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私が以前にあった事ですが、宗教の本と仏教の数珠を普通に捨てるのではなく、アダルトビデオと一緒に捨てた事があったのですが、捨てた2日後位に体が物凄く苦しくなり、更に苦しさと同時に心臓にもやもやした違和感が出始め、それ以降宗教関係の本に触ると苦しくなったり、その本などを捨てないと苦しさが取れないのでまた、捨てるという循環に陥り、半年間もその状態が続いた後とうとう新聞にも触れなくなってしまい、家には居られなくなったので入院までしてしまいました。入院してからも体のだる苦しいは消えず心臓のもやもやも少しずつしかよくならず結局1ヶ月で退院はしましたが、退院してからもなかなか普通の状態には戻りませんでした。特に宗教に関する本、漢字が書いてある本、新聞などに触ると苦しい状態はまだまだ続きました。あとは、インターネットで宗教関係のホームページを見たり、お寺や、神社、教会の近くを通ったり、中に入ったりしたも体が苦しくなりました。精神科では、統合失調症と診断されましたが自分では統合失調症のような症状とは少し違うような気がしてました。1年半後位には殆ど良くなっていたのですが、正式な、正確な病気の意味や理由などがいまだによくわかりません。やはり宗教の本などを捨て方が悪かったりするとそのようなばちが当たったような病気になってしまうのでしょうか?そういう病気を100%防ぐには、最初から宗教の類には一切近寄らないほうが良いという事なのでしょうか?

A 回答 (7件)

統合失調症には多くの種類があります。

逆に考えるとあるきっかけで精神的な不調を生じるもの全般に言えることなので、あながち間違いではないでしょう。

ある種の宗教ではその様に(本には念をこめてあるからとか御祓いしているからとか)言っていますが、私は勧誘に持ってきた本を捨てたりしていますが、全く異常はありません。
たまたま、本を捨てた事がきっかけ、或いは思い当たったものが本だっただけでしょう。
意外と意識に残っていないような事が発生の原因になる事も少なくありません。

原因は自分の心の中の「まじめさ」にあります。それは大切な事。でも、あまりこだわらない事も大切です。
宗教に近寄らないと言っても、世の中にはいろいろな勧誘があります。
そのうち、断ったから体調が悪くなったなどと思い込むようになったり、それを理由につけ込む宗教も出てきます。

自己診断はとても危険です。
「違うかもしれない」「そうかもしれない」それも含めてお医者さんに聞いてもらってしっかり治療しましょう。
洗いざらい医者にぶつけなければ、真の原因は判らないし、正しい治療法も見つけにくいです。
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この回答へのお礼

回答して頂きありがとうございます。

お礼日時:2007/05/19 16:32

宗教の本 お経でも使っているとバラバラになってきます


従って捨てることになります。
本が大事じゃなくその中身 書いている内容が大切で本を捨てるから病気になるのではないと思います。

そうじゃなく捨てたと言う心の中の罪悪感がそのような病気になっているように思いますが・・・

本を捨てた=宗教を捨てた=悪いことをした。その気持ちがあるなら
続きますよ。
もう一度自分の心を見ましょう。何が必要なのか?自分にとって何を今一番必要としているのか?
必要でないならきっぱり忘れましょう。
罪悪感のあるままに宗教を見ると深層心理がそのように苦しくなったり
するでしょうね。
一度お寺のお坊さんに話して供養してもらいましょう。
供養とは自分の過去の気持ちを忘れ捨てること・・・

信じたいと言う気持ちがあるのかな?すなおになりましょう
宗教は悪いものでもありません。信じる人間が悪いために色々な宗教の事件がおきるのです。もっと自分に平常心を持ちましょう

新しくなりましょう。過去は過去 捨て去ることも可能です
聖書は「見よすべてが新しくなった」と信じる人に与えられる印です
もう聖書を何回捨てたか?忘れました。
昔仏教をやっていました。その後やはり経典を捨てました。
その気持ちはわかります
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この回答へのお礼

回答して頂きありがとうございました。

お礼日時:2007/05/19 16:30

日本国は仏教国で仏の教えを信仰する民族で、仏は民衆を助けるのが役目で罰を与えたり信じてくれないからと苦しめたりとかはしません。

仏の仏像、お札などはお寺に返して僧侶の手によってお払いをして処分されます。
普通の機関紙や宗教に関する印刷物に撥を与えたりする力はありません。
潜在意識の中の一種のアレルギ-見たいなものが出るのではないかと思います。一度そういう処分したので潜在意識の中の罪悪感から来るものではと思います。
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この回答へのお礼

回答して頂きありがとうございました。
私の場合精神的にも肉体的にも相当痛かったです。。。
電車に乗ってると周りの人に苦しそうにしてるのがわかるくらいでしたから。。。

お礼日時:2007/05/19 09:24

 韓国のキリスト教徒の女性が書いた本で知ったことですが、キリスト教徒は古くなった聖書をへいきで捨てるそうですよ。

新しいのを買って。
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この回答へのお礼

回答して頂きありがとうございました。
私の場合捨て方が悪すぎたのかもしれません。。。

お礼日時:2007/05/19 09:19

病は気から。


あなたの心の問題だと思います。
バチや神がかり的なこと信じればそうなるし、信じなければならないと思います。
統合失調症と診断されたとありますが、おそらく医学的にはあなたの身体に問題はないのだが、あなたが不調を訴えるからそう診断したと思われます。
一種の自己暗示でしょう。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございました。
かなり肉体的にも精神的にもまいっていたので信じこんでいたのかもしれません。参考にします。

お礼日時:2007/05/18 19:24

原因として、以下の二つを考えてみました。




1.本当にバチが当たったのかもしれない。

 日本史の話になりますが、宗教者を迫害し、後にその人に何らかのバチが当たったという話は、学校ではほとんど習いませんが調べてみるとけっこうあります。

・浄土宗の開祖、法然(ほうねん)および弟子の親鸞(しんらん)が朝廷によって流罪されたが、後に朝廷が承久の乱で幕府に政治の実権を完全に奪われ、朝廷側の指導者である後鳥羽上皇は自分も地方に流された。

・日蓮宗の日蓮(にちらん)は、時の鎌倉幕府から激しい迫害を受けた。そのため(日蓮宗側の理屈によると)後に元寇が起こり、何とか撃退できたものの国家滅亡の危機に立たされた。

他に近年では大本教の事例などもあります。
もちろん、これらは宗教団体の側が主張であり、信者でない人には受け入れがたい内容かもしれませんが、参考までに紹介しました。


2.潜在意識の働きによるもの

日本人の深層心理には、何かよくわからなくても、神聖なるものを尊ぶ気持ちがあるような気がします。

参考:西行が63歳のとき、伊勢神宮で詠んだとされる句
 「何事のおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

普段は明確に意識していなくても、その尊いものを粗末に扱ったことを罰する気持ちが、無意識のうちに働いたのかもしれません。

ただ、この働きは人によって強弱があるようなので、万人に当てはまらないかもしれませんが。
一例として、福沢諭吉は子供の頃、近所の神社のご神体を捨てて、そこらに転がっていた石を代わりに入れるという悪戯を行い、その石をありがたそうに拝んでいる村人たちの姿を見て笑ったという逸話を聞いたことがありますが、福沢諭吉には質問者の方に該当するようなバチは特に当たっていないようです。

なお自分の場合ですが、人から宗教関係の本をもらったり、郵便受けにそれ関係のチラシが入っていたりすることがありますが、その宗教の趣旨はともかく、衆生救済にまじめに取り組んでいる(そうでない人もいるかもしれませんが)人の気持ちを考えて、捨てる際にもそれらを尊重する気持ちをもちつつ、しかし現実として部屋の整理整頓が必要なため、心の中で許しを願いながら別の袋などに入れて捨てるようにしています。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございました。確かに潜在意識という可能性も否定できませんが、かなり肉体的にも精神的にも苦痛を伴いましたので「ばち病」なるものがこの世に存在するのではと思っていました。
参考にします。

お礼日時:2007/05/18 19:18

あなたがそんな嫌な気分をしているなら、やめましょう。


1回お払いに行ってきたほうがいいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございました。
宗教には気おつけようと思います。

お礼日時:2007/05/18 19:07

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