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今、ドイツ・イデオロギーを読んでいるのですが、勉強不足のために多々意味が取りにくい部分があるので、質問させていただきます。

――以下引用――
大工業は大量生産諸力を生み出したが、その生産諸力にとって、私的所有は桎梏となったのであって、それは同職組合がマニュファクチュアによって桎梏となり、また、小農村経営が発達しつつある手工業にとって桎梏となったのと同様である。この生産諸力は、私的所有のもとではただ一面的な発展しかとげず、大多数にとっては破壊力となり、そして、そのような諸力の多くが、私的所有においてはまったく利用されることができない。
――

ここの部分ですが、「なぜ生産諸力にとって、私的所有は桎梏となったのか」がいまいちわかりません。
むしろ分業が発達していき、大工業が生まれることによって、私的所有がもっと広がっていくのでは?と思ってしまいます。

あと「物質的活動」「精神的活動」の用語の意味も教えていただけると幸いです。

A 回答 (7件)

どうもです、初めまして。



僕も個人的にマルクスに興味があってコツコツ勉強しているところです。今回急いでドイツ・イデオロギーに目を通しました。なので何ぶん至らぬところが多々あると思いますがご勘弁下さい。それと僕は日本語のテキストを持っていないので英語になります、これもご勘弁を(笑)

まず質問者様の引用から

[Its development] produced a mass of productive forces, for which private [property] became just as much a fetter as the guild had been for manufacture and the small, rural workshop for the developing craft. These productive forces received under the system of private property a one-sided development only, and became for the majority destructive forces; moreover, a great multitude of such forces could find no application at all within this system (Marx & Engels, 1978, p.185)

ここで大切なのは『the system of private property a one-sided development only, and became for the majority destructive forces』の部分です。まずprivate propertyが何であるか理解しなければならないと思います。そこで

notion of private property is predicated upon man's private ownership of his body, his labor (an extension of his body), and its products (an extension of his labor) (Love, 1986, p.49).

私的所有とは人間の肉体と労働の’所有’に根拠をおくことである。

つまり私的所有とは、肉体と労働、つまり労働力なんです。そして労働者は自分の労働力を資本家に売り賃金を得ます。

そこで最初の引用に戻って、[Its(big industries) development] produced a mass of productive forces... ここでは労働、そして資本による階級という足かせを生み出したと述べています。つまり労働者は彼らの労働力を売り、資本家達がそれを買うということです。ちなみに日本語でmeans of productionは何と訳されているんですか?

そしてa mass of productive forcesはdestructive forcesともマルクスは述べています。質問者さんが引用したページを読めばなぜdestructive forcesなのかわかると思います。なので省きます(笑)

だからこそマルクスはここでthe system of private property a one-sided development onlyと述べているわけです。つまり大量生産諸力は私的所有は桎梏(階級)を生み出しているに過ぎず(ただ一面的な発展)、そして人間性その他諸々(笑)を破壊している。

こんなところでしょうか。物質的活動、精神的活動については、少し時間をいただければ、調べてみたいと思います。ところで’桎梏’って難しい単語ですね初めて見ました。参考まででした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
英語の文献をお読みになったのですね!わざわざありがとうございます。

単語一つにごだわるのではなく、ざっくりと理解できればそれでいいのかなと思いました。やはり訳者によっても一つの単語が違う風にかかれていたりで、少し混乱してしまったからです。

わかりやすい回答、助かりました。

お礼日時:2007/08/14 02:57

ここで言う桎梏とは精神とかであってっていうか私的ってかいてあるでしょ?これはつまり大工業は自分の所有ではないという意味合いではない

のですか?
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この回答へのお礼

回等ありがとうございます。
院生の方に聞いてみたところ、やはりここは難しいようです。
というのも、この文は前後の文脈からかなり浮いていて、急に??という感じになるのです。

お礼日時:2007/08/14 02:49

質問者さんには関係ないことですみません。


No.5さんの回答は、見過ごせない気がしますが。

一般的に、マルクスが極度の精神病患者だという見解は初めて聞きました。(そりゃ、当時でも、思想的に飛んでいるとか、極端な考え方をする人とは思われていたでしょうが)

仮に、精神を病んでいたとしても、「精神分裂症患者が健全な著書を書けるはずがない」と言い切る哲学性はどこからくるのでしょうか。
(「差別的発言」と受け取られても仕方ない様な表現だとは思いませんか?)

こういう姿勢を世間では「傲慢」と呼ぶようです。そういえば「ゴーマンかます」なんて言う有名人もいましたっけ。
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>今、ドイツ・イデオロギーを読んでいるのですが、勉強不足のために多々意味が取りにくい部分があるので・・



勉強不足のために解らないのではありません。「ドイツ・イデオロギー」の著者、マルクスとエンゲルスの頭が異常だから、正常な頭の質問者にとって理解不能なだけです。

マルクスは精神異常者です。分裂症でした。マルクスは資本論を書いたという事になってますが、マルクス生前中に全三巻が発刊されたわけではありません。マルクスの死後、遺された原稿を読んだのはエンゲルスですが、理論も筋道も破綻して支離滅裂な内容でした。ですからエンゲルスが大幅に手を加えて自分の考え(思想)で完成させ、マルクスの名前で発刊したのです。「言う事や書く事の筋道が破綻して支離滅裂」というのは精神分裂症の症状です。異常な頭から人類を幸福に導く健全な思想が生まれるはずがないし、精神分裂症患者が健全な著書を書けるはずがないのです。

エンゲルスの異常性も、彼がマルクスの異常性を看破できなかったことで証明済みです。

学者のいう事だから、高名な学者の著作だから、と頭から信用し、尊敬し、疑いもしない姿勢を”信仰”と言います。”学問”ではありません。

精神分裂症患者の著書を無理に理解しようとすると、正常な頭が異常になりかねないので、その本「ドイツ・イデオロギー」を捨てるようにお薦めします。
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その文は、「唯物史観の公式」と同内容です。

御存知と思いますが、いわゆる「唯物史観の公式」は、『経済学批判』(1859)の序文で定式化されています(ただし、「公式」というのは俗称であって、マルクス自身がそう名付けたのではない)。その内容の一部が、すでに『ドイツ・イデオロギー』(1845-46)の中にも登場していたということです。
つまり、これはマルクス主義の考え方を凝縮したものなのです。したがって、例えば「窮乏化理論」、「疎外」、「恐慌」というような知識を総動員しないと、読解困難でしょう。とは言うものの、偉そうに書いているこの私は、基本文献をほとんど読んでいないので、おおざっぱな回答しか差し上げられません……。

(1) 窮乏化理論

私的所有の社会では、資本家は自分たちさえ良ければいいので、労働者の成果を容赦なく搾り取る。労働者は働いても働いても貧乏である。したがって、大量生産したは良いが、商品は捌(は)けないことになる。なぜなら、圧倒的多数を占める労働者に、買う金がないからだ。そして、売れない在庫の山を抱え込むことが、どれほど恐ろしいかは、商売の経験がある人ならご存知だろう。
以上は、「生産諸力にとって、(生産手段の)私的所有が桎梏となる」ことの一例である。

もっとも、この窮乏化理論が誤りだったことは、のちの歴史が明らかにしている。早い話が、「T型フォード」を思い出してみよう。流れ作業で生産性を上げて、「金持ちのおもちゃ」だった自動車を、庶民でも手が届く価格に下げた。また、従業員の給料を上げて、自社の自動車を買わせた。こうして、労働者は大量生産の担い手であるとともに、大量消費の担い手にもなったのである。

(2) 疎外

これはヘーゲルから来ている哲学的な概念らしいが、マルクスにおいては、せっかく労働して生み出した果実が、労働者を幸福にするよりも、労働者を抑圧するものになってしまう、というような理論である(知ったかぶりですみません)。
俗っぽく言い換えると、労働者は働いても働いても主人公になれない、のけ者扱いということだろう。それゆえ、労働者と資本家の階級対立は先鋭化せざるを得ず、ついには激突する。これすなわち、「生産諸力が、私的所有のもとでは……破壊力となる」ということにつながる。

しかし、この疎外論も、哲学的にはともかく現実的にはあまり当てはまらなかった。大工業の労働者なども生きがいを感じられるように、さまざまな工夫が図られたりしたのである。

(3) 恐慌

生産手段が私的所有の社会では、めいめいが利己心に基づいて行動し、その総和がどういう結果になるかは分からない。生産諸力は景気変動の原動力の一つであり、景気変動は大規模な恐慌に至る。その激しさと来たら、資本主義を吹き飛ばしてしまうと思われたほどだった。これすなわち、「生産諸力が、私的所有のもとでは……破壊力となる」ことにもつながるだろう。生産手段が公的所有なら、恐慌は起こらないと考えられた。

しかし、1929年に始まった最悪の大恐慌も、資本主義を終わらせはしなかった。日本とドイツが耐え切れずに(その十数年後)破滅して、けりがついた。戦後は、「大きな政府」が積極的に介入して経済の調節を図るようにもなった。


【まとめ】
マルクスは19世紀の人で、資本主義は早晩行き詰ると考えていた。「唯物史観の公式」は、マルクス主義のまとめのようなもので、単に公式を読むだけでは理解困難である。今日の私たちは、その「公式」が成り立たないこと、生産諸力にとって私的所有は桎梏になっていないことを知っている。その点は、ご質問者のおっしゃる通りである。
だが、それは、(1)~(3)それぞれの後半で説明したような「後知恵」であろう。せっかく文献をお読みになっているのですから、(1)~(3)それぞれの前半のような理論を、私などよりも正確に研究なさってみてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
マルクスだけを勉強してもなかなかわからない部分があって、唯物史観の考えの元となったヘーゲルの哲学も勉強してみないとなかなかわからないですね。

回答者様の回答を参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/08/14 02:54

この部分で著者が念頭に置いているのは、周期的に襲ってくる経済恐慌とそれがもたらす社会の混乱・貧困化の馬鹿馬鹿しさです。

恐慌が人間社会の発展(経済の側面でいえば生産諸力の発展)に対する大きな阻害現象であり、それを克服しないと社会の発展はありえないであろうという立場なのです。(歴史経済学的観点から)生産諸力の発展にとって現代の資本主義的生産様式の束縛(そのメインは生産手段の私的所有)が克服しなければならない最大の制約と認識しているのです。

生産手段の私的所有が現代社会の生産諸力の発展(成長)を束縛する「枷(かせ)」になっている、という内容の短い解説が引用箇所の最後の一文です。この部分は長い時間のスケールで理解する必要があります。

次の著者のビジョンを読むと、少しは理解が進むかな...

-『反デューリング論』からの引用-
恐慌のたびに、社会は、自分自身のものでありながら自分で使用できない生産力と生産物との重圧のもとに窒息してしまい、消費者がいないために生産者が消費するものを何も持たない、というばかげた矛盾に当面して、とほうにくれる。
生産手段の膨張力は、資本主義的生産様式がそれにくわえている束縛[つまり私的所有のこと-引用者]を爆破する。この束縛から生産手段を解放することは、生産力が不断に、たえず速度をくわえつつ発展してゆくための、したがってまた生産そのものが実際上無制限に上昇してゆくための、唯一の前提条件なのである。
それだけではない。社会が生産手段を取得すれば[つまり生産手段の私的所有がなくなれば-引用者]、生産にたいする現存の人為的な障害が取り除かれるばかりでなく、現在では生産の不可避的な随伴物となっていて恐慌の際に頂点に達する、あの生産力と生産物のまったくの浪費や破壊もなくなる。
さらに、そうなれば、今日の支配階級やその政治的代表者の愚かな奢侈的浪費がなくなるので、大量の生産手段と生産物とが全社会のために利用できるようになる。
-引用終り-

(それにしても、どの本も翻訳があまり良くないのには閉口しますね。)
このような「社会主義(生産手段の社会化)」のビジョンは現在の我々から見ると、いかにも歴史的な制約を受けているという感じがします。
このような生産諸力の発展に無限の期待をするかのような視点は、資本主義成長期の山と谷(恐慌)の大きなうねりの中に生きた人達にとっては、ヒューマニズムあふれる偉大なビジョンだったのでしょう。現代でも資本主義社会の本質的な部分は変わっていませんが、「社会の発展」をとらえる視点が著者達の時代とは微妙に異なってきていると思います。

『ドイツ・イデオロギー』を深く理解するためには、著者の後期の著作を読んでから、また戻って再読するというやり方が良いかと思います。
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「ドイツ・イデオロギー」は読んだことがなく、


引用も少しわかり難いのですが。
これは、おそらく唯物史観のことだと思います。
例えば、生産関係が発達してくると、古い関係がいわゆる「桎梏」となって、要するに邪魔になるから、破壊する方向の作用が生まれる、という事ではないでしょうか。
>なぜ生産諸力にとって、私的所有は桎梏となったのか
この表現だけだと、私的所有がどんな意味か解りませんが、一点は、分業や協業が発達する為に、古い職業組合(おそらく職人的手作業)は保守的に現状を守ろうとするかもしれません、もう一点は、大工業が大規模生産を推し進める為には、無産労働者が大量に必要ですが、農村が自作自営で生産手段を所有していては、労働者が生まれてこない、こんなことが考えられますが、私的所有という表現が曖昧で、おそらく生産手段の所有関係だと思いますが、見当違いかもしれません。
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