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生物は輪廻転生を繰り返すが、お釈迦様は悟りをひらくことで、その輪廻の輪から解脱したのだというよなことが、ものの本に書かれていますが、一方で、お釈迦様は呪術や神秘的なものごとを一切禁じ、形而上的な質問には答えなかったとも言われます。
お釈迦様自身が輪廻転生を肯定したり、自身がそこから解脱したことについて語った記録はあるのでしょうか?それとも弟子や後世の創作なのでしょうか?

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A 回答 (18件中11~18件)

仏陀は解脱の展望により法を説く

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浩然之気


生の祝祭
釈尊は魔境を否定し解脱に至る
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お釈迦様が輪廻から解脱したことを説いている言葉はたくさんあります。

雑阿含経では決まり文句のもなっています。必ず最後に「梵行すでにたち所作すでになしおわりて自ら後有を受けざるを知る」だったかな?こう言って締めくくっています。霊的なことについてもちゃんと説いています。ただ頻繁に説いていません。その理由も説いています。「霊というのは凡夫が見ることのできないものであるから、それを説くと理解できなくなり仏の教えに疑いを持つようになっしまうから」と説いています。神通力第一の目連様が神通力をよく使うものだから説かざるえなかったのでしょう。長阿含経には「沙門果経」というお経があって、その中には信じられないような修行法が説かれています。「念の力で自分と同じ姿形の人間を作る修行法」が説かれています。これは中国仙道の出神と同じ修行法です。お釈迦様が霊的なものを説いていないとする人たちはちゃんとお経を読んでいないか。何かの利害があって言っていないかでしょう。まだ沢山あります。神通力がないと絶対にわからないこと。例えば、「超新星について」とか「細菌やウィルスについて」とかも説かれています。現代科学がここまで進歩して初めてわかった内容とかもあるのです。昔の言葉で書かれているので用語は違いますが内容が同じです。こういうことはお釈迦様でないと当時の科学ではとても説けないはずです。その内容の凄まじさにお釈迦様は宇宙人か未来人ではないかと思うくらいです。もしかしてレムリア文明の生き残りでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

やはり輪廻は肯定していたんでしょうね。
霊的なことはどこまでが実際のお釈迦様の言葉か見極めが難しいように思います。

ただ、お釈迦様も例えば地球が丸いことはご存知無かったように思える節もありますし、神秘体験によらなくても、世の中を深く考察した結果、細菌やウイルス的なものの存在を想起しても不思議は無いとおもえます。

お釈迦様が「科学が解明する内容を事前に知っていた」というより「仏教哲学の鋭さを科学が証明した」ということではないでしょうか?

お礼日時:2007/10/13 15:17

地球上の生態系の循環性から見れば


科学的見地より輪廻転生していると言えなくもない。
生物は死ねば様々な過程を経て土や水に帰る。
土からはまたそれらを養分とし植物が繁茂する。。。

しかしそれを発展させ死後その魂は何かに生まれ変わるという輪廻転生ということになると明らかに行き過ぎで
釈尊は無記とする。

生老病死は必ず訪れるものであるが
この世に生を受けても必ずしもこの世で生が実を結ぶとは限らず
道半ばに不幸にして死に行く人もいる。
そういう人達に対して輪廻転生があるという思想は
この世に未練を残さず死に向かわせ
残された者の悲しみをやわらげる効果や
他の生物により人は生かされているということを認識させ
人に善い行いに向かわせる効果も考えられる。

そういう思想がよく作用している世界にとっては
あえて輪廻転生の思想を取り除く必要性はなさそうにみえるが
しかしそういった輪廻転生の思想も一部のカルト宗教などによって利用され
かえって人を苦に陥れる手段ともなりえる。

輪廻転生からの解脱は
生の前に生物は平等に生命を持つことを認識させ
善行を行えばよく生まれ変われるといった思想で
人をよく在らしめる効果以前に
奴隷は奴隷に生まれ変わるという当時の身分制度から本当の意味での人間開放意識にもつながった。

生物には生老病死が必ず訪れるという無常性
欲に執着することから離脱する

ということを深く浸透させることより輪廻転生するという思想は本来必要ないものである。
人間の自然界への過度の介入により生態系の多様性を失い食物連鎖の崩壊傾向を科学的な視点から論じ、生物の絶滅種や絶滅危惧種が増えている事実から人類の存続自体の危険性を演繹することによって輪廻転生という思想を使わずに、人は他の生物種により生かされていることを共通言語としての科学よりあらゆる宗教を超えて認識できるまでになった。
その地点から大乗仏教は再構築されるべきである。

社会に人間の考え出した思想や方便が定着しそれに縛られ、それによって人の苦を産み出し悪影響を及ぼすようになってしまえば、正しい認識によってそこからの解脱は説かれる。

それはまた生の賛歌につながる。

経典の中
どれが本当に釈尊や仏陀の口からでた言葉なのかを
見分けることができますか。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

>経典の中
どれが本当に釈尊や仏陀の口からでた言葉なのかを
見分けることができますか。

私にはできません。
しかし仏教を深く研究しているひとなら推測はできるかと思い、この質問をしました。

お礼日時:2007/10/10 22:18

#4です、度々失礼します。



「ブッダは徹底した懐疑精神と合理精神を有し、近代科学とも矛盾せぬ教えを説いた人類の教師であった」
「仏教とは、霊魂などという迷信や形而上世界とは無縁のもので、全人類が共有しうる普遍の実践道徳である」
…このような仏教観を抱く人は確かに少なからずおられますよね。実際私の高校時代の倫理の教科書でも、そのようなニュアンスで仏教が紹介されていました。しかし仏教に関心を持ち仏典を読めば読むほど、教科書がいかにデタラメな記述をしていたかに驚かされるわけです。そこには科学を信奉する人が見れば眉をひそめるような記述が無数にあります。

例えばある阿含部経典の中には、ブッダが死後間もない修行僧の遺体の方を指差し、随行する弟子たちにあの(遺体の近くで)漂っている黒い影が見えるか?と尋ね、弟子たちが見えますと答えると「あれは悪魔である。死んだ修行者(の識=輪廻の主体)を探し求めて彷徨っているのだ」とブッダが語る不気味な会話が記されています。その後ブッダはかの修行者は解脱して涅槃に入っていたので煩悩は止滅しており、かの悪魔は決して修行者を見出すことはできないであろう、と解説します。
ブッダは修行完成者には人が死後どのような境界に移行し、どのような来世が待ち受けているかを見通す智慧が備わる、と語っていますから、これを信じる立場から見れば何ら不思議のない会話ということになりますが、信じぬ立場から見れば沙汰の限りということになるでしょう。

多くの現代人が首をかしげるであろうかくの如き記述が無数にあるにもかかわらず、何ゆえ倫理教科書的仏教観が生じたかということですが、明治以降ヨーロッパの進んだ仏教学が近代的合理精神とともに流入する中で、仏教学者たちが迷信的と感じた部分を意図的に隠蔽・排除したという背景がまず挙げられるでしょう。要するに仏教はキリスト教などと違って非科学性のかけらもない理性の哲学なのだと唱えれば、いかにもハイカラなインテリゲンチャって感じでカッコよく、文明開化・脱亜入欧な世の風潮にも合致するという世の趨勢があった。
またブッダの非我説を無我説と見なし、無我=輪廻否定=唯物的世界観という解釈が行われたということもあります。仏教の無我(非我)説=死後は無という解釈は実は非常に皮相な解釈で、そう簡単に片付けられるシロモノではないのですが、科学的唯物論に迎合する風潮下においてこのような短絡的解釈がまかり通ってしまったという経緯もあるでしょう。

今日実際の姿と相当ズレた仏教観が広まっている理由は、ひとえに明治的仏教観が未だに影響を与え続けている結果でしょう。
しかしブッダの思想とは何だったのかを探求する仏教学者にとって、ブッダの教えが科学的世界観と整合性があるかどうかなどは本来どうでもよいわけですから、現在においては明治的仏教学を信奉する学者は少数派だと思いますよ。そもそも原典を読めば明治的仏教観が相当ご都合主義的なものであることは素人でもわかる現実がある以上当然といえば当然ですが…。

ちなみに私個人としては形而上的テーマには不可知論を決め込んでおります。前世の記憶など思い出したことないですから(笑)
ただ私的にはブッダの教えが非科学的という印象は薄いですね。現代人の多くが科学的と考える世界観ってニュートンの機械的宇宙論だと思いますが、前世紀初頭にそのような古典物理学を粉砕したハイゼンベルグやボーアといった超一流の物理学者が、ブッダの思想を哲学的に深めた華厳思想などの仏教的世界観を偶然知り、量子論に基いた新しい世界モデルとの不気味なほどの酷似ぶりに大変な衝撃を受けたという有名な逸話も残っていますし、現在の最先端宇宙論であるピレンケン・モデルや超ひも理論、多重発生論やホログラム論など、ヘタな宗教よりオカルティックで荒唐無稽な感じだし、仏教より古典的唯物論の方がはるかにカビの生えた骨董品という時代になってますもの(笑)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になります。

形而上的な問題については、例えばキリスト教の教理なんかは思考停止に陥らざるをえないような内容ですよね。仏教は全く逆で、難解なうえに経典も膨大で、逆にいえばどんな拡大解釈でも受容してしまいそうです。

極端な話、お釈迦様がただの頭のおかしい人か、ペテン師だったとすれば、つまりお釈迦様の覚りが「偽物」だった場合、当然宗教としての仏教は全否定されることになると思います。私の質問もそういう懸念をふまえての部分もあります。
ただ、もしそうだとしても、お釈迦様没後、その時代ごとの秀才達が非常に制約の少ない仏教教学の中で自由に形而上的思想を展開していった、そういう知の集積としての仏教哲学の価値は失われないのではないかと思います。
そして、最新物理学理論が大筋において仏教教理と矛盾しないのも、仏教を通じて展開された東洋哲学の功績による部分も大きいのかなあ、とか思います。

お礼日時:2007/10/10 20:00

ゴータマ・ブッダが何を語りいかなる生涯を送ったか、といった歴史的事実に少しでも迫りたければ、それらを最も正しく伝えているとされる阿含部の経典を読む必要があるでしょう。


いわゆる原始仏典といわれるこの経典群はブッダ入滅後間もなく行われた第一次仏典結集において直弟子たちが編纂したものなので、ほぼ正しくブッダの言行は伝えられていると言ってよいでしょう。(もっとも原始仏典の中にも後世の人々が創作したものも紛れ込んでいるので、阿含経すべてがブッダ直伝というわけではありませんが)

で、『ブッダは輪廻転生はあるとはっきり明言したのか』というご質問に対する答えは、阿含部最古の経典群を検証する限り「イエス」といわざるをえないでしょう。
ブッダは修行に益なきものとして占いや呪術を排し、葬式ですら俗人の迷信であり出家者は関わるべきでないと戒めましたが、輪廻転生についての発言は多々あり、苦である輪廻の生存を正しい修行によって終わらせなければならぬという立場は明言しています。

「非物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知らないので、再びこの世の生存にもどって来る」
(スッタニパータ)
「生存に対する妄執を断ち切り、実体についての固執を断ち切った修行僧にとっては、生れをくり返す輪廻が滅びている」
(ウダーナヴァルガ)

これら無数にある輪廻発言は、バラモン教の聖典ウパニシャッドで説かれている業報輪廻思想を鵜呑みにしての発言でも比喩・方便でもなく、ブッダ自身が自分の過去世やすべての生命が根本煩悩たる無明(アビディアー)と業により流転輪廻しているさまを(非想非非想所定よりさらに深い禅定で生じる三明の智慧によって)如実に見たのだ、と明言していますので、ブッダの真意として(ことの真偽は別として)認めざるをえないでしょう。
ブッダのことばを見るかぎり覚者の智慧とは、禅定における超感覚的認識能力も含むものと考えざるをえず、一般的現代人の目から奇異に映るのは当然でしょうね。

問題はこのようなブッダの言葉を現代の我々がどう捉えるか、ですが、「愚にもつかぬ妄言だ」と一笑に付すのも当然一つの選択であり、その場合は「無知蒙昧な古代人」と哀れんでいればよいだけのことではないでしょうか。
ただ僧侶と称する人の中に、ブッダは唯物論者であったなどとと語る人もいますが、人は死ねば無になるという唯物論を「断見」と呼びはっきり否定したブッダの言葉を強引かつ意図的に無視しているのは何ゆえなのかは理解に苦しみますね。
好むと好まざるに関わらずお釈迦様が語っておられる事実に対して、専門家がシカトしちゃまずいのではと思うんですがね(笑)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
すっきりしました。

>問題はこのようなブッダの言葉を現代の我々がどう捉えるか、ですが、「愚にもつかぬ妄言だ」と一笑に付すのも当然一つの選択であり、その場合は「無知蒙昧な古代人」と哀れんでいればよいだけのことではないでしょうか。

そんなつもりはありませんが、科学技術全盛で個人の教育レベルの高くなった現代日本で、何百年も前に作った方便をそのまま通用させようとする現代仏教のやり方では若者にソッポ向かれるのは当然だと思います。
またそういう方便のための余計な脚色が、お釈迦様の教えを却って現代人から遠ざけているように思います。

お礼日時:2007/10/09 15:49

 自著の書物はありません。


 全て、弟子による言行録です。
 お経が、如是我聞(我は是の如く聞いた)、で始まるのはそのためです。

 と言いつつ、如是我聞と冒頭に置いて始めればお経になるので、後世の創作も大量にあり、特に大乗仏典は全てソレです。
 敢えて言えば、阿含経が近いと思いますが、基本的に直接の言行録と確認できるものは無いと思いましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

勿論、二千年以上前のひとの言行ですから、100%明らかということはないと思います。
しかし、学問としてお釈迦様の生涯を研究している方もいらっしゃるでしょうし、お釈迦様が実際に説いたと思われる内容もある程度は定説があるのかと思ったのですが…。

極端な話、仏教の教えは全部ウソという可能性もあるのでしょうか?

お礼日時:2007/10/08 16:31

そもそもお釈迦様は全ての苦からの解脱を目的に、


修行をし衆生に正しく生きる道を説くことに生涯を尽くされた方です。

彼は自身の生まれる前の姿を記憶されており、
前世は王子であり、お腹を空かせた母子のトラに対し、
身を捧げたという記述が大蔵経のどこかにあったはずです。
(確かアーナンダ(阿南)が記している阿含経だったか・・。)

それが弟子の創作かどうかは分かりませんが、
我々が一般に呪術や神秘的と思えるようなものは、
本当のありのままの真実の姿を曇らせてしまうものだと、
説いておられるように思います。

私達が「人」という苦を伴った世界から抜けられないことは、
時として人は貶したり、羨んだり、慢心したり、疑ったりと、
私達の生活が諸々の欲望に支えられてあるからなのでしょう。

当時のインドのバラモンをはじめとする教えはややもすれば、
神秘的な力に頼り過ぎ、富は1部の権力や身分に独占されていて、
仏陀となられたお釈迦様は、生まれる前から仏陀となる宿命を
背負って生まれられたということです。
そして、お釈迦様はそうした英知をもって人が人として
誰もが幸せに過ごせる生き方を諭し、
その深い慈悲の心を今に伝えるに至るわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご回答の内容は理解できるのですが、現代に伝わるお釈迦様の言行や伝説がすべて真実だとはとても思えません。

お釈迦様が語ったとされる内容のうち、真実性の高い部分はどこまでか、特に輪廻について肯定するようなお言葉が実際にあったのかどうかを知りたいのです。

お礼日時:2007/10/08 16:15

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