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死後、幽界下層に赴くことになってしまった場合、自ら改心努力して波長を上げ、上の層に自力で上がれないのでしょうか?  あるいは上からの助けがどうしても必要なのでしょうか?

A 回答 (3件)

宗教によって考え方が違うと思います。


それを踏まえたうえで、私が聞いたことのある話を。

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人には、胎児・地上人・霊界人という3段階の成長過程があるそうです
胎児は約10カ月
地上人は100年
霊界人は永遠に続くとされます。

それぞれの成長段階は、次の段階で生活するための準備です。
たとえば、胎児のときに目を作るのを忘れたら
地上に生まれてきても取り返しがつきません。
それは物理的なことなので、他人にはどうしようもないことです。
(医療が進歩すれば目にかわるものを
 手に入れることができるかもしれませんが)

次に、地上人が霊界人になるための準備です。
霊界では、気持ちを隠すことができないとされています。
何か思うと、それがすぐに周りの霊界人にも伝わり
霊界にある植物や動物もそれに反応します。

その、思考回路は、地上で生きていた間に完成されてしまうので
いつも他人に悪意を持っている人は
霊界でも変わらず悪いままです。
霊界の下層に行けばいくほど、住みづらい場所になっています。
場所は、自分では選べません。
自分に一番合った層にとどまります。

たとえば、いつも人を疑い、悪い思いでいっぱいの人が死んだとします
最初にたどり着いたのが一番上の層だったとして
先程言ったように、霊界では周りの人の考えていることが手に取るように分かります。
自分が考えていることも筒抜けです。
するとその人は、いつもきれいな心でいる人たちのそばで生活することをとても辛く感じます。
そして少しずつ下にさがっていき、自分の過ごしやすい
自分と同じような考えを持った人がいる層に居つくようになります。

※ここ↓からが回答の本題ですね。。前置きが長くてスミマセン
たとえば、人を平気で殺していた人が霊界に来て、最下層付近にとどまったとします。
その層はそんな人たちばかりで、いつもケンカが絶えず
殴られたり、罵られたりの生活が始まります。
もうすでに死んでるわけですから、どんなに殴られても、死んで楽になることはできません。
また、自分がどうなってもいいから人を殺したいと思う人はいないです。
そのうちその人は、あまりの辛さに、改心していい人になるよう心がけ、
上の層に行きたいと思うようになったとします。
ただ、自分で戻ることはできません。
また、上の層に知り合いがいたとしても、助けることはできません。

人には、肉体と霊人体の二つがあり
地上で生活していた時はこの二つのバランスを取りながら生きています。
死ぬと、肉体から離れ、霊人体のみが霊界に行きます。

そして、霊人体が霊人体に影響を与えることはできても、肉体に影響を与えることはできません。
地上で生きている人たちが、魔がさして犯罪を犯すことがあります。
これは、悪い思いが出てきた自分の霊人体に、他の霊人体が同調し
さらに強い思いとなって行動に出てしまうためです。

霊人体は地上で生きている間、または肉体を介してのみ成長することができます。
そのため、死んでしまった場合、どんなに改心しても成長することができないのです。

そのため、一度死んでしまうと、上の層に上がるためには
地上で生きている人から影響を受けるという方法しかありません。

そのためには、自分とよく似た考えの持ち主に近づき、その人が成長するよう霊人体に働きかけます。
そうすると、その霊人体が成長した時に、一緒に成長し、少し上の層に上がることができます。
ただし、相手の霊人体も、自分とよく似ているため、
同調してさらに悪化しないよう気をつけなくてはいけません。

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以上が、私が聞いたことのある話です。
あくまで一つの考えでしかないですが。参考までに。
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この回答へのお礼

詳しいご説明ありがとうございます。下層から自ら這い上がれないのは辛いですね。一意見として参考にします。そうでなかったらいいのですが。 

お礼日時:2009/12/02 15:36

簡単に言ってしまえば、判らないです。

誰も(確実に)行ってきた人はいません。
下層と言うのが、どのあたりを指しているのかも判りません。

世界的に共通している「地獄」であっても、基督教では救われませんが、仏教では「蜘蛛の糸」で判るように救われる可能性があります。
地蔵尊とはまさに地獄の救世主です。
これも形的には他力ですが、蜘蛛を助けたという善行に起因するので、コレは自力です。地蔵尊信仰のように残された人が必死で祈ったと言うのは他力ですが、祈ってくれるような人を得る努力は自力によるものです。
だからこそ、死に赴く間の言動が死後の状況を左右すると言えます。
基督教でも、多くは煉獄の試練を受けて浄化され、天国に赴くので、実際に地獄に行く人ってどれくらいなんでしょうね。
ユダもせいぜい煉獄経由だと思います。(私はユダなくして、キリストの目的が果たせなかった事を考えれば、彼こそ天国の門をくぐるべきだと考えています)

一般向けの仏教系の教えでは外道などの多くは動物になります。
動物の一生を全うすれば、一段上がる事が出来ます。
動物には本来、生命欲以外の「慾」はないので、人間に至るまで一段ずつ確実に上がります。
昔は人を襲ったりすれば下がると言われていましたが、これは明らかに人の驕りであるので、最近では否定されつつあります。

輪廻思想の多くでは、仏の世界も何段階もの階級に分かれていて、それぞれ寿命があり、輪廻を繰り返して上がっていくと言われてます。
その場合も努力と言う自力と他力で成果を上げていくのでしょう。
例えば菩薩は現世に現れて功徳を施しますが、これも感謝して祈ってくれる人が居るからこその成果です。大きなお世話では恨まれてしまいます。とは言うものの、感謝を求めての善行もまた悪ですから、難しいところです。
あくまでも自然発生的に感謝の念が起きるように、見返りを求めない行動が大切であり、受けた方も感謝をする心構えがなくては、それこそが悪となります。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。霊界通信でも体験しないと、現世の人間なら分からないことですよね。むずかしい質問に宗教の視点からしっかり答えて頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/12/03 15:00

 死後の話で読んだ本などによると、自らそこへ行くことになります。

波長が合う場所に行きます。上にある場所へ行こうとしても、存在がわからないそうです。本人がもっとも落ち着く場所なんだそうです。
 努力できる力がある人は、それなりの場所に居るのではと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。やはり永遠に下層に留まるのは嫌ですね。

お礼日時:2009/12/02 15:26

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