論語の読み下しについての質問です。まったくの素人なのでピントのずれた質問かもしれませんが、
”子日”の読み方ですが、私が現在持っている本によると(論語 岩波文庫 金谷治訳注)”しののたまわく”となっています。学生時代に習った読み方としては”しいわく”あるいは、”しのたまう”あたりだったと記憶しているのですが、この様な読み方もあるのでしょうか?詳しい方がいらっしゃったら教えていただけないでしょうか?

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読み方 漢文」に関するQ&A: 漢文読み方

A 回答 (2件)

ああ、失礼しました。

もうひとつの読み方
 「シノノタマワク」ですね。
 こちらの真ん中の「の」は、現代語で言えば「~が」という時に使う
 古文のおける格助詞の「~の」の用法を漢文に転用したものです。
 たとえば「雪の、おもしろう降りける=雪(が)見事に降った。(徒然草)」
 のような時に使う「~の」の使い方ですね。
 
 何度も言いますが漢文の読み下し文とは、もともとは、2500年ぐらい前の古代中国語を
 日本人が訓点をつけて、日本語的に読んだものですから、
 ある人が、ある読み方をして、ことばの調子などで、「すわり」が
 よければ、それが次第に一般化していくわけです。したがって理論的には何通りもの読み方が可能ですし、
 事実、有名なことばでも、テキストによっていくつかの読みに分かれるものもあります。
 その意味で「シノノタマワク」は、普及率で一番とは言えないにしても
 金谷先生が、何らかの理由があって、採用されている読みでしょう。
 (私は、前回言ったように「シ、イワク」で教えています。それはなぜかというと
 ひとつは、「のたまわく」を一般に使わなくなってしまったということもありますが、
 もうひとつは、孔子の神格化を避けるという信念にも基づいています。)
 
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この回答へのお礼

何度もご丁寧に教えていただきまして本当にありがとうございます。確かに日本語的によんだものである以上何通りかの読み方があってもおかしくないですね。孔子の神格化を避けるために「し、いわく」ですか。うーん、勉強になりました。ありがとうございました!

お礼日時:2006/09/06 06:04

論語は、分類すれば儒教で秩序の大事さを説く教えとされて


 いました。そこで、戦前に論語の素読を習った人は孔子を
 神格化した読み方、すなわち「子のたまわく=先生がおっしゃられた」という
 読み方をされる人が多いです。
 逆に戦後は、「子いわく=先生が言われた」
 のような読み方が一般化したもののようです。
 したがって今、80以上(場合によってはさらにそれ以上の世代)
 の方に、「子のたまわく」派が多く、
 それ以下の世代は「子いわく」の読み方をする人が多いわけです。
 もともとは「子曰= The master says 」
 の意味の古代中国語で、日本人が訓点をつけたわけですから
 (その時の日本の)時代の影響を受けるのも当然です。
 ちなみに、私は学生や社会人に漢文を講じる者ですが、
 高校1年生に「おじいちゃんに論語を素読して見せたら、それは違うだろう、シノタマワク、だろうと
 言われました。
 どちらが正しいのですか」と聞かれた経験があります。
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この回答へのお礼

さっそくのお返事ありがとうございます!漢文の先生に教えていただくのも非常にお恥ずかしいのですが、それではやはり「しののたまわく」という読み方があるのでしょうか?「しのたまわく」があるのはおぼろげな知識で何となく理解していたのですが・・。ちなみに私は論語はもちろん古典等も社会人以降全く勉強していない人間でして・・。もしお時間があればお返事をいただけるとありがたいです。

お礼日時:2006/09/05 19:21

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Q朝日、岩波路線

50代男性です。学生運動の時代の
後の世代です。無気力なノンポリ
学生でした。でも30年前は、
朝日、岩波の新聞や書籍を読む人は
「インテリ」と思われていました。

その人の思想とは関係なく、です。

今は左翼の影はすっかり薄くなりましたが
私は、たまに電車の中で、岩波の「世界」
を読んでいる人がいると「頭のいい人なんだろうな。
大学教授か弁護士かな」と思ってしまいます。

今の人は朝日新聞や岩波新書を読む
人間は「シーラカンス」と思うのですか?
知的イメージはないですか?

Aベストアンサー

朝日リベラルや岩波教養主義は、現代ではある意味死語と言っても良いと思うし、若者がそのような言葉自体知らないのでは無いでしょうか?
30年以上前であれば、岩波新書(旧赤版、青版、黄版)などを、大学初年度で教科書や副読書として利用できたかもしれませんが、現在はそのような大学教員もいないでしょう。
岩波新書の新赤版などは、教養主義の雰囲気はかなり薄れていますし、それほど濃密な内容のものも少ないように感じます。
朝日ジャーナルからAERAへの変化で、読者層もかなり高齢化しているような気がします。
総合誌(文藝春秋、中央公論、世界)にいたっては、せいぜい芥川賞発表時に文藝春秋の売り上げが伸びる程度で、文藝春秋以外は、採算ラインぎりぎりなんじゃないでしょうか?
出版物に関しては、全体的に低迷していますので、メディア自体が電子化の流れや、WEBに特化しているのは確かです。
シーラカンスどころか、そのような概念自体が消える可能性はあります。(むしろ、シーラカンスのように、方針を旧来のものとしていた方がまだましでしょう)
岩波文庫はまだしも、岩波新書はそれほど買いたいと思うものは、新赤版では無いですよ。(中公新書は、まだ構成がしっかりしているから、買いたいものが出ています)
現代に即しているかと言えば、それは無さそうですね。

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30年以上前であれば、岩波新書(旧赤版、青版、黄版)などを、大学初年度で教科書や副読書として利用できたかもしれませんが、現在はそのような大学教員もいないでしょう。
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Q哲学事典、平凡社と岩波では

哲学の事典を買おうと思います。
現在、大型の哲学事典は平凡社と岩波書店から出ていますが、
どちらがよいのでしょうか?

図書館で少し使った限りでは、岩波の方が文章が新しい雰囲気で
分かりやすい感じがしました。
しかし、価格を考えると平凡社のほうが手頃です。

いま僕は哲学科の学部2年生で、院に進む可能性も考えていま
す。どちらを買ったほうがよいか、アドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

今度院一年になります。
私は平凡社の方を使っておりますが、結論を言うとどっちもどっち。
平凡社の方が昔からあるので割とスタンダードで
岩波は初学者にもとっつきやすい感じになってます。
ただどちらも全て正しいことが書いてあるわけではないのでお気をつけ下さい^^

自分の専門外のとこを比べて分かりやすい方を買ったらどうでしょう。
使うのは大抵そういうところですし。
岩波も確かタームの原語はありますよね。院に進まれるならこれが大事です。

Q論語の言葉なのですが・・・

孔子の言葉に「祭るに在すが如くす」と云うものがあるのですが・・・
これは一体どのように取るべき言葉なのでしょうか?
森鴎外の「かのように」と云う話の中に出てきたのですが、
この言葉を言葉の意味のまま取っていいものかどうか迷っています。
「文学」の所に出すべき質問なのかもしれませんが、若し宜しかったら
お教え願います。

Aベストアンサー

諸橋轍次著「中国古典名言事典」では,

「祭ること在すが如くす」という古語がある。その意味は,神を祭る時,あたかも,そこに神がおわしますような気持ちで祭ることである。単なる形式に終わってはならない。何事にも誠をつくしてあたれ,と説くのである。

と説明されています。「祭る」の解釈が岩波文庫版とは分かれていますが,要は「形だけではなく心を込めることが大事だ」という意味でしょうね。
ちなみに,孔子の言葉ではなく,論語の編者の言葉(つまり「子曰く」が頭についていない)だそうです。

ところで,質問者が求めていらっしゃるのは,こういう字面の説明ではなく,鴎外の作品の中において論語の編者の言葉をどう解釈するかということでしょうか?
だとすると,「かのように」は読んだことがありませんので,他の方が回答されるのを待ちたいと思います。

Q論語の「知好楽」

『論語』にある『知好楽』は

『子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
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これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない」

・・・ということですが、2番目と3番目の違いがよく解りません。

愛好しているならば、楽しいはずだと思うからです。両者の違いの真意は何でしょうか?

Aベストアンサー

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで質問するより、孔子から直接話をきくべきです。一部分だけを読んだのでは、曲解します。全体の流れの中で理解すれば、「真意」に近づきます。少しあとのところで、孔子は「楽しむ」について、こんな解説をしてくれてゐます。

「子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 85ページ)

頭の良い人は、積極的、行動的に楽しみ、人徳のある人は、沈着におちついて楽しみます。孔子の考へでは、動的でも静的でも、いづれも「楽しむ」です。その違ひは、行動的な楽しみより、受動的な楽しみ方のほうが、人生において長続きがするといふことです。

では、「好む」と「楽しみ」の区別は何だと、孔子は述べてゐるのでせうか。今度は少し前を読んでみます。

「子の曰わく、人の生くるは直し。これを罔いて生くるは、幸にして免るるなり。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 84ページ)

素直な生き方をしなさい、といふすすめです。性善説とまではいひませんが、やや近い発想です。人それぞれ自分の持つものを発揮してゆけば、うまくゆく、と説いてゐます。自分の信条のみが正しいと固執せず、他者の多様な価値観を認めればそれは可能となります。

アレンジして、スポーツで考へてみます。特に意識しなくても、素直に行動すればうまくゆく状態が、第三、つまり最高の「楽しむ」です。訓練を積んで、無意識のうちに体が自然に動く状態ではないでせうか。それに対し、第二の「好む」は、少しうまくゆかない状態です。基本的なフォームがしつかりと身についてをらず、素直なやりかたが、成果としてあらはれません。中国文学哲学の専門家のことばでは、競技に「一体と」なつてゐて、自然に動ける状態が「楽しむ」なのだと思ひます。

俗な言ひ方をすれば、

好む : 下手の横好き
楽しむ : 好きこそものの上手なれ

ではないでせうか。最後は、私なりの拡張的な解釈です。いづれにせよ、名言や格言はそれだけを読んだのでは理解できません。なるべくなら『論語』全体を読んだうへで、結論をお出しになることを願ひます。

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで...続きを読む

Q論語、孫子など勉強したいのですが

論語や孫子など昔から武士が素読、写本などしてきた教科書のようなものに非常に興味がありますが漢文の教科書、解説付きのようなイメージで分かりやすいものを探しています。
なにか情報があれば教えてください。
写本もしたいのでできれば漢文の形のまま、読み方、訳が付いたものがあれば助かります。

Aベストアンサー

明治書院の「新釈漢文大系」シリーズがおすすめです。
このシリーズの第1巻が論語、36巻が孫子です。

原文を短い段落ごとに区切り、その原文の全訳と注釈と解説文から構成されています。

漢文の素養がない私ですが、解説文を読んでイメージをふくらませてから全訳を読み、そして原文を理解しています。(本来は逆であるべきなんでしょうけれど。)

図書館にあるかもしれないので、ぜひ手にとってご覧になってください。私はいつもこれを借りて帰ります。

http://www.meijishoin.co.jp/search/index.php?BOOK_ID=KAN000010
http://www.meijishoin.co.jp/search/?BOOK_ID=KAN000430

参考URL:http://www.meijishoin.co.jp/search/index.php?BOOK_ID=KAN000010


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