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保育所や養老院が便利になるのは本当に良いことでしょうか?

年寄りは子供が面倒を見る。
乳児・幼児は親や家族が協力してもりをする。

それが本来の姿じゃあないでしょうか?
年寄りが家にいると、子供がうまく育つと思いますし。

僕は仕事がどうの、経済的理由がどうの、といっても、お金は単なる道具・手段であって、家族で幸せに暮らすこと。こそが本当の目的だから、他の何を犠牲にしても、家族との暮らしを最優先に考えたいと思います。

福祉国家として有名な北欧諸国では、未婚の母が日本の10倍以上。高齢者の自殺率も日本よりずっと高くて、深刻な社会問題になっているようです。

それでもなお、いま叫ばれているような福祉の充実や女性の社会参加は良いことなのでしょうか? またそれはどういう理由からでしょうか?

A 回答 (10件)

福祉の充実、という取り上げ方の御質問ですが、問いかけたい趣旨というのは子供や親との生活の共有よりも、働くなり遊ぶなり、つまりは個人の自由の体現の為の環境整備というのは方向性が間違っているのではないか、といった事であるように感じました。



子供の養育を他人任せにして仕事をする、なんてのは、たとえそれが子供の将来の為であったとしても、なにかおかしいのではないか、という事なのではないでしょうか。

福祉というものの位置付けは、これは国家(社会)の役割というものについての考え方なのだと思います。
少なくとも、経済的な理由などから死を選択しなければならなくなるような事がない社会、という事を目指すのであれば、これは福祉の充実が最優先事項になって当然だと思います。必要最低限のルールと、それを維持する為の強制力、それだけで十分、という考え方もあると思う一方、生活能力が無くなっても生きる方便の心配をしなくてよい、という「社会」への期待もあって良いと思います。

人は安心し過ぎると虚しくなってしまう、という側面があるのかもしれません。生きるのが大変であれば生きる為に必死で、しに追い詰められる心配がなければ逆に生きる事への執着が薄れるのかもしれません。

しかし、死しか選択肢がない、という状況が生じないように国が配慮してくれる事は、やはり意義のある事だと思います。福祉の充実がもたらす副産物は危機感の喪失だと思います。退屈や安心から生まれる虚しさや無気力を特に罪悪視するのであれば、平和は好ましい状態ではない、と言う事と同義となりかねません。

少なくとも、生きる事について心配しなくてよい環境、という意味での福祉の充実と、子供や年寄りの面倒は人任せにできる環境、という事とは同義ではないと思います。後者は、福祉の悪用、と考えるべきなのではないでしょうか。

いろんな事情の人がいます。親や事の同居を望んでいても具現できない人もたくさんいると思います。福祉というのは、そんな例外的な人、あるいは少数派の人をも含めて、人としての尊厳を守る為の保障制度だと思います。

資本主義は優勝劣敗、適者生存の厳しい世界ですが、働かざるもの食うべからず、負け犬は去れ、を徹底してよいものとも思えません。敗者にも不適格者にも、死を押し付けない為に福祉は必要な事だと思います。

女性の社会参加は、基本的に男女は同権である、という事を主張する具体案のひとつであろうと思います。性差というものが歴然とある以上、社会的役割に適性はあるはずですが、自然に役割分担が行われるべきところを高圧的・断定的に住みわけを強いるのは間違っているだろう、という主張は為されて当然だと思います。

過渡期にはエキセントリックな事例も頻出するかとは思いますが、方向性としてはまちがってはいないと思います。落ち着くべきところに落ち着いてみれば、あまりかわりばえのしない事になるのかもしれませんが、やはり男女は基本的に同じ権利を有するのだ、という事は確認しておく必要がある、とされている時代なんだと思う次第です。
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この回答へのお礼

minerral-powerさんありがとうございます。
お答えいただいた文の初めの5行、まさにその通りです。
福祉の役割について、おっしゃる通りだと思いました。勉強になりました。
女性の社会参加については、自分も同感です。ただ、子供が小さいうちはやっぱりお母さんは家にいて欲しいと考えてしまいます。

お礼日時:2002/06/01 21:36

先にまだまだ勉強中の身なので、誤解を招く発言並びに言葉足らずだろう(いや絶対にそうですけど)ことをお詫びしておきます。



>それが本来の姿じゃあないでしょうか?
年寄りが家にいると、子供がうまく育つと思いますし。
・・・本来の姿かどうかは無知な私には分かりかねますが、ただ一つお聞きしたいのは、何を持って「お年寄りが家にいると子供が上手く育つ」と仰るのでしょう?
お年寄りがお家におられるご家庭でもやはり暴力的なお子さんは沢山いらっしゃると思いますし・・・。それなら保育園でお友達と施設に行って交流を深めるとか言うイベントがある方が私的には情操教育に良いのではないかと思うわけです。
そもそも「上手く」ってなんでしょう?申し訳ないですが、ご説明頂けると嬉しいです。

>それでもなお、いま叫ばれているような福祉の充実や女性の社会参加は良いことなのでしょうか? またそれはどういう理由からでしょうか?
良いのではないでしょうか?それだけ個人個人のニーズがはっきりとしていると言うことでしょうし。・・・・高齢者のみの福祉の充実と言うのはできれば止めて頂きたいですけど。(障害者と呼ばれる方々にも平等にしないとね)
女性の社会参加・・・良い事ではないですか?だって男性の方とは価値観が全くと言っても良いほど違いますし。女性が参加するおかげで新しい便利な商品が開発される事もあるでしょうし。(そう言えば今人気のプリクラも女性が開発したんでしたっけね)

回答にならず、また、訳の分からない愚かな意見で申し訳ありません。
では失礼します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご意見ごもっとも。僕もそう思います。愚かな意見とは思いません。
手数ですが、これまでの回答とお礼をよく読んでいただければ、私とmegusamaの考え方はそんなに違わないことと、僕が疑問を持ったのはどのようなことかが、ご理解いただけると思います。

年寄りがいると教育上良いと考えたのは、私の身の回りの識者の多くがそう断言しているからです。理由は全ては述べられませんが、例えば、私は幼い頃、手が震えてお茶をこぼす年寄りを、それで当たり前だと知っていましたし、一緒に散歩するときは歩調を合わせないといけない。目はよく見えない。全て理解できました。じじいばばあなどという言葉を使うこともなく、障害のある人を奇異なものと見る気持ちもなく、いじめに加わることもなく、どちらかというと助けにまわれたはずです。
例えばこのように思いやりを学べることは、良いことですね。もちろん年寄りがいないと学べないというわけではなく、いると必ず学べるというわけではないですけどね。

ところで僕の知り合いでめぐさんという早朝にネットする人がいるのですが、まさかmegusamaはめぐさんではないでしょうね。

お礼日時:2002/06/06 20:50

基本的には他の皆さんのお答えが十分参考になるかとはおもいます。

福祉拡充はいわば「選択肢を多くする」ということです。選択肢が少なすぎると人は不自由を感じてしまいます(逆に無限に多すぎると人は選択を止めるのだが)。家庭内介護保育もその選択肢の一つであり、ホームや保育園もまたしかり。現行法では基本的に施設利用に義務も強制力もなく、利用したいときだけ利用したい人だけが利用すればいいことになっています。また、旧来の村社会でも保育や介護機能を持つものがありました。そして現在の多くの福祉施設は、旧来の役割を担っていた者・部署?が引き継いでいます。保育園ってお寺や神社が多いんですよ。昔の子どもも遊びや様々なことを体験する場所としてお寺や神社を利用してましたし。未婚の母や高齢者自殺も人生の選択肢の多様化として理解は出来ると思います。蜂の巣みたいなマンションの一室で24時間を過ごすくらいなら、保育園などで遊んだりコミュニケーションの練習をしたりした方が、結果的にkosanjiさんのお望みの社会・家庭になっていくような気がしますが。
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この回答へのお礼

専門家の方のご回答、ありがとうございます。
皆さんの回答で、福祉施設や制度が充実すること自体にはなんの問題もなく、利用する側の良識や、どのような目的で利用するかといった方向性が、重要になってくるのだと言うことがわかりました。
時代が流れて行く以上、保育や介護の機能を果たす施設・手段の形態は変わって行くものなのでしょうか?

お礼日時:2002/06/04 21:41

書き込んでいたら長い・・。

まずは長文失礼。

う~~ん。私の家のように寝たきり老人をかかえてますがそれでも
自宅介護で何とかしているところも多いでしょう。
痴呆がないから面倒を見られます。それは人間と人間の心の交流が
あるからです。これで痴呆があったら?私たちのことを赤の他人扱いし、
1日中遠くを見ていられたら?ぶつぶつわけのわかんないことを呟かれたら。
(もし歩けたら徘徊もあるでしょう。これも事故にあったり辛いことです)
家族が幸せに暮らすこと。
大変素晴らしい意見です。けど、それは実際肉親の介護を親身にしている
人間からみたら理想論です。24時間毎日つきっきりで介護してください。
こっちがノイローゼになります。わけのわからないたわごとを繰り返され、
それが耳に入ればただの苦痛です。介護している人間も人間なんです。
介護している側のストレス解消に週に一度だけでもディケアを利用するのは
いけないことですか?一度や二度、開放されて新鮮な気持ちを保とうとするのは
いけないことでしょうか。

>他の何を犠牲にしても、家族との暮らしを最優先に考えたいと思います。
もし質問者さんが痴呆の老人の面倒に従事してそのうえでその発言をなさるの
なら大変すばらしいかただとおもいます。
痴呆の恐ろしさは子供でも孫でもわからなくなることです。
私の金を盗んだ、私を叩いて苛める。嫁は私を殺そうとする、と叫びまわったのは
私の家の近くのおばーちゃんです。
食事を投げつけられ、便を投げつけられたこともあったそうです。

うちは軽度の痴呆がなおって私が誰か(孫)を認識しているからまだ心のふれ
あいがあり、面倒をみたいとおもうけれど・・・。
本音を言えば世話をしていて、結婚したくなくなりましたね。
子供に同じ面倒を見させるのは可哀想としかいえないのが現状ですから。

>福祉国家として有名な北欧諸国では、未婚の母が日本の10倍以上
これって、中絶の数が日本より少ないのではないのでしょうか。
日本では今未成年者の妊娠中絶数が恐ろしく高いですけど、日本のように
できちゃったからおろせばいい、と言う考えもあぶないとおもいます。
それと「未婚の母」ってただ単に結婚しないで一緒に暮らす夫婦も海外では
多くなかったですか?
日本のように家と家の結びつきで結婚を考えず、あくまで個人と個人の
結びつきを大切にしてますから紙切れ1枚の籍を入れるのではなかったと
おもいます。
それで何年か一緒に暮らしていると法律で きちと「妻」や「夫」のように
権利を認められていたとおもうのです。
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この回答へのお礼

私の質問では、福祉、という言葉を全否定するかのような書き方をしてしまい、申し訳ありませんでした。
過去我が家にも介護の必要な祖父や痴呆の進んだ祖母(施設で生活)がおり、様々な福祉サービスの恩恵を受け、有り難く思っております。そのような福祉を否定するつもりは毛頭ありませんでした。
核家族化がどんどん進むことや、乳幼児を保育所に預けての共働きなど、仕事や個人の生活スタイルの充実が、”家庭”よりも優先され過ぎている風潮を残念に感じた次第です。
海外での結婚のスタイルについては、なるほどです。自分の固定観念を作らないように気をつけます。妊娠中絶については悲しく思います。誰も喜んでするとは思っていませんが、基本的には万難を排して生んで欲しいです。もし自分の娘が結婚する意志のない相手の子を身ごもったら、”おめでとう”って言って、生ませたいと思います。(その前に貞節な女性に育てたいですが、世が世なのでどうだか。)

最後に。私の父の兄弟は、押しつけ会うことなく、良く協力して祖父母の介護をまっとうしました。祖父母を見送るときには、皆がそれぞれの苦労や気遣いをいたわり合って、それは美しい光景でした。こんな幸せなことはないと、祖父母がうらやましくなり、またそのような家族を築きあげた遺徳が偲ばれました。

自分はまだまだ現実の厳しさがわかっていないとは思うのですが、miki12さんを
心から応援したいと思います。どうかご無理をなさらず、息抜きもして下さい。

熱心なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/04 21:31

補足説明です。


簡単な例をあげると、80代祖母、50代父母、20代子供世代の中流家庭とします。祖母は最近軽い痴呆があり、時々近所に出かけたまま迷子になってしまったり、台所の火をつけっぱなしにしたりしてしまうので、一人ではおいておけません。子供がまだ大学生で経済的に自立していないので、父母は共働きです。このような場合、どんな家庭でも最初は母(嫁)が祖母の世話をしようとするでしょう。しかし、痴呆は進行します。色々と努力した挙句家族全体が疲れきって施設などを探し始めます。
 簡単な例ですが、想像がつきますでしょうか?もし、あなたが女性で嫁の立場であったとしたら一日中痴呆の舅の相手をできますか?子供が経済的に自立していなかったら、どうやって食べて行くのですか?
 非難しているのではなく、これは理想論ではなくて現実的な問題なんです。
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この回答へのお礼

例に挙げて下さった状態は想像がつきます、と言わせていただきます。
なぜならば、痴呆で全面的に介護の必要な祖母や、頭はクリアだけれど病気で入院中の祖父(共に他界)を持ったことがあるからです。嫁の立場になれば、痴呆が激しく問題行動や暴言を頻繁に起こす場合、自分がもたないと思います。
実際に介護ザービスを利用したこともあり、有り難さも必要性も感じます。
私の質問ではそのような福祉を否定するつもりはなく、舌足らずであったことをお詫びします。
家族のあり方というのは多様で、それぞれのケースにおいて難しい選択を迫られるということがよくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/04 21:04

 以前の回答者の方々がおっしゃっている通り、今は過渡期だと思います。

日本は本来村社会です。実際に子供の面倒をみていたのは祖父や祖母、地域の引退者で、父や母は家を守るために仕事に終われていました。近代化が急速に進み核家族化が進んでしまった結果、子供を教育する伝統のない父母が教育を行い、嫁の役割だった老人の世話の受け皿も無くなってきました。ここで詳しくは説明できませんが、それまでの村や家というシステムが無くなってしまったので、さまざまな問題がおこっているのだと思います。また欧米の個人主義はキリスト教を背景に成立したもので、そのまま日本には移植できません。今の日本人の個人主義は孤立主義に近いものだと言われているそうです。
 私は福祉の現場で働いていますが、老人の面倒をみる世代はちょうど働き盛りで、自分たちの生活だけで精一杯だというのが現状のようです。今は地域で子供や老人の世話をするという習慣がなくなってしまったので、父母となる世代を直撃してしまっています。今後どのようになってゆくのかは現場の私でも想像がつきませんが、福祉という形で国家が保証してゆくしかないのでしょう。重税も覚悟しなくては自分が老人になったときには老人スラムしか行き場がなくなってしまうというのが現場の実感です。
 文章にまとまりが無くなってしまいましが、結論を言ってしまうと欧米は文化的な背景が全く違うので、そのまま日本に移植することは無理です。かと言ってアジア諸国のような地域社会や家のシステムにも戻れません。日本独自の新しい社会構造を模索しているのが現状だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
現場の方から意見が頂けて、とても勉強になりました。

深く考えてみるととても難しい問題であることがわかりました。また自分はまだ知識や経験が不足しているので、あれこれ考えるよりももっと勉強して行こうと思います。

ひとつだけ。「老人の面倒をみる世代はちょうど働き盛りで、自分たちの生活だけで精一杯。」ここが考え所だと思うのです。

お礼日時:2002/06/02 09:47

 「年寄りは子供が面倒を見る。

乳児・幼児は親や家族が協力して子守りをする。」のがkosanjiさんの家族観ならば、kosanjiさんが、そのような家族を築きあげれば良いと思います。福祉施設の充実が、kosanjiさんの家族観に反するのだとすれば、kosanjiさんが福祉施設を利用しなければよいだけです。ごく個人的な問題です。

 では、社会的に、福祉施設の充実は、いわゆる家族の絆を軽んじた結果なのでしょうか?私はそうではないと思いますが、kosanjiさんは、この点を考えるべきだと思います。

 また、未婚の母と高齢者の自殺を許容できないものとしてますが、もしかすると、将来において、「子どもは、未婚の母が産むもの」となり、「高齢者の自殺行為は尊ばれるもの」となるかも知れません。私が言いたいことわかりますか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分の家族観を人に押しつける気はないです。自分が福祉施設を利用することも起こるかもしれないと思いますし。僕が疑問に思ったのは、働くなり遊ぶなり、つまりは個人の自由の体現の為の環境整備というのは方向性が間違っているのではないか、ということです。この疑問はごく個人的とは思いません。
皆さんの回答で、福祉の充実が良い悪い、と考えることは間違いであったと思うようになりました。必要なものは必要で、利用する側の良識が問題となるのでしょう。皆さんありがとうございました。
終わりの3行についてですが、fuchikomaさんの言いたいこととはつまり、私の道徳観は、単に現在の社会規範や生活環境や自国の習慣によってすり込まれたものであり、普遍的なものではなく、時代によってどうとでも変わる、ということでしょうか。

お礼日時:2002/06/02 09:42

社会参加のあり方を考えるべきときなんだと思います。



女性の社会進出は、何も男性と同じスタイルを取らなくてもいいのではないでしょうか。
家族の予定に自由に合わせられる仕事や家事以外の社会的役割もこれから考えていけばいい。
例えばインターネットは男よりも、女のライフスタイルに大きな影響を与えるものだと思います。
昔に比べれば、家事は電気化によって格段に楽に短時間になっているはずですし。
男社会に入り込むのではなく、女社会をまず作り、男女社会の接点を探して融合していく方法も有ると思う。

高齢者福祉にしても、なんとなく社会から隔離されている印象を受けます。
経験豊かな人たちなんだから、もっとやれることがあるはずです。

未婚の母については、北欧諸国がセックスに寛容なお国柄だからかな。
結婚制度自体、今後必要なのか分かりません。

なんか適当な文になってしまいましたが、
サバイバルの時代、領土拡大の時代、政治経済の時代と来て、また行き詰まり、新しい価値感を探さなくてはならなくなってきているのではと考えます。
福祉の充実が、足かせではなく投資だと思えるようなシステムになれば良いのですが、現状は・・・過渡期でしょうか。
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この回答へのお礼

ZhakTinさんありがとうございます。
私が福祉という言葉をとても狭い意味で捉えていたのが間違いだった気がします。
要は制度をどんなに整えても、一人一人の心がけが良くならなければ良い方向に機能しないということでしょうか?

私としても、いろんな家族、いろんな生き方をして、いろんな死に方をした人を見てきました。子供達に見守られながら天寿を全うした人、心ならずも妻・子供を残して病に倒れた人、若くして自ら命を絶った人・・。それらを見て、自分としては、やっぱり一緒に住む仲良し家族が一番幸せの元だと感じました。人にそれを押しつける気はないのですが、家族をバラバラにするような仕組みが作られていくのが残念に感じられた次第です。

お礼日時:2002/06/01 22:02

あなたがおっしゃる事は、一理あるかとも思います。


でもちょっと偏ったものの見方であるような気もするのです。
実は我が家にも高齢者がいるのですが、老人保健施設のデイサービスなどを利用させていただいているのです。
それは家族や、本人にとってもよいことでした。老人保健施設へ行く事で彼女はだいぶ明るくなったし、家族以外の人とのつながりももてました。
傍目から見れば、老人を施設に押し付けて・・・かもしれません。
でも、家族が介護ストレスを感じつつ、本人も狭い空間で、家族の苛立ちを感じながら生活する・・・という状況は我が家にとってすごく辛い状況でした。
ちなみにりようしてる保健施設は公立の機関です。だから安価で利用できるんですよね。
まあ、これは我が家の一例。参考になさってくれれば幸いです。

>それが本来の姿じゃあないでしょうか?
何故本来の姿なんでしょうか?そもそも家族に本来の姿なんてものはありません。
時代によって変わっていくものです。

北欧では未婚の母が多い…結構なことじゃありませんか。
それだけたくさんの女性が自由な生き方を選択できるのですから。
高齢者の自殺が多いのは痛ましい問題ですね。
それが福祉の充実とどういう因果関係があるのかお聞かせください。

福祉の充実は良いか悪いかという問題ではなく、必要かどうかという事ではないでしょうか?
福祉国家政策は国家財政を圧迫するという考えもありますが、働く人を応援する、という意味ではある程度必要なはずです。
女性の社会参加にかんしても。良いか悪いかではなく、個人の権利の問題です。働きたい人が働ける。性差別なく同等の権利を与えられる。
これは当たり前のことです。性差の違いを踏まえたうえで、同じ社会に参加できる。これは当然の事です。
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この回答へのお礼

maddy-kz23さん、ありがとうございます。
我が家にも過去、どうしても家で面倒を見てあげられないおばあちゃんがいて、施設にお世話になり、本当に有り難かったです。
福祉の充実は良いことだけれども、利用する側の意識が、預けてしまえばいいや、となっては問題ということでしょうか。
そうですね、偏ったものの見方をしないよう、気をつけます。

未婚の母自体を非難する気はないのですが、(そういう人生もあるでしょうから)でも、あまり増えることには賛同できません。さらには、未婚の母の子の父には、全く賛同出来ません。

高齢者の自殺と福祉の充実の因果関係については、以前に講義で聴いたのですが、データを持っていないので説明できません。話の持ち出し方が拙かったようです。また勉強しておきます。

お礼日時:2002/06/01 21:52

「本来の姿」とは何をもって本来の姿なんでしょうか。


そもそもその本来を元にまでたどってみると、サル山のサルのようなものが本来のそれに近いのではないでしょうか。
貴方の思う本来とは近代になってからのほんの数十年の家族形態のあり方でしかないでしょう。

昔は良かったと想像するのは結構ですが、昔は昔で色々と矛盾もありました。例えば、年寄りが家にいるとなるのは従来は長男の家庭だけでしょう。次男三男坊の場合は誰が家にいるのでしょうか。長男重視の形態が主流だった時代はその他は無視されていました。
あと女性の権利の問題ですね。
主婦として家に閉じ込められた場合、自力でそこから逃げ出すことは不可能になってしまいます。手に職もないわけですし、どんな暴力亭主でも我慢するしかないと。今も苦しいことは苦しいでしょうが、いざとなれば別れても何とか生活はできる社会です。
他には村社会の問題とか。地域社会で子供の面倒も見ると。これもこれで良い面も多々ありますが、村社会の息苦しさも同時に存在する訳で。


今現在の社会システムの問題も当然ある訳で、仰る通り福祉による財政の圧迫だとか。それでもまさか昔は絶対的に良かったとは思いません。面倒を見きれない親を捨ててた時代もあったんですよ。


最後に理由ということについては。
良い悪いは別にして社会の進歩ということでしょう。一言で言ってしまえば弱者の権利の向上です。
テストで落第点をとるような人間はどんどん退学にしていけば、学校の(テストで高得点をとるという面に関しての)レベルは上がるでしょう。それと同じように。弱者をどんどん切り捨てていけば、足かせ(?)が減って活発な社会にはなりえるかもしれませんね。
これのデメリットとしては、多様性の放棄ということでしょう。テストで高得点を取れる人間は残っても美術の得意な人間が残るとは限らないと。
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この回答へのお礼

popesyuさんありがとうございます。
僕が「本来の姿」と書いたのは、人間社会の過去のどの時点を指したわけでもなくて、自分の理想とする家族という意味でした。舌足らずですよね。すみません。
しかしそれにしても、みんなそれぞれに目標や理想は違うということですから、私の言い方は乱暴だったと思います。
それにしても、弱者切り捨て礼賛。のようなことは私は言ってないのですが・・。

お礼日時:2002/06/01 21:25

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