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先ずは私の意見を申し上げます。

原因があるとすれば、いじめられた子、いじめられた子の両親、(度合いは低いですが)担任、です。
少なくとも、校長先生などに責任は無いと思います。
テレビ報道を見ていると、とても腹が立ちます。
いじめられ自殺した子の両親に言いたい、子供が死を選ぶ程に苦しみ悩んでいることに何故気付かなかったのか。
親に相談出来るような家庭を築かなかった自分たちに落ち度は無かったのか?

いじめられる子には、何かしら問題があると思います。
多くの子供がいる中で、その子がターゲットに選ばれた理由があるはずです。大体は、暗いとかブスとかまじめ過ぎとかでしょう。

暗い、陰湿な雰囲気を持つ人は厭われます。大人になってもそうです。
自分を変える努力が必要です。育った環境にも原因はあるでしょう。

ブス、これは反論が多いかもしれません。ですが、決して美人ではないのに、明るい笑顔で皆に好かれる人はいます。ブスと言われる人は、自分で自分をもっとブスにしています。

まじめ過ぎ、まじめなことはいいことです。でも、度が過ぎては迷惑です。自分から周りに壁を作ってしまいます。勉強に集中したいなら、そういう学校に行けばいいのです。

程度は別として、何かしらのいじめにあったことがある人は、そう少なくないと思います。私もいじめられたことがあります。
私に言わせれば、いじめが原因だと言って死ぬ人は、甘いです。
死ねば、いじめた子が怒られ、みんなが自分を可愛そうだと言ってくれる、大きな問題になる、そう思っているのではないですか。

子供の世界でも大人の世界でも、いじめは無くならないと思います。
そんな社会の中でも、強く生きていけるように、本人が、親が努力すべきではありませんか。

みなさんの率直な意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (47件中21~30件)

責任は程度の差こそあれ、教育にかかわるひと全てにありますが、一番重いのは親だと言うのが私の結論です。

1箇所親の擁護をするとすれば、みな自分の子供を教育するのは1回目か2回目がほとんどでしょうから、経験不足で上手くいかないこともあるかもしれません。

親は子供と常に話をして、学校のクラスメートなどほとんど顔を名前が一致するくらい把握するべきと思います。そして、自分の子供から楽しい話が少ない友人の話が少ないなどで 自分の子供がいじめられているのでは?と感じる必要があります。(子供は隠そうとするでしょうが、見破れないのでは親失格です) またこれが自分の子供がいじめっ子かどうかにも当てはまります。 それに応じて、転校するなり子供を守る、教育し直す必要があると思います。

自殺した子供の親が先生に怒鳴り散らしているのがテレビに映っていましたが、手のつけれらない興奮状態なのかもしれませんのでそれは同情しますが、「おまえの責任はないのかな?」と強く思います。

極論ですが、先生など社会にも出てない未熟者がなるものですので、親として先生に頼るほうが間違っているともいえます。その先生の得意な科目を教える。校則を守るように指導する。くらいでしょう、先生ができることは。それ以上の余計なことを説く偉そうな先生は逆に親が糾弾するべきかもしれません。

もちろん今回いじめをとめなかった先生、隠蔽した学校側関係者などはさっさと辞めていただきたいです。
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No.10さんへのお返事にあった、この一文が引っかかりました。



>ですが、いじめる子は、凶悪犯ではありません。

人を死に追いやるまでの言動や暴力を平気でする人が、凶悪犯でなくて何なんでしょう。
自殺そのものをどう捉えるかは各論ありますが、未遂経験者としては、彼らからは真綿でジワジワ絞め殺されているようなものでした。
1年や2年ではありましたが、小中学生にとっての1年、2年がどれほど長い時間であるかは、経験からお分かりだと思います。


>いじめられる子には、何かしら問題があると思います。
>多くの子供がいる中で、その子がターゲットに選ばれた理由があるはずです。大体は、暗いとかブスとかまじめ過ぎとかでしょう。

「ブスだから何されても本人に問題がある」というのは、テレビの中で芸人がやっているだけの話です。
これが現実の教室でまかり通れば、道徳教育は地に堕ちます。


>子供の世界でも大人の世界でも、いじめは無くならないと思います。
>そんな社会の中でも、強く生きていけるように、本人が、親が努力すべきではありませんか。

極端な言い方ですが、自分を理解する人が誰一人いない社会で、あなたは生きてゆきたいと思いますか?
世の中なんでも思い通りにはならないですが、だからと言って自分の思い通りになる対象が世の中でテレビゲームだけという世界。

人間社会という概念から見るのであれば、誰かをそうした状況に置く周囲、すなわち「いじめる側」によほど人間的な欠陥があると私は思います。

以上、自戒を込めつつ・・・
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最高裁のいじめ人事を合法とした判断が直接の原因でしょう。


法の上の平等で.同程度の行為は正当な権利として行使できるようになりました。
上がやれば.下も同じようにやります。
もっとも弱い小中学生にそのゆがみが出他だけ手゛す。
>私に言わせれば、いじめが原因だと言って死ぬ人は、甘いです。
このような発言をするかたは.原則として.いじめを行っている方で.本格的いじめにあったことがない方です。
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再度です。

まあとはいえ前回の回答からずれてまた別の視点で・・・・
最近はこんな天邪鬼で言ってることが定まらない自分に酔ってます。

思ったのですが「悪いのは誰だ」の辺りもまあ実はあまりよろしくない気がしないでもないです。
参考URLにまあ同じような質問を用意しましたが、それのNo5の回答を見てみてください。
この事例でいくと、「このクラスにとっての悪人」って一体誰でしょうね?

まあ正直「悪人」はいた方がまとまりがいいですよ。分かりやすいですしね。何しろ「悪人」です。
その人が全面的に悪くなきゃおかしいです。
したがって誰だって悪人にはなりたくないし、悪人を成敗できる自分は素晴らしいと思うものです。

さてと、犯人探しに躍起な人も多いこの問題ですけど、「悪人」って誰なんでしょうね?

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2476107.html
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逆接的ですが、誰の責任でもない故、全ての人の責任だと思います。



昔、小学校で「虐める人はある意味、可哀想な人だ。」と先生が言ったのを今でも記憶してます。確かに、虐める人はある意味、加害者であり被害者でもあると思います。

次に、虐められる人、これは精神的苦痛があるということから言えば被害者です。しかし、guest98さんの言葉を借りるなら、彼らも「努力するべき」で、そう考えれば、一種の差別の温床になっており、加害者とも言えます。

そして、それらの親、学校の職員。この人は今の日本の価値観で言えば虐めをなくすことが責任とされます。しかし、それらを完全に出来ない。そういう視点では彼らもまた、被害者であり加害者なのです。

つまり、一人一人に責任がある。つまり社会に責任があるのです。社会というのは人間も動物であると考えれば、逆接的ですが、「自然」なことです。だれの責任でもないのです。ここに矛盾があるから、虐めに関することをはじめ、人はいつまでも無意味な議論を重ねるのです。政治なんか特にそう思いませんか?

なにが言いたいかというと「虐め」に関して誰が責任あるとかないとか議論しても意見を言うことも無意味なのです。虐め、虐めと言いますが、「虐め」という言葉でしか認識できないから「虐め」でしかないのです。

もし、guest98さんが虐めは社会にないほうが良いと思うならそれに真剣になるしかないのです。もし、虐められる人や親が悪いというのであれば、虐められる人のいる家に行き、「あなたが悪い」と言えば良いのです。人が本気で、本気で、直接、話せたら世の中は変わると思います。多分、理想の社会は本質の意味ではみな同じだと思いませんか。

散々、生意気なこと言いましたが、僕もまだ学生でそんなことが出来てません。でも、いつかそんなふうにしたいと願ってこんなことを書くことをお許しください。
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補足ありがとうございます。


>人はいつから自分の言動に責任を持たなければいけないのでしょうか。
この責任は物事によってちがうのでいじめに焦点を絞らせてもらいますが
自分がやられたらどうなるかを考えた時から、またはこれをやったら怒られると悟ったときからではないでしょうか? 具体例でいうと先生がいないときに、またはトイレでいじめるなど隠れてやるように
なったときからだと思います。
これを気づいてもいじめを続けるのは子供が悪いし子供の責任になるのではないでしょうか?
逆にいうと子供がいじめると怒られるとすら思わない状態の場合は親の責任が大きいと思われます。 しかし正直自殺をするくらいのいじめでいじめの自覚がまったくなく悪いことかも
まったくわからない子供っているんでしょうか?
どんな親でも最低限の悪と善は教えてるような気がするのですが・・
「教師がいじめてたからいじめていいと思った・・・・・」というのは
しかられるから責任転嫁しただけかとおもっていたのですが・・
この考えから障害者が犯罪をおかしても無罪になる法律があるとおもいます。
昔リアルなグリム童話見たいな本を読んだことがありますが
子供が3人で豚肉屋ごっこをして一人を殺してしまった。
捌きをくだすかどうかはリンゴとお金をどっちで取るかで有罪か無罪を決めたという話もあります。
いろいろ考えさせられました
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guest98さんの意見にほぼ賛成です 私はいじめる側 いじめられる側 両方経験あります いじめ対象の子をからかえば クラスの皆が

笑ってくれました いい気分でした いじめっ子は結構アタマいいですよ 「いじめられる子に問題があるといいますがそれが『いじめて良い』と言う事には絶対にならない」と回答してますが、たしかにいじめて良いと言う事には絶対にならないけど、何十年もの間 子供は身体的な特徴を残酷に攻撃し続けてます 親はそういうことはいけないことだということを子供に言い続けないといけません 私はいじめをしてる頃、よく先生や親に怒られてましたので悪いことだと知っていていじめてました 今の子はを悪い事だと思ってないでしょう 自分中心で自分にとってウザイからいじめるのでしょう 先生もいじめを注意し続けましょう いじめを認めて注意し続けましょう 言い続けてトントンです 言わなければマイナスになり続けます 悪い事だとわかったうえでいじめてるとしても、さらにエスカレートすることも少なくなるのではないでしょうか  「テレビのバラエティー番組で関西芸人が後輩芸人をいじめる番組が悪い」と みのさんが言ってました テレビの影響もあるとは思います 子供に道徳を教える番組が少なくなってます 昔はケーキ屋ケンちゃんなど 子供の教育にいい番組がたくさんありましたよ  もう一度ケーキ屋ケンちゃんを復活させましょう PSいじめる側の親をアンケートで統計をとってみたいものですね 親が子供の頃どうだったかなど 意外な共通点があるかも

この回答への補足

いじめる子の親は、自分の子がいじめをしていることに気付いてない場合が多いのではないかと、思っています。
実際はどうなのでしょうね、気になります。
テレビについては、そうですね、子供向けアニメも戦って相手を倒すようなものばかりになって、道徳を学べるようなものがありませんね。
ゲームでも、切られても痛まず、死んでも何度でも生き返り、しかも昔と違ってとてもリアル、悪影響があるのではと思います。
因果関係があるかどうかは分かりませんが、家庭教師をしていた時、生徒が何でも簡単にやり直せる、というような発言をしたことがありました。心配です。

補足日時:2006/11/02 00:26
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こんばんは


校長先生の謝罪の姿に何か思いをよせられたのですよね・・・
私は、この報道自体が少し行き過ぎだと思います。ご両親の前で謝られてる姿は、ちょっと報道がやり過ぎではないかと思います。
映像として流すべきか疑問に思います。
それと「今回の謝罪」と、いわゆる「いじめ問題」を同時に一緒に考えては混乱すると思います。
あの謝罪は、やはり「自殺の原因がいじめであったことを認めなかった」ことや「預かっていた子供を亡くしてしまった」こと、そういうことだと思っています。(少し遅れたのは違いないです)
謝っている姿を見て、いじめの問題は「悪いのは校長先生である」「悪いのは校長先生じゃない」という印象を強くもたれたのでしょうか?
それと、自殺を選んだ、ということが気になってらっしゃる気がしました。
この気持ちは皆さん同じように選ばないでほしい、選ぶべきじゃない、それ以上の気持ちだと思います。
ただ、報道で知っただけですが、実際、亡くなっているのです。これをどう受け止めるか・・・大変重いし、言葉にはならないものだと思います。

それと補足の中で、「学校は社会の縮図」のような考えがありましたが、私は、そうともいえるしいえない面もあると思います。
確かに学校や子供は、社会の影響を多分に受けるのでしょう。
また、おっしゃるように、単なる理想の場でも理想を行う場でもないのでしょう。
学校でも社会と同じような環境で、立ち向かう強い気持ちを持ってほしいというのは十分うなずけます。
が、まだ年齢的にも早いし頭も心も柔らかく、そのままの社会をイメージしてはうまくないだろうと思います。
それに、現実はそういう気持ち(立ち向かう)を持ってほしいという願いをも否定した、否定せざるを得なかった結果のような気がします。
そういう点が私には、想像を超えていて、この結果を受け入れることが難しいです。

私は、社会も学校も生き物のように、けっして固定されたものでもないと思います。
特に学校では、これからの人を育てるのですから、理想だけを教えていてもいけませんが、望ましいことや方向を探ってそれをできる範囲で目指すこと、を学ぶのではないのでしょうか?そういう面も強くあると思います。
単純に社会のありようだけを学ぶ、生きる術を学ぶのではない、と思っています。

質問についてですが、個別のいじめの内容をある程度わかっていないうちは、誰が、というのは私にはわからない・・・というより、難しいところへ行き着くようで、考えが先へ進めません。
また、今後、教育現場が誰かによってギラギラと監視するようなことは避けてほしいですし、あからさまにいじめを児童・生徒に問い詰めるようなことは避けたほうがいいのじゃないかと思っています。
大変難しいですが、あくまでも、事の小さいうちに、察知するようなこと、サインに気づくようなこと、実情・全体像を何とかしてつかむことが重要なのだろうと思います。
関係者の方たちにあっては、何よりも「真実」を共有しあって、独自の解決策、このことを生かした今後の未然に防ぐ方策を見つけ出して、少しでも良い方向へ歩んでいかれることを強く望みたいです。

質問と補足を受けて思ったことなのですが・・・
(長くなりましてごめんなさい)

この回答への補足

o-nn-ta-deさんの回答を受けて、
何故今回の問題に自分が固執しているのか、考えてみました。
いったい何が気に入らないのか。

(ここ最近いじめ事件が多く報道されており、複数の事件が頭の中でごちゃまぜになってしまっていますが、お許し下さい)

気になったのは大きく2つ。

一つ目は、遺書に「原因はいじめです」と書いていること。死ぬことで、いじめた子に嫌がらせしているようにしか思えないのです。絶望よりも怒りに任せて死んでいったように思えてなりません。嫌がらせだとすると、やり方が卑怯に思えるのです。そう思うのは、私が心を病んでいるからなのかもしれません。

二つ目は、親が学校を非難していることです。
私に言わせれば、いじめがあったかどうかはどうでもいいのです。学校はいじめがあるところです。自分の子供がいじめられていたとしても、なんら不思議なことではないのです。自分の子供の自殺について、他人を責めていることに腹が立ったのです。それは何故か、何となく分かります。私は、自分の両親に理解してもらっていません。何度話しても、私の気持ちは分かってもらえませんでした、心無い言葉に傷つけられたこともあり、親を恨んでいる面があるのです。そんな親を思い浮かべ、もし私が子供の頃に自殺していたとしても、自分達が悪いとは少しも思わず、反省もしなかったのだろうかと思うと、無性に腹が立ちました。

今は、もしこの先自分に子供が出来たら、とにかく子供の話を聞こうと思っています。子供の頃は、大人は子供の気持ちを分かってくれないと嘆き、親になると、親の気持ちもしらないで、と言うようになります。自分が親になったとき、子供の頃に思っていたことを忘れませんようにと、今は祈るような気持ちでいます。

補足日時:2006/11/02 00:36
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いじめ、自殺とは論点がずれてしまいますが、



No.2さんの補足で、
>学校にいるうちから、いろんな問題にぶつかって、考えて、立ち向かう力を身につけてもらいたくはありませんか。

とありますが、大人たちは、嫌な人とでもそれなりにつきあっています。
腹の中では「消えてほしい」と思いつつ、家庭の中では「あの人がどうでこうで」と文句を言っても、本人の前ではそういう素振りはしません。

やはりそういう気持ちが態度になって表れるのがいじめだったりするのでしょう。

大人の世界には、いじめ以外にも痴漢やセクハラ色々あると思いますが、憎いヤツのせいにして自分が犠牲になってもヤツには痛くもかゆくもありません。なので大人として対処すべきであり、それができるのが大人です。

いじめで自殺した人には、ひとつでも突破口があればよかったと思います。

ちなみに体験談なのですが、私もいじめられたことがあります。私の親が、隣の子につねられた腕のあざを見つけました。しばらくはシラをきってましたが、何故かいじめてる子のことは嫌いでもなかったのでやめさせようと思い、帰りの会で告白しました。すると、担任の先生(年配の女性)が近寄ってきて、その子が吹っ飛ぶくらい殴りました。いじめは、その子にとりついてる悪魔だと思ったのです。しばらくして、その子が引っ越すことになりパーティーに呼ばれたのを覚えています。私は障害者ですが、あれ以来いじめられたことはありません。中学でもからかう子は数人いましたが、仲良くなってしまえばこっちのものです。いざというときに助けてくれました。いい仲間に恵まれたとも言えますが。
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この回答へのお礼

amethyst1976さんは突破口を見つけることが出来たのですね。
良かったです。
障害者であるということも、いじめを受けやすい事例ですよね。
amethyst1976さん自身もその後はいい関係を築けたようですし、
いじめた子も大切なことを学んだのでしょう。

大人は、一度反目した人とはなかなか溝を埋められないように思いますが、学生の間は、意外な子と仲良しになったりしますね。

お礼日時:2006/11/01 23:22

『誰が』どれだけ『悪い』のかに序列を付けるのは難しいですね。


『良い、良くない、悪い、悪くない、どちらかと言うと良いOR悪い』
世間では多様な価値観があります。個人的に、これは肯定しないと生活し難くなると思っております。
(いじめを苦に自殺を選択した人には)『自分という存在(および考え)が、全ての人に受け入れられる訳ではない。』という、ことを認識して欲しかったと思います。
 また、死に対する経験または想像力の欠如でしょうか?自分自身小学生の時に『死』というものがあると知ってから、折々にその恐怖を感じていました。肉親の死に立ち会って、残された者の悲しみも経験しました。もし、私が何らかの理由で死んだ時に残された人の悲哀を受け止めることはできません。『後は知らない、サヨウナラ』といって死ぬほどに人生に対して無責任にはなりたくありません。
 ちょっと脱線しました。『いじめ』についてですよね。
それを、する側とされる側の認識の相違は、あるような気がします。
される側には耐えがたい苦痛であっても、する側からすれば単なるからかいの延長かもしれません。
例えばこの質疑の中で、質問者または回答者のコメントで一方が耐え難い心の傷を負ったとして、もう一方を非難できるのでしょうか?
 多種多様な価値観を持つ世間の中で、自分なりの折り合いを付けて欲しかった。それが私の意見です。
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この回答へのお礼

認識の相違、そういうこともありますよね。
私も、つい最近ですが、その時はむしろ良い意味で言ったことが、
後でその時の相手の表情などを思い出して、あぁ傷つけてしまったなと、気付いたことがありました。
本当に悪気はまったく無かったのですが、申し訳なく思っています。
私は後で気付きましたが、気付かない場合もあるでしょうね。

お礼日時:2006/11/01 23:28

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