
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
鑑賞のポイントを幾つか上げてみました。
1.故郷の秋空
初出は「スバル」明治43年11月号。「秋のなかばに歌へる」の題下に発表された百十首中の一首。初出歌は「不来方のお城のあとの草に寝て空に吸われし十五の心」となっている。
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/pos …
2.「AO」の空気の思い
啄木の「天空観」について吉増剛造「詩をポケットに」(NHKライブラリー)では、「啄木ローマ字日記」の「TSUCHI NO UE NI, TSUCHI NO UE NI, NAN NO--HUUHU TO YUU SADAMARI MO KUBETSU MO NAKI KUUKI NO NAKA NI: HATE SHIRENU AOKI, AOKI SORA NO MOTO NI!」を引用しながら、「このAOKIは、「青」でも「蒼」でもない、もの凄い深みの「AO」でっす。そんな啄木の心がしずまって、その空から視線がゆっくりと下りて来て、稀らしい時が来て、『一握の砂』は詠まれたはずです。」
3.「思いの煙」
いにしえから煙、とりわけ「思いの煙」といえば「思い焦がれる心の苦しみ」を表わします。「オモイノ ケムリ ムネニ ミツ(日葡辞書)」(小学館「国語大辞典」)
「青空に消えゆく煙
さびしくも消えゆく煙
われにし似るか」
このような「あをぞらの煙かなしも」と歌うゆえんは、青空に消えていく煙はまた「空に吸はれし 十五の心」と観じた時、それより後十年余の今の我がうちの中の「思い焦がれる心の苦しみ」へと反照されていると見えてきたら、それはこそ「病のごと」なのでしょう。
4.口笛が呼び合うもの
「晴れし空仰げばいつも
口笛吹きたくなりて
吹きてあそびき」
「口笛は 十五の我の歌にしありけり」と25歳の啄木が10年前の自分に対して歌った、それに呼応するかのように、「なみなす丘はぼうぼうと 青きりんごの色に暮れ 大学生のタピングは 口笛軽く吹きにけり」と歌った宮沢賢治こそは、ちょうどで10年年下であり、あたかもその頃には先輩啄木の後を追うごとく「HELP」のあだ名を貰って、盛岡中学で鉱物採集に飛び回っていたことでしょうか。
5.十五の我
戸籍上は明治19年2月生まれなので、この処女歌集の上梓は満年齢では24歳であり、歌中の「十五の我」は満14歳のいわば「ちゅうぼう」であり、後の妻節子との出会いが「十四の春」つまり13歳になったばかりだったことになります。
啄木が満26歳で世を去った時、お腹の大きかった妻節子ですが、彼女もその一年後に同じ結核で、同じく満26歳で亡くなっています。
No.2
- 回答日時:
啄木にとって、過去と現在とは天と地ほどのひらきがありました。
神童ともてはやされ、何のしがらみもなく、青雲のこころざしに胸ふくらませていたのが、
「不来方のお城の草に寝転びて空にすわれし十五のこころ」のころでした。
それが、いまは、文学の夢をかなえるどころか、貧しくも不本意な暮らしぶり。
啄木の痩せた背に両親と妻がのしかかっています。
そうした苦境も、自らの蒔いた種でした。
息子の借金の穴埋めに、檀家に無断で寺の木を売り払ったがために住職を罷免された啄木の父は、妻と嫁を伴って、東京で芽の出ぬままの啄木のところに転がり込むしか道はなかったのでした。八方ふさがりで、出口の見えぬ暮らし。
そうした暮らしから、遠くの空を懐かしむように詠んだのがこの句です。
(手元に資料がないので、正確さを欠きますが、ざっと、こういったところです)
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