「アリストテレスとホッブズにおける幸福論の概念を比較し、それぞれがどのような人間理解に基づくかのべよ。」
哲学の授業の課題なのですが、いろいろ調べても全然わかりません。期限が明日なので非常に困ってます。教えて下さい。お願いします。

A 回答 (1件)

一言でいうと、アリストテレスはアレテーに則して活動することが、すなわち幸福であり、個人よりもポリス共同体としての幸福の実現を重視する。


ホッブズは、個人の感性的、精神的な満足感をもって幸福とするという違いがあるのでは。

アリストテレスは人間をポリス的動物といって、共同体の中にあって初めて存立できるものであると考えていたし、同時に人間は理性的な存在だともいっています。
ホッズズは人間を利己的な存在だと考えていたのではないでしょうか。

すでに読まれたかと思われますが、アリストテレスの方は「ニコマコス倫理学」、ホッブズの方は「リヴァイアサン」が参考になるかと思われますが。どちらも岩波文庫で安く手に入るはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。うちの大学の図書館には「リヴァイアサン」がなくて全然ホッブズの幸福論についてわからなかったものですから。本当に助かりました。

お礼日時:2001/02/01 12:27

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Q(倫理や哲学の概念)を日常会話で共有することは不可能ですか?

共有しようとすると、キチガイになります。
しかし、倫理や哲学を考えないことは自分にはできません。
考えていたいです。
キチガイと思われずに、人と共有するにはどうすればよいでしょうか?

Aベストアンサー

人前でうんこ垂れ流してるような人だね。
倫理や哲学は真理を探求するものであって、概念なんてのは主張の排泄物。
理解するものであって共有するものではない。他人にとっては汚物です。

日常的に考えていたいなら、倫理的に自己を律する哲学を常に考えて行動していればいい。
あなたの思索は、自分の倫理も哲学も持ち合わせていない机上の空論です。

Q哲学の関心は幸福から成功へ移動した?

三木清の「人生論ノート」に古代・中世の哲学は幸福中心だが、
近代は成功中心になっているという意味のくだりがありますが、
これは事実なのでしょうか?
また事実だとしたら、なぜこのようなシフトが発生したのでしょうか?


以下、引用

人生論ノート 三木清
成功について
 古代人や中世的人間のモラルのうちには、我々の意味における成功と
いふものは何處にも存しないやうに思ふ。彼等のモラルの中心は幸福で
あつたのに反して、現代人のそれは成功であるといつてよいであらう。成
功するといふことが人々の主な問題となるやうになつたとき、幸福といふも
のはもはや人々の深い關心でなくなつた。

 成功のモラルが近代に特徴的なものであることは、進歩の觀念が近代
に特徴的なものであるのに似てゐるであらう。實は兩者の間に密接な關
係があるのである。近代啓蒙主義の倫理における幸福論は幸福のモラル
から成功のモラルへの推移を可能にした。成功といふものは、進歩の觀念
と同じく、直線的な向上として考へられる。しかるに幸福には、本來、進歩
といふものはない。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/46845_29569.html

三木清の「人生論ノート」に古代・中世の哲学は幸福中心だが、
近代は成功中心になっているという意味のくだりがありますが、
これは事実なのでしょうか?
また事実だとしたら、なぜこのようなシフトが発生したのでしょうか?


以下、引用

人生論ノート 三木清
成功について
 古代人や中世的人間のモラルのうちには、我々の意味における成功と
いふものは何處にも存しないやうに思ふ。彼等のモラルの中心は幸福で
あつたのに反して、現代人のそれは成功であるといつてよいであらう。成
功すると...続きを読む

Aベストアンサー

二つの側面で考えてみました。

はじめに、この「ノート」が書かれた時期が戦前であり、その当時の思想界いや社会全体が大東亜戦争・太平洋戦争に勝利(成功)すべし、という最大の「課題(国家的要請)」に席巻されていたという事実です。
三木清の啓蒙的良心から彼にとって耐えがたい状況に対するささやかなる抵抗として読みとる必要があると思います。[当時は直接的な記述が非常に困難であったことを考慮すべき]
その場合に論点を単純化・鮮明にして対比させて述べた部分と理解したいです。記述の中で企業家について触れているのも、背景に国家資本主義とそれに依拠する(侵略)戦争の肯定・推進が「現代のモラル」の主流になっているという批判を含んでいると思います。

次に、(三木の言う「古代・中世の哲学」の意味は良く分かりませんが)古代・中世の哲学は幸福中心だが、近代は成功中心になっているという視点は事実としてはあまり当たっていないのではないでしょうか。
古代・中世だって成功の哲学はあったでしょう。文書として僅かしか記録が残っていないという意味かも知れませんが、彼の断定している論点には単純に納得できないものがあります。古文書自体が「成功者の記録」かも知れないという疑問が残りますし、実際そうだったと私は思います。成功して「哲学する」必要条件が満たされた人々が、「幸福」について哲学していたのが歴史事実ではないでしょうか?

簡潔過ぎて充分伝わらないと思いますが、要は、私見では、三木清のこのテーマは事実とは認めがたいけれども、当時の状況として啓蒙的に取り上げる意義があった、と考えられます。

二つの側面で考えてみました。

はじめに、この「ノート」が書かれた時期が戦前であり、その当時の思想界いや社会全体が大東亜戦争・太平洋戦争に勝利(成功)すべし、という最大の「課題(国家的要請)」に席巻されていたという事実です。
三木清の啓蒙的良心から彼にとって耐えがたい状況に対するささやかなる抵抗として読みとる必要があると思います。[当時は直接的な記述が非常に困難であったことを考慮すべき]
その場合に論点を単純化・鮮明にして対比させて述べた部分と理解したいです。記述の中で企業...続きを読む

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幸福とは何か?
と考えるとキリがないのかもしれませんが、幸福とはなんでしょうか?

幸福とは何か?と考えると結論が出ないのは何故ですか?

「脳内麻薬の~が出ている状態」では、説明になっていないのでしょうか?

Aベストアンサー

全くそれであってますよ。一言で言うとそういうことです。
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Q法政哲学科:課題ゴルギアスについて。

 こんにちは。私は法政大学の哲学をB方式(国語と小論入試)で受験しようと思います。私にはソコしかなくて、何が何でも受かりたいと思っています。

 と、いうわけで、課題のゴルギアスを必死に読んでいるわけですが・・・本番でどのように問題がでるかとか分からないし、大学側がどうして「ゴルギアス」を課題にしたのか(何を私たちに理解してもらいたいのか)がわからないので、見えない相手に四苦八苦しています。

 受験経験がある方、詳しい方、おなじ立場の方の意見おなちしています。

 ・・・という文を大学のカテゴリに載せたところこちらの方が良い回答がでるのでは・・という意見を頂いたのでこちらにのせることにしました。

 過去の質問をみると「正しいってどういうこと?」「どういう風に生きたらいい?」というのが議論と書いてありました。・・つまりそういうことなのでしょうか?

 大学は私たちにゴルギアスを読むことで、上の二点について考えさせたのでしょうか。やっぱりまだ理解できません。経験者の方やゴルギアスを読まれた方意見お願いします。

 ・・なんだか哲学や倫理を読むようになってから、自分の行動一つ一つを疑問に思うようになりました。何も考えなかった時の方が楽でしたが、今の方が私にとって善いことをしているような気がします。

 でも考えても考えても答えって出ないんですね。

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 受験経験がある方、詳しい方、おなじ立場の方の意見おなちしています。

 ・・・...続きを読む

Aベストアンサー

昔、ゴルギアスを読んだことがある者です。

ゴルギアスは、プラトンの初期対話編の一つだったと思いますが、プラトンの初期対話編の大きな特色であり、かつ魅力的なのは、ソフィスト(弁論術に長けた者)と哲学者(ソクラテス)の論戦です。

ゴルギアスの場合で言えば、
 ゴルギアス:ソフィスト
 ソクラテス:哲学者
です。

ソフィスト達とソクラテスの、一番の大きな違いは、物事を考えるときの『考え方』だと思います。ソフィストは、相手を弁論によって打ち負かすための思考とその実現への技術を磨くのに対して、ソクラテスは、ソフィスト達の弁論が成り立つところの、その原因、つまり彼等が物事を語る上で『前提』としていることに対して、徹底的に問う姿勢を持っています。

少々悪い例かもしれませんが、何か出来事があったとき、そのことについての善悪を考え、自分の意見を述べるということは、ソフィストの行為です。今の時代でも、新聞、雑誌、テレビ、あらゆる媒体で、政治家やコメンテイターを通じてそのような行為を見ることがあるでしょう。
それに対して、ソクラテスの議論の核は、物事の善悪を考えるのではなくて、物事を善悪のどちらかで判断するところの、善悪そのものを問うものです。つまり、そもそも善とは何か、悪とは何か。

そして、世の中に起こる事象についての善悪は、すべて時代と共に移り変わるものであるのに対して、時代の影響なく、善そのもの、悪そのものを問い、考えようとするのが真理を探究する行為であり、哲学だ、というわけです。これが、プラトン初期対話編に見られるソクラテスの一貫した姿勢だろうと思われます。

たしかゴルギアスの場合は、最後、ゴルギアスとソクラテスの、お互いの主張ではなく、『議論の進め方』について、互いの問題意識の違いを確認しあったという形で終わっていると思います。(正確ではありません)

大学側の意図はわかりませんが、ソクラテスとソフィストとの対比という点に焦点を置いてみると良いのではないでしょうか。そこに、ソクラテスの戦いの姿を見ることができると思われます。

ちなみに、哲学とは、問うものであって、勿論そこに答えを導き出すということも含まれますが、むしろ、答えへの考え方、問い方を、さらに深く考えるものだと私は思っています。答えを出すためだけに偏ってしまうなら、それは哲学ではないかもしれません。プラトン前期対話編のなかで、ソクラテスは、何か明確な一つの思想、『答え』のようなものは、ほとんど語っていないように思われます。

参考書としては、藤澤令夫の『プラトンの哲学』(たしか岩波新書)を読むといいと思います。新書で読みやすいですし、(内容は深いですが!)プラトン哲学の全貌を学ぶことができます。

昔、ゴルギアスを読んだことがある者です。

ゴルギアスは、プラトンの初期対話編の一つだったと思いますが、プラトンの初期対話編の大きな特色であり、かつ魅力的なのは、ソフィスト(弁論術に長けた者)と哲学者(ソクラテス)の論戦です。

ゴルギアスの場合で言えば、
 ゴルギアス:ソフィスト
 ソクラテス:哲学者
です。

ソフィスト達とソクラテスの、一番の大きな違いは、物事を考えるときの『考え方』だと思います。ソフィストは、相手を弁論によって打ち負かすための思考とその実現への技術...続きを読む

Q「~を哲学せよ」というレポート課題

大学で、「~を哲学せよ」というの課題が出たのですが、これはどのように考えたらいいのでしょうか?

授業は、歴史上の有名な哲学者の考えを紹介する、という形だったのですが、それを踏まえて自由に思ったことを書きなさい、ということでいいのでしょうか?

~の部分には、意味の分からない文や単語が入ります。(レポートの課題文を全部書くのは差し障りがあるので、「~」とさせてください。)

問題の考え方というか指針を教えていただけないでしょうか?

Aベストアンサー

「~」のところに意味の解らない・無い言葉が入るのであれば

それを観て感じたことから始めてみては如何でしょう。

まず「解らない」と言う所から。

解らないとは何だろう。知らないということ。無知と言うこと。
無知によっていかに失敗しやすくなるか。それによって我々はどのように苦しみ悩んでいるのか。

「解らない」と事実を認めることなく、気付くことなくそこに勝手に価値判断したり概念によって何か決め付けたりしたらもっと苦しみ悩むことにならないだろうか。自分達はそのようにしていないだろうか。

価値概念を自分勝手に判断しないようにしたらどうなるだろう。

もう一つ。

「解らない」と言うところから「我々は本当にわかっているのだろうか」といろいろ分析するのも楽しいかもしれません。

五感と意識の六根がどのように働いているのか。
全ては対象の物質が感じる範囲であるものに触れる(変化する)ことによって感じる(感触・味・匂い・概念・考え…など)それぞれ変化することで感じることが出来る。

六根とは何だろう同じが止まったように続くと感覚は苦痛に感じる。
次に他の感覚などに移ると苦痛が無くなり楽を感じる。またしばらく同じ感覚が続くと苦しくなる。

結局は皆本質的には苦しみで苦しみの誤差によって「楽」を感じていると言のでは。

我々はなぜ止まることなく動いているのだろう。

止まると苦しいから。

情報を得たとき本当にそのままのデータを見ているだろうか。好き嫌い退屈に振り分けて、そこに妄想概念のトッピング、決め付けのかたどりをして、はいないだろうか。その捏造した情報によってその現象を引き入れたり撥ね退けようとしたりして、欲怒りの感情を出してはいないだろうか。現実と妄想の誤差に自他を痛めつけてはいないだろうか。

我々の悩み苦しみの原因はこの捏造にあるのではないか。それをなくせば心の悩み苦しみはなくなるのではないか。

この問題解決こそが全ての問題の解決につながる道ではないか。

感覚は本質的に苦だが、心は限りなく軽く生きれるのではないか。

…ブッダの考察を参考にざっと書いてみました。

お役に立てば幸いです。

「~」のところに意味の解らない・無い言葉が入るのであれば

それを観て感じたことから始めてみては如何でしょう。

まず「解らない」と言う所から。

解らないとは何だろう。知らないということ。無知と言うこと。
無知によっていかに失敗しやすくなるか。それによって我々はどのように苦しみ悩んでいるのか。

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