で、同じ土俵でどちらがいいレポートを作るかを切磋琢磨できるようになるわけで、むしろ歓迎すべきだと思います。
誰もあなたの真似をせずに、そしてあなたが誰の真似もせずに、何かを1から100までやらないといけないとしたら、それは大変孤独なことですし、容易ではないことだと思います。


>自分より講座の中で楽しい時間を過ごしているんじゃないかとか・・・。実際、そういうことがあります。

友人が楽しい時間・充実した時間を過ごすことは、あなたにとってもいいことだと考えるべきです。
友人がそうやって(例えそれが人の真似だとしても)色んな楽しい事やタメになる事を経験して(時には失敗をして)、それをあなたに話したり還元したりしてくれれば、それはきっとあなたが何かをする時の参考になるでしょう。

>自分の趣味がとられた。まねされるんだったら、やめてしまおう、となってしまいます。

これですが、むしろ、同じ趣味を持って、どちらがより楽しむか、いいものを作ったりできるか、いいものを探せるか、という感じの楽しみ方が出来るのでいいのではないでしょうか?
もちろん、競争するのが目的になってしまうのはナンセンスな事ですが、比較したり参考にしたりできる同じ趣味の友人がいるのは楽しいことですよ。

趣味について書かれたネットのサイトやマニュアル本などだけを参考に、たった一人で趣味をするよりも、そのほうが楽しいんじゃないでしょうか?

ただ、趣味にはもちろん、一人でこそこそと楽しみたい、というものもあります。
なにかのコレクションだとかは確実にそうですね。ほかにも色々あると思います。そういう趣味については、人に言わずに一人だけで楽しんだほうがいいかもしれませんね。
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がると申します。


補足を拝見したので、追記を少々。

概ね
> 自分のを真似したくせに、自分のレポートより相手がいいものを作ってしまうのではないのか
> 自分より講座の中で楽しい時間を過ごしているんじゃないかとか
> 自分の趣味がとられた
あたりに、問題の本質が現れているかと思います。

合いも変らずきつい意見で恐縮ではあるのですが。
「他人との比較で自分の幸福を図ろうとする」「でも自分の幸福に自信がない」「少しでも類似している何かが自分の外側(他人)にあると、そこに"自分がそうなりたいという理想"を投影する」「相手が自分より良かったり幸せであったりするように感じられる」「そこからの比較で自分が不幸せであるように感じられる」
という思考過程を経て、例えばそれを「相手が自分の真似をしないようにしてもらうことで防衛する」「その趣味を"もう興味がない"と自分に言い聞かせる(本心から自分を誤魔化すこともよくあります)ことで防衛する」といった方向に流れてませんでしょうか?

実は「自分は特別でありたい」というのは、特にここしばらくの傾向として、多くの方が持っている心情ではあるのですが。
原因はいろいろとあるものの、概ね「自分自身の根っこがない」のが根本にあって、そこから「周囲を異常に気にしたり、逆に極端に無視したりする」という方向につながります(もうひとつ「日常から離脱しようとする(典型的には新興宗教系に転ぶ)」というのもあるのですが)。
そこから先はどうしても個人差が激しすぎるので(普段は、私の場合ですと占いで拝見しているのですが)、これ以上のアドバイスはちと難しいのですが。

あまり焦ったり自分を否定しすぎたりせず、ゆっくり自分自身と向き合われてみてはいかがでしょうか?
多分、気が付くと「そういえば最近あまり気にならなくなったような…」といった感じで、自然と変わってくるように思います。
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がると申します。

少々手厳しい内容を織り交ぜる形になり、大変に恐縮ではありますが。

まず。周囲に「真似をするな」という権利がご自身にないというのが二重三重の意味合いであるかと。
ひとつには、趣味でもなんでも、それはご自身が「独占できる権利をなんらかの明確な形」で持っているものではないですよね?
もうひとつ。いみじくもご自身が書かれていますが。ご自身も、意識無意識を問わず、他の人の真似をしている(あるいは結果としてまねているような状態になっている)事ってありますよね?
現状、厳密に「なにも真似ていない」モノはまずありません。連綿とした歴史の中で、過去の良いものをお手本にして、より良いものにしていくのが通例です。
新しいものとて、多くの場合「古いものにインスピレーションを受けて」いる以上、ある意味合いにおいて真似ているわけですよね?

つまり「真似るな」を真摯に考えてしまうと、それは現存する全てのものにたいしてNGが出てしまうわけです。

という理論側面がひとつ。

で、実際の原因は、多分違うところにあるように見受けられます。
文章を拝見している限りですと、根っこにあるのは「独占欲」&「特別感」なのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
自分だけの物にしたい。自分だけが特別でありたい。
人が多かれ少なかれ持つ感情のひとつではあると思うのですが、これが少々「邪魔になるレベルまで」肥大化しているように思われます。

そのあたりを手がかりにして、すこし自分の心をゆっくりと探してみてはいかがでしょうか?

ちょっと間をすっとばして回答を書くと。恐らく「自分の足元がしっかりと落ち着いたことが実感できた」時に、ある程度解決すると思いますので。

この回答への補足

みなさん、アドバイスありがとうございます。沢山の回答、参考にさせていただきます。後ほど個別にお礼するつもりなのですが、補足させてください。

みなさんの回答をよんでいて、だいたい自分の中でどうすればいいのかはわかっているんですが、「まねされている」という場面を見たとき、どのようにすれば自分が「まねされていい。」と思えるのでしょうか。。そういう場面に出くわしたとき、わたしは「まねする」と「まねされる」という関係が世の中になくては発展しないかないんだからしょうがないと思って見ればいいのだということでしょうか・・・。

レポートの例で言うと、自分のを真似したくせに、自分のレポートより相手がいいものを作ってしまうのではないのかとか、自分より講座の中で楽しい時間を過ごしているんじゃないかとか・・・。実際、そういうことがあります。だから、まねされたくない、と思ってしまうんです。

また、ちょっと違う話になりますが、自分の趣味がとられた。まねされるんだったら、やめてしまおう、となってしまいます。自分の好きなことは人にかまわず貫けばいいものを、やっぱり嫌で、もうその趣味に興味がなくなったりします。

つまりは、人のことを気にしすぎなんだと思うんですが、気にしないようにするにはどうすればいいんでしょうか。がるさんがおっしゃっていた、「自分の足元がしっかりと落ち着いたことが実感できた時」というのがおとずれない限り、わたしはいつまでもこうやって人の目を気にしていることになるんでしょうか。

お見苦しい文章で大変申し訳ありません。

補足日時:2006/08/16 16:43
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No.7さんに同意です。


簡単に真似されたとしたら、それは「簡単に真似できるレベルのもの」
でしかないのです。
仕事においても趣味・特技においても、人より抜きん出ている人は
必ず「自分だけのやりかた」を持っています。
それは一朝一夕で培ったものではないので、
他人は簡単に真似できないものです。

それに、他人が見よう見真似でマネしたところで、
その真髄のところが分かっていないと結局活かしきれないという
こともありえますので、
人のことは、大きな目で見るべきかなと思います。
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まねは女特有。

日本人特有なんですよ。
私も受験校選びで、かなりマイナーなところを受験しようとしたら、急にそれをしって、受験者が増えたんですよ。で、先生が「なんでみんなで同じところを受けるの?まねなのか?」と言ったら、それだけでこんどは全員受験校を変えたんんですよ。あきれるでしょう、、?

で、思うんですけど、まねする人と一緒にいてもプラスのなるものがないんですよね。自主性もないし、積極性もないし、得る物がない、、。
だから、そおいう人と友達にならなければいいと思いますよ。
嫌なら縁をきればいいと思います。
まねするから嫌なのではなくて、そおいう人間は魅力がないので嫌ですね。
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誰でもあることなんじゃないでしょうかね。


私も、真似ではなくても、他人が自分と同じ事をしていると、それだけで腹が立つことはあります。
まあ、質問者さまのおっしゃるように、独占欲が強いのでしょう。
ただ、私の場合、この傾向は学生の頃までは強かったですが、今はかなり寛大になってきています。
多分その理由は、「大人になるにつれ人間は自分の限界を知る」ということなのだと思います。

学生の頃は、私も自分が努力してなんでもやって、自分が見つけたものは自分だけのもの、と思ってました。
でも、例えばこのようなネットの掲示板などを見ていても、自分より知識の豊富な人って、たくさんいますよね。
その人たちの知識、情報を、私ももらいながら、自分の肥やしにしているのです。
質問者さまの体験口座の件も、ご自分で見つけたかもしれませんが、もともと大学が体験口座をしていたのですし、あなたが始めたことではありません。
その情報を、友人が共有したというだけで、いわばあなたは「情報提供」したに過ぎないのです。
人生いろいろ見てくると、自分ひとりで生きているのではなく、多くの人と情報を共有しながら自分も助けられているのだということを、悟ります。
私は今では、趣味などもできるだけ人に話して一緒にやるようにしてますし、自分が努力して調べたこともオープンに人に開示するようにしてます。
結果的にはその方が自分の得になるんですよ。
必ず、人からもいい情報を得られますから。
参考になさってください。
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