写真にもいろいろありますが、意見を聴きたいです。僕の場合、あくまで記録の作業で、創造性に乏しいという意見で、食べ物で言うと「生のごぼう」~「塩つきゆで卵」。100%のうち0~45%ぐらいです。45%は、アレンジができることと、表現には違いないと言う意見による評価です。あくまで個人的ですが、あなたの意見を聴きたいです。

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A 回答 (6件)

#1の補足に対する回答(というよりわたしの考え)です。


見せたいものは、ライブの風景(のデッドコピーとしての記録)なのか、オブジェとしての1枚の写真なのか。わたしのスタンスは後者です。前回は触れませんでしたが、積極的にカラーフィルターを使ったり(乏しい小遣いから10枚も揃えたりしたもんです)、ブレボケやスローシンクロといった効果を使ったり、現像や焼き付けの段階でさらに手を加えたり、そうした表現を好んで使っていました。自転車を持ち込むのも、そのような発想の延長線上にあります。
これはわたし個人の趣味で、そうした手法を使う写真家の一派はいるにせよ、すべての写真家に当てはまるものではないかもしれません。写真表現に作家性が現れないということはあり得ないので0%というのは除外して、1%から45%の範囲で写真を作品とする人もいると思います。ですが可能性として、上は90%まであり得るのではないか、というのがわたしの回答です。
ええとそれから重要な点を書き忘れていましたが、以上はすべて作品とか表現とかアートとか、そうしたカテゴリに含まれるだろう写真についてです。記録写真や報道写真、日常のスナップなどについてすべて当てはまるとは、さすがに思いません。
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この回答へのお礼

二回目のご登場ありがとうございます。{以上はすべて作品とか表現とかアートとか、そうしたカテゴリに含まれるだろう写真についてです。記録写真や報道写真、日常のスナップなどについてすべて当てはまるとは、さすがに思いません。}そうですね、0%の表現は無いように思います。

追伸:しかし、なぜ上限が100%でなくて90%なのでしょうか。

お礼日時:2001/01/18 12:11

>その「何か」を「発見」するのか、新たにアイデアとして「うむ」のか、他から拝借するのとではえらい違うと思うのですがどうでしょう?



拝借ですか?スナップや報道が拝借なのだとすれば、
コラージュという表現はそれ以上に拝借だと思うのですが、
なぜ、世間では写真の方を拝借として話題にしたがるんでしょうかねぇ?
僕にはそれがわかりません。

では閑話休題。本題に戻りましょう。
自分で撮った写真を見て、caballeroさんは
「あれ?イメージと違うな?」とか「思った通りに撮れない」とか「こんな風に見えてなかったのに」とか思ったことはありませんか?

もし、あるとすれば、それは写真と現実(もしくは事実)は違うからです。
(技術の問題もあるとは思いますが上のことを認識していないと技術面はカバーできません)
そして、その違いを認識し、違いを生かして表現することが写真行為なのです。
その上において考えると、「拝借」という表現はいかにもおかしい。
つまり、借りても同じものにはならないという認識が欠けているのです。
そして、もうひとつ、欠けている(誤っている?)認識を指摘すると、ひょっとして、caballeroさんは「その場所にいて、同じカメラを持っていたら同じ写真が撮れる」と思ってはいないでしょうか?
「拝借」という言葉のニュアンスにはそういったものを感じるのですが。

写真はカメラが撮るのでもなんでもなく、人が撮るのです。
同じ人間が二人といないのと同様に、Aさんの撮った写真はBさんには撮れないのです。近くはなっても。
ですから、「拝借」という言葉のニュアンスが指すような、
レンタルビデオを借りるような簡単なものではないのです。


最後にひとつ。何度も言う様ですが、この問題は言葉では解決し得ません。
あなたが、めいっぱい、写真を見、楽しみ、体験しなければわかりません。
それでは。
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この回答へのお礼

>それは写真と現実(もしくは事実)は違うからです。
そうですね、しかし全く違いますか?全く違うといえばそうですが、写しているのもまた事実です。でも、写したからといって同じというのはもっとおかしいでしね。
>最後にひとつ。何度も言う様ですが、この問題は言葉では解決し得ません。
ここでいうのはおかしいですが、特に解決を図っているわけではないのです。言葉で遊ぶのも面白いものです。
>あなたが、めいっぱい、写真を見、楽しみ、体験しなければわかりません。
それがいいですね、よければなんであれいいのです。数回にわたるご登場ありがとうございました。
                          じゃね!

お礼日時:2001/01/21 17:50

おっと、すいません。


重要なことを忘れていました。
スナップ及び報道写真が芸術でない??
というふうに、ここでは話が固まりつつあるようですが、
これには異をとなえさせていただきます。

なぜ、という理由はあえて語りません。
それは、アンリ・カルティェ・ブレッソンや、森山大道、木村伊兵衛、ユージン・スミスや、ロバート・キャパの写真を見ればわかるからです。

なお、こういったことは言葉で考えても致し方のないことでもあるとも思いますが。
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この回答へのお礼

この場面で貴重な意見をありがとうございます。なるほど、彼らの写真を見て見ましょう。
ここで{スナップ及び報道写真が芸術でない?? }、という問題ですが、何かを伝える時に表現力が必要で、表現者によっても出来上がるものが色々なのは事実です。しかし、芸術は表現だけで成り立つか?という点が問題になったとき、「何かを表現」せねばならんわけですが、その「何か」を「発見」するのか、新たにアイデアとして「うむ」のか、他から拝借するのとではえらい違うと思うのですがどうでしょう?

お礼日時:2001/01/18 16:47

僕は写真を趣味とするものです。


で、アートとはなんであるか知らないものです。

で、実際の高名な人の発言を引用してみましょう。
マン・レイの言葉です。
「(インタビュアーの「あなたは昔(写真の大家であるのにも関わらず)『写真は芸術ではない』という本を出されたことがありますね。ホントにそう御考えですか」という質問に答えて)ああ、そのとおりだ。写真は芸術ではない。そうだ。全ては芸術ではない。そして全てが芸術だ。そんなものだ。」

僕も同様の意見です。

ただ、世間一般の解釈としての芸術とされるものの尺度からいえば、
当然芸術といえるのでしょう。

caballeroさんの疑問は本当に心から感動する写真に出会えていないという不幸から発せられているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご意見名が問うございます。{ああ、そのとおりだ。写真は芸術ではない。そうだ。全ては芸術ではない。そして全てが芸術だ。そんなものだ。}何だかよくわかりませんが、体験するほうにも原因があると言うことなのかな? {疑問は本当に心から感動する写真に出会えていないという不幸から発せられているのではないでしょうか。}確かにそうですね。

お礼日時:2001/01/18 16:29

写真に関することで思ったことをいいたいと思いますが。

写真というものが時間軸と重要なかかわりを持っていることは否定できません、風景にしろ物にしろ流れ行く時間の中の一瞬をフィルム上に焼き付ける作業が写真を写す行為です。撮影者が体験した風景、表現したいものを時間の中から切り取ったシーンが写真となります。アートというものが自己表現やメッセージを必要とするものならば撮影者の目で見たもの、感じたものを形にすることにおいてアート性が写真のは多分にあると思われます。支離滅裂ですがいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

ご意見ありがとう。その点ではそうなのですが、創造性という点で、ひっかかるのです。

お礼日時:2001/01/17 16:02

質問の意図を勘違いした回答だったらすみません。

写真を趣味とする者として(最近は遠ざかっていますが)回答してみます。
写真はアートたり得るか。YesかNoかであればYesでしょう。「アート」という言葉を「作者の意図を表現する手段」と解釈すれば、100%ではないにしても最大90%ぐらいにはなるかと思います。どうしても理想の被写体が見つからなくて妥協することがあるので、それが10%ってことで。
写真表現にもさまざまなジャンルがあります。ドキュメントタッチの作品なら、ある意味で作者の意図は存在しないとも言えます。しかしたとえばスタジオでの人物撮影なら、髪形や服装、背景やライティングでかなり作者の意図を表現することができます。わたしが主に撮るのは広い意味での風景ですが、たとえば「原っぱにぽつんと置いてある自転車」というイメージを先に持ち、適当な原っぱに自転車がなければ自分で持ち込んで撮影します。ある意味でこれらは、パフォーマンスアートに近いとも言えないでしょうか。(ふだんからそう考えているわけではなくて、言葉にして考えたのは今がはじめてですが)。
逆に、ただ「山がきれいだなあ海がきれいだなあ」レベルの風景絵画は、(上に述べたような意味では)どのていどアートなのでしょうか? 人物の記録として依頼された肖像画(当時写真術があればドキュメントとしての写真で済まされたでしょう)に謎の微笑を浮かべさせた「モナ・リザ」はどうでしょう? 繰り返しますが、問題は、そこに作者の意図が表現されているかに関わるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。僕は素人ですが写真大好きですね。{そこに作者の意図が表現されているかに関わるのではないでしょうか。}賛成です。しかし、アートとして写真を捉えた場合、絵画などと同じオブジェとして体験されるわけですが 、写真のとり手としては、「原っぱにぽつんと置いてある自転車」の風景が、写真になった状態がベストなのか、とり手が見た風景をできれば生で見て欲しいのか、この二つではえらい違いです。前者は、写真がいわば主人公ですが、後者は、被写体を含む
風景が、オブジェとして主人公になります。写真は、アングルとシャッターの瞬間
によりその被写体から表現したい部分をとらえるわけです。そして表現するから作品として創造性を持つのかな?だから、nutsさんの言うとおりですが、風景を創って撮るのと、すでにある風景を捕らえるのとでは、後者が「写真」である所の個性で、それは、表現の方法の一つだから、写真を撮るというものの目的がその「写真」であるなら、音楽と同じように100%「ピッツァマルゲリータ」ですね。

お礼日時:2001/01/17 08:50

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