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 私は、批判精神をあまり持ち合わせておりません。例えば、社会学者の宮台真司さんの本を読んでも、うなずく事は多いのですが、これはオカシイと思うことがありません。私がこれは違うのではないかと稀に批判できるのは、例えば、正高信男さんが書くような『他人を許せないサル』のような自身のイメージを調べもせず世間に迎合するような文章を書き、他者を陥れ、自己が正しいという枠を強化するだけの本です。
 先日、東浩紀さん、大澤真幸さんの「自由を考える」を読みましたが、ヘェーと発見・納得する事があっても、ここは違うのではとは思えませんでした。おそらく、私のような読者はこの文章に上げた学者に「何も考えていない」典型人物なのだと思います。どうすれば、批判精神が身につくのでしょうか?それとも、私の知識不足とリテラシーのなさが原因なのでしょうか?
 批判精神がないということは、私という固有性が疑われて、今後の生きる気力がなくなります。アドバイスをよろしくお願いします。

A 回答 (7件)

人間の傾向としてよくあることなのですが、ある情報が与えられた時、それを受けて判断するにあたって、最初にまずその情報をそのまま頭の中で反復するので、その時にそれが間違っているかもしれないという可能性について考えない場合は、批判せず鵜呑みになってしまうのです。


先入観として持っているものを覆すのが難しいので、なかなか批判できないでいるのでしょう。

ですから、例えば一つの重要な文章を取り出してみて、それに否定語をつけて反対の意味にして口で反復してみる、というのは批判のために役立ちます。
反復してみて、考えてみると、「あれ、反対でも正しいんじゃないだろうか」とか思えてきたりすることもあるかもしれませんよ。初歩的な批判精神というのは、こういうので芽生えます。

しかし、批判というのは、何もたたき台にあがっているものを悪く言うことだけが能ではないと想います。正当に評価することこそが批判なので、もし悪いことがないならば悪いことが見当たらないと堂々と言うことも立派な批判だと私は思います。
他人の言っていることを腐してばかりな人の固有性なんて、大したことないと思いますよ。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 具体的な方法を教えて頂き、非常に参考になりました。
 また、特に
 >批判というのは、何もたたき台にあがっているものを悪く言うことだけが能ではないと想います。正当に評価することこそが批判なので、もし悪いことがないならば悪いことが見当たらないと堂々と言うことも立派な批判だと私は思います。
 と、いう点は、今後見習っていこうと思います。私が正しいと思うことを評価することの大切さが分かり、良かったです。
 

お礼日時:2006/11/03 21:25

一言。

あなたには「みのもんた」にはなってほしくないですね。今は一生懸命に知識を蓄える事が先決ではないでしょうか?単に批判すればいいというモノではありません。みの氏の様に、薄っぺらい知識に立脚した批判精神など醜態そのものです。
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この回答へのお礼

 アドバイスをありがとうございます。
 他の回答者様に、人の意見を肯定する・評価する事も批判活動の1つだと教えて頂いたので、その精神を大事にしたいと思います。
 そうですね、知識を蓄えていくことも重要だと思います。

お礼日時:2006/11/11 17:50

わかります。

その批判精神が欲しいという気持ち。
だって、わたしも同じですから。

これは私が批判的に本を読んだり人の主張を聞いたりするときの方法です。
よかったら参考にして下さい。

(1)意見と事実を分ける
その人が言っていることについて、「意見」と「事実(データや根拠)」の部分に分解する。そして、その意見を主張するに、そのデータからそんなことが本当にいえるのか、データに偏りや穴がないかを考えてみる。

(2)○×△
その人の意見に対して、自分はどう思うのかを考えてみる。具体的にアレコレと思うものがでてこないのなら、賛成なら○、反対なら×、どちらとも言えない・分からないなら△とつけてみる。自分のオリジナリティの意見をいうのは難しくても、○×△で相手の意見を評価してみるのは容易なはず。


わたしも、もっと批判的に世界が読めたらと常日頃から思っています。
お互いにぼちぼち頑張っていきましょう。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 具体的な方法を分かりやすく書いて頂き、理解しやすかったです。
 >わたしも、もっと批判的に世界が読めたらと常日頃から思っています
 同じような問題意識を持っている方いると知り、少し安心しました。
ここで、安心してはいけないのですが、私もボチボチ頑張っていきたいです。

お礼日時:2006/11/03 21:42

結局自分のこだわりとか、好みとか、そういうものから「批判精神」は出てくるのではと思うんですよね。

そういうものっていうのは理屈じゃありませんから。
そういうのを自分の中に確立すること、好き嫌いのレヴェルを大きくすること、それが一番じゃないでしょうか。
結局広くいろいろなものに触れるしかないですね。そうすると、わかってきますよ。
たとえば、映画なら映画をジャンルを問わず幅広く見る、美術館でも古今東西あらゆるものに行く、そんなことを自分に強いていると、ちょっと見えてくるものはあります。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 >結局広くいろいろなものに触れるしかないですね。
 そうですね。私の精神だけに目を向けるのではなく、多様な世界に目を向けていこうと思います。
 

お礼日時:2006/11/03 21:28

十分自己批判をしているではありませんか。


それを外に向けるだけです。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 >それを外に向けるだけです
 なるほど。しかし、難しそうですが心掛けてみます。権威主義的パーソナリテーには、絶対になりたくないので。ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/24 22:08

批判精神そのものを追いかけても徒労に終わります。


問題は、自分自身の物差しを持つことです。
もちろん、絶対的で完全な物差しというのは誰も取得できません。
質問者のレベルに応じて獲得した物差しを活用するのみです。
そうして自己の物差しの相対性を認識した上での批判精神を発揮するのみです。
ただ、読まれている本は哲学書とはほど遠いと思います。
彼らは、評論家の類に過ぎないと思います。
「哲学は、解釈するために存在するものではない」
確か、このように言い放った思想家がいたと思います。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございました。
 >問題は、自分自身の物差しを持つことです。
 そうですね、私自身が価値観の物差しを持たないが故に、自己がグラグラとしているのかもしれません。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/24 22:06

批判内容はともあれ精神が大事なのですから、あまり難しくかんがえる必要もなさそうです。

あなたの必要とする概念が既存のものには見受けられないのでしょうか?
世の中の道理はつじつまがあってないし、一貫性も無いことが多いのです。そういうところをおかしいと考えるといいのではないでしょうか?
そうすると自然に身に付きます。でも、それを身に付けると失われるものもたくさんあるものです。
批判などをしなくても楽しいことなどをして人生を生きていくのもいいと思います。評論家などは自分の飯の種に論理を振り回しているに過ぎないです。
問題はあなたが論理的解決をしようとして上手く行かず無気力になること。恵まれた生活を享受し楽しく過ごしたいものですね。
どんな論理も時間が経つと否定されてしまいます。利便性がなくなるからです。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。
 >批判などをしなくても楽しいことなどをして人生を生きていくのもいい
 >問題はあなたが論理的解決をしようとして上手く行かず無気力になること。
 そうかもしれないですね。批判しようと思い、無気力になるのは、根本が間違っているのかもしれないですね。
 >恵まれた生活を享受し楽しく過ごしたいものですね。
おっしゃる通りです。ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/24 22:02

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