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よく、「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」という言葉を耳にします。
皆さんはこの格言(?)についてどう思いますか?
私はある経験から、「絶対にやらなければよかった、やらなくて後悔したほうがきっとよかった」と思ったことがあります。
この言葉を支持する理由や体験談、考え方などを教えてください。

A 回答 (12件中11~12件)

まず、人でも殺して「やって後悔したほうがいい」ということはないですよね。


犯罪はやらないでくださいね。やってよかった犯罪行為なんて無いですから。

それとは別に、会社を辞めて起業したけれど詐欺まがいで膨大な借金を背負っっているという人も多いですが、
会社を辞めたことを後悔しているという人も多いですね。
まぁ、でも犯罪行為以外のことであれば、好きなことに挑戦したと前向きに考えてもいいのではないでしょうかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も犯罪行為は絶対にしたくないです(>_<;
「好きなことに挑戦した」という考え方は素敵ですね、参考になりました。

お礼日時:2007/02/23 15:56

「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」について、自分なりの解釈で言えば、これは自分なりの「決断」を促す言葉であって、


「やる」「やらない」が重要ではなく、「最後は自分で判断し決断をくだして、その結果は自分で受け止めていかなければならないんだよ」というように理解しています。

もちろん犯罪行為について「やらないで後悔するより」ということが全く通用しないのは当然として、あることについて「行なうべきか」「行なわざるべきか」という選択に迷った場合の決断として、「やらないで後悔するより」という言葉によって行動を促すのだと思います。
したがって、「やる」「やらない」についての価値判断として、どちらの良し悪しでもなく、善悪でもなく、是でも否でもないということであろうと、私は考えます。

結局のところ、自分自身がどうしようかと迷うこと、悩むことについては、最後は自分で決断し、その結果については自分で受け止めなければ
ならないということです。迷っていても誰かが勝手に決めてくれるものでもないでしょうし、自分が決断したその結果については、子供でもなければその結果は自分が負うべきものでしょう。
結局、その選択を自分ではない誰かに委ねて、そしてその結果を人のせいにするということが、どれほど自分にとって無意味なことかということを示しているのかもしれません。

ただ悩む・迷うこと自体が意味がないというわけではなく、悩む時間も迷う時間も人間にとっては必要な時間でしょう。逆に言えば悩むこと迷うことができるだけの時間も余裕もあるということですから、しっかりと悩んで迷えばよいと思います。いずれ時間も余裕もなくなれば、おのずと何かを選択し、決断しなければならないのですから。

と、自分自身はこう考えていますが、最近「バカの壁」の著者養老孟司さんの本を読んで、ほとんど同じ内容のことを書かれていたので、その考え方が、あくまで私個人だけの考え方でもないのだということについて、再確認した次第です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
結局全ては自分の意思で判断し、自分が責任を負わなければいけないのですね。
本にもそのような考え方が載っているとは…参考になりました。

お礼日時:2007/02/23 16:00

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