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ある本で読んだのですが「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の意味ですが鐘の声はいつも同じ声であるがそれを聴く人間が常に変化して色んな音に聞こえるという解説がありました。つまり情報は変化せず常に一定で人間がどんどん変化するのだという意味らしいです。
私は万物(情報)がたえず変化していると解釈していたのですが。。どちらの解釈が正しいのでしょうか??

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A 回答 (8件)

 諸行無常というのはあくまで仏教用語で、物でも地位でも何にしても普遍なものなど何もない。

だから執着を捨てなさい。執着を捨てることこそ解脱への道ですよ、というある意味で仏教の基本であり、究極の教えとも言える言葉です。
 平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは”祇園精舎の荘厳な鐘の音には、(その雰囲気も含め)聞くものに、世俗に執着している身をちっぽけな存在に感じさせる力(響き)がある”という意味に解するのが正しいかと思います。
 序文全体でこの「諸行無常」、物欲・権力欲にとりつかれることの愚かしさ、むなしさを切々と語っています。また、この短い文章で物語を貫くテーマを凝縮しながら、韻を踏んだ詩的な表現で聞くものの耳に、心に強く訴えかけます。日本文学史に燦然と輝く名文と言えるでしょう。
 情報が変化するのどうのといった解釈はきわめて一面的で表面的なものであると言わざるを得ません。
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 私も他の方々のように、平家物語の冒頭を、



> 情報は変化せず常に一定で人間がどんどん変化する

と解するのは、あくまでも現代的な(しかも恣意的な)解釈であって、平家物語の作者は仏教的無常観にしたがって、物そのもの(人間も含めた万物)が変化するという意味で述べていると思います。

 冥王星を例にとるなら(もちろん平家物語の頃にはその存在は知られていませんでしたが)、冥王星そのものが永久不滅ではない。いつか爆発して粉々になるか、太陽に引き込まれて溶けてしまうか(←天文学は門外漢なので荒唐無稽な例かもしれませんが)して、なくなってしまう。夜空の星も「きらめく星々は絶えずして、しかも元の星にあらず」というわけです。

 ちなみに、養老猛司さんはNo.1の方がおっしゃるように、情報は変化しないということを述べていますが、これは、一度発せられた情報は固定した形で流通する、ということだと思います。
 現時点でインターネットの天文サイトでは、まだ冥王星が惑星であるとの記述が残っているでしょうし(Wikipediaはきちんと更新されてますね。)、発行済みの書籍はなおさら。一度発せられた情報はそのままの形でいつまでも残るのです。つまり、情報は変化しない。
 これに対して、同じものに関する情報であっても、修正・加筆訂正されたり改変されたりしたものは、元の情報ではなく、新しい情報ということになります。
 Wikipediaの「冥王星(めいおうせい、Pluto)は、太陽系のdwarf planet(訳語は未確定)であり」云々というのは、情報が変化したのではなく、古い情報が、別の新しい情報と入れ替わったのです。

 養老さんは「情報は変化せず常に一定で人間がどんどん変化する」ことについて、病院での検査値の例をあげています(『情報化社会と若者』)。
 今日結果が届いて、カルテに記載された一週間前の8月23日の検査数値は、一ヶ月後であろうと、何年後であろうと、2006年8月23日の数値としては変わることはありません。
 それに対し人間の方は、今日8月30日には8月23日の状態から変化していて、今検査すればまた別の検査数値が出るかもしれない。だから、検査結果という情報の「確実性は、実は生きている人間にとってはあまり意味がない」と養老さんは言います。「情報、つまり言葉で書かれたものは、実は停まっている」とも。

 残念ながら養老さんが平家冒頭に言及した文章は読んだことがありませんので、以下は私の勝手な想像ですが、そういうのがあるとしたら、そこで養老さんは、万物=情報という言い方はしてないのではないでしょうか。鐘は毎回同じ音を発するという前提に立って、同じ鐘の音が、いわば固定された情報であり、それを受け止める人間の方が、たとえば喜怒哀楽等様々に変化しており、受け止め方が変わってくるというようなことを述べているのではと思います。 

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047041548/24 …
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No.3です。

情報という言葉について調べてみました。
まずWikiで調べると、次のように載っています。
”明治期の、森鴎外による訳語という説もあるが、実際には最初の用例は1876年出版の訳書「佛國歩兵陣中要務實地演習軌典」にある。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1
またこの書の用例について「情報の略歴」というHPには次のように載っていました。
”「情報」はフランス語の renseignement に充てた訳語”
http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Jouhou/kyoukan/Ono/j …
また今日使われる情報という意味については次の「情報の語源」のHPに詳しく書いてあります。
” 第二次世界大戦後、情報理論が日本に導入されたとき、informationの訳語として「情報」が充当された経緯があって、再度西洋語の訳語として造語された。
 1949年(昭和24年)以降、関英男が最初にinformationに「情報」という語を充て、情報理論を紹介した。”
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/40775916 …
結論として今日使われる「情報」という言葉は英語informationの訳語であり、戦後以後の用法である。鎌倉時代に書かれた平家物語にこの戦後の言葉を持ち込むのは間違いでしょう。平家物語の作者が「情報」という言葉を知っていたことなどありえないことです。
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平家の有名なこの冒頭部分は、その後に「娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」と続きます。

先の「祇園精舎の・・・」と対になっているのです。つまり、「世(すべてのもの)のはかなさ」をここでは言っているのだと私は考えています。別の言い方をすれば「どんなものでも盛衰はある、この世は思うようには行かないものだ」と言えましょうか。「情報」という言葉は、ここでは適切ではないようですね。
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No.1で回答した者です。



私の記憶の中では、養老氏は「人は変化するが、情報は変化しない。情報は変わるのではなく、新しい情報になるだけだ」という趣旨のことをおっしゃっていたような気がします。

私にはこの考えの判断はつきかねますが、少なくとも諸行無常ということに関しては、違うんじゃないかな・・・という気がしています。
No.3の方も書いていらっしゃいますが、この言葉は仏教用語ですし、当時の万物の中に情報が入っていたかというと、違う気がします。
そもそも、情報という言葉自体、明治時代頃に初めて使われたように思います。
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諸行無常というのは仏教の決まり文句で解釈の余地はないですよ。

「諸行は無常にして一切空なり」と言ったりもします。すべてのものは空なのです。
「情報は変化せず」なんていうのは間違いです。冥王星は惑星のひとつだとわたしたちは習いそう信じてきました。しかし今や惑星ではなくなりました。情報は変化するのです。
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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり


を調べたら幾つかの解説にヒットしました

*祇園精舎(釈迦に寄進されたインドの僧院)の鐘の音は、万物が流転し、
常住不変ではないことを教えている。

*祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。

万物=情報と限らず、万物=「世のすべての現象」と理解したほうが良いようです 
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>情報は変化せず常に一定で人間がどんどん変化するのだという意味


という言葉は、養老孟司氏の著作をお読みになったのでしょうか。
確か、氏の考えにこういうものがあった気がします。
(間違っていたらすみません)

一般的な意味では、質問者さんの解釈で正しいと思います。
万物は全て移り変わって、とどまるものがない、という意味です。

ただし、この言葉は仏教思想に基づくものですから、平家物語の作者が、万物という言葉のうちに情報までを含んでいたかどうかは分かりません。
普通は、万物(主に人や盛者)は生滅を繰り返す、という意味ではないか、と思います。
釈迦が説法をした祇園精舎の鐘は、諸行無常の理を伝えている、という意味かと。

回答になっていなくて、申し訳ありません。

この回答への補足

ご回答有り難うございます。仰るとおり養老さんの著書にありました。養老さんの考えでは情報は変化せず。とありましたがどう思われますか?

補足日時:2006/08/29 14:57
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Q「 沙羅双樹の花の色 」は何故「盛者必衰の理」なのか?

平家物語の冒頭で、
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらわす
があります。

どうして「沙羅双樹の花の色 」が
「盛者必衰の理」をあらわすのでしょうか?
沙羅双樹の花は日本とインドで違うようですが、
ここでの花はどちらでしょうか?
↓ココのサイトによると
http://blog.livedoor.jp/rakutabi/archives/24721929.html
沙羅双樹の花は仏陀入寂のときに散った白い花だそうです。
でも花の色は変らず、変ったのは幹の色とのこと。
仏陀入滅=盛者必衰と結びつけるのも無理があるように思います。

どなたか説明していただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。。

 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。(原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・)
 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。すみません。)

 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。

 釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一樹となり、釈尊を覆った。
 このとき、木の幹が白変し、白鶴のような姿になった。(「鶴林」「鶴樹」という言葉の由来)

 この計8本の沙羅の木のうち、四方の双樹のそれぞれ一本は枯れて一本は繁茂した。(四方で一本ずつ残った)これを「四枯四栄」という・・・
 
 四枯四栄は、誤った8種のモノの見方、(凡夫が俗世間を誤った見方で見ることが「四栄」、大乗仏教以前の仏教徒が涅槃を誤った見方で見ることが「四枯」)正しい8種のモノの見方(大乗以前の仏教徒が俗世間を正しい見方で見ることが「四枯」、大乗菩薩が涅槃を正しく見ることが「四栄」)という二重の喩えになっている、そして、一方が枯れ、一方が繁茂した中で涅槃されたということは、枯れ(衰)も栄え(盛)もしない涅槃そのものを表しているとされています。

 沙羅双樹の花の色→盛者必衰というのは、双樹の片方が枯れ、片方が栄えたことか・・・?
 十分な説明になっていなくて申し訳ないですが、自分のわかる範囲ではこういうところです。では。
 
 

こんにちは。。

 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。(原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・)
 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。すみません。)

 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。

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Q祇園精舎,諸行無常の響きがあり

“祇園精舎,諸行無常の響きがあり”の読み方と意味を教えて下さい。

Aベストアンサー

平家物語の最初の一節です。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕わす

ぎおんしょうじゃの かねのこえ しょぎょうむじょうの ひびきあり しゃらそうじゅのはなのいろ しょうじゃひっすいの ことわりをあらわす  

簡単に云うと、次のような意味です。
「どんなに権力があり、強い者でも、何時かは滅びていくもので、世の中は儚いものである」

あの強い平家も、滅びてしまったという事です。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
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Q「無常観」と「仏教的無常観」

『方丈記』や『徒然草』、『平家物語』などでよく聞く言葉ですが、「無常観」と「仏教的無常観」、この二つに違いはあるのでしょうか?
私がたまたま見た便覧では『方丈記』には「無常観」、『徒然草』には「仏教的無常観」という説明が施されていました。
たまたまなのか、意図するものがあるのか…。
辞書等で調べても良く分かりませんでした、ご教授ください。お願いいたします。

Aベストアンサー

こんばんは。。

 どういう箇所・語句での説明かでも意味合いが異なるとは思いますが・・・
 どの作品も、日本の仏教系文学の有名どころですので、場合によっては、「同じことを指す」と理解してもよいかとは思いますが、下記の点にはご留意いただければと思いました。

 日本人的な無常観と仏教的な無常観は、状況によっては注意深く区別するべきものとされています。
 インドと日本の文化の違いに依る部分が大きいのだと思いますが、日本はな無常観は叙情的・詩的傾向が強いとされています。桜が散ったり、紅葉の葉が落ちたりすることに無常を感じるという具合ですね。
 仏教本来のインド的無常観というのは、もっと現実的・理論的で、感じるものというより、世界観という感じです。
 大雑把で申し訳ないですが・・・では。

Q祇園精舎の鐘の音・・・

このあとに続く文章を教えてください。読み方も教えてほしいです。すごく気になるので・・。

Aベストアンサー

 平家物語の冒頭ですね。読み方と意味は参考URLで分かると思います。1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。

 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略で、持ち主の祇陀(ジェーダ)太子より購入した園林という意味で「祇樹」となり、「給孤独」は須達(スダータ)長者の別名で「孤独な人々に食を給する」聖人という意味があると言います。

 今はインドのサヘート・マヘートの遺跡が祇園精舎の跡とされていますが源蔵法師が7世紀に訪れたときには、すでに廃墟となっていて、この言葉が中国を経て日本に伝えられたそうです。三蔵が訪れたとき、恐らくうらびれて寂しい様子だったのでしょう。

 諸行無常とはもともとは仏教用語で「この世の万象はすべてうつり変っていくものであり、決してとどまる事が無い」という意味とか。

 日本では祇園とは京都八坂神社の社領として有名ですが、舞子さんが行き交う祇園と平家物語の祇園精舎との関係は、参考にした清水義範著「ムイミダス」(文春文庫)をお読み下さい。たぶん長々と書いている間にいい回答が寄せられていると思いますが、その時は御容赦を。

http://www.fides.dti.ne.jp/~kamokamo/gionsyouzya.htm

参考URL:http://www.fides.dti.ne.jp/~kamokamo/gionsyouzya.htm

 平家物語の冒頭ですね。読み方と意味は参考URLで分かると思います。1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。

 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん...続きを読む

Q平家物語の冒頭文の質問

冒頭文に

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

がありますが、なぜ 音 ではなく 声 になっているのでしょうか?
不自然だと思います。鐘の音 が正しいと思います。

現代語訳は祇園精舎の(無常堂の)鐘の音は、諸行無常(万物は刻々と変化していくもの)の響きがある。
になっているのですから、やはりおかしいと思います。

鐘の声にした必然性があるとお考えの人がいましたら
ご意見をお聞かせ下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 No.3の方がおっしゃっている「文学性」ということで説明できると思います。
 また、他の方も述べられているように、「声」にした必然性については、確かに音韻上の好ましさもあると思います。
 それに加えて、「鐘の声」という言い方は、平家物語の作者にとっては、けっして珍しいものではなかったということがいえると思います。質問者が違和感をお感じなるとしたら、そういう文学的な表現にお慣れになっていないということが理由としてあげられるのではないでしょうか。

 たとえば、サーチエンジンの「googole」で「かねの声」で検索してみると、

 「水のおもてもさやかにすみたるをそなたのしとみ あけさせて見いたし給へるにかねの声」(源氏物語・椎本)
 「三昧たうちかくてかねの声」(源氏物語・明石)
 「けふすぎぬいのちもしかとおどろかす入あひのかねの声ぞかなしき」(新古今和歌集・1955)

など、平家物語に先行する作品の用例が見られます。

 同じく「鐘声」で検索すると、

 「月落烏啼霜満天、江楓漁火対愁眠、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船」(中国・唐の張継の漢詩)
 「観音寺只聴鐘声 」(菅原道真・不出門)
といった、有名な漢詩の例がヒットします。

 中唐の詩人で、平安時代の日本の貴族たちに親しまれた白楽天の、有名な「琵琶行」という作品にも、鐘ではなくて琵琶ではありますが、「忽聞水上琵琶声、主人忘帰客不発、尋声暗問弾者誰」という表現がみられます。

 これらの漢詩も、いずれも平家物語以前に詠まれたものですから、「鐘の声」という表現は、「平家物語」を書こうとするくらい文学に親しんでいる作者にとっては見慣れ、聞き慣れた表現だったといえるのではないでしょうか。

 No.3の方がおっしゃっている「文学性」ということで説明できると思います。
 また、他の方も述べられているように、「声」にした必然性については、確かに音韻上の好ましさもあると思います。
 それに加えて、「鐘の声」という言い方は、平家物語の作者にとっては、けっして珍しいものではなかったということがいえると思います。質問者が違和感をお感じなるとしたら、そういう文学的な表現にお慣れになっていないということが理由としてあげられるのではないでしょうか。

 たとえば、サーチエンジンの...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。

「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。
自分なりに調べてみたのですが「諸行無常」と「諸法無我」の意味や違いが理解できません。できれば具体例をまじえながら説明していただければ幸いです。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版
悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるものにあまりこだわりを持つな、地上のものに執着を持つな、ということ。

・諸法無我

これも諸行無常と同じく、地上のものに執着を持つなという教えですが、これは、空間論です。
時間論で、「一切のものが変転していく」ことをとらえているとすれば、こちらは、「一切のものは実在ではない。すべてのものは夢幻の世界である」
という空間の教え、思想です。

この両者いずれも、この世的、3次元的な視点ではなく、あの世からこの世を見たときの視点です。なので、特に後者の思想は、悟りを得ないと解りにくいと思えます。
たとえていえば、この世は舞台劇であり、実在する建物と思っているのははりぼての舞台セット。
出演者はそれぞれの役柄を演じているが、舞台を降りたら(あの世に戻ったら)本来の自分に戻る。
だから、自分が舞台上の役で持っている地位や財産にあまり執着して生きるな、ということですね。
さらにいえば、舞台を降りたら(死んだら)すべてが無になるというのは誤りであり、役者の顔を脱ぎ去った、本来の自分が生きている「死後の世界」に戻っていくので、舞台上のことに執着するなということでもあります。

ちなみに、もうひとつ「涅槃寂静」があり、この3つを三宝印といって、仏教の教えの基本とされています。

・涅槃寂静

時間・空間、そのすべてにおいて、固定的なものは何もない、恒常なるものは何も無い。そのなかで、現にここに存在し、修行をしている私は、いったい何であろうか?という問いを追求し、そして永遠の実相なるものをつかみとってゆく、そこに涅槃寂静の境地が開けてくる・・・。

そして、これらの思想は、無我、空の悟りに通じていくものです。

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版
悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるもの...続きを読む

Qこんにちわ、こんにちは、どっちが正しいの?

メールのやり取りで最初の挨拶に私はずっと「こんにちわ」が正しいと思って使ってきました。ところが友人たちからくるメールは全部「こんにちは」で来ます。

私はそのまま変えることはなかったのですが、あまりにも全部が全部後者でくるので、本当は私の間違い?と思い後者に改めました。
でも最近あるブログのやり取りを見ていたら全員が「こんにちわ」だったのです。
ちょっと嬉しくなり、「私、正しかった?」と自分に問いかけました。
でも本当はどちらが正しいのでしょうか。こだわる私は正確なことを知りたいのです。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

A No.6です。
質問者さまは混乱されているでしょうから整理します。
国語の決まりとしては「こんにちは」「今日は」です。
ただし最近は、「は」が助詞としての意識が薄れてきているので「わ」派が増加しています。
どちらを使っても自由ですが、「こんにちわ」を使って、人から「こんにちは」に直されることはありえます。

喋り言葉を記述した「コンニチワー」「コンチワ」「チワー」などは「わ」で表記することが一般化しています。

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)


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