
霊界を見れる方だけに質問です。故丹波哲郎氏の描いた霊界はいかがですか。類似しているのでしょうか。私も年を重ねるに従い、現世が3次元世界であり、時間を含む4次元世界も考えられるように、霊界もそうなのかなと考えている次第です。ゆえに、死とは、現在に生き方を反映した別次元への転換点のような気がするのです。そうなると、自殺は強制リセットであり、そのハザマに落ち込みどうにもならない状況になるのではないかと。だから浮かばれないなど。一部の宗教を除き古今東西でいわれているように自殺はしないほうが良いという言葉が理解されます。かってな解釈ですが、死=無として霊界を否定するよりは理解しやすいと思うのですが。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
実際に足を踏み入れて見学した訳ではないですが…
もし貴方が、とても美味しいモノを食べたとします。
その美味しさを食べた事もない人に伝えるのにどうしますか?
結局周知の五感表現を使い、伝えるしかありません。
でも、それも結局はビーフシチューが肉じゃがになってしまったように、全く異なるものを聞き手に連想されるかもしれません。
丹波さんの表現も、一表現にしか過ぎないのです。
「この世は想念でしかなく、実体ではない」という説があります。
「実体は霊の世界にある」とも。それは眼や脳を使わずに認知するからです。
しかし、霊の世界に居る自分の魂が見る世界が実体だとは限りません。
ひょっとしたらそれも魂の中に在る既知の知識から踏み出しえない、想念の風景かもしれません。
でも、それでも構わないと私は考えています。
その様な世界がある事を知っていれば、それである程度の目的は達せられます。
少なくとも、自分や他人を害する事の罪を認識できる人間で居られるのですから。無に帰すと考える人よりは容易に「何故人を殺してはいけない」の理由を納得することができます。
想像力と理解力の在る人は、少なくとも他人を殺す事はしないでしょう。
自死の開放感は脳内麻薬の作用でしかありません。実際の自死と対面した時の孤独感と虚無感を表現する事は不可能です。
多分、死=無と考えている人も、実際に自らが無に足を踏み入れようとする瞬間の恐怖は考えられないでしょう。
しかも、その恐怖は脳内麻薬の及ばない段階に至って初めて味わうものです。
だから、自分が納得できる解釈で良いのです。少なくとも、自分を納得させられない人よりはマシです。
ありがとうございます。私も年齢を重ねるうちに形はどうあれど否定できないと考えるようになり、また、そう思えるからであり、そうありたいと願うからです。しかし、実際には経験も確信したわけではないのですが。でも、死=無と考える方は、結局、おぞましい犯罪を犯したり、その場限りの場当たり人生を送っている方が多いと思えるからです。そのツケは自分にかかってくるわけで、人智を超えているわけですから。
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