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今日も、いいえ毎日のように
幼い子供たちが虐待に遭っている社会

発見されるのはいつも最悪の場合がほとんどですよね

殺されるまで密室で
一番愛してる母親、もしくは恐ろしい他人の男などから暴力を受けて
死ぬまで殴られる・・・

どうすればなくすことができるのでしょう

私は隣の人間にも同罪を課すべきだと思うのです
昔江戸時代にあった五人組のように

昔は家を貸している人間が罪を犯すと
向こう三軒両隣に
大家さんまで罪に問われました

だから町ぐるみで皆を支えあったのです



今の社会でそれは難しいことだとは分かっています


それでも、ニュースや取材で
『よく怒鳴る声や子供が泣いている声が聞こえてた』
『しょっちゅう叩かれてたみたいだ』

などと平気でインタビューに答える人を見ると
この人たちが見殺しにしたと腹が立ってなりません


例えばアメリカでは学校の先生や保育幼稚園の教師は
子供の面会が義務づけられていて
親がそれを拒絶した場合はすぐに通報し
それを怠ると自分も逮捕されるのです

幼児は学校へは通っていませんし
ほとんどが家の中です
気付けるとしたら隣近所の人くらいなもの


子供の虐待を知っていながら放置した者なども
これからは罪の対象にしないと
なかなか密室の拷問は減らないと思うのです・・・


皆さんは虐待を減らし、また早く発見して
子供を救ってあげる為にどうしたらいいと思いますか?

意識不明の重体で
助かっても脳に障害を負うような・・・・
そんな子供たちを一人でも減らすために

皆さんの意見を聞かせて下さい

A 回答 (15件中1~10件)

ひとことに虐待と言っても様々な要因があると思います。

日本の場合はこんな感じでしょうか。

・父親、世間の無関心。母親1人にかかる育児の比率が高い(ストレスがたまる)
・核家族化が進み、育児法を教えてくれる人がいない(独自に育児書などを見て手探り状態)
・周りや特に医者などに、健康などについて細かくあれはダメこれはダメと言われ、神経質になる。頑張っても失敗すればダメなママと言われてしまう。
・躾けのつもりがエスカレート

悲しいことですが、日本も欧米並に事件が多発するようになってきて(もしかすると知らなかっただけで昔からあったのかもしれませんが)、法律が時代に追いついていないような気がします。前例がないとかなんとか言ってないで、どんどん規律を設定するべきだと思います。海外ではその規律がうまくいかなければ、また作り直して最終的にいいものにするのが普通です。

例えば欧米諸国では虐待防止の様々な対策があります。

・両親は子供が産まれると両親学級に行くことが義務付けられ、そこで育児法を学ぶ。そこにも様々な無料の育児書が置いてある。その事務所ではいつでも困った時に相談することができる。

・虐待された場合のサポート団体がすぐ分かるように、親子が行きそうな場所にポスター等が貼ってある。学校でも子供にそういう場合はどうすればいいか指導をする。

・教師や保育士などは、体に虐待の跡を見つけたりすれば通報しなければならない。(アジア人特有のもうこはんを見て通報してしまった例もあるぐらい厳しくチェックしています。)

・躾でも叩くのはご法度。見かけたら通報することができる。

・母親だけが育児をするという風潮は減ってきている。保育園ばかりでなくベビーシッター、家庭保育(引退した保母などが自宅で保育)も安く利用できる。

などです。実際に虐待が減っているのかどうかは分かりませんが、日本で必死に子育てをするママたちに比べ、欧米諸国は子育てを楽しんでいるように見えます。子供達の表情も柔らかい気がします。
まずは、リラックスすること、その環境を整えることが第一ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>法律が時代においついていない

そう、私も思います

これは虐待だけでなく
最近よく事件として話題に登る飲酒運転なども含めて
すべての法律が『古い』と感じるのです

Aliko111さまの提案された(海外での法律など)は
今の日本にもすぐにでも必要なものばかりだと思います

リラックスして
子育てを楽しめる環境が必要だと

そして学校でもそうした教育が個別に必要なんですね

とてもよい回答をありがとうございました

お礼日時:2006/09/15 21:47

>『よく怒鳴る声や子供が泣いている声が聞こえてた』


『しょっちゅう叩かれてたみたいだ』

などと平気でインタビューに答える人を見ると
この人たちが見殺しにしたと腹が立ってなりません

結果論で、そうなったから、腹が立つだけではないでしょうか?
どこから虐待かという問題も含め、よく怒鳴る親、たたく親などは、どこにでもいます。私自身、2児の父ですが、よく怒鳴ります。そのたびに、児童相談所やら警察がきたら、いい加減にしてくれよと思います。
実際、私の友人(女性)が引越した先で、夏場に、窓を開けたまま、子供を怒鳴り、子供が泣いてしまったそうです。(内容としては、片付けなさいとか、そういったものだそうです)その数日後、通報があったとして、児童相談所が来たようです。確かに、それで未然に防げる事件もありますが、彼女は、周辺からそのように見られているのかと精神的にダメージを受け、また、近隣付き合いもあまりできなくなったしまったのです。そういった、別の被害もあることも考えるべきでないですか?

>私は隣の人間にも同罪を課すべきだと思うのです
昔江戸時代にあった五人組のように
昔は家を貸している人間が罪を犯すと
向こう三軒両隣に
大家さんまで罪に問われました
だから町ぐるみで皆を支えあったのです

そうでしょうか?
お互いが監視しあうようなイヤな世界になりますよ。
必要なのは、監視することではなく、
虐待する背景、例えば、上であげた友人などは、夫が遅く帰ってくるし、身寄りも近所にいないため、育児ストレスが怒鳴る等の行動に出てるようですが、これを解消することをしなくては、根本的な解決にならないのではないでしょうか?

卵が先か、鶏が先かの話になりますが、
子供を救う為には、まず親を救ってあげることが必要です。
特に虐待をする親の多くは、被虐待経験者だということからも、言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

いえ

特にそれらを推奨しているわけでも
また監視社会にしたいと思っているわけでもありません

また通報された母親については
先にも書きましたが

私はそれは大した問題ではないと思いますし
本人の取り方だと思うのです

また幼児に対して大声で怒鳴るのは
私は間違いだと思いますから


被虐待経験者については
・・・大変難しい問題ですよね・・・

被害者が後に加害者になるのですから


やはり被害に遭っている子供は
厳しい法律のもと親から引き離しケアが必要だと思います

その為には誤報であろうがまずは
疑わしきは通報しなくては始まらないと思うのです

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/09/15 21:55

ごにんぐみの内容が合ったので関係情報を。


「鬼」と呼ばれている人々がいました。変な声がして「鬼がきている」というのです。ことわざの「鬼に舌を抜かれる」状態だと思ってください。

鬼に舌を抜かれた人々とは.あごの骨がない状態で発見された死体です。
この製造方法は.木の上に罪人をあげて木の枝にあごを突き刺して放置します。この行為によって罪人は変な声を死ぬまで上げます。これが「鬼の声」の小隊です。

集団リンチ殺人です。

かって.戦前は同様な制度がありました。「腹減った食べ物をくれ」と泣き叫ぶ疎開小学生は集団リンチにあい.小学校の横の地蔵の下に葬られています。
疎開小学生で頭が良くて学年一位になった子供がいました。生意気だとして.集団リンチにあい1ヶ月後に死亡しました。
五人ぐみ制度なんて.構成員から犯罪者を出さないために.さっさと殺してしまうという犯罪の温床になります。
なお.構成員によって閉鎖された社会での犯罪の例としては.栃木県黒磯市千振の殺人事件を上げましょう。
医師の元に死亡診断書を書いてくれと以来があり.死体を見たら心臓に付近に傷がありました。警察に連絡.警察が死体を探したところ.村人全員が集まって.葬儀の最中で墓穴が掘られ.埋葬許可書の到着を待っているところでした。
警察の調べに対し.村人は「子の火とは心臓が悪かった」とだけ答えました。村人以外の証言が得られはずもなく.また.死体は十分洗い清められていて.傷口の存在から恐らく何かの刃物で刺されたものと思われるか.刃渡りなどの情報の入手は困難。大量の水で現れているために.死後硬直による死亡時期の特定は不可能と.死体からの情報は皆無。で時効が成立しました(NHKニュース法銅による)。

連帯責任制は為政者にとっては都合のよい制度です。しかし.祖の結果は犯人の隠匿と日常的リンチ殺人の尾ん症となります。
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この回答へのお礼

仰るとおりの事件(そのような陰湿なことが)
理解しています

そしてそうした人間の心理が働くことも

ですが
今の時代とそれを一概には重ねられないと思うのです
少し乱暴すぎるかと

ただそうしたものが生まれるのは確かですよね

私は虐待や老人の孤独死なんかを
失くす良い方法として一案しただけですので・・・

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/09/15 21:43

親に虐待を受けてた側です。

(性的、ご飯をくれない、言葉の暴力)

報道のそういう事件はやっぱり不快です。
みんなでどうにかしないといけません。

マズ、この子育てしにくい環境。
どこかのコメンテーターが外国は「子供は神様から、世間の預かり物」と言う考えがあるが日本は「自分の所有物、自立するまで面倒は義務であり、仕事だ」と言う考えが強いそうです。(逆の方もいるかもしれません。)

お金がかかりすぎる環境もいけません。
出産に40万!!!?いけません。
無料までは行かなくても、5万以下で何とかいけないか。。。考えるべきだと思います。

無計画に子供を作って産んでしまったヤツの救いとして―
ちゃんとした避妊方法を教える性教育の充実を図るとか
いっそのこと、生理と同じように小学生からコンドームの使い方を教えてもいいと思います。
(無骨ですみません私はそう思うので、反論しないで下さい)
無計画出産を防ぐにはここから食い止めるしかないと思います。

養子縁組の拡大も増やすとか。。。
頭使えよ!国会議員!パーなことをやってるなよ!

何のために血税払ってるんだ!って思ってしまいます。

自分、22歳ですが小さいときはみんなが(近所のオバサンオジサン)声をかけてくれたような思い出がおぼろげにあります。
今、一人暮らしですが、そんなことは一切ないですね。。。ロボットが、黙々と目的地を目指し歩いていく。。。そんな感じで悲しいです。
封鎖社会もいけませんね。
「XXちゃんおはよう。元気?」とか、ちょっとした声かけ重要だと思います

子供の異常な泣き声とか、体調の変化(アザ、傷)聞こえた(見かけた)ら、即警察や児童相に通報できるシステムを自治体、町内会レベル独自でもいいから確立する。
小さいことでもいいからやっていかないとなくならないと思います。
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この回答へのお礼

親に充分な愛情をもらえなかったとのこと
大変悲しいことを告白させてしまって
申し訳ないと思っています

貴重な回答をありがとうございました

あなたのように
優しい気持、反面教師に出来る子供もいるのだと
安心した想いです

声かけや泣き声に関しては
私はこれからも注意して見回るつもりです

あなたもどうか
これからよいパートナーと出会って
優しいお父さんになられることを祈っています

ありがとうございました

お礼日時:2006/09/15 21:38

元児童福祉に携わっていた者です。


以下コピペですが
私の友人であり、元同僚がブログ内で書いていたものです。

今の日本の哀しい現状には憤りというより
余りにも人間関係の希薄さに虚しさを感じます。
そういう日本にしてしまった責任は
大きいようにも思います。
過去は変えられないけれど、未来は変えることは
出来ます。
多くの方が真剣に自分と置き換えて考える
ことから少しづつ変わっていくのでは・・・
と思います。



コラム ~ぎゃくたい~ 
その1「虐待とマスコミ」

昼のワイドショーを見ていたら、大阪の虐待事件を扱う中でレポーターさんが「一人の児童福祉司が常に100件に近いケースを抱える現状があるんですよ」とフリップを片手に説明していました。「おっ」と思ったのもつかの間、芸能人キャスターが「だからと言って死なせていい理由にはなりませんよ」と遮った。「それはそうですね」と相づちをうったレポーターの肩が落ちていた気がしたのです。
さすがに最近は「鬼母!我が子を○×☆-◇△!!」などという見出しは見かけませんが、それでも「虐待する親は加害者で子どもが被害者、加えてそれを防げない行政を叩く」という番組の構図は変わっていません。
「これでは、今虐待に苦しんでる親はますます誰にも言えなくなってしまうなぁ。福祉司さん達も、事故の防止にしか気が向けられなくなってしまうよなぁ」そんな気がします。親子が再び幸せに暮らせることこそ、虐待の支援だって思って頑張っている人もたくさんいるわけで。そんな思いを応援してくれる報道が増えると嬉しいなぁと感じます。
「もっともっといろんな人がいろんな人に相談ができて、みんなで幸せになれる世の中になって欲しい」。あのレポーターさんのそんな思いが、番組のメインになる日がくるといいなと願います。





コラム ~ぎゃくたい~ 
その2「虐待という言葉が持つ意味」
            
「虐待の支援とは親子を分離することではない。親子が安心して生活できるようにしてこそ虐待の支援」。虐待問題に関わる多くの人達が声にしていることです。
一方、世間では「虐待をするなんて親ではない」「あんなところに居たら子どもが可哀相だ」というような感想もまだ多く聞かれます。今回はその原因を「虐待」という言葉から探ってみたいと思います。
「虐」には〔しいたげる・むごい〕「待」には〔あつかい〕という意味があり、「虐待」という単語も辞書を引けば〔むごくとりあつかうこと〕となります。
もともと「虐待」とはabuse(英)の和訳です。そのabuseの語源をたどるとab+useで〔通常ではない状態〕となります。このことからは、「通常な親子関係にしていくことが大切」という虐待への感覚が伝わってくる気がします。実際のところ、諸外国ではそのための制度や支援機関が以前から機能しています。
「むごくとりあつかう」と「通常ではない状態」。二つの言葉から受けるニュアンスにはかなり開きがあるように感じます。
冒頭で述べたとおり、我が国でも「親子への支援」の動きは広がっています。「虐待」という言葉からは偏った意味合いが感じられる部分もありますが「親子を通常の状態にしてこその支援」という考えがさらに広まることを願います。






コラム ~ぎゃくたい~ 
その3「虐待とまあるい気持ち」
 
「虐待はなぜ起こるのだろう?」。もちろん、その家族ごとに要因は異なります。しかし、なぜ?と考えることは、虐待に苦しむ家族に関わる出発点のような気がします。
「虐待の世代間連鎖(虐待をする親は、かつて自分自身が虐待を受けていた可能性が高い)」から考えても、「人間は、自分がしてもらったことを、相手にもしやすい」と考えられないでしょうか。良いことも悪いことも同じように思います。
例えば、「午後から急に雨が降ってきたら、子どもに傘を届けるか?」という話題になったことがあります。意見はそれぞれだったのですが「届ける職員は、かつて自分が子どもの頃届けてもらっていた。逆に届けない職員は自分にその経験がない」という傾向があることがわかりました。
「虐待を受けた子どもは、相手をわざと怒らせるような行動が多い」と言われることがあります。しかし、怒らせたくて怒らせるのではなく、他に関わりを知らないからそうなるのでは?と思うのです。
穏やかに人と関わることが苦手な子どもに「ギザギザの気持ちで人のそばにいくと、相手の気持ちも、それにくっつくようにギザギザになっちゃうから、上手くいかないかもな」と話しながら、(ギザギザになっちゃうものに『丸くしろよ』って言ってもなぁ)と、もっと良い伝え方はないか考えていました。
そんな時、右にある「太陰太極図」の云われを知りました。「どんなものにでも陽と陰があり、またそれは対極のものではない」というのがそれです。白い陽の中にも陰の点があり、黒い陰の中にも陽の点がある。確かに人の心はそのようなものだと思います。
そしてこの図は、その陽と陰が互いを丸い形で受けとめあって、一つの大きな調和を生んでいます。
誰にでも、多かれ少なかれ人を虐げようとする気持ちはあると思います。そんな部分も認め合って、まあるい気持ちで傍にいられれば、悲しい連鎖ももっとゆっくりしたものになるのではないかと思うのです。
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この回答へのお礼

大変ためになるコラムをありがとうございました

確かにそこに書かれている通りですよね

子供は親にされたこと
してもらったことをそのまま子供にして返す

私もそうです

親に傘を必ず届けてもらっていましたし
そうした優しい母親が自慢でした

だから子供にもそうしてあげるのが当たり前だと
思っています



悲しい連鎖を止めるためにも
他人の私にもできることを模索して行きたいと思います

ありがとうございました

お礼日時:2006/09/15 21:35

40代、一児の父親です。



最近のこうした事件の報道は本当に不快です。同じ幼い子を持つ親として全く理解できない感じがしてしまいます。

ただ、最近のこうした事件報道の増加について、私は少しとらえ方が違うのです。それは、そうした報道が増えてきたことは「よいこと」だととらえているからです。それは、以前ならば表に出てこなかったような事柄がこうして報道され目に触れるようになったためだ、と考えるからです。

昔は今ほど幼児虐待などなかった? そんなわけありません。私が子供の頃も、親による虐待はいたるところにありました。無論、中には死に至るようなものもあったはずです。が、そうしたものが新聞で記事にされ報道されることなどはほとんどありませんでした。なぜなら、その昔は「親が子供を折檻する」というのは当たり前のことで、ニュースでもなんでもなかったからです。

最近は、さまざまな悪いニュースが昔より増えているように思えます。が、それは「悪いことが増加した」のか、それとも「それまで表に出なかったものが出るようになったのか」を考えなければいけないと思います。例えば少年犯罪のように、実態は減少しているのに派手に報道されるが故に「増加している」と多くの人が錯覚してしまっているものもあります。

私たちの中には、現状を批判するあまり「昔は良かった」と無意識に思ってしまうところがあります。けれど、冷静に考えてみましょう。昔より、今のほうが圧倒的によくなっていると思いませんか? 少なくとも子供が売られることはなくなったし、貧しさゆえに川に流されたり捨てられたり知られないうちに殺される子供もずいぶんと減っているはずです。「今は悪くなった、今の制度は悪いんだ」と決めてかかるのには私は疑問です。

無論、今の社会にも問題は山とあるでしょう。ただ、「昔の制度を復活させればよくなる」とは私は思えません。今の社会の良い点を殺さぬように、新しい方法を模索すべきだろうと思います。

具体的に・・・といわれると今の私にはぱっと思いつかないのですが(こうしたものは思いつきで提案していいものが生まれたためしがないので)、最近ちょっと感じるのは、幼児期の教育のあり方のようなものです。今、娘の幼稚園を探しているのですが、どこも「知育」や各種の催しにばかり力を入れていて、「友達と毎日たくさん遊ぶ」ということを中心にしている園がないのです。ひらがな? カタカナ? 英語? 足し算? それ、小学校に入ってから学ぶものじゃなかったの?という感じです。三つ子の魂なんとやらで、幼い頃にどれだけ幸せな日々をすごせたかが、成長の過程で影響するところは大きいのではないかな、と思うのですが・・・。

ただ、教育に「早急な改革」は不要です。この数年で、作るより壊すことに重点を置いた改革ばかりがもてはやされ、時間をかけてじっくりと物事を積み上げていくことが「悪」であるかのような風潮になっている気がします。そういう早急に結論を求める風潮そのものが、実は最大の問題点なのかもしれません。(少々、幼児虐待とは無関係な話になってしまい、すみません)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

いいえいいえ
無関係な話ではありません
仰るとおりです

良い社会を作るには
良い人間を作らなければなりません

良い教育と愛情を注いで普通に育った子供が
今少なすぎるのではないかと私は思うのです

便利になった食卓から
手作りのおかずが消えて
コンビニの偏ったまずい食事を一人で摂ったり

レンジで温めるだけの粗末な加工食品が
堂々と母の作る御飯として食卓に乗ることなども
問題だと思うのです

教育機関も言われるように
勉強ばかりで
幼稚園に関しても私も同じ疑問を持ちました


良い人間は良い人間を育てるでしょうし
悪い人間は悪い人間を育てる


・・・単純な問題なのですが
便利な暮らしが個人を優先させて
時間と暇をつくり
その暇に欲望を埋めることばかり考えるようになったからでしょうかね


ニュースのことは確かにそれはありえます
協定があり
今でも事件の全てが流れるわけではありませんし
もっと酷いものがありますものね・・・

お礼日時:2006/09/14 18:10

そうですね、私も事件が起こるたびにご近所は気づかなかったのか?と思っていました。



でも、子供が大声で泣いているだけで「虐待」って通報していいものか私には分りません。
読売新聞の小町にこんな相談があったので載せますね。

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200609/2 …
虐待していないのに通報されたほうは本当に夜も眠れないくらい近所づきあいとか(誰が通報したのか・・・)に悩むと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

こういったことは沢山あるのかもしれませんね

確かに通報が誤報であった場合
お母さんはショックを受けるでしょうね

けれど
私はそれでもいいと思うんです

間違い、だったのですから


間違いならなにもないのです

けれど
間違いではなかったら?

これは警察の飲酒運転の検問や
不審者のように見える人への職務質問と変わりません


無罪であればそればよし
けれど中には本当にアタリがあるのです


必ず


だから悩むのはかなり心も考え方も狭いと思うべきです

通報してくれる(気にかけてくれる)住民がいる
いてくれるんだと考えるべきなんです


今の世の中は『助けて!』と叫ぶと助けてもらえないといいます
皆自分の身が可愛いからです


実際は
大声で泣いているだけで通報するのではなく
そのお母さんの人となりを見てからでも遅くはありません

私も必ず近所や周りの人にも確認をとりますし
その人に実際話しかけたりして様子を見ます

お礼日時:2006/09/14 18:18

実際問題として「線引き」が非常に難しい上に、実証がとりにくいハズです。


仮に報告があったとして、実際に出向いて門前払いされたらそれでおしまいのはずです。
その時点で強制力など執行できないし、仮に強制力を執行しようものなら
そのタイミングで虐待などしている、するハズは無いのであること無いこと難癖
つけられて逆に訴えられたりもしたらひとたまりもありません。
その手の人間はそういうのをうまく「悪用」する術には長けているイメージが強いです。
ゴネ勝ち・・・とでも言えばいいのでしょうか??

おそらくは児童相談所もこのジレンマが邪魔で動けないはずです。
だから、近所づきあいに期待したとしても話がよりややこしくなるだけで状況が良くなるとは
余り思えません。申し訳ないですが・・・・

解決策としては・・・・・・・・・・・・実は何も思いつかないのが歯がゆいです
せめて自分だけはやらないように・・・・それくらいしか・・・・
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この回答へのお礼

疑いがあれば強行突破で逮捕できる
そんな法律が欲しいと思うのです

もっと強い執行力をもった機関がやはり必要なのですね・・・

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/09/14 18:03

それとさ、下で話されてるけど、FBIが国家の影響や介入を受けないなんてハッタリ、どこで聞いたの?テレビドラマか何か?


もっと、眼を覚まして現実を見てみなよ。
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この回答へのお礼

すみませんFIMAのようにと書こうと思ったのですが間違いました

お礼日時:2006/09/14 17:48

また出たよ、「アメリカでは~アメリカでは~」って…もう、めでたいというか…


虐待王国、アメリカなんか日本なんかとは比べ物にならないほどひどい幼児虐待が日常的に行われており、もはやニュースにもならないくらいです。
そんな所、法律も何もきちんとしているわけでも機能しているわけでもなく、日本ができることといえば「あんな国みたいに間違ってもならないように」と反面教師としてみるくらいです。
それにしても、一体どこでこういう勘違いな情報を得てくるのやら…。

幼児虐待は、社会がやんでいる証拠です。この国も馬鹿みたいに「アメリカ、アメリカ」って言ってアメリカ化している事から、あのような狂った国のような事件が現実的に起きているのだと思います。
一人お一人が眼を覚ますことが必要だと思いますね。
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