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地方の貧しい農村で育ちました。20年以上前ですが、
親が大学出ている人などはほとんどいませんでしたし、他の地域から、きた人や、他県から来た人には非常をよそ者あつかいしてみんな冷たかかった(たとえば村祭りでよそ者ということで子供は御神輿にのれないなど)ところで、非常に疑問に思っていました。
地域の行事にもよそ者だった父は、声もかからない有様でした。
引っ越してきた友人の親などは泣いていた人が多かったように思います。集落によっては、新聞も朝刊しか届かったり、テレビもNHKのみ映るところも。田舎は人情が厚く暖かいと一般論でいいますが、実際のところ、全くそうはおもいません。
後に東京でこした時のほうが引っ越後、素直に助けてくれた人が多かったのが印象的です。
おなじような経験をされた方はいますか?

A 回答 (14件中1~10件)

思いません。



父の転勤や私自身の転勤で、いろいろな地域に住みましたが、今住んでいる地域は最悪です。

家は今までの中で一番広いですけど。

我が家も、よそ者扱いです。
なにか犯罪が起こったら一番に疑われそうです。
回覧版も広報もきません。(回してもらえません)
そのくせ、区費?だけは請求して…。

掃除とかは、呼ばれるんですよ。
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この回答へのお礼

そのとおりです。家だけは、地方にすんだときがいちばん、広いw
回覧板すら回ってこないのは私の経験よりひどいです。。。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/25 23:14

都市は社交的な田舎者の集まりですが?



では本当の田舎に残っている人は?
だいたい分かりますよね。

田舎での暮らし方が分からない人には辛いでしょうね。
何もしなくてもまわりから助けてもらいたいと思うのなら、都市部の方が暮らしやすいと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。面白い視点感服しました。

お礼日時:2006/09/25 23:19

商業市から数千人程度の村社会に移転したんですが・・・一生よそ者扱いかも・・・汗


私が育った村のニュータウンは、自治会の結束、固かったですね・・・今思えば異様かも。
現在、23区に住んでますが・・・都会が一番、親切でお節介な人が多いです。
私は借家街で生まれてニュータウンに転居したので、疎外阻害される事に慣れたある意味冷めた子供でした。
生まれた時から村にいる変質者が憎いかもしれません。ニュータウンの子を誘拐しようとするふざけた奴とかを、庇う村人とか許せなかったですもん。
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この回答へのお礼

3代すまなければよそ者なんですよね・・・
だから自分はここにいるかぎり一生よそものだと思っていました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/25 23:15

思いません。


どこへ行っても同じだと思います。
しかし、人情が厚い人はとても厚く、人情が無い人はまったくございません。
両極端に分かれるのかなと思います。

ちょっと話がずれますが、田舎は接客態度がかなり悪いお店が多い気がします。
旅行程度でしか触れ合う機会が無いので一概に言えた事じゃないですが。
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田舎でずっと同じ地に住んでいるもの同士では情は厚いと思います。


よそ者に対しては情は薄いように感じます。
田舎では、得たいの知れないよそ者はかかわりを持ちたくない。都会は、得たいの知れないよそ者ではあるが、かつて自分もよそ者だった事がある人が多いので、初回は親切に接してくれる。
田舎の人も、何度もいろんな地へ越していき、自分がどんな対応を受けたか、またどんな対応で受け入れてきたかを多く経験すれば、器が大きくなるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

かつて自分がよそものだったことをおもえば都会の人の方がさっぱりと人をたすけてくれるのがよくわかります。ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/25 23:18

郷に入っては郷に従え



私はどんな田舎に行ってもあなたのように不快に思ったことはありません.
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この回答へのお礼

したがえといわれても、まず消防団など組にいれてもらえないときはどうするんですか?

お礼日時:2006/09/25 23:17

「人情が厚い」というのは表向きの言葉でじっさいは「他人に干渉する」ことを勝手にそう呼んでいると解釈します。



東京は自分のまわりはすべて知らない人ですから(ある程度誇張が入ってますが)、知らない人に関心を持ちようがないので普段は干渉することもなく、それで人情が薄いと思われがちです。よそ者・地方出身者が相当数を占めているので、よそ者という感覚すらありません。

京都は遅い時間まで来客がきていたら「ぶぶでもあがって行きなはらへんか(お茶づけでもたべていきませんか)?」と婉曲的言い回しで、相手が帰っていくように促すためにわざと反対のことをいうらしいですが、そういった日本でもっとも古い都市生活者ならではのうまい付き合い方がありますし、よそ者という感覚はないわけではないでしょうが、決してよそ者に冷たいというほどわけではありません。

地方の場合はそうではなく、相手の生活の中にずけずけと入っていくことを人情だと思い込んでいる節があります。
そして初めての人はその輪の中には入れない。一見入れたように思えても、それは「お客さん」扱い。


ちょっと話がずれますが、海外の多くの国と比べて比べて日本では、知らない人と会話を交わすということがとても苦手だ、と思います。
おしゃべりが大好きなフランス人はちょっとしたきっかけで話し込んで、それでいて相手の私生活には入り込まない、スペイン人はそれこそ人情深くて一度友人になるととことん友人であることを示さなければいけない(時としてうっとうしいけれども日本のようにずけずけと相手に干渉するのとはちょっと違う)。
日本で気軽に知らない人とでもすぐに打ち解けて話ができる能力を持っているのは大阪の人だけかな、と思います。
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地域や人間性によって大きく変わるのでは?


いわゆる組というか自治会的なものに入る・入らないでも違ってくると思います。
引っ越してすぐに、地区の年番さんのような人に、地区の仲間入りの意向を伝え、地区の会のときに挨拶に行く、それで仲間と認めて?もらえて以後親しく付き合いをしているという例が多いです。…私の周囲ですが。
挨拶にも行かず地区の仲間(自治会など)にも入らずにいると、仲間入りしていないので、当然共同作業や祭りなどの案内も行かないのです。ですから地区の役(みんなで掃除とか共同作業)にも出ない、という家族はどうしても線を引かれている状態になるようです。
祭りでも、集落の子ども会などに入っていれば参加できますが、そうでない子達は法被で神輿に...はできません。見るだけです。

都会から来る人はそういう、地域特有の集まり、会、組、みたいなものに入りたくない人が多いから自然と排他的にされる(実は自ら?)のではないかと思いますが…

地方の貧しい農村で20年以上前であれば、親が大学を出ていないというのはありふれている話だと思います。
農村は収入が少ないから。農業は儲からないです。学費出せないんです。
朝刊しか配達されないのはその頃なら当たり前では?道路整備もされていないのが当時の農村、うちのあたりもここ10年くらいからやっと夕刊配達が始まりましたもの。
テレビも同様、電波が弱くて局も少ない。収入が少ないとブースターもつけられない。ケーブルテレビの普及も田舎で人口少ないところにはなかなか回ってこなかったのが実情です。
大学、朝刊、テレビ…それは人情や排他的とは関係ないと思います。
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この回答へのお礼

これはまだ甘いとおもいます。そうじゃなくて上の方もかかれていたように3代つづけてすまないとお祭りに参加させてもらえないんです。

お礼日時:2006/09/24 15:20

東京で大学卒業までを過ごし、


縁あって、人口50万人程度の街へ
嫁ぎました。
その後、夫の転勤で人口8万人の街に住んで
10年以上になります。

いま住んでいる8万の町は、暮らしにくいです。
何年住んでも好きになれない。
というのはずばり、排他的だからです。
「旅のかた」という呼ばれ方をいまだに
されます。
なんでも三代にわたってその土地に住まないと
「旅のかた」は卒業できないんだそうです・・・
地元の人同士のコミュニティ-の固さには
驚いてしまいます。
ほとんど家族のようですもん。
勝手に家にあがりこんで、冷蔵庫から
ビール出して飲んだりもする。
悪いことを公然とする知人がいても
地元人同志なら見ないフリです。

引越し当日、賃貸したその家に
大家の孫が学校の友達を10人ほど引き連れて
やってきました。
挨拶もなくあがりこむなり、
「今度の転校生(うちの子)は、あたしんちに
住んでるんだよ、ほら、あそこにおかあさんも
いるでしょ。奥が台所、あっちが風呂・・・」
とぐるりと内覧会をして、また黙って帰っていきました。
その子の祖父母の大家夫妻は
孫のそんな様子をにこにこと庭で見ていました。
また、数年前から
庭の一角を見知らぬ人が畑にし始め、毎日、畑の世話に
来ます。いきなり、挨拶もなく、です。
賃貸契約上、二重貸しだと思うのですが、
大家が知人に
「あの旅のかたは、庭の隅を使ってもいないから
あんた、畑していいよ」
と勧めたことは明らかです。
大家とその知人は地元人なので結束が固く
人情に厚いのでしょうが
うちは旅のよそ者なので度外視なんですね。

ここで怒ったり、文句を申し入れたりしたら
また、「あの旅のかたは・・・」と
どんな噂をたった8万人の町に流されるか
わかりませんので
おとなしくしています。

子供たちはこの街を嫌って
進学を期に早々に出て行ってしまいました。
私たちもちかぢか、この街からは逃げ出す計画です。
こうして、田舎はどんどん人口を減らすのですよ。

一方で
50万都市は快適でしたね。
人のつきあいも適度な距離を保ちつつ親切で、
土地にもゆとりがあって道路や公園も広かった。

田舎は人情が厚く暖かいというのは、
同じ地元の人たちには・・という限定付きだと
思っています。
そういう家族同然のつきあいを地元で体験した人が
都会へ行くとそうはいかなくて、
それが寂しくて「都会の人は人情がない」と
発信してきたのだと思います。

たとえ隣人であっても保つべき距離や礼節は欲しいし、
またたとえ見知らぬ人であっても
当然の親切や平等心・公共心はあるべきです。

小さな田舎は
人が少ないだけに閉鎖社会になり
生きにくいと思います。
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この回答へのお礼

まさにそうでした。いつまでたってもよそものあつかいで、自治会行事にも声をかけてもらえない。勝手に家にはいってくる。ありえない経験です。ありがとうございました。わかってもらえるひとがいてうれしいです。

お礼日時:2006/09/24 15:22

人情に厚いっていうのは、同じ地域の人たちにだけで


つまり 心を開いた人間達だけの間の話で、
一般に よそから来た人に対しては冷たいと思います。
地域活動に活発なところほど そう感じます。
仲良しグループを作っているみたいな・・・
うまく言えませんが・・・・

そしてそういう地方のお祭りにおいても 出身者でない人は神輿に乗れないとかという風習は残っています。
ちなみに主人の実家の地域でも、その地方出身出なければ、おみこしに乗れません。
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この回答へのお礼

そうなんですよね。御神輿にのれないのは、子供のせいじゃないのに不憫でなりません。ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/25 23:16

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