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1960年の創設以後、早期からコダマやシンザンなどの勝利によってパっと見では当初から格の高いレースに見えがちな宝塚記念ですが、同時期に開催されていた高松宮杯の方がメンバーが良かったりして「G1.5」のような時代も随分長かったような気がします。
現実としてシンザンは「五冠馬」であり、その中には宝塚記念の勝利は含まれていません。(八大競走だけをカウントしたものであるとは理解していますが)

そういう点を踏まえ「宝塚記念はいつからGIと言えるようなレースとなったのか」を教えて欲しいです。
色々な回答をお待ちしています。

A 回答 (5件)

GIで言えば1984年ですがこれでは質問の意図から外れますよね。



手っ取り早いのが賞金の比較です。有馬と比較すると大幅に違いますので、近い距離ということで天皇賞・秋で考えました。現在(2005年度)は同じで、いつから同じになったかというと1987年です。つまり、この年か前年からほぼ同格と言えますね。1986年か1987年です。

私の考えでは1984年です。それ以前は8大競走が今で言うGIで、それ以降は格付け通りです。事実、シンザンは時代通り8大競走で、ルドルフはGIで5冠なり7冠と言ってますよね。ブライアンとシービーは4冠、ディープは5冠、セントライトは三栄冠馬。
ついでに海外を考えると、これがGI? というようなレースは大量にあります。GIのステップレースがGIとは意味不明です。こう考えると、日本のグレード制はある程度他国よりよく出来てると思うので1984年ではないでしょうか。
ただ、ルドルフとタマモクロスの古馬の路線はこれでしょと王道を作り、大半を勝ち、宝塚の価値が上がり質問文のG1.5からGIになったのはタマモの88年以降なのかな。
もう一つの考えとして、コロコロ変わる日にちがある程度いい位置にある今になったのは2000年なのでこの頃ともとれます。
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何時からG1級と認識されたか?というより、そもそも宝塚は有馬に対して創られたわけですから、最初からG1(当時の8大レース)級のレースにするという目的があったわけですよね。

たとえ誰もG1級と思っていなくても、グレード制導入時には無理にでもG1にしなければならなかったレースだと思います。しかし実際は歴史に残る馬名がズラリと並び、「西のグランプリ」の名に恥じない歴史を歩んできたといえます。

>高松宮杯の方がメンバーが良かったりして
なんとなくそんな印象があるのは、宝塚はメンバーが揃わないからでしょう。やはり宮杯は4歳(当時)の参戦も多かったですし、面白さという意味では確かにこっちでした。暮れの有馬記念の最大の魅力はやっぱり古馬と4歳との対戦ですから、そういう部分では宝塚は古馬チャンピオン級の「消化試合」という雰囲気があることは否めません。

#3 tetrarchさんの88年タマモ説は納得のゆくものですが、私としては91年の「メジロ記念」かな、と思います。宝塚というレースの特徴、つまり、チャンピオン級が手堅いレースをするG1である、というイメージを印象付けたレースだったと思います。それに宝塚記念と言えば杉本清さんを抜きに語る事はできないでしょう(笑)

シンザンが5冠馬と呼ばれるのは、例えばもし今、皐月・マイルC・ダービーを勝つ馬が現れ、菊も勝った場合に4冠馬と呼ばれるようになるのか、というのと同じことだと思います。今のところ「マイルCも勝った3冠馬」程度に呼ばれるんじゃないでしょうか。キングカメハメハも「変則2冠馬」で普通に2冠馬って呼ばれていませんからね。

ちなみに私は宝塚記念は有馬記念の次に好きです。また7月にやって欲しいです。
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6月中に開催されたときだけGIです。


7月に入るともはやGIじゃないです。

ってか天皇賞春の前の3月~4月に中距離GI作って
天皇賞5月上旬。宝塚6月中旬ってやればいいんですけどネェ・・・。

んで8月に真夏の王者決定戦的なGIを作ってほしいと思う今日この頃です。。。
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ナリタトップロードが一度も出走しなかったように



今でも宝塚記念は「GIと言えるようなレース」とは見られていません。
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ええか、しゃーないつくったれ。


関東は有馬記念かい

わしらは、関東好かん。
対抗は宝塚にしよ。

で出来ました。
重賞は、JRAに聞いてください。
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