映画のエンドロール観る派?観ない派?

自殺すると地獄に落ちると聞いたのですが、そうなのですか?
まあ、霊界が存在するという仮定での話ですが……。
あと、私は別に自殺を考えていません。

A 回答 (10件)

生を全うするのに動植物はどうなのかなと、3番のお礼にありましたが、その通りじゃないですか?


よくおばあちゃんが「ご飯を残すと目が潰れる」なんて
子供の食べ残しに注意したりしていました。
食べ物としての生を、残さず食べることでまっとうしていくと思います。
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この回答へのお礼

どうもです。
>食べ物としての生を、残さず食べることでまっとうしていくと思います。
なるほど。ただ、この残さず食べるという行為は、成人病予防の観点では
あまり好ましくないらしいですね。

お礼日時:2002/07/16 17:07

魂の試練をした先には何がるのかと思ってしまいました。

ですか。
それは又、新たな質問をたてるといいでしょう。
この質問では霊界があると仮定されている訳ですから。
地獄の反対にいくのでは?天国だか極楽だかに。
次、人間以外の生を全うさせない事が悪徳なら栄養摂取ができません。
死んじゃいます。
自殺です。
この質問中でのその言葉は永遠の堂々巡りになるだけですよね。
ジャイナ教徒のように実としてなるものだけ食べるというのも、実だって生きてると言えば言える。
でもそれをしないと死んじゃいますからね。
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この回答へのお礼

どうもです。
>この質問中でのその言葉は永遠の堂々巡りになるだけですよね。
ということは、魂はこの世に出てくることなく、あの世にとどま
って修行してた方がよいということなんでしょうかね。

お礼日時:2002/07/16 17:01

そうなのですか?って、どうなんでしょうね。


地獄があるかどうかも分かりませんし・・。
霊界が存在するという仮定での話ですが……。でしたね。
そう仮定するなら自殺他殺自然死に関わらず落ちる人は落ちるのでしょうから、自殺して落ちる人もいるという事では。
「自殺」の定義もはっきりしないし。
自ら命を絶つ事は全部が自殺になるのですか?
人を助けるために荒れた海に飛び込むのも十分、自殺行為だけど、それで地獄落ちじゃ天国の存在価値がないし。
大体、霊前に手を合わせるなどの供養という行為は生きている人間の為のものであって霊がどーしたこーしたなんて関係ないでしょ?
霊のためだとか言っても霊自身は参加してないんだから。
この質問と困り度の関係が全く見えないんですけど。
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この回答へのお礼

どうもです。
>大体、霊前に手を合わせるなどの供養という行為は生きている人間の為の
>ものであって霊がどーしたこーしたなんて関係ないでしょ?
私には、それが、霊とは全く関係ないところの行為だとは思えないです。

>霊のためだとか言っても霊自身は参加してないんだから。
仏前で手を合わせ、心を込めてを祈ることで、死者を成仏に至らせること
ができると聞いたことがあります。なので、仏前での合掌が霊とは無縁の
行為と断定することもできないと思います。

>この質問と困り度の関係が全く見えないんですけど。
困り度はあくまでも主観的なものですから、赤の他人が主観を共有するこ
とはなかなか難しいものだと思います。

お礼日時:2002/07/16 16:55

> 仏前で手を合わせることなどはしないということですか?



なんかあまりにも極端なので一言。
仏前で合掌するのは霊の存在を信ずるかどうかではなくてそれは礼儀じゃない
ですか?その礼が死者に向かっているか遺族に向かっているかは色々かもしれ
ませんが、霊魂の存在と礼儀は無関係ですよ。
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この回答へのお礼

どうもです。
私の知り合いに、霊を信じていないので、
仏前で頭は下げるが合掌はしないという人がいたものですから。
そういうタイプの人なのかなと思っただけです。

お礼日時:2002/07/16 16:42

回答のお礼に関して。


霊を信じないというのには、悪霊とか心霊現象のような現在生きているものに、何かしら介在しているということは信じていないという意味です。
私の家系は仏教ですので、法事や不幸があった場合、形式にのっとって、お参りしています。
日本の宗教の土台が仏教なので、そのことついて「無宗教だから」という態度が社会生活を円満に送る上で、全てに通用するとは考えられません。
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この回答へのお礼

どうもです。
”悪霊とか心霊現象のような現在生きているものに、何かしら介在しているということは信じていない”
ということは、現在生きてるものに介在しない形での霊・霊界は信じてられるのかなと思いました。

お礼日時:2002/07/16 16:34

 自分の命を供養することは尊いことで、その身そのままで成仏が叶うことでしょう。


 しかし、自殺は、ただ成仏もしていないのに、生命を絶つことであり、我が身の殺生ということでもあります。
 今が地獄の生命状態なのに、それで打ち切っても地獄の境涯のままでしょ。
 増してや、これから成仏出来るかもしれない生命を断絶する責任は重大であります。
 地獄という世界がどこかにあるわけではなく、自分の身に具わっているのです。境涯なのです。
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この回答へのお礼

どうもです。
成仏というのは心の状態のことを言われているのだと思いますが。
死後も魂が存続するなら、修練は死後も可能で、死後において成仏
に至ることも可能だと思いました。

お礼日時:2002/07/16 16:29

 自殺をしないために、戒めたり、あるときには脅しに使っているのでしょう。

そもそも、地獄が存在するか、地獄があるのなら天国はどうなのか、と言うことになりますが、これだけ科学が発達している現代で、もしそのような霊界が無いのならとっくに立証されていても不思議ではないと思います。にもかかわらず、律詩要されていないと言うことは・・・どうなのでしょう??

 悪いことをしたり、人を騙したりすると、地獄にいくよと言うのと同じ用法でしょう。
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この回答へのお礼

どうもです。
まあ、例えば”愛”のように、
その存在が科学的に立証されてなくても
誰もがそれを認めるものもあることですし……。

お礼日時:2002/07/16 16:17

“そうなのですか?”といわれると困ってしまうのですが……。


仏教系には基本的に殉教という考え方はなく、正しく生を全うすることが正し
いということが基本なので、そのようになっているのかと思います。
# 素人なので入滅との関連はよくわかりません。

一方イスラム教、キリスト教、ユダヤ教などのその辺りは殉教は正しい信仰と
いうことのようですので、一概に地獄行きとはされていませんよね。
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この回答へのお礼

どうもです。
正しく生を全うすることが正しいのなら、
人間以外の動植物の生を全うさせないことは
悪徳になるんでしょうかね。

お礼日時:2002/07/16 16:11

宗教ごとの教義にもよるのでしょうが、



「生きること自体が魂の試練であり、
 自殺することはそれを放棄する卑怯な行為だ」

と考えられているところは確かにあるでしょう。

ただ、借金苦のような「生きてりゃ何とかなるかも」
的な苦しみと、不治の病のような光の見えない苦しみ
とを同列に扱う事が正しいのか、という問題もあるよ
うにも思いますが…。
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この回答へのお礼

どうもです。
”生きること自体が魂の試練”ですか。
魂を試練した先には何があるのかと思ってしまいました。

お礼日時:2002/07/16 16:05

その話私も聞き覚えがあります。


私としては霊や天国・地獄を信じていないのでなんとも考えないのですが、やはり戒めのような言い伝えだと思います。
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この回答へのお礼

戒めですか。
なるほど。
関係ないですが、霊を信じてないということは、
仏前で手を合わせることなどはしないということですか?

お礼日時:2002/07/16 15:46

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