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国家と個人を比べて、国家の方が大切だと思える人は、
きっと、祖国が侵略行為を受けたら、祖国のために命をかけて戦えるんでしょうね。
僕の場合は、国家よりも自分の方が大切なんで、祖国が侵略行為を受けたら可及的速やかに亡命したいと思ってます。
皆さんは、国家と個人、どちらの方が大切だと思ってますか?

A 回答 (11件中1~10件)

国家よりも、個人の方が大切だと思っています。



少なくとも私の家族は、国家よりも個人重視派のようです。他の方の回答にもありますが、愛する人がいれば当然そちらが上位ですし、万が一日本が侵略されても「国の為に」命をかけて戦いたくないです。そんな事したくないし、私には出来ません。

愛国心が足りないのかもしれませんが、侵略があって戦いに発展する場合は、家族や大切な人と共に亡命したいです。
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この回答へのお礼

有難うございました。

同じようなお考えのようですね。

>万が一日本が侵略されても「国の為に」命をかけて戦いたくないです。
>そんな事したくないし、私には出来ません。

僕もお国のために戦うなんてことは、何があってもしたくないです。
命を犠牲にしてまで守らなければならない価値など露ほどもないと思ってます。

お礼日時:2002/08/29 22:11

> 小指の爪がなくても、また小指一本なくても


> 生きていくことはできますので、そのお考え
> ですと、何よりも重要なのは「国家」という
> ことになりませんか

そういうことではなく、比較される対象の一方が自分自身を含む集団であり、他方がその一部、ということだと、比較に主観が入り込まざるを得ないので、問題の一部が、自分自身や身内か、それとも赤の他人かで、答えは変わってくるということです
つまり、『誰にとって』大切か、という点を抜きには論じようが無いということです
例えば、人命は地球よりも重い、と言ったところで、地球が無ければ、人間は生きていけません
だからと言って、地球を救うのに個人の犠牲が必要だというような事態になったとき、その犠牲になるのが自分自身だったら、そう簡単に自分の命より地球が重いとは考えられないでしょう

> 早めに国外脱出をしたい

仮に特別な情報を得て出国に成功したとしても、必ずしもあなたの望む展開になるとは限らないと思います
例えば、クウェートのときのように国外脱出者から義勇軍が募られても、おそらく参加なさらないのだと思いますが、もし侵略が撃退されてしまえば、難民申請はまず受け入れられないでしょうから、帰国して改めて移民先を探すか、オーバーステイかという選択になるでしょう
帰国すれば、戦勝で右傾化した社会で卑怯者、非国民のそしりを受けるかなり肩身の狭い暮らしとなり、一方オーバーステイでも常に官憲の目を避けての生活、なんてことになるかもしれません
また母国の危機に背を向けたという『前科』は移民審査に当たっても不利な要素となるのではないでしょうか

この回答への補足

全体の回答を読んで感じたことを述べます。

侵略行為を受けたら
――何が何でも殺し合い(戦争)に参加しないとならない――
というお考えがちらほらと見受けられたことに、
最近の右傾化傾向にあらためて憂いを感じています。

補足日時:2002/08/30 00:20
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この回答へのお礼

有難うございます。

>問題の一部が、自分自身や身内か、それとも赤の他人かで、答えは変わっ
>てくるということです
>つまり、『誰にとって』大切か、という点を抜きには論じようが無いとい
>うことです

ならば「誰にとって」大切かを明示した上で考えを表明すればよろしいのでは?

>仮に特別な情報を得て出国に成功したとしても、必ずしもあなたの望む展
>開になるとは限らないと思います

ということは、必ずしも僕の望まない展開になるというわけでもないわけですね。

>戦勝で右傾化した社会で卑怯者、非国民のそしりを受けるかなり肩身の狭
>い暮らしとなり、一方オーバーステイでも常に官憲の目を避けての生活、
>なんてことになるかもしれません

最悪のケースとして受けとめさせてもらいます。
ただ、国内に留まっていたら、戦死している可能性もあったわけですから。
それに、どんな厳しい境遇に陥ろうが、殺し合いに加担しなかったことは
自分の中で誇りに思えると思います。

お礼日時:2002/08/30 00:18

この設問は、


「もし宝くじが当たったらどのように使いますか?」
と同じ程度のお遊びに思えますので、暇の折
少しお付き合いさせてもらいます。
侵略されたらどうするか、そんな一大事の時には、
世界には敵と味方しかいません、たとえ現在他国でも
わが国を同盟国と見る国の人々は命をかけて
戦ってくれます。そんな時に祖国を捨てて逃げるような
人に居場所はありません、あなたでもあなたの家族でも
自分がほんとうに大切ならばやはり戦うしかないのです
何故なら人は他の人から人間として認めてもらえない
自分の存在には耐えられないからです。
卑怯者とは呼ばれたくないのです、
それを自尊心とも言います。
自分を大切に思う気持ちが強いほど、
やはりあなたも間違いなく武器を取ります。
国家とはそんな人々の集団なのです。
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この回答へのお礼

>この設問は、
>「もし宝くじが当たったらどのように使いますか?」
>と同じ程度のお遊びに思えますので、暇の折
>少しお付き合いさせてもらいます。

なぜ、わざわざこのような前置きをつけなければならないのでしょう?
くだらない質問と思われるのなら、回答される必要はないかと思うのですが?

>そんな時に祖国を捨てて逃げるような
>人に居場所はありません

>何故なら人は他の人から人間として認めてもらえない
>自分の存在には耐えられないからです。

自国が侵略されて国外に脱出した人が、例外なく人間として認められない状態に陥るのでしょうか?
ナチスの侵略に伴い、国外脱出をはかった人は多数いると聞きますが、
そんな人々が例外なく人間として認められなかったのでしょうか?

>やはりあなたも間違いなく武器を取ります。

そのように断定してこうだ!と言われたら、こちらは返す言葉がないです。
「これはこうと決まっているんだ!!」という態度の方とは、僕は、話し合う余地はないと思ってます。
あえて言葉を返すなら、
「はいはい。その通りですよ。あなた様のおっしゃる通りです。
ただ、これ以上、あなた様ご意見を伺いたいとは思いません。
貴重なご意見。本当に本当に有難うございました」

お礼日時:2002/08/30 00:00

国家は個人個人がつくりますが、国家は個人をつくってはくれません。


国家のあり方を決めるのも選挙や様々な手段や活動などを通して行う個人個人の力だと思います。民主主義の象徴といわれる多数決制度も結局は同じ考えを持った個人が多く集まった結果です。客観的ということも同じようにいえるのではないでしょうか。国家や多くの組織も個人の集合体ではないでしょうか。
そう考えると自ずから個人個人の生き方が反映されると考えていいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございました。

>国家のあり方を決めるのも選挙や様々な手段や活動などを通して行う個人個人の力だと思います

ただ、実際には、国家というものは、一部の利益集団の方に目が向きすぎるという傾向があると思います。
その結果、国家が無謀の選択をした場合には、国家に見切りをつけることも、僕はありだと思っています。
個人と国家は、一心同体・運命共同体ではないと僕は思っています。
この考えでいくと、やはり、個人が主であり、国家は従であると思えてなりません。

お礼日時:2002/08/29 23:00

どっちも大事だと思いますよ。




個人がいなければ国家は成立せず、
国家が無ければ個人は崩壊する。
「国家」って言うと難しく思えますが、
複数の人間が集まれば、誰かが上に立ってみんなをまとめないといけないし、
みんなが暮らしていくために秩序も必要。
リーダーが自分勝手に権力を振るわないように、個人がリーダーを支えつつ注意しつつ…
でもやっぱり不適格だったら引き摺り下ろすけど、リーダーがいないとまとまらないから次のリーダーを立てる。
でも、個人が無ければそもそもそんな「グループ」すら存在しませんよね。

「一人はみんなのために、みんなは一人の為に」これはちょっと違うかな?(^^;

>僕の場合は、国家よりも自分の方が大切なんで、祖国が侵略行為を受けたら可及的速やかに亡命したいと思ってます。

亡命と祖国が大事かどうかは必ずしもイコールではありません。
亡命とは国籍を捨てる事ですが、亡命して自分の身の安全を確保して、
しかるのち祖国の為に戦ってらっしゃる方は全世界にたくさんおられますよね。
私は日本と言う国は嫌いですが、日本と言う土地環境は大好きです。
日本で培われてきた文化・伝統も大好きです。
後世にまで伝えたいと思っています。
家族や友人、恋人、その他大勢の大切な人たちも守りたいです。
侵略行為でそれらが破壊される可能性があるのなら、私は自分の出来る限りのことをするでしょうね。
自分の大事な物は大事にしたいし、失いたくない。
それが出来るなら、命削ってでも戦えますよ。

もちろんその「戦う方法」は暴力ではありませんけどね。
それでは何にも変わりませんから。

しかしこれは個人のためなのか国家のためなのか……
やっぱり個人なのかな?
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この回答へのお礼

有難うございました。

>個人がいなければ国家は成立せず、

個人が多少死んだとしても国家は崩壊しないので、
国家の上層は自分らはのうのうとしながら、
戦争というものを執行できるのだと思ってます。
多少の個人の死は国家にとっては痛くも痒くもない……
なので、僕は、国家のために命を犠牲にするようなことは、
どうかと思ってしまうのです。

>国家が無ければ個人は崩壊する。

難民となって、かなり厳しい環境ですが無国籍に近い状態で暮らしている方もいると思います。
必ずしも、国家がなければ個人は存在できないものでもないと思ってます。
また、手続き的にはかなり厳しいことかもしれないですが、
国家は乗り換えることが可能なものであるとも思っています。

>家族や友人、恋人、その他大勢の大切な人たちも守りたいです。
>侵略行為でそれらが破壊される可能性があるのなら、私は自分の出来る限
>りのことをするでしょうね。

僕としては命をかけてでも、そのような大切な人を国外に脱出させてあげたいと思います。

>しかしこれは個人のためなのか国家のためなのか……
>やっぱり個人なのかな?

個人のためと感じられますが……

お礼日時:2002/08/29 22:40

国家は個人の集合体であり、国民である個人は国家の部分です


御質問は、例えば、小指の爪と身体全体とどちらが大事かと問うようなものです
当の爪にとってはあるいは自分の方が大事かもしれませんが、それ以外の部分にとっては身体全体の方が大事でしょう

また、亡命というのもそれほど簡単に受け入れてもらえるものではありません(あなたが受入国にとって利用価値のある大物なら話は別ですが)し、その前に日本の場合だと、そのような事態下では出国自体が困難だと思います
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この回答へのお礼

有難うございました。

>御質問は、例えば、小指の爪と身体全体とどちらが大事かと問うようなものです

小指の爪がなくても、また小指一本なくても生きていくことはできますので、そのお考えですと、
何よりも重要なのは「国家」ということになりませんか?

>また、亡命というのもそれほど簡単に受け入れてもらえるものではありません

ならば、早めに国外脱出をしたいと思います。

お礼日時:2002/08/29 22:16

「愛するひと」と「国」だったら、わたしは愛するひとのほうが大切です。


「国」ってモノを見たことないですから。本当はそんなものないんじゃない
かな? って思ってます。

「アルマゲドン」はご覧になりました?
あれは、「家族」と「地球」のどっちが大切か? という問題を突きつけられたお父さんの話だと思ってます、わたしは。
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この回答へのお礼

有難うございます。

>「愛するひと」と「国」だったら、わたしは愛するひとのほうが大切です。

だいたい同様のお考えのようですね。
僕は、国家とは単なるサービス機関に過ぎないと思うので、
他のものに乗り換えるということが可能だと思っています。
いちサービス機関を守るために、殺し合いをすることは、
僕は愚かなことだと思えてなりません。

>「アルマゲドン」はご覧になりました?

観に行きましたが、ほとんど寝てました(笑)
機会があったら、レンタルしてみます。

お礼日時:2002/08/29 21:18

う~ん、難しいことをおっしゃっていますねぇ。


国家!というから難しいんだと思いますよ。

1対1とか、自分と相手といった関係ならば、自分が大切ですから逃げるなりなんなりをすると思います。

でもこれが、家族対家族、親族対親族、グループ対グループという関係になるとまた違ってくるんじゃないですか?
たとえば、「自分の母親が殴られている」ということがあった場合、あなたは自分の身のかわいさに逃げ出しますか?それとも「やめろ」と前に飛び出してかなわない相手に対しても立ち向かっていきますか?

結局は、「何かがあって戦う」ということは、自分の身の回りの人(家族・親族・仲間)のために立ち向かうのであって、「国家」のためではないと思います。本心から言うならね。

そして、「自分の家族・親族・仲間のために立ち向かう」という思いが集まったとき、「国家のために・・・・」ということも含まれてくるのではないかと私は思います。

>僕の場合は、国家よりも自分の方が大切なんで、祖国が侵略行為を受けたら可及的速やかに亡命したいと思ってます。
私の家族・親族・仲間全員が一緒に亡命できるのであればそうするでしょう。自分一人だけの亡命ではしません。
家族・親族・仲間が侵略を受けてひどい目に遭っているとき、亡命先でのうのうとは暮らしたくはないからです。
私は「国家」のために戦い(争い)たくはありません。でも、家族・親族・仲間のためだったら、(できるのならしたくはありませんが)争いごと、戦いごとに身を投じることでしょう。

これは、私の個人的意見です。好き勝手なことを書いてしまいましたし、「国家と個人」という質問から離れてしまったかもしれませんが、参考のひとつと考えてもらえればうれしいです。
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この回答へのお礼

有難うございます。

僕の家族・愛する人が一緒に亡命してくれそうなことは、
No1さんへのお返事で書いたとおりです。

>たとえば、「自分の母親が殴られている」ということがあった場合、あな
>たは自分の身のかわいさに逃げ出しますか?それとも「やめろ」と前に飛
>び出してかなわない相手に対しても立ち向かっていきますか?

自分の命が危険にさらされたとしても、僕は戦うでしょう!!

>仲間が侵略を受けてひどい目に遭っているとき、亡命先でのうのうとは暮
>らしたくはないからです。

僕は亡命する前に仲間と思える人達にも一緒に亡命するように極力説得すると思います。
場合によっては資金の援助もしたいと思います(父に頼んで)。
殺し合いをすることの愚かさを必死で説き伏せたいと思います。
それでも祖国に残って戦うという人は、その人の意思を尊重するしかないですね。
亡命先の新しい環境で、新しい仲間を作り上げられるように努力したいと思います。

お礼日時:2002/08/29 21:05

そりゃ、みんな国家よりも自分でしょう。



でもね、自分も大事かも知れないけれど、自分の家族とか、自分自身以外にも大事なもの、守りたいものがあるでしょう。

日本が侵略を受けたら、大事なものを守るために戦うかもしれませんね。国家の為、ということでなくて・・・。

ただ、自分以外の個人という事で考えると、見ず知らずのあなたのような人と比べたら、国家ですね。
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この回答へのお礼

有難うございました。

僕の家族・愛する人が一緒に亡命してくれそうなことは、
No1さんへのお返事で書いたとおりです。

>見ず知らずのあなたのような人と比べたら、国家ですね。

祖国防衛のために、攻めてくる敵国の兵士であるところの個人と、
殺しあうようなことは、僕はしたくないです。

お礼日時:2002/08/29 20:54

> 国家よりも自分の方が大切なんで、祖国が侵略行為を受けたら可及的速やかに亡命したいと思ってます。



私は自分が大切です。
家族も大切です。
愛する人も大切です。
関わる仲間も大切です。
私は祖国のために闘うかと思います。
しかし、必ずしも祖国と国家は一致しないと思っています。
祖国と国家が一致している場合には、祖国のために戦っても国家のために戦ったことになりますが、国家と祖国が一致しなかった場合、祖国のために国家と戦うこともありうるでしょう。

私はそんな感じです。
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この回答へのお礼

有難うございました。

僕の家族・愛する人が一緒に亡命してくれそうなことは、
No1さんへのお返事で書いたとおりです。

>関わる仲間も大切です。

さすがに関わる仲間の中には祖国に残る人もいそうですが、
そんな一部の仲間のために、己の命を犠牲にしてまで戦う気にはなれません。僕の場合は。

お礼日時:2002/08/29 20:50

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