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よろしくお願いします。
「見る」を尊敬語にすると「ご覧になる」が正解だと思いますが、
ある、聖書の訳(新改訳)が改定され、創世記1章で

◆古 い 訳:「神はお造りになったすべてのものをご覧になった」
◆新しい訳:「神はお造りになったすべてのものを見られた」

と「ご覧になった」から「見られた」と改定されているのです。
私には、ご覧になったのほう正しい敬語の使い方のような気がしてなりません。ここで、あえて『見られた』と改定する理由があったのかどうか詳細はわかりませんが、敬語の使い方の観点から、『見られた』は文法的に間違いではありませんか?

A 回答 (2件)

どちらも正しい言葉遣いです。


「ご覧になる」は「見る」の尊敬語。「見られる」は「見る」に尊敬の助動詞「られる(れる)」がついた尊敬表現です。

この「られる(れる)」は、他に受身・自発・可能という意味もあります。最近は、使用頻度の多い受身や可能の表現に引っ張られて、尊敬の意味に違和感をおぼえる人が多くなってきたともいわれています。
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第一章.31の冒頭ですよね?
わたしの手許にある聖書(19955年改訳、日本聖書協会発行)でも「見られる」になっています。この版は全体的に尊敬表現が抑えられているようです。また、そのほとんど尊敬表現には尊敬の助動詞「れる」「られる」が使われているようです。使用頻度がもっとも高い「言う」も「言われる」が使われており、統一感があります。また、出エジプト記19.19に「神は、かみなりをもって、彼に"答えられた"」というのもありました。これも尊敬の助動詞「られる」ですね。

ただし、新約では主語イエスのときに「ごらんになる」も使われています(たとえば「マタイによる福音書4.21」)。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そうです。創世記の第一章31節なんです。
他の聖書の箇所からも広く教えていただき感謝申し上げます。
たぶん、luune21様の聖書は、口語訳と言われているものだと思います。私も、新改訳と両方持っていますので、比較しながら開いてみました。口語訳では、おっしゃるように「れる」「られる」で統一されているようですね。

★『見られる』も正しい表現で、「尊敬語」ではなく、「尊敬表現」なのですね。
勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/09 05:47

尊敬語として、「見られる」「ご覧になる」の両方が正解だと思います。


ただ例に挙げられた使い方としては、「見られる」が正しいのではないかと思います。

自分が造ったものを見る様子に「ご覧になる」では違う感じがします。
ですから、誰かが造ったものを、神が見る様子ならば
「ご覧になる」という表現が良い感じがします。
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます。
なるほど、そうですね。
神が自分で造ったものを見るのだから・・・ということで納得できました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/08 23:19

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